短編ミステリ読みかえ史

2014.06.05

短編ミステリ読みかえ史 【第63回】(1/2)  小森収


 4年のブランクを経た第13回コンテストは、別格として脇にどけておくとして、12回のコンテストの後半は、大量の受賞作を出したのが、特徴でした。しかも、第12回と第13回の間の4年間のブランクというのが、また重要です。それは57年から60年にあたりますが、直前に、53年のマンハント、セイント・ディテクティヴ・マガジン、56年のアルフレッド・ヒッチコックス・ミステリ・マガジン、マイケル・シェイン・ミステリ・マガジンといった、後発誌の創刊があり、その一方で、MWA賞の短編賞では、57年発表作品で翌58年受賞のジェラルド・カーシュから、スリックマガジン初出作品の増加が始まるのです。ジェラルド・カーシュの「壜の中の謎の手記」の初出はサタデイ・イヴニング・ポスト。ちなみに、カーシュの直前3年の受賞者は、スタンリイ・エリン、フィリップ・マクドナルド、スタンリイ・エリンで、初出はいずれもEQMM――ありていに言えば、コンテスト応募作――でした。その前年までは短編集が対象で、最後の短編集受賞がロアルド・ダールの『あなたに似た人』だったのです。3年連続でMWA賞の短編賞を独占するということ自体、EQMMの充実と独走を物語ると思いますが、コンテストの第1席作品は、そのほかにある(各年に対応する、コンテスト第1席は、ロイ・ヴィカーズ、スタンリイ・エリン、A・H・Z・カー)という事実も、驚異的と言っていいでしょう。エリンに到っては、3年連続でMWA賞かEQMMコンテストを制しているのです。
 41年の創刊当初は、再録雑誌であり、創刊後10年にして、EQMMは掲載して胸を張れるだけの新作を、確保できるようになりました。しかも、大半の作家はアメリカ人でした。コンテストの入賞作から判断すると、後発誌の中では、ヒッチコック・マガジンが、比較的、作家や作風が似通っているように思えます。そうした雑誌の創刊は、それはそれで、EQMMにとって安閑としてはいられないことだったかもしれません。しかし、本当のライヴァルは、スリックマガジンの一般誌ではなかったでしょうか。サスペンスに満ちた中短編のみならず、長編のコンデンス版の掲載も含めて、ミステリ作家の書くミステリ作品が、一般誌に買い上げられるようになった。クイーンが目指したミステリの品質向上は、市場の拡大をも伴っていたのです。一方で、新人作家の登竜門として、ペイパーバック書下ろしという制度が機能する。戦後のアメリカ・ミステリの隆盛は、その国の商業システムが、あるジャンルの文芸と、もっとも幸福な結びつきを成した実例だと、私は思います。
 MWA賞の短編賞は、こののちの短編ミステリの趨勢に大きく関わり、事実、60年代に訪れる短編ミステリの黄金時代は、MWA賞を抜きには考えづらい。というよりも、そこにこそ、黄金時代の特徴が集約されているので、この賞を中心に考えていかざるをえません。MWA賞の短編賞は、日本では『エドガー賞全集』の名で、4巻のアンソロジーになって(正確には、最初2巻にまとまり、その後の追加受賞作を収めた増補巻が2回出た)、ハヤカワミステリ文庫に入っています。そのアンソロジーでは最初の巻に相当しますが、カーシュ以降の受賞作をあげておくことにしましょう。
 1958年 ジェラルド・カーシュ「壜の中の謎の手記」(壜の中の手記)
 1959年 ウィリアム・オファレル「その向こうは――闇」(そのさきは――闇)
 1960年 ロアルド・ダール「女主人」
 1961年 ジョン・ダラム「虎よ」(獣の心)
 1962年 アヴラム・デイヴィッドスン「ラホール駐屯地での出来事」(ラホーア兵営事件)
 1963年 デイヴィッド・イーリイ「ヨットクラブ」

 イーリイの受賞が一区切りと考えられるので、ここで止めておきますが、これら6作品のうち、EQMM初出はアヴラム・デイヴィッドスンだけです。これと、スルース・ミステリ・マガジン創刊号が初出のウィリアム・オファレルを除くと、あとはスリック・マガジンに発表されたものです。EQMMとEQMMコンテストがもたらした、短編ミステリの変革は、その中心人物であったエラリイ・クイーンの意図をも、おそらくは超えて、大輪の花を咲かせようとしていました。

