短編ミステリ読みかえ史

2012.08.06

短編ミステリ読みかえ史 【第41回】(1/2)  小森収


 アントニイ・バークリーは、誰もが認める傑作短編「偶然の審判」があり、フランシス・アイルズ名義の長編ミステリが、クライム・ストーリイの金字塔として存在するにもかかわらず、いまひとつ作家としての評価が安定しないように思えます。作品の出来にばらつきが生じることは、誰にでもつきまとうことですが、バークリーの場合は、度を超しているというか、単に、ばらつきでは済ませられないようなところがある。
 ロジャー・シェリンガムの登場する短編は、数が少ないのですが、30年代から40年代にかけて散発的に書かれています。
「瓶ちがい」は、早川ポケミスのアンソロジー『名探偵登場3』に入っています。田舎町で起きた女性の服毒死を、シェリンガムが調べることになります。被害者が口にしたもので毒薬の混入が疑われるのは、かかりつけの医師が処方した薬だけです。医師の家で調合され、持ち込まれるまでの過程では、毒を混ぜる機会がなく、調合ミスだったとすると、なにかと間違えて毒薬を調合したにしては、その場合、間違えられた薬は調合されていないはずなのに、すべての薬が調合されている。したがって、医師のミスとも言いきれないのです。不思議と言えば不思議ですが、この状況には説明がつきますよ、というだけの話であっては、典型的なハウダニットの小品です。セイヤーズのところで、彼女のことを、ハウダニット中心の作風と書きましたが、ウィムジー卿の話は、さすがにもう少し凝っていますし、肉づけというか演出に工夫も凝らされています。
 そういう意味では「ブルームズベリで会った女」には、小説的な工夫があります。戦争(第二次大戦です)が始まってまもなく、ブルームズベリで開かれた、ある退屈なパーティで、シェリンガムはひとりの女と出会う。わずかな会話から、彼女が夫に放っておかれ、それを埋め合わせるように、文学ジゴロの虜になっていることが分かります。二年後、偶然に、シェリンガムは死体の身元確認にきた彼女と再会します。席をはずそうとして彼女に気づいたシェリンガムが、あらためて座ったところで、彼女が死体をろくに見もしないで夫だと確認するというのは、気の利いた展開と言えるでしょう。ただし、そのこと自体は読者を巧く釣り込むことの出来るアイデアと言えるものの、その先のことを考えると案外使い方が難しい。この短編でもオチというか解決というかはあるのですが、そこに到る名探偵の推理の面白さがないので、謎の解決というよりは、単なる話のオチになっています。その点は「瓶ちがい」もさして変わりがありません。
「完全なアリバイ」は、パーティに集まった複数の登場人物全員にアリバイが成立するという設定を、読者に呑みこませるのに汲々としていて、犯人は出て来て間もなく、その人物の重要性が分かると同時に、正体が見えてしまうという苦しさです。これも、思いつき=解決を段取りとして示すだけで、小説は終わってしまいます。
 こうした、本来、話のオチにしかならないようなワンアイデアを、推理の面白さとは無関係に、名探偵が解答として提出するという形は、どうもイギリス人にとってはミステリの原型となっているフシがあります。エリック・アンブラーでさえ、チサール博士という亡命チェコ人探偵の連作小品を書く始末です。「エメラルド色の空」『37の短篇』に採られたとき、いくらなんでもこれを選ぶのはないだろうと、私は思ったものです。
 バークリーに話を戻すと、「白い蝶」は、やはり田舎の村で弁護士夫人が行方不明になります。夫が殺したのではないかと噂になっていて、調べに行くなら紹介状を書こうと、シェリンガムは唆されます。シェリンガムが夫である弁護士に会うと、妻には愛人がいたことを知らされる。結局、その愛人にも会うのですが、どっちが怪しいのやら分からない。こういう白黒つかない状態を扱うところを好むというバークリーファンは、いるのかもしれません。長編にもそういうものがありますからね。けれど、私には、それらが巧くミステリとして仕組まれていない、巧く小説として仕組まれていないようにしか思えません。「白い蝶」は「作者自身が不出来を恥じて二度と日の目を見せようとしない」ものだそうなので(『名探偵登場3』の田中潤司による解説)、批判的なことを言うのも野暮かもしれませんが、解決がきて、証拠がそのあとに来るという手順は、乱暴粗雑でしかありません。こういうところや、長編『地下室の殺人』でのシェリンガムの草稿の使い方など、出来不出来以前に、この人は分かっていないのではないかと疑わせるところが、バークリーにはあります。
「偶然の審判」にしてからが、端正な謎解きミステリとして完結しているはずのものを、長編『毒入りチョコレート事件』で、自ら壊しているようにも見えます。探偵の推理に絶対の論証はありえないというのは、一見知的な楽しみ方に見えますが、それにしたって、エラリイ・クイーンが間違うのと、ロジャー・シェリンガムが間違うのとでは、話が違うでしょう。シェリンガムのように、のべつ間違っていたり、強引だったりしていては、そもそも愚昧な探偵だというだけの話になってしまいます。そして、そういう探偵をミステリとして仕組んだ素晴らしい例ならば、のちのジョイス・ポーターに見ることが出来ます。



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