短編ミステリ読みかえ史

2010.02.05

短編ミステリ読みかえ史 【第11回】(1/2)  小森収



 コーネル・ウールリッチ別名ウィリアム・アイリッシュは、30年代にパルプマガジンの作家として登場し、40年代の長編ミステリで名を残しました。作家としての出発は20年代でしたが、成功とは言えない一瞬の脚光を浴びたのち、雌伏のときを過ごして再起したことは、前回触れました。日本が戦争に負けたのち、戦時中のブランクを埋めるべく海外のミステリが紹介されていったとき、もっとも熱烈に読まれ語られたのが、このウールリッチです。一番有名なのは、乱歩が『幻の女』に興奮したというエピソードでしょう。実際、1961年までには、長編の紹介がほぼ完了しています。同じことは、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーにも言えますが、異なるのは、ウールリッチは短編がいくつも翻訳されていることです。大部分は50年代に早川のポケミスに収録されることになりますが、都筑道夫が当時ウールリッチを好んでいたことを差し引いても、厚遇を受けていると言えるでしょう。ハメットやチャンドラーが、短編まで含めて完璧を期すかのように紹介されていくのは、60年代から70年代を待たねばなりません。ウールリッチの短編は数が多く、現在も未訳のものが多数あり、おそらく訳す価値のないものも多いのでしょうが、宝石・別冊宝石の時代から、EQMM、ヒッチコックマガジン、マンハントの三誌鼎立時代を通じて、ウールリッチの短編が読まれていたのは、まぎれもない事実なのです。
 ウールリッチは都会の孤独感を感じさせる文章と、強烈なサスペンスによって評価されました。文章については原文を読んだことがありませんから、措いておくとしても、戦後も10年以上を経て生まれた私には、当時の熱っぽさには、よく分からないところがある。私がミステリに足を踏み入れた1970年前後は、ウールリッチの多くは入手が簡単ではなくて、創元推理文庫の『暁の死線』『黒いカーテン』だったか『黒いアリバイ』だったかを、書店で見かけることが出来た程度です。76年に稲葉明雄が、精選作品集として、『さらばニューヨーク』を晶文社から出したときも、なにをいまさらと思ったものです(不遜でした)。ただ、その熱気の恩恵を蒙ったフシがあるのは、子ども向けの翻訳で、ウールリッチの長短編に接しているのです。『幻の女』からして、そうです。そうしたものは、おそらく戦後すぐにウールリッチを読んだ人たちによって、ミステリの第一歩として適すると考えられたのでしょう。長短編というのがミソです。ホームズ、ルパンは例外として、子ども向け翻訳でも多くは長編だったところに、ウールリッチに関しては、短編がいくつも訳されていたのです。
 こうした受け入れられやすさは、作品の質もさることながら、ウールリッチの持つ通俗性が大きいと思います。なにより分かりやすい。にもかかわらず、その筆致は悪く凝ることもなく、しかし、描き方に一工夫はある。後述しますが、ウールリッチの執筆期間は、その量に比して驚くほど短く、短命な量産家でした。前回の門野さんとの会話にも出たとおり、ウールリッチがミステリを書くようになったのは、偶然に近かったのでしょう。謎を組み立て、小説として構成し、それを作中人物に魅力的に解明させるという、ミステリの基本的な段取りは、決して上手ではありませんでした。とくに解決の部分は、唐突な自白に頼ったり、警察が解決後に分かったことを説明する形をとったりと、安易なことがしばしばです。傑作ないしは代表作と目されている「晩餐後の物語」でさえ、犯人の最後の自白は都合のよさを感じさせます。といった具合に、後者のふたつの点では破綻することも多く、そこが破綻してしまえば、最初の謎がどんなに魅力的に組み立てられても、意味を失います。

 ウールリッチの最初のミステリ短編は「診察室の罠」で、1934年の作品です。罠に落ちた歯科医の友人を救うために主人公が真犯人を推理する、ディテクションの小説です。自分が治療したばかりの患者が治療台に坐ったまま毒殺されてしまうという、それなりに魅了的な始まり方をしますが、結局は、パッとしない毒殺トリックを強引な動機とからませた平凡な作品でした。ウールリッチはサスペンス小説の作家と評されますが、それは探偵が推理する小説を書いていないのではなくて、そういう小説はつまらないものが多い、もしくは、そうした小説の場合でも、それ以外のところに美点が多いということです。しかし、嫌疑をかけられた歯科医を、主人公であるその友人が救おうとする、最初の短編で用いられたこのパターンは、『幻の女』その他に現われる、ウールリッチの十八番となりました。
 親しい人のために困難な状況に身を置く、あるいは進んで窮地に陥るというパターンは、手をかえ品をかえくり返されます。「ガラスの目玉」の少年は、父親の刑事(失職の危機にさらされているらしい)の手柄になるかもしれないと、自分ひとりだけが気づいているであろう犯罪者を追跡し逆襲されます。同僚のダンサーが殺された「踊り子探偵」は、自ら怪しげな客に近づきます。「天使の顔」では、弟をたぶらかす悪女が殺され、死刑執行を目前にした弟の容疑を、ヒロインがはらします。「目覚める前に死なば」の少年も刑事の息子ですが、かつて同級生の女の子が殺されたときに、その手がかりを、被害者から聞かされていたのです。そして、同じことがくり返されたとき、初めてその意味に心当たり、二度目の被害者を救うべく追跡を始めます。このパターンの短編の中では、「目覚める前に死なば」のサスペンスが強烈です。それは、ひとえに、連れ去られた被害者が、道端に書き残していくチョークの線という手がかりの持つ、イメージの喚起力(これは掛け値なしに素晴らしく、それゆえサスペンスも強烈です)に帰するところが大きいと思います。
 そして、このパターンでウールリッチを有名にしたのは、「妻がいなくなるとき」「アリスが消えた」「階下で待ってて」といった、一連の新妻失踪ものでしょう。結婚してまもなく妻が失踪し、そこで妻のことをなにひとつ知らなかったことに気づく。都会で孤独な存在だった男と女が知りあってすぐに結婚し、幸福の矢先に妻がいなくなる。孤独に対してセンシティヴだったウールリッチに、まことに合った題材だったと言えます。ただし、このパターンは夫が探偵役をつとめることになるため、謎の解明下手という弱点が露呈し、腰砕けになってしまいます。むしろ「裏窓」「非常階段」といった、シンプルに犯罪を目撃した主人公という話の方が、真犯人の逆襲から逃れられるかというサスペンスに焦点が絞られて、最後でがっかりすることがありません。ただし「裏窓」「非常階段」のサスペンスは「目覚める前に死なば」のそれの強烈さには、一歩譲ると私は思います。それはチョークという小道具の威力もありますが、「目覚める前に死なば」の少年の能動性・積極性のためでもあって、そして、そのことは彼が探偵するところから来るのですから、ことは厄介なのです。




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