 少々、時間を先に進めすぎたようです。コンテスト後半の受賞作を点検する作業に戻ることにしましょう。
 第9回の第3席に入ったロス・マクドナルドの「骨折り損のくたびれもうけ」(雲をつかむような女)は、恋愛関係の複雑さが、のちの長編を思わせて、アーティフィシャルなプロットづくりが、創作活動の初期からあったことを示しています。しかしながら、そこに、円熟期の迫力や感動がないことも確かで、長編と短編の違いというよりも、作家としての熟成の違いと思わせます。強いて言えば、作家としての深まりが、より複雑な構成をとりうる長編に向かわせたと考えることは、出来るかもしれません。
 オナーロールに入った、ドナルド・マクナット・ダグラス「完全主義者」は、いかにも過渡期のクライムストーリですが、なかなか読ませます。美術品の買い付けを営む男が主人公なのですが、傲岸で完全主義的な性格、しかも、職業がら審美眼は一級という設定を、冒頭の動物園のテラスの場面を描くだけで印象づけ、なかなか考えた出だしです。そこに現われたのが、完璧なまでに美しいけれど、美的センスのまるでない女性。主人公の男は彼女に近づいていきます。親しくなっていく、というべきか、男が女性を攻略していくというべきか、その過程が、巧妙な手順で描かれていき、やがて、結婚した彼女が職業人としても成功(それまでは、美しさは理解しないけれど、図面がひけるという理由で職を得ていたのが、男のおかげで装うことを知って、営業力がつくという皮肉!)していく一方で、夫の言葉から不吉な影を感じ取る。
「完全主義者」は、ゆったりと手厚く描かれた(長さも少し長めです)小説ですが、ただし、描かれた事件は、ある意味ありきたりです。また、結末のひねりも、通り一遍の域を出ない。過渡期と呼んだのはそのためで、こういう話を、小説としての技巧を凝らすことで、新鮮にあるいは手ごたえのある読み物にしてみせるという試みが、このころは評価され、また意味もあったのでしょう。
 そのことを強く感じるのは、翌年やはりオナーロールを得た、アントニー・ギルバートの「一度でたくさん」を読んだときです。やはり、夫婦間の殺意、もっとハッキリ言えば、青髭のパターンですが、ここでは、探偵役の弁護士が、最初から登場します。交際相手を求める新聞記事(今様に言えば、熟年の婚活ですね)に主人公が目をとめ、休暇で参加したツアー旅行で知り合った夫婦のうち、妻から、夫に命を狙われていると、告げられるのです。妻は高所恐怖症で、ツアーには、若い娘が参加していて、夫と親しげにふるまう。こういうのを称して、本格のガジェットだかギミックだかに満ちたミステリなどというのはやめにしましょうね。仕掛けとして、手垢にまみれたガジェットを用いるのなら、どこかに、それ相応の緊張感が必要なのです。
 それでは、現代の眼から見て、「完全主義者」「一度でたくさん」は、どちらを採るべきか。答えは簡単。ともに不満が残るのです。「一度でたくさん」の方が後発作品であったにもかかわらず、邦訳は5年以上「一度でたくさん」の方が先んじています。すなわち、当時のミステリの標準に照らして、日本の読者に受け入れやすいと感じられたのは、「一度でたくさん」の方なのでしょう。逆に言うと、その程度には、「完全主義者」は、新鮮な技巧で描かれていたのです。当時は。しかし、半世紀経ってしまえば、その差はないに等しいのです。あるいは、そのくらい、半世紀の間に、短編ミステリそのものが進歩発展してしまった。「完全主義者」は、手堅くはあっても、平凡なクライムストーリイであり、「一度でたくさん」は、不自然さの残るディテクションの小説でしょう。もはや、クライムストーリイであるから、ディテクションの小説であるから、新しいとか優劣が生じるなどということは、ありえません。ひとつ、疑問が生じるとするならば、このふたつは比較できるのか、するべきなのかという点でしょう。この問題は、古くて新しく、眼を瞑ることは可能でも、そう簡単にかたがつくとは思えません。




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