短編ミステリ読みかえ史

2013.08.05

短編ミステリ読みかえ史 【第53回】(1/2)  小森収


 これは、私の印象だけの話で、具体的な根拠やデータがあって言っていることではないので、それは違うだろうと言われれば一言もありませんが、第二次大戦後、もっとも衝撃を与えた、海外の短編ミステリの書き手は誰かと、日本の読者に質問すれば、おそらくロアルド・ダールやヘンリイ・スレッサーが票を集めることでしょう。人によっては、ジョン・コリアやスタンリイ・エリンをあげるかもしれません。では、ひとりの作家ではなく、もっとも衝撃的だった短編を一編選べと質問を変えると、どうでしょう。「南から来た男」でも「特別料理」でもなく、この短編を指名する人が多いのではないでしょうか。
 フレドリック・ブラウンの「うしろを見るな」
 フレドリック・ブラウンは、おもに40年代から50年代にかけて活躍した作家で、ミステリとSFのふたつのジャンルで作品を残しました。このふたつに手を染めた作家は、アメリカでは珍しくありませんが、その両方で名を残す人は稀で、ブラウンはその稀なひとりです。というよりも、ジャンルを超えて、ちょっと真似手のない発想をするところに、この作家の魅力のひとつがあって、「うしろを見るな」は、その一方の極限でもあります。
「うしろを見るな」は短篇集『まっ白な嘘』の掉尾を飾る有名な作品ですし、ごく最近も、文春文庫のアンソロジー『厭な物語』に入っていましたから、ご存じの方も多いでしょう。軽々しく内容を紹介できない性質の短編なので、中身には触れませんが、他の作家の作品にはもちろん、フレドリック・ブラウン自身で考えても、類例というものを考えづらい、ユニークな作品です。ポップカルチュアが時として極めつきのアヴァンギャルドになってしまう、しかも、ポップカルチュアとして間然するところのないままに、そうなってしまう。その文学における一例ではないでしょうか。
「うしろを見るな」の個性は、その強烈さゆえに、フレドリック・ブラウンというひとりの作家の個性をも超越したものになってしまい、この一編がブラウンのなにかを代表するということもないように、私には思えます。ひとりの作家の存在をも超えて、一編が屹立している。そんな佇まいが、この短編にはあります。実際、フレドリック・ブラウンの短篇集『まっ白な嘘』を読むと、「うしろを見るな」を、ブラウンの多くの抽斗のひとつとして見ようにも、その異様さがあまりに際立っているので、次元の違うものがひとつ交じっているようにしか見えないのです。
『まっ白な嘘』は40年代に書かれたブラウンの短編ミステリを集めたものです。フレドリック・ブラウンというと、奔放で斬れ味鋭いアイデアが評価されることが多いようですが、のちのヘンリイ・スレッサーやジャック・リッチーといった人たちとは、ちょっと肌合いが異なる。そうした人たちに比べて、不気味なところがあるというか、ある種の生々しさを持っている。サーカスやカーニヴァルの芸人の話が多いのも、そのことに与っていて、ブラウンに比べると、スレッサーやリッチーは都会の作家という気がします。たとえば、巻頭の「笑う肉屋」は、雪の上の足跡という、密室もののヴァリエーションを真正面から扱った作品ですが、それが真正面に見えないのは、笑う肉屋という存在の不気味さと、彼をリンチにかけてしまうという野蛮さが――不気味さ、野蛮さともに、非合理的なものとして在るにもかかわらず――説明ぬきで存在しているところにあります。
「笑う肉屋」における不気味さや野蛮さは、アクセサリと言ってしまうには重みがあるけれど、それでも、作品の細部を彩るもの、せいぜい、メイントリックを補強するものに止まっていますが、それが表面に出たのが「むきにくい林檎」でしょう。若い保安官補の一人称で語られる、アンファン・テリブルものと見せかけて……という話です。この短編は、いかにも題名から発想されただけの話に見えますが、それにしても、結末の残酷さが生々しい。やられた方もやられた方だけに、血で血を洗う感じが酸鼻を極めています。
 サーカスやカーニヴァルの芸人とならんで、ブラウンがくり返し描いた人間に、ミュージシャンがいます。「キャサリン、おまえの咽喉をもう一度」は、そのひとつです。妻を殺して自分も死のうとしたミュージシャンが主人公です。その事件で、自分の手を傷つけてしまい、演奏家としての生命を絶たれているのですが、同時に、記憶も失っていて、周囲の力を借りて、その記憶を取り戻そうとします。この作品もそうですが、フレドリック・ブラウンに意外と多いのは、どちらかというと、地味で平凡なアイデアや設定でありながら、ゆるみのないプロットで、最後まで手堅くまとめた短編です。偽造の新聞の見出しを使った、ちょっとした冗談で、ある男に今夜が地球の終わりだと信じ込ませる「世界がおしまいになった夜」や、サゲのアイデアが、論理クイズの問題にもなっている「史上で最も偉大な詩」『世界短編傑作集』の第5巻に採られたため『まっ白な嘘』の訳書からは省かれていますが、駅の待合室での疑心暗鬼を描いた「危険な連中」などが、それにあたるでしょう。
 もっとも、奇想天外で奔放なアイデアというのは、そういう作品が多く書かれるにつれ、驚きがなくなるものです。それは、受け手個人の体験を超えて、社会全体が経験する形で受け継がれるようで、ある個人はそれほどの読書経験がなくても、いまの世の中では驚かなくなっているということがあるものです。すでにして、十代のころの私が、小林信彦が『未来世界から来た男』の中で名指しで褒めた「報復宇宙船隊」を、平凡なアイデアと受け止めていました。「カイン」などは、そうしたアイデアがむき出しの作品ですが、ここには、アイデアストーリイをどう評価するかという、案外難しい問題が潜んでいます。たとえば「町を求む」は、W・P・マッギヴァーンあたりが長編一冊を費やして描く、アメリカ社会の成り立ちを、一掴みにしてしまったような掌編です。では、それは、そのアイデア一発のお話でしょうか? 「町を求む」の美点は、その着想を、ギャングの側が町を求めて呼びかけるという、ありえない展開にまでもっていったところにあります(読者に話しかけるところは「うしろを見るな」にも似ています)、あるいは、そこまでを着想と呼ぶべきかもしれません。そのいけしゃあしゃあとしたホラ話めいた感覚が、この話の苦さを際立たせているのです。ここまで来ると、それは、アイデアだけとは、とうてい呼べないでしょう。「アリスティッドの鼻」「ライリーの死」の諷刺は、シャープでもありますが、それ以上に、語り口の控えめさ、節度が、作品の仕上がりに貢献すること大です。




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