短編ミステリ読みかえ史

2015.04.06

短編ミステリ読みかえ史 【第73回】(1/2)  小森収


 レイ・ブラッドベリほど華麗な才能を、若くして発揮したわけではありませんが、ロバート・ブロックも、また、若くしてウィアードテールズに名を連ねる作家となりました。若くしてという言葉を重ねたついでに、当時の作家の生年をふり返っておきましょうか。ブラッドベリは1920年生まれで、ひとつ年上のJ・D・サリンジャー(このふたりがほぼ同年というのは、アメリカの幼年期の終わりとでもいいますか、縁を感じます)とともに、1941年のアメリカ参戦以前にデビューした最年少の作家ということになります。ブロックが17年生まれなのに対して、16年生まれとひとつ年上で、30歳ちょっとでのデビューと、さして遅咲きとも言えないスタンリイ・エリンのキャリアは、戦後のスタートとなりました。同じ16年生まれのロアルド・ダールが、戦争中に作家として歩み始められたのは、戦闘機乗りの手記が求められたという、特殊な条件のおかげでした。29年生まれのチャールズ・ボーモントはもちろん、26年生まれのリチャード・マシスンも、戦後の作家です。22年生まれのウィリアム・P・マッギヴァーンは、戦前戦中の典型的な三文パルプSF作家像が信じられないような変身を、戦後に遂げます。戦争中にデビューを果たしたロス・マクドナルドは、15年生まれ。戦前からパルプ雑誌に書いていたとはいえ、戦争が終わって大ブレイクするミッキー・スピレインが18年生まれです。むろん、さらに年長で、書き始めたのが遅い作家は――重要な短編を書いた作家で言うなら、11年生まれのジャック・フィニイとか16年生まれのシャーリイ・ジャクスン――あまたいました。異色作家短篇集の第1期の作家たち(ダール、エリン、フィニイ、ボーモント、ブラッドベリ、コリア)は、1901年生まれのジョン・コリアが、少々年長であることを除けば、おおむね、このあたりの世代ということになります。
 ロバート・ブロックは、ブラッドベリよりも、はるかに普通かつ理解しやすい形で、作家としての経歴を開始しました。恐怖と怪奇の小説のファンとして、ラヴクラフトに私淑し、ファンから作家への道をたどったのです。これは、多くの怪奇小説作家やSF作家のキャリアの始まりに見られることでした。活躍の場も、まずはウィアードテールズでした。もっとも、以前に紹介し、今後しばらくは参考書として手放せないマイク・アシュリーの『SF雑誌の歴史』によると、従来、ロバート・ブロックの商業誌初登場とされていた、ウィアードテールズ35年1月号の「修道院の饗宴」(修道院の晩餐、大修道院の宴)以前に、マイナーな怪奇小説のパルプに、短編が売れていたそうです。また、アーカムハウスから出版された第一短編集とされるThe Opener of the Way以前に、単行本形式の雑誌という形の出版物に交じって――戦時中の用紙制限のために、こういうマカフシギな形態が生じたらしい――個人短編集として薄い本(4編を収録)も出ているようです。事実としてはそうなのでしょうが、ウィアードテールズ初登場とアーカムハウスからの出版という歴史的意味が、それで薄れるということもないでしょう。そもそも「修道院の饗宴」は、結果として、戦前のロバート・ブロックの代表作と言えるものでした。
「修道院の饗宴」は、嵐の夜、主人公の「私」が森の中の修道院に辿り着くところから始まります。私は、兄を訪ねて馬を駆っているのでした。愛想のいい修道院長が現われ、宿を勧めてくれる。しかも、食事は修道院とは思えぬ贅沢さで、居並ぶ人々もそれを貪ることに躊躇がない。温和な院長の態度が、徐々に不気味に思えてくるようになって、やがて、饗宴が最高潮に達したところで、主人公にある恐怖が襲いかかる……。偶然が無造作なまま使われている構成や、結末のあとが長いとか、不恰好な部分はあるものの、主人公の体験する怪奇が懸命に描かれていて、微笑ましい作品です。
 一読して分かるように、ヨーロッパの話で、イギリスの幻想小説・怪奇小説を読んで育った青年が、そのイミテーションを書いてみましたという内容です。ファンあがりの作家らしいとも言えます。そして、ヨーロッパを舞台にした、ブッキッシュな小説というのは、この時期のロバート・ブロックという作家の特徴でもありました。




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