短編ミステリ読みかえ史

2011.09.05

短編ミステリ読みかえ史 【第30回】(1/2)  小森収


 1933年に「ゆすり屋は撃たない」でデビューしたレイモンド・チャンドラーは、以後、1年に2~4編の中編(ないしは長い短編と呼ぶべきもの)を書いていきます。37年の「トライ・ザ・ガール」までの12編は、ブラック・マスクが発表の舞台(例外は「ヌーン街で拾ったもの」)であり、ショウ編集長が同誌を去ったのち、37年秋の「翡翠」から39年夏の「トラブル・イズ・マイ・ビジネス」「事件屋稼業」)までは、ダイム・ディテクティヴに掲載の場を移しました。この間、38年に執筆した『大いなる眠り』が、39年に刊行されます。「トラブル・イズ・マイ・ビジネス」が世に出た直後、39年9月にはヨーロッパで戦争が始まりました。そして、チャンドラーはパルプマジンライターを卒業します。次に発表した「待っている」はサタデイ・イヴニング・ポストに掲載され、そこには、ヨーロッパの戦争が影を落としていました。以後、わずかな例外を除いて、短編は書かれなくなり、翌40年に第二長編『さらば愛しき女よ』が刊行されます。チャンドラーの執筆活動は、フィリップ・マーロウの活躍する長編小説が、中心となります。
 前回は、初期の中編を概観し、カニバライズ(中編の長編への再利用)について書きました。チャンドラーのプロットの持ち数の少なさは、長編を中心に論じられる際にも、たびたび言われることです。カニバライズをやること自体、それを如実に示しているというわけです。しかし、パルプマガジン時代の中編を読むだけで、展開や中盤での事件の起こし方のパターンが少ないことは、簡単に分かります。主人公が頭を殴られ気絶し、気がつくと死体がある。通俗ハードボイルドで手垢にまみれたこの展開を、最初に誰が用いたのか、もっとも多用したのが誰か、私は知りませんが、パルプマガジン時代のチャンドラーが、ほとんど手癖と言えるほどに用いたことは、間違いありません。これを〈探偵が気絶する〉と〈死体に出くわす〉のふたつに分けると、使用頻度はさらに上がります。事件の解決が公にされず、多くは警察の力を利用して、表面上の辻褄を合わせただけの解決が世の中には知らされるというのも、多く出てきます。作品数も少ないのですが、作品のヴァラエティ、発想の広さという点では、ハメットとは比べものになりません。ハメットが多くの失敗を含みながらも、コンティネンタル・オプの小説の様々な可能性を模索していったのとは、対照的とすら言えます。これは私の邪推ととっていただいて構いませんが、チャンドラーは、読者を引きつけるミステリを書こうとしたとき、こうしたプロット――殴り殴られ死体が出て来て、最後には警察が表面上辻褄を合わせる――しか思いつかなかった、つまり、現実的なミステリとはこのようなものだとしか考えられなかったのではないでしょうか。



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