短編ミステリ読みかえ史

2014.05.08

短編ミステリ読みかえ史 【第62回】(1/2)  小森収


 ミステリマガジンが創刊700号を迎えて、特別号とともに、記念のアンソロジーが、海外篇、国内篇とハヤカワ・ミステリ文庫から出ました。海外篇には、A・H・Z・カーの「決定的なひとひねり」が収録されています。代表作として前回あげた5編の中で、唯一入手が容易ではない作品だっただけに、図ったかのようなタイミングでした。
 さて、1950年代に入って、EQMMコンテストは最盛期を迎えたと言ってもいいでしょう。ここ何回かは、第1席受賞作品ならびに受賞作家の作品を読んできましたが、あらためて、入選作に目を配ることにします。受賞作リストを見ていただければ分かるように、スティーヴ・フレイジーが第1席を受賞した第8回コンテスト以降は、受賞作が大量になり、すなわち、量的な面でも、コンテストがピークを迎えたと言っていいでしょう。第5回や第6回コンテストは、特別賞に趣向をこらした名目をつけていましたが、第7回以降は、基本的に処女作賞にだけ枠を設けるという、元の形に戻し、なおかつ、大量の受賞作を出しました。そして、その傾向のままに、量的に頂点を迎えることになるのです。
 第8回コンテストの第2席作品4作のうち、邦訳のある3作は、すでに、この欄でとりあげています。ロイ・ヴィカーズの「猫と老婆」は、倒叙ミステリからクライムストーリイへの転換点になったことを、前々回指摘しておきました。A・H・Z・カーの「誰かと、誰かが……」は、短い時間内でサスペンスフルに終始することを意識して、ディテクションの小説を、そうは思わせないという点で、サスペンス小説に傾斜した作品でした。スタンリイ・エリンは「壁をへだてた目撃者」で、アメリカの現代社会を背景にした魅力的なクライムストーリイを、またもや書き上げていました。
 ただし、一概にクライムストーリイといっても、さまざまな作品を同列に評価するわけにはいきません。「猫と老婆」「壁をへだてた目撃者」が、いま読んでも面白いのに対して、時の重みに耐えかねているものもある。
 ドロシイ・ソールズベリイ・デイヴィスの「生れながらの殺人者」は、この作家お得意の、犯罪者の肖像を描いたものですが、自殺願望があるとさえ思われた、ある伍長の生い立ちを、ていねいに描いていきます。ただし、さすがに古めかしい。殺人者には、そこに到る道筋があるというのは、当然のことでしょうが、それ以上の閃きがなければ、しょせん、それは社会学的考察にすぎません。そして、そんな考察は、いまや常識でしょう。
 エリザー・リプスキイの「慈悲の心」の場合は、さらに評価の回路が込みいってきます。この作品、半世紀を過ぎてもなお問題で在り続けている、幼児へのネグレクトが、題材になっているのです。夜も遅い時間、幼い子どもが泣き叫んでいる。警察が呼ばれ、子どもは保護されますが、そのいきさつをゆっくりと描いていって、何事が起きているのかと読者の興味をひきつつ、物語は説得力充分です。都会で貧しく孤立した若い夫婦が、一夜の気晴らしに出ていたと分かるのは、かなり話が進んでからです。ネグレクトが虐待であるという認識は、これまた、いまや常識の部類でしょうが、それでも、ここまでの部分を読ませるのは、描写の積み重ねと展開の確かさのおかげでしょう。やがて、両親が戻ってきますが、赤ん坊がいなくなっているのに気づいて逆上する。そこから事件への展開も見事で、カッとなった父親がすぐにナイフを取り出すのも、二度段取りを踏むというていねいな作りになっている。悪意に欠けた、しかし愚昧きわまりないネグレクトが引き起こす事件を、巧みに描いて、「生れながらの殺人者」とは異なり、そうした虐待がかなり常態と化した現代でも、なお読ませるのは、小さな出来事を巧みに積み重ねていく部分に、小説的な閃きがあるからでしょう。にもかかわらず、「慈悲の心」に古めかしさというか甘さがあるのは、結末のためだと考えます。現代の読者には、遠い国のお伽噺のように思える、この結末は、しかし、半世紀前にはありえたのかもしれないと、考えさせないでもありません。けれど、仮にそうであったとしても、それは、そんな地点から遠くまで来てしまった自分たちの荒廃を、いささかも慰めるものにはならないのです。

 シャーロット・アームストロングの「笑っている場合ではない」は、アームストロングの短編の中では、中程度の出来でしょうが、他の第3席作品と読み比べると、一日の長があると言えます。それは、ジェイムズ・ヤッフェの「間一髪」と比べると、よく分かります。
「間一髪」は、中年の独身女性が主人公ですが、溺愛している甥が父親とそりが合わない。純粋で芸術家肌の息子を、その父親は冷笑混じりの丁寧さで皮肉に対応するのです。父親の意に沿わない娘を、息子が妻にすると、関係はさらに悪化しますが、その娘が重篤な病にかかり、治療費の無心を父親がすげなく断ったことから、一気に危機的状況が浮上します。
 誰が誰を殺そうとしているのかハッキリしていて、主人公がそれを防げるか否か、つまり、起きてしまった殺人事件の解決ではなく、起こるであろう殺人事件の防止が目的なのです。いかにも、アームストロングの書きそうな話でしょう。そのプロットを、家族愛という、ヤッフェの資質がもっとも生きるモチーフの中で、活かしたものと言えます。しかし、アームストロングなら、さらにもうひとひねり加えるでしょう。あるいは、効果的で意外なエンディングという点では、フレドリック・ブラウンの「不良少年」の方が、同じモチーフから話を組み立てる巧さが、上回っています。
「間一髪」は、確かに、読んで面白いミステリですが、その面白さは、登場人物の描写や人間関係の在りようといった、小説としての厚みの部分がしっかり創ってあるところにあって、そして、そこは必ずしも、謎の仕込み具合や、あるいはミステリとしての構成や、意外性といった、ミステリ固有の特徴に新味や面白みがあるわけではない。ヤッフェは重要な作家なので、機会をあらためて読むことになりますが、このことは頭の片隅に留めておくことにしましょう。




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