短編ミステリ読みかえ史

2013.07.05

短編ミステリ読みかえ史 【第52回】(1/2)  小森収


 ヘレン・マクロイについては、前々回で少し触れましたが、改めて読んでみることにしましょう。EQMMコンテストには、「燕京綺譚」「カーテンの向こう側」「鏡もて見るごとく」「歌うダイアモンド」と、第1回から4年連続で第2席または第3席に入るという活躍ぶりです。しかも、それぞれに作品のカラーが異なっていて、多芸多才なところを如何なく示している。ちょっと油断をしたため、この原稿を書くのに、「鏡もて見るごとく」を入手するのが間に合わなくて、未読なのですが、長編『暗い鏡の中に』の元になった作品だということです。
「燕京綺譚」は、19世紀末の北京を舞台にした、伴野朗を陳舜臣がリライトしたような短編ですが、推理の妙味はいささか軽い。題材からいっても例外的な作品でしょう。トマス・フラナガンが「北イタリア物語」でデビューしたのに似ています。もっとも、作品的には「北イタリア物語」の方がはるかに上でしょうが。
 次の「カーテンの向こう側」は、夢という心理的な現象をサスペンス小説に取り入れて、この作家の転機となったものでしょう。森英俊さんの『世界ミステリ作家事典 [本格派篇]』のマクロイの項によると、彼女の作風が大きく変わったのは、48年の『ひとりで歩く女』からだとあります。余談ですが、今回、この項目を読んで、改めて、森さんはマクロイを買っているのだなと、感じました。愛情と丁寧さが行間から溢れています。さて、マクロイの作風変化ですが、長編についてはそうなのでしょう(その前の作品は45年のベイジル・ウィリングもの)が、「カーテンの向こう側」は、それに先んじています。
「カーテンの向こう側」は、ひとりの女が精神分析医を訪ねているところから始まります。彼女は奇妙な夢を見ていて、その夢の正体を知りたいと、やって来たのです。夢の中で、カーテンに隠された何物かに感じる恐怖、自ら目覚めようとすることで、ようやく逃れることの出来るその恐怖の正体を、彼女は知りたいのです。精神分析医からは何も得られないまま帰宅した彼女を待ち受けていたのは、警察でした。新婚の彼女を、夫の前妻殺しの容疑で逮捕するためでした。被害者の死因となった毒薬である、しかも、彼女には必要のない点眼剤を、彼女が購入していた事実がつきとめられたのです。彼女は夫とふたり裁判に臨むことになりますが、ふたりには彼女の弁護士にも伏せていたある秘密があったのです。
 翌年の「鏡もて見るごとく」に次いで、「歌うダイアモンド」は一転して、ミッシング・リンク・テーマのパズルストーリイです。ベイジル・ウィリングのもとへ、ある女性が訪れます。〈歌うダイアモンド〉という謎の飛行物体を見たという人々が、全米のみならず、海外にも現われているところなのですが、彼女も目撃者のひとりなのでした。夫が高名な天体物理学者で、新聞記事に〈歌うダイアモンド〉の正体となりうる仮説もコメントしている。そんな夫を持つ自分が、幻想のような〈歌うダイアモンド〉を見たと大っぴらには言い出せなくて、ごく身近な数人にしか相談できずにいる。その上、彼女が持参した新聞記事によると、〈歌うダイアモンド〉を目撃した人びとが次々と死んでいるのです。
「カーテンの向こう側」は、物語が進行していくにつれて、どうしても、小説より一足早く、読者には結末が明らかになってしまう展開の仕方をし、アイデアを生かすために、もう少し構成に工夫の余地がありはしないかと思わせます。クイーンが解説で明かしているように、冒頭に登場する精神科医は、以後出て来なくて、そのことも構成を少々歪なものにしています。その点について、マクロイと議論したといいますから、編集者クイーンも本腰を入れています。私は精神分析医を出さない書き方がありうると思いますが、当時の状況とか流行を考えると、そういう書き方が出来たかどうかは、微妙なところでしょう。また、たとえば、ジョン・コリアの「夢判断」と比較しても、コリアのシンプルな寓話性と対照的な、リアリスティックな心理的恐怖を「カーテンの向こう側」は求めていて、しかも、その恐怖の正体を、ある人物の計画的な悪意の産物とするところに、やや無理がある――それは不自然という意味ではなく、それでは魅力的な話にならないという意味で――ように思います。
「歌うダイアモンド」は、フィリップ・マクドナルドなみの巨大なミッシング・リンクですが、犯行に大掛かりかつ心理的なトリックを用いているのが、マクロイらしいところでしょう。のちのシャーロット・アームストロングの長編『夢を喰う女』を思わせないでもありません。以前にも書いたように、ミッシング・リンクの犯行を成立させるために、マクロイは細かな工夫を積み重ね、犯人が実行することを読者が納得できる犯行として、この事件を描いています。そういう意味で、このパターンを論じるにあたって無視できない作品に仕上がっていますが、それでも、私は〈歌うダイアモンド〉という共通の描写可能な幻影を、何人もの人が見るという点に、都合の良さを感じます。ただし、それは、まったくあり得ないこととは言えないので、要は描き方だと思うのですが、そのためには、社会的なマスヒステリアを描く力と紙数が必要なはずだと思うのです。




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