短編ミステリ読みかえ史

2010.08.05

短編ミステリ読みかえ史 【第17回】(1/2)  小森収


 デイモン・ラニアンは、リング・ラードナーと並んで、20世紀前半のアメリカにおける、ジャーナリスト出身のユーモア小説家として、著名な存在です。『犯罪文学傑作選』にも、両者ともに作品が収録されていましたね。往年のミステリマガジンでは、都会小説と称して紹介されることが多くて、ほかに、アーウィン・ショウ、ジョン・チーヴァー、ジョン・オハラ、バッド・シュールバーグといった作家が思い出されます。ただし、これらの作家の中で、ラニアンは他の作家に比べて、ミステリの範疇に入れることに抵抗が少ないように思います。というのは、好んでアウトローを描くからです。すなわち、酒と博打を生業とするギャングたち。禁酒法の時代なのです。
 ラニアンは、三代続いた地方ジャーナリストというか、自前の新聞屋の息子で、少年時代から、家業のジャーナリストの修業を、現場で実地に重ねていったようです。1884年生まれで、20世紀に入るか入らないかのころから記事を書いていたと言いますから、アンブローズ・ビアスが現役のころです。O・ヘンリーの活躍と同時期、おもにスポーツ記者として名を成します。実力を認められ、ニューヨークで仕事をするようになったのです。30年代の大不況に入って、金のために短編小説に手を染め、ブロードウェイの様々な人種を、現在形だけの口語体で描いた作品を次々と発表しました。ブロードウェイものと呼ばれる作品の大半は、30年代に書かれていて、戦後すぐ46年に亡くなっています。
 デイモン・ラニアンを、もっとも精力的に日本に紹介したのは、翻訳家の加島祥造でしょう。リング・ラードナーともども、60年代の常盤新平時代からミステリマガジンにぽつりぽつりと訳し始めて、ラードナーは70年前後に新潮社から短編集を3冊出し、ラニアンは70年代から80年代にかけて新書館から作品集を刊行しました。もっとも、それ以前に、ラニアンの翻訳がなかったわけではありません。日本語版EQMMでは、小泉太郎(生島治郎)編集長のころ、1960年7月号を皮切り(「真夜中のアリバイ」)に、三田村裕訳で数編が翻訳されていますし、ラニアンの「ユーモア感」が収められた『文芸推理小説26人集』『犯罪文学傑作選』の前身)の第二集刊行は61年のことでした。マンハント末期の62年から63年にかけても、外山一雄訳で、集中して紹介されたことがあるようです。それでも、ラニアンを5冊の短編集に結実させた加島祥造の実績は、認めないわけにはいかないでしょう。
 ラニアンの邦訳短編集は以下の5冊があります。『野郎どもと女たち』(73年)、『ブロードウェイの出来事』(77年)、『ロンリー・ハート』(83年)、『ブロードウェイの天使』(84年)、『街の雨の匂い』(87年)です。このうち『ブロードウェイの天使』は新潮文庫で、既訳作品を中心に新訳を一編加えた再編集版です。それ以外が新書館からの出版で、通常ラニアンの短編集というときは、この新書館版の4冊を指します。また、『ロンリー・ハート』『雨の街の匂い』には、巻末にそれまでの新書館版短編集に収録された作品のリストが、アメリカでの雑誌初出年とともに記されていて、便利なつくりになっています。『ロンリー・ハート』までの3冊は、ほとんどの短編が、60年代後半から70年代にかけてミステリマガジンに掲載されたものです。
 ラニアンの最初の短編集が『野郎どもと女たち』とされたのは、もちろん、第二次大戦後にブロードウェイでミュージカル化され(リヴァイヴァルもされ、来日公演も翻訳上演もありました)、フランク・シナトラで映画にもなった「野郎どもと女たち」(Guys and Dolls)から来ています。これはラニアンの3冊あるブロードウェイものの短編集の1冊目の題名でもあります。ちなみに、他の2冊はBlue Plate SpecialとMoney from Homeです。ただし、ややこしいのは、舞台や映画の、もっとも中心的な原作となったのは、「ミス・サラー・ブラウンのロマンチックな物語」「ミス・サラ・ブラウンのロマンス」)で、これは、この第一短編集には入っていないのです。しかも、後年に到って、この短編にGuys and Dollsという題名がつけられることもあるのです。邦訳書はいずれも独自のセレクトによる短編集ですが、その1冊目の題名は、やはり『野郎どもと女たち』とされました。




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