短編ミステリ読みかえ史

2010.01.06

短編ミステリ読みかえ史 【第10回】(1/2)  小森収



 『世界短編傑作集』も第5巻に入ると、第二次大戦後に日本に紹介された作家が入ってきます。そのトップバッターが、コーネル・ウールリッチ=ウィリアム・アイリッシュでした。収録されたのは江戸川乱歩が褒めていた「爪」ですが、今となってみると、この短編でウールリッチを代表させるのは、無理というものでしょう。『幻の女』に興奮していたとはいえ、乱歩の評価は、ウールリッチの(とりわけ短編の)全貌を掴んだうえのことでは、なかったのですから。ついでに書いておくと、『幻の女』よりも『暁の死線』を買うという意見(代表者は亡くなった稲葉明雄さんでしょうか)に、私は賛同しています。
 さて、ウールリッチの短編をふり返る前に、門野集さんとのお喋りを、もう少し続けることにします。門野さんは、学生時代にウールリッチのファンクラブを結成し、Dead Lineという会報誌を発行していたという経歴の持ち主で、全5巻にわたるウールリッチの短編傑作集(白亜書房刊。加えて、別巻として稲葉明雄訳の傑作選も編んでいる)を訳出した人でもあります。前回のフィッツジェラルドの話題からの流れではありますが、当時の雑誌事情にも触れていますから、導入部としては最適です。

――せっかく門野さんに話を聞くんだから、もうひとり、ウールリッチにも触れたいんだけど、彼はデヴューしたとき、フィッツジェラルドと括られてたんですか?
「フィッツジェラルドは25年に『ギャツビー』を出して、短編もいっぱい書いて、ジャズ・エイジのアイドルみたいになってるわけです。そのころ、ウールリッチは大学生ですから、作家としてあこがれてたと思います。1926年に書いた処女長編も、フィッツジェラルドの模倣だった。Cover Chargeという小説ですが、それがボニー・アンド・リブライトという出版社の目にとまる。そこは大きな出版社だったけど、フィッツジェラルドのような路線は持ってなかったんですね。それで、売られ方も読まれ方も、フィッツジェラルドふうといったものになった。メイン・ストリームの作家になりたくて、フィッツジェラルドを真似てみたということなんでしょうね。で、長編を6冊、短編を20くらい書いて、結局、芽がでない」
――短編はどういうところに書いてたんです?
「スマート・セット、カレッジ・ユーモア、マクルーアズなどでした」
――スマート・セットって、どういう雑誌なんですか?
「H・L・メンケンとG・J・ネイサンの作った文芸誌ですね。オー・ヘンリーとかユージン・オニールとか、ああいうタイプの小説が載っていました。ただ、この手の雑誌は商売にならないんですよ。それで、1915年に、彼らはパルプ・マガジンを創刊して、収入源にしようとした。まず、スマート・セットの没原稿や埋め草から、パリの風俗をテーマにした雑誌をでっちあげる。それと、エロティックなパルプと二誌作って、しばらくしたら売却する。そうやってスマート・セットを維持してたんです。数年後に再び苦しくなって作ったパルプ・マガジンが、ブラック・マスクだった」
――じゃあ、いまの企業買収の発想と一緒なんだ。安い会社の価値を高めて、そして売る。
「彼らはパルプ・マガジンをクズだと思ってることは確かなんですけど、結局三誌作っては売ってますね。ブラック・マスクにハメットを掲載したのは、彼らの功績だったようです。ただ、他は泡沫雑誌として消えてしまったけど。ブラック・マスクはジョゼフ・ショーという名編集長がいたおかげで、スタイルを確立して生き延びた」
――スリックとパルプって、そういう関係でもあったんだ。
「パルプ・マガジンは彼らが手を出したころ、ジャンルごとに特化してきてたんですね。ウェスタンとかミステリとか戦争ものとか。第一次大戦をはさんだ時期ですから。ウールリッチに話を戻すと、スマート・セットにいくつか短編を書いて、あと、マクルアーズ。サタデー・イヴニング・ポストは晩年になってから一度だけですね」
――それはミステリ?
「いえ、普通小説、ラヴストーリイですね」
――ウールリッチはミステリ作家になってからも、普通小説を書いてたんですか?
「書いてますね。恋愛もののパルプにも書いてるし……。ただ、ほとんど翻訳されてませんから。ウールリッチは34年にディテクティヴ・フィクション・ウィークリイに短編を書いて、そこから、パルプ・ミステリ作家としてのキャリアが始まるんです。それで、34年にパルプにいくまでに、2年ほどブランクがあるんです。長編を書こうとしてたりして、メイン・ストリームへの執着があったと思うんですけどね」
――そのころは、ニューヨークのホテル暮らし?
「いえ、母親の家です。ウールリッチは両親が離婚してて、子どものころは父親について中南米へ行ってますが、その後は母親と基本的にはニューヨークに住んでいて、わずかな時期、ハリウッドに行っただけです。で、最初の長編『黒衣の花嫁』が40年ですから、その間はひたすら短編をパルプ・マガジンに書くんです」
――ギャラは、安いんでしょう?
「一語1セント。一万語書いても百ドルですから。フィッツジェラルドの一編2千ドルとは大きな差がある。ギャラにはランクがあったようで、一語3セントだとか4セントだとかと豪語する作家もいたんですが、確かに、相場の三倍といえば三倍なんだけど、それでも知れてる。ハメットも原稿料を上げさせてましたね。だけど、どうしたって一編2千ドルにはならない。それでも、日銭稼ぎなんだけれども、書かなきゃならない。フランク・グルーバーが、The Pulp Jungleという、パルプ作家貧乏記みたいな本を書いてますけど、簡易食堂で置いてあるケチャップにお湯を足して、トマトスープとか言って飲んでたりする。
――グルーバーは、比較的早く売れた人じゃなかったっけ? それでも、そうなんだ。
「書き始めてからも、パルプ・マガジンは抜け出しにくいんです。というのは、全然評価されていない媒体だから。まず、販路が新聞スタンドだから、新聞のように読んだら捨てられるものなんです。たいてい週刊ですし、サイズも大きい。A4に近い大きさです。最初にアーゴシーが10セントで成功したのは、本の流通経路を省いて、直に駅なんかで売ったからだと言われてますね」
――だけど、EQMMとかF&SFとかは、サイズが小さいよね。
「だから、あれは、狭義にはパルプ・マガジンじゃないんじゃないですか。初期のパルプ・マガジンは、そこで書いても、よほど奇特な人じゃないと、編集者と呼ばれる人は読んでなかったんじゃないか」




ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーの月刊Webマガジン|Webミステリーズ!
バックナンバー