短編ミステリ読みかえ史

2012.11.02

短編ミステリ読みかえ史 【第44回】(1/2)  小森収


 ロイ・ヴィカーズの迷宮課シリーズは、短編倒叙ミステリのマイルストーンとなるものであるというのが、一般的な評価ですが、果たして、それは、本当に正しいことでしょうか? そもそも、倒叙ミステリとはどのようなものだと、考えればよいのでしょうか? 倒叙ミステリに関しては、最初のところで、フランシス・アイルズの長編を例にとって、それらを倒叙とは呼ばないという立場をとった上で、犯人側から描いた犯行の描写と、それを解明する探偵の積極的な存在が必要であると――正確には「探偵役が解決することを、必須の要件と考えている」と――書きました。その考えに変わりはないのですが、迷宮課シリーズは、この形式の持つ微妙な狭間を狙っている。あるいは、もしかしたら、作者は、意図せずに、その狭間に陥っているのではないか。そんなことを考えさせられる、厄介なシリーズなのです。
 ヴィカーズの迷宮課シリーズは、第一作の「ゴムのラッパ」が1934年にイギリスの雑誌に掲載されます。それがエラリー・クイーンの目にとまるところとなって、EQMMに再録され、以後、クイーンによる精力的なアメリカでの紹介があり、同時に新作がEQMMの求めに応じて書かれていきます。エラリー・クイーンが紹介した時点で、このシリーズの特徴は、次の2点に集約されていました。第一は、これが倒叙ミステリであること。第二は、犯罪実話を思わせるリアリスティックな書き方であること。確かに、このふたつは、シリーズの大きな特徴なのですが、本当は、もう少し立ち入った検討をしなければならないものなのです。それがどうも不十分なまま、ここまで来ているような気がしてならない。まず、手始めに、第一短編集の『迷宮課事件簿』を読みながら、このふたつの特徴を点検していくことにしましょう。
 ヴィカーズにはThe Department of Dead Endsという名の、47年と49年にそれぞれ出た短編集があって、このふたつの間には、若干ですが、内容に相異があります。『迷宮課事件簿』は後者を訳したものですが、まあ、第一短編集と呼んでおいて、差し支えはないでしょう。巻頭に置かれているのは、もちろん「ゴムのラッパ」です。
「ゴムのラッパ」はシリーズ第一作だけあって、迷宮課の説明がちゃんとあります。エドワード7世治下に創設とありますから、20世紀の最初の10年間のところに遡ります。在位期間こそ短いのですが、現代史のキイポイントとなるような君主を戴いた時代です。それはともかく、迷宮課は「ほかの係や課がすてたあらゆるものを引きうけるのが役目」とされていて、しかも「いっさい記録され保存されていた」というのですから、さながら未解決事件資料の博物館の様相を呈します。ただ、それだけならば、さしたる特徴と言えなくて、使い勝手がよさそうで、誰しもが考えつきそうな設定にすぎません。迷宮課の迷宮課たる所以は、次のくだりに表われています。
 すなわち「論理的にはなんのつながりもない人間や事件を結びつけるのが、この課の仕事であって、一言でいえば科学捜査の逆を行くものだった。頼むのはいつも幸運なまぐれ当りで――それによってしばしば警察の目をくらます犯人側のまぐれ当りを相殺しようというのである」
 そして、この説明が過不足なく真実であるところに、迷宮課の大きな特徴があります。「ゴムのラッパ」は、ふたりの女性との二重生活を続けていた男が、その暮らしに破綻をきたしたときに、片方の女を殺す話ですが、題名になったゴムのラッパは、犯人の性格のある部分を象徴する小道具というか、犯人にとっては、コンプレックスに触れる小道具なのです。手がかりとなるラッパは、ハネムーンの帰りの列車の窓から捨てられてしまうのですが、殺人ののち、犯人の勤める店で、たまたま同じラッパを大量に売るようになるのです。そのラッパを始末してしまいたい気持ちが犯人に働くというのが、この話の眼目ですが、迷宮課のレイスン警部のところには、車窓から落ちて拾われたラッパが回ってきて、一方では、まぐれあたりから、犯人が自分の店のラッパを自分で買って始末していたことをつきとめます。もちろん、このラッパは何物をも証明しません。最終的な手がかりは、たいへんありきたりな方法で求められ、最後の二行で軽く示されるだけなのです。
 これは倒叙ミステリとして、少々破格です。ゴムのラッパにまつわる、犯人の奇妙なふるまいが目についたというだけで、一応疑ってみたら、当ったという話だからです。しかし、実際の捜査に、そういう局面が現われることは当然考えられて、そういう意味で、リアルな感じを与えるというのも確かでしょう。ただし、ここで注意しなければならないのは、それが迷宮課のやり方であると規定されていることです。つまり、最初から、論理性や必然性を放棄したところで、解決を求めようとしているのです。シリーズの最高作と見なされている一編の題名が「百万に一つの偶然」(これはクイーンがEQMM掲載時に改題してつけたものの直訳ですが)であるのは、偶然ではありません。偶然のまぐれあたりを、もっとも効果的に、この作品が用いたからでした。



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