短編ミステリ読みかえ史

2012.03.05

短編ミステリ読みかえ史 【第36回】(1/2)  小森収


 いまは消滅してしまいましたが、かつてユーゴスラヴィアという国だった地域で、彼は生まれました。ユーゴスラヴィアはバルカン半島の国家の例に漏れず、多民族国家でしたが、それゆえの悲劇的な経験を経て、彼は、生まれた土地とは遠く離れた異国で暮らすことになりました。彼にはわが身を助けるほどに秀でた、人並みはずれた才能があったため、それが可能だったのです。はたからは、その100キロを超える巨体を、いささか持て余し気味に見え、また、屈折した知性の持ち主に共通する、言葉の過度な緻密さ精密さゆえに、しばしば、他人からはひねくれた受け答えをすると思われているようです。すぐれた才能から来る自負心や自尊心が、その点に拍車をかけたこともあるでしょう。ですが、彼の片腕ともいうべき立場にあった人間の書き綴ったものから分かるのは、彼の仕事上の才能のみならず、彼が食を愛し、生きることを愛しているということでした。
 エラリー・クイーン、ディクスン・カーと書いてきた、この連載の流れから、上のように描いてみた彼を、ネロ・ウルフと考えた人は、どれくらいいたでしょう。こういう怪しげな書き方には、きっと何か裏があるぞと考えた人は、もっといたでしょうか。それでは、正解は――イビツァ・オシム。彼の片腕というのは、無論、アーチー・グッドウィンではなくて、『オシムの伝言』を書いた通訳の千田善のことです。
 モンテネグロとボスニア・ヘルツェゴビナの違いはありますが、旧ユーゴ圏に生まれ(ただし、ウルフはユーゴスラヴィア成立以前に生まれ、オシムはユーゴスラヴィア成立以後に生まれています)、矛盾をはらんだ故国を(おそらくは)心ならずも離れ、亡命すれすれといった外国暮らしを強いられている。そして、そのことが彼の言動を大きく規制しているように見える。イビツァ・オシムという人の存在を知ったここ何年かは、オシムを見るたびにウルフを、ウルフを読むたびにオシムを、私は連想してしまいます。
 ネロ・ウルフの初登場は、1934年の長篇『毒蛇』です。アメリカでの人気は非常に高く、しかも安定しているようですが、それに比べると、日本ではあまり読まれていないようです。森英俊さんの『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』では「そのわかりやすさとユーモア、ネロ・ウルフという強烈な個性をもったシリーズ探偵の存在」が、人気の理由としてあげられています。確かに、このシリーズは、ウルフとアーチーのふたり組の個性の魅力で読ませているところ大です。とくに、アーチー・グッドウィンは、ワトソン役=一人称の語り手としては、元祖ワトソン以降、もっとも個性的で記憶に残る人物となりました。ときとして、主人公の探偵に逆らい、口論に到るのですから、そんな場面は、およそ、他のホームズ&ワトソンたちでは見ることが出来ません。
 スタウトの小説に描かれたふたりの個性を、もう少し注意深く見てみると、彼らの欲望がかなりしつこく描かれていることに気がつきます。ウルフの食への欲求と、アーチーの恋愛への欲求です。探偵業による成功で大金を掴んだウルフは、蘭と食事に贅をつくします。彼に雇われたアーチーは、満足な給料と誇りの持てる仕事を得て、小説に若い女性が出てくるたびに品定めをし、しばしばデートに誘うか、誘うことを考えます。そこには、おそらくアメリカ人が日常で想像できる範囲の欲望を充足させた幸福があるのでしょう。デュパンにしろホームズにしろ、そして、彼らのライヴァルだか亜流だかたちにしろ、おしなべて、ミステリの探偵とは、事件を解決する機械でした。ハードボイルドの探偵も、その点は同じです。彼らは、事件の渦中にあってこそ、その個性が発揮できる存在であり、その点に比べれば、ホームズのコカインへの嗜好さえ、飾りのようなものでした。ウルフとアーチーはそこが違います。とくに、初期の作品を読むと、スタウトが懸命にそこを描こうとしているのが見てとれて、事件の解決は、このふたりにとって天職であると同時に、欲望を満たすための収入を保証してくれる行為なのです。



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