短編ミステリ読みかえ史

2012.04.05

短編ミステリ読みかえ史 【第37回】(1/2)  小森収


 前回、事件の解決は、ネロ・ウルフとアーチーにとって、天職であると同時に、欲望を満たすための収入を保証してくれる行為だと書きました。『毒蛇』において、すでに、ネロ・ウルフは成功した超一流の私立探偵で、当然ギャラも高いことになっていました。一流レストランが引き抜きを図るほどのコックを個人で抱え、おそらくはコックと同じくらいの腕前のプロフェッショナルな園芸家を、蘭のコレクション(が、そもそも高価な上に、それを維持する温室も必要です)のためにひとり抱え、その上にアーチーを雇っている。生半可な収入で出来ることではありません。しかも、全米でも指折りらしいソール・パンザーをはじめとする、フリーランスの私立探偵を、事件の解決のためにしばしば雇います。経費込みでも、相当な額を取っていなければなりません。「証拠のかわりに」では、ウルフは5000ドルの報酬を提示されますが、今期の収入を考えると、そのうち4500ドルは税金に持っていかれると、難色を示してみせます。すでに、それだけの収入があり、さらには、実質500ドルでは、見合わないというわけです。税金云々は断るための口実(結果的に断らなかったので、あるいは駆け引きと言うほうがいいかもしれませんが、しかし、ウルフはそんな駆け引きをするタイプではありませんからね)としても、3桁の報酬では成立しない稼業とは言えるでしょう。
『赤い鰊のいる海』に入っている「故スタウトに寄せる脚注」で、各務三郎は、ウルフの最低料金一万ドルを「たいした金額」と書いています。この文章は、もともと、スタウトの追悼特集にミステリマガジンに寄せられたものですが、他のハードボイルド私立探偵たちが「一日百ドルプラス経費で満足せねばならない」のを「アクチュアリティのために」とするのが、らしい指摘でしょう。ウルフの稼業は一種の夢物語。むろん、人件費が安い発展途上国でありながら、一応きちんとした法治国家で、成功者イコール金持ちが実在する資本主義社会であるという、当時のアメリカでなら、夢物語ではあっても、希望的観測にも基づいて、そういう探偵の在り方に、いくばくかの説得力もあったことでしょう。とはいえ、ウルフの奇矯さともあいまって、私立探偵としての設定のファンタスティックなことは、シャーロック・ホームズとそのライヴァルたちに近いものがあります。
 にもかかわらず、各務三郎をしてハードボイルドの探偵とギャラを比較させたのは、そもそも、報酬の額が問題になることが、シャーロック・ホームズ時代にはなかったことであり、一方で、職業人としての探偵のリアリティを考えるなら、そこを避けては通れないからです。もっとも、ハードボイルドの初期、たとえば、ハメットのミステリに、ではギャラの話が出てくるかというと、そうでもなくて、ブラックマスクの短編を読んでいたときにも、ほぼ出て来なかったわけです。ギャラの話の有無だけで、一目散にリアリズムを云々するのは乱暴ですが、象徴的な事例だとは言えるでしょう。ハードボイルドミステリが初めからリアリズムを意識して書かれていたとは、私には思えません。むしろ、徐々に現実面を意識していった結果、アメリカ流のヒーローの物語が、リアリズムの小説になっていかざるをえなかった過程を、ハードボイルド小説を通して見ていく。そうした方が、現実に即しているように思えます。
 スタウトに話を戻すと、たとえファンタスティックとはいえ、ウルフは報酬を得て働いているのだと、スタウトははっきり書いたのです。はっきり書くことによって、シャーロック・ホームズたちと決別しているとも言えるでしょう。同様のことは、ほぼ同じころに登場した、E・S・ガードナーのペリイ・メイスンにもあてはまります。メイスンは、弁護士の仕事を、職業としてよりはスポーツとして見ているように思えることも珍しくありませんが、それでも、ガードナーはメイスンを弁護士で食っている人間だと意識しているにちがいありません。職業人として成功することは、たいていのアメリカ人にとっては、人生の目標であり、その目標が理想的にかなった姿がヒーローとして描かれるのは、自然なことでしょう。スタウトが珍しく、また、そこに個性が現われているのは、探偵としての成功によって、経済的に恵まれることで、ウルフが、蘭と美食という純粋な快楽を手にしていることです。後述しますが、スタウトには不思議とアメリカ人ばなれしたところがあって、この点に見られる、貴族的ないしはヨーロッパ的な発想(たとえば、ヴァン・ダインには逆立ちしても出て来ない)が、ウルフの存在をシャーロック・ホームズに近づけているとも言えるのです。



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