短編ミステリ読みかえ史

2013.01.08

短編ミステリ読みかえ史 【第46回】(1/2)  小森収


 アメリカのパズルストーリイの短編には、時として、異色としか言いようのない探偵役が登場し、異色としか言いようのないパズルストーリイのシリーズが出来上がることがあります。それらのひとつひとつは、類例のないままに、ひとり屹立するのですが、結果として、孤立した異色のパズルストーリイという、陰の流れというか、ひとつの底流を形作ることになってしまう。具体的に名をあげるなら、次の三つのシリーズです。メルヴィル・デイヴィスン・ポーストのアンクル・アブナーのシリーズ。トマス・シジスマンド・ストリブリングのヘンリー・ポジオリのシリーズ。そして、トマス・フラナガンのテナント少佐のシリーズです。

 アンクル・アブナーの短編は、江戸川乱歩が「ドゥームドーフ殺人事件」を評価したこともあって、比較的早くにその名が知られました。これと、『黄金の十二』に入った「ナボテの葡萄園」の二作で、とりあえず、その名声が伝わったというわけです。それでも、全貌を知ることが出来たのは、ハヤカワミステリ文庫に『アンクル・アブナーの叡知』が入り(76年)、創元推理文庫に『アブナー伯父の事件簿』が入った(78年)あたりということになります。とくに『アブナー伯父の事件簿』の戸川安宣による解説は、チャールズ・ノートンの力が与っているとはいえ、執筆順を推定し、詳細を極めています。資料的にも重要なので、ここで、改めて一覧にしておきましょう。邦訳題名でカッコをつけたのは、『叡知』でのもの。カッコつきの題名しかないのは、『事件簿』には収められていない作品です。

天の使い(神の使者)
(手の跡)
(死者の家)
(第十戒)
 悪魔の道具(黄金の十字架)
 私刑(黄昏の怪事件)
 地の掟(魔女と使い魔)
(金貨)
 不可抗力(神のみわざ)
 ナボテの葡萄園(ナボテの葡萄園)
(ドゥームドーフ殺人事件)
 海賊の宝物(宝さがし)
(奇跡の時代)
 養女(養女)
 藁人形(藁人形)
(血の犠牲)
 偶然の恩恵(神の摂理)
(禿鷹の目)
 悪魔の足跡
 アベルの血
 闇夜の光
 〈ヒルハウス〉の謎

「悪魔の足跡」以下の4編は、第二次大戦後、ポーストの死後に雑誌掲載のまま埋もれていたのが発掘されたものです。初出も1927~28年で、それまでの作品が1910年代の執筆・発表であるのに対して、時間が経ってから書かれたもののようです。
 アブナー伯父のシリーズは、「ドゥームドーフ殺人事件」「ナボテの葡萄園」が、衆目の一致する代表作で、この2作が最初に紹介されるというのは、とりあえずは妥当なところでしょう。アブナー伯父の小説の背景は、第3代大統領ジェファースン時代(1801~09)というのが通説ですが、『事件簿』ではノートンの1850年代説が紹介されていて、これは、なかなか説得的です。どちらにしても19世紀のヴァージニア西部(ポーストの生まれたウェストヴァージニアという州は、南北戦争時に北軍側にまわることで分離・成立するので、まだ存在しない)を舞台にしています。ヴァージニアは独立時の13州のひとつですが、南北戦争では南軍側で、激戦地となって蹂躙されます。
 上のリストの順に読んでいくと、初めの数編は、謎解きミステリの骨法を自らのものにしていないのが見てとれます。牛の飼育と売買が主要な産業で、土地が個人の地位を保証する(と、くり返し書かれています)世界で起きる、物欲が動機の事件をアブナーが解決するのですが、初期の短編では、事件そのものを描くよりも前に、アブナーが事件の真相を掴んでいる場合もあって、アブナーが行うのは、謎の解明というより、事件の顛末を語ることになります。
 私見によれば、「私刑」が、アブナー伯父の短編の最初の佳作になります。アブナーと語り手のマーティンの行く手に、ひとりの男が立ちふさがる。脇道を通すまいとするのです。本来、アブナーたちはその脇道に入るつもりはないのですが、通行の自由を私的に制限するなどということを、アブナーが黙視するわけがありません。マーティンを先に行かせて、脇道に入ろうとすると、アブナーを止められないと知った男は、逆に、マーティンにも同道を求めます。道の行く手では、人殺しの牛泥棒を私刑にかけようとしていたのです。アブナーは状況証拠を推理することで、有力な目撃者その人か嫌疑濃厚であることを立証します。そして、その場の人びとが、その新たな容疑者を処刑しようとすると、アブナーはこう言い放つのです。「わしは、なにも証明してはいない。わしは、一つの考えを立証すべく盲信した場合、状況証拠がどういう役割を演ずるかを示したにすぎない」と。そして、正規の裁判にかけるべく、人々を導きます。
 ここにはっきりしているのは、アブナーの第一義が正義の実現にあるということです。では、それは法に忠実であるということでしょうか? たしかに「私刑」の場合はそうです。しかし、悪徳弁護士が法の網をかいくぐる物語で世に出たポーストが、法を盲信するはずがありません。また、法のわずかな綻びを利用して私財をたくわえた人間は、アブナー伯父の物語にいくたりも登場します。法が拠って立つのは、正義を成すという主権者の意志の下のことであり、法はその主権者の意志を後ろ盾にして、初めて機能する。「ナボテの葡萄園」の素晴らしさは、起立するというアクションで、その事実を描き切ったところにあります。とくに、アブナーの相棒のランドルフは、少々見栄坊で俗物的な人間に、くり返し描かれている(といったことを、的確に読み取るためにも、執筆順に読むことをおすすめします)のが、ここで絶妙な効果を発揮します。



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