短編ミステリ読みかえ史

2015.12.07

短編ミステリ読みかえ史 【第81回】(1/2)  小森収


「『空想科学小説を読んだことがあるなら、もっとも退屈な箇所が、つねに説明の部分だということはわかるはずだよ。読者をうんざりさせて、おまけに物語をちんぷんかんぷんにしてしまうんだ。特に作者が高校の物理の劣等生で、どうしてそうなるのか自分もわかりもしないときにはね。ぼくらはそんなところはとばすんだ』と彼は自信まんまんでいった。『そして、もっと重要なことに喰いついてゆく。ほかにしなければならないことが山とあるんだ』」
 ジャック・フィニイの「ニュウズの蔭に」の主人公の発言です。ハードSFのファンが読んだら、のけぞるかもしれませんね。しかし、この発言は、フィニイの作品を読み、考える上で、いささか示唆的であるように、私には思えます。この短編自体は、それほど突拍子もないことでさえなければ、自分の新聞に記事を書けば、それが実現してしまうという話で、まあ、平凡な作品です。〈それほど突拍子もないことでなければ〉という、限定の曖昧さ緩さが、フィニイらしいとも言えます。この小説は、たとえばボーモントの「悪魔が来たりて――」と比較されるべき作品かもしれません。書いた記事が現実になってしまうというファンタスティックな出来事がもたらす事件としてのダイナミックさも、そういう奇妙な事態が生じた理由も、ボーモントの方が鋭いものを持っています。宇宙からやって来た隕石を溶かして作った活字で印刷したせいで、それが実現するという「説明」は、退屈さを逃れているかもしれませんが、これで問題なしというのでは、退屈に感じる複雑な説明についていけてないだけではないのかと、反問されても仕方ないでしょう。
 この短編は第一短編集『レベル3』に収録されています。『レベル3』は異色作家短篇集の第一期の一冊でした。フィニイの作品はSFマガジンをはじめ、いくつかの雑誌に翻訳されていて、SF作家という位置づけでした。フィニイにとって当時唯一のSF長編が、映画化され、原作ともどもカルト的な好評を博していたという事情もありました。『盗まれた街』――ボディスナッチャー(原題です)として、くり返し映画化されることになる作品です。ただし、ジャック・フィニイという作家は、SF作家と括ってしまうには、ふさわしくない何かがあったのも事実です。サイエンス・フィクションというよりもファンタジーだろうというのも、まっとうな指摘ですが、そういうことでもない。そもそも『レベル3』という短編集からして、その間口の狭さは、特異といってもよいものでした。
 短編集『レベル3』の基調は、巻頭の表題作にすべて集約されていると言っていいでしょう。巨大なグランド・セントラル駅(日本でいえば、東京のどこかというより、大阪の梅田地下が近いでしょうか)で、道に迷った主人公が、あるはずのない地下3階に行きついてしまう。近代的な建物にあるはずのない場所があるというのは、フランク・グルーバーの「13階の女」が有名でしょうが、実は「レベル3」の方が5年ほど先行しています。それに、フィニイの場合は、それが怪奇に結びつかずにノスタルジイに結びつくのが、もっとも重要な特徴でしょう。あるはずのない地下3階は、過去に直結していたのでした。一度迷い込んだ主人公は、もとの世界に戻ったのち、次に、故意に地下3階に行こうとしますが、果たせません。そんなある日、友人から不思議な手紙を受け取る。日付は1894年。結末が上品な厭世感を持つ点でも、イリノイ州ゲイルズバーグが登場するという点でも、この短編は、フィニイという作家のもっとも重要な流れの起点でした。
 その他の短編においても、フィニイの嗜好は明らかでした。「おかしな隣人」は、未来社会から過去に逃れて来たらしい〈おかしな隣人〉を肯定的に描いたものですが、それは同時に、現在という過去に逃れてこざるをえないという意味で、未来を否定的にとらえたものでした。「失踪人名簿」は、旅行会社に飛び込みで入っていくと、初期のアメリカをさらに理想郷にしたような別世界へ案内してくれるという話でした。時間テーマのSFと一応は言えますが、フィニイの場合は、さらに間口が狭い。現代は常に息苦しく、それに比べて過去のアメリカは暮らしやすいという発想に貫かれています。南北戦争を舞台に、当時タイムマシンを発明した少佐が、20世紀初頭のスミソニアン博物館にやって来て、ライト兄弟のキティフォーク号(展示してありますね)をかっぱらって、南軍を爆撃しようという「世界最初のパイロット」や、クラシックカー(ノスタルジーには恰好の素材)好きの主人公が、復元した自動車で過去に紛れ込む「第二のチャンス」といった、表立っては過去への逃避を描かない作品にしても、19世紀から20世紀初頭へ向けるフィニイの眼差しが、羨望に満ちていることに変わりはありません。そうした発想の集大成が「こわい」でしょう。この小説では、現代ないしは未来は、誰しもそこから逃れたい世界で、人々の過去への大量脱出を暗示して終わります。「こわい」を集大成と呼ぶのは、何百万(!)という多くの人々の、過去への熱望という心の力――集団圧力という言葉を使っていますが――が、時の秩序を乱すという発想のためです。ここには、SF的なギミックを用いて、時を突破しようという考えは、微塵もないのです。




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