短編ミステリ読みかえ史

2011.08.05

短編ミステリ読みかえ史 【第29回】(1/2)  小森収


 レイモンド・チャンドラーは、ミステリの歴史の中でも逃すことの出来ない名前ですが、どうも、私は相性がよろしくない。最初に読んだ「ヌーン街で拾ったもの」は、子ども向けの翻訳だったので、勘定に入れないにしても、私がミステリを読み始めた60年代後半から70年代にかけては、長編の紹介が終わり、チャンドラーの短編を網羅的に訳してしまおうという時期だったので、ミステリマガジンに訳されたものを、いくつも読んでいるのです。「トライ・ザ・ガール」「女で試せ」「シラノの拳銃」「シラノ酒場の射合い」「スペインの血」「レディ・イン・ザ・レイク」「湖中の女」「翡翠」「支那の宝石」)といったあたりですが、どれも見事に中身を憶えていません。良かったという記憶がないどころか、つまらなかった印象だけが残っていて、それがために長編に手をつけるのがずいぶん遅れ、いまだにたいして読んでいません。
 意識が変わったのは、十数年前に、きっかけがあって「待っている」を読んだときです。その後、村上春樹が長編をいくつか訳して評判になり(20世紀の終わりごろ雑談の席で、早川と創元の編集者に、それぞれ、来たるチャンドラーの著作権消滅のアカツキに、御社はいかなる対応をとる心づもりなるやと訊ねてみたことを思い出します。うかつにしてると、文春文庫が村上春樹訳で全部出すぞと、冗談で脅かしたものです)、ハヤカワ・ミステリ文庫からは、全4巻の短篇全集が刊行されました。これは初出順に配列されていて、この連載には向いているのです。邦訳題名も、この短篇全集版を用いることにします。
 しかしながら、今回の連載では、まず、手元にあった本から、無造作に読み始めたので、チャンドラーの処女作「ゆすり屋は撃たない」「脅迫者は射たない」)は、創元推理文庫の稲葉明雄訳で読むことになりました。読み始めてすぐに、これは、ブラック・マスクの他の作家とは違うと、気づくことになります。描写の意欲が格段に違うのです。登場人物の服装はもちろん、動植物(チャンドラー初期の短編では、植物が多い)の名は、他の作家では滅多にお目にかかりません。各務三郎さんが、人名事典に続いて動植物事典をやった(一冊にまとめなければなりませんね)のも、よく分かるというものです。
 ただし、では、すぐれた短編かというと、そうではない。「ゆすり屋は撃たない」は、説明的な文章を排して、出来事また出来事と事件の連続で進んでいきますが、そのわりには、きびきびとした感じがしない。ひとつには、凝った言い回しや描写が、小説を鈍重にしている。志は分かるけれど、技術がついていっていないのでしょう。日本語になりにくい、あるいは、日本語にすると言葉数が増える類の文章なのかもしれません。いまひとつには、構成が巧くない。「ゆすり屋は撃たない」に即して言えば、冒頭のマロリーが女優に接触する仕方が、どうにも理解しがたい。つまり、マロリーが目的を達成するために選ぶ手段とは考えがたい。場面の面白さにひきずられて、構成がないがしろにされているように見えるのです。
 この二点は、初期の短編の多くに共通する弱点のように思えます。たとえば「シラノの拳銃」の中に、こんな文章があります。「ハンカチーフの端を噛み、左手でそれを引っぱり、まるまる太った右手を空気を押すように前方へ突き出した」。とても、なにか意味のある動作には思えません。おしなべて言えることですが、チャンドラーは行動の描写があまり巧くない。複数の人間の動きを伴った場面を三人称で描くというのが、もっとも苦手なのではないでしょうか。
 二作目の「スマートアレック・キル」は、映画会社に雇われた主人公の探偵が、守るべき映画監督の協力を得られないという話ですが、場面の積み重ね、すなわち、出来事の積み重ねが、もたついていて、構成下手を露呈しています。次の「フィンガー・マン」は一人称を採用し、マーロウ初登場(初出時は名なしの探偵でしたが、のちに、事務所のドアにフィリップ・マーロウの名がついたそうです)で、やや見どころがある。ルーレットのいかさまで大金を稼いだ男の護衛の途中で、マーロウが襲われ、意識を失っている間に、男が殺されてしまう。狙われていたのが実は……という話なので、悪くないアイデアなのですが、矢継ぎ早に事件を起こすことに熱心なあまり、読後、一連の事件が本当に起きる必要があったのかと、首を傾げることになる。パズルストーリイに対する批判のひとつのパターンとして、そんな大げさな犯行方法をとる必要があったのかという論法がありますが、チャンドラーを読んでいると、しばしば似たような感じをもつことがあります。
 それでも、四作目の「キラー・イン・ザ・レイン」「雨の殺人者」)にたどりついて、ようやくホッとしました。一人称の探偵のところに、自分の放蕩な娘が悪い男にひっかかっているのを助けてくれと依頼人が来る。相手の男は金持ち向けにエロ本を貸すのが商売で、探偵が男の家に行くと、問題の娘が全裸でラリっていて、男は撃ち殺されている。広く知られているように、後年、この短編は『大いなる眠り』にカニバライズ(チャンドラーの造語)されますが、冒頭の展開はミステリのお手本といってよいほどです。依頼にやって来るドラヴェックは、スターンウッド将軍よりは大鹿マロイに似ていますが、娘とはなさぬ仲で、秘かに想っているという、カニバライズドされなかった設定も生きていて、なにより、降り続く雨のイメージが効果的です。雨の中、嬌声をあげる娘たちを楽しみながら助ける警官の姿を描く(ここもカニバライズドされました)のが、パターナリズムはそこらにころがっているのだという伏線も兼ねていて、いかにもチャンドラーでしょう。
 こうして初期のチャンドラーの短編を読んでいって、結局、良いと思ったのは、まず「カーテン」で、次に「キラー・イン・ザ・レイン」でした。なんのことはない。『大いなる眠り』を構成した二編だったのです。



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