短編ミステリ読みかえ史

2009.11.05

短編ミステリ読みかえ史 【第8回】(1/2)  小森収



 ミステリと文学の関係をあつかった、モームの「創作衝動」を取り上げたその月の創元推理文庫は、復刊ラインナップに、エラリー・クイーン選の『犯罪文学傑作選』が並んでいました。このアンソロジーの趣旨は明解で〈文豪もすぐれたミステリを書いている〉というものです。文豪というのは、ちょっと大げさかな。ミステリプロパーではない著名な作家くらいが適当でしょうか。しかし、中には文豪と呼んで遜色ない人も交じっています。1951年刊行のアンソロジーで、各編の初出年は必ずしも書かれていませんが、第二次大戦前の作品が多いようです。むろん、チャールズ・ディケンズ、マーク・トウェイン、ロバート・ルイス・スティーヴンソンといった人たちの短編は、19世紀から20世紀にかけてあたりのものです。
 イギリスでは、19世紀の後半から、雑誌の隆盛が始まります。その隆盛の一翼を担い恩恵を蒙ったのが、シャーロック・ホームズのコナン・ドイルでした。もっとも、ドイルはホームズの存在を負担に感じていたようですから、このことを本人に訊ねても、どんな答えが返ってくるのか分かりません。アメリカでは遅れて、1820年代あたりから雑誌文化が開花します。分類すれば、雑誌はスリックとパルプに分かれますが、ここでは、その差には踏み込みません。ともあれ、短編小説の発表の場が増えました。つまり需要が拡大したのです。アメリカでの作家の食い扶持稼ぎは、一に雑誌への短編執筆、二にハリウッドの台本書きとなったのでした。
『犯罪文学傑作選』の原題はThe Literature of Crimeです。1951年当時の常識からみて、ミステリの範囲をかなり広く想定していることが、収録作品から見てとれます。ただし、それは、そうしなければ作品集が作れないという消極的な理由からではなく、むしろ、ここまでをミステリとして呼んで(読んで)しまおうという積極性が、編集者クイーンの本領というべきでしょう。1951年といえば、EQMMはもちろん、同誌の年次コンテストもすでに軌道に乗っています。ヴァラエティに富んだ過去の作品発掘が、EQMM成功の鍵のひとつでした。それは新人発掘にもあてはまります。代表はスタンリイ・エリンです。EQMM年次コンテストの1950年度第一席はシャーロット・アームストロングの「敵」であり、翌51年はトマス・フラナガンの「アデスタを吹く冷たい風」でした。『黄金の13/現代篇』を読んでいただければ分かりますが、ここらを境に、第一席作品の質がガラリと変わるのです。The Literature of Crimeという言葉は、ミステリの総称として残った可能性さえあると夢想するのも、悪いことではないでしょう。

『犯罪文学傑作選』には、謎解きミステリはあまり含まれていません。モームはその形式の作品も書いていますが、採られているのは「園遊会まえ」(別題「園遊会まで」)です。モームについては前々回書いたので、詳述しませんが、クイーンの眼の高さを感じます。パール・バックの「身代金」は、明らかにミステリとしては書かれていません。営利誘拐の被害者となった夫婦を描いていますが、息子の身代金を払うか否か、警察に連絡するか否かで、意見が相違し揺れます。おそらく1930年代に書かれたであろうこの短編は、誘拐犯が身代金を要求する営利誘拐が、アメリカで多発したという背景があります。そのもっとも巨大な例がリンドバーグ事件です。アガサ・クリスティに『オリエント急行の殺人』を書かせたアレですね。それまでになかった形の得体が知れない理不尽な犯罪と、そこに直面しなければならない人々の不安。それを描くことは、現代の先端を描く文学者としては、当然の仕事だったのでしょう。そこには、営利誘拐をゲームと見る視点は、まったくありません。にもかかわらず、主人公は家から遠く離れた村で匿名の捜査員と落ち合うという、スパイ小説まがいの展開が見られます。鋭さと俗っぽさを同時に持つというのは、小説の美点のひとつだと、私は考えていますが、「身代金」をミステリと呼ぶことで、それを強く意識できるのではないでしょうか?
 一方で、「身代金」が書かれたときには、とうに亡くなっていたマーク・トウェインの「盗まれた白象」は、警察捜査の持ついい加減さの、ナンセンスなサタイアとして大いに楽しめます。アンブローズ・ビアスのところで、アメリカの法治国家としての弱さについて書きましたが、この短編の背景にあるのも、同じものでしょう。19世紀の話といってしまえばそれまでです。けれど、警察があてにならない感覚というのは、30年代のコーネル・ウールリッチについて語るときに、必ず出てくることになるでしょう。実際、「身代金」の主人公夫婦は、警察があてになるかならないかで悩むのです。
 このほか、ジョン・スタインベックの「殺人」は、ストレイトなクライム・ストーリイとして、いま読んでも新鮮ですし、ウィラ・キャザーの「ポールの場合」は、ショウビジネスに耽溺して、ドロップアウトしてしまう青年を細密に描いて、どう言ったらいいのか、影をつけるのが巧い書き方です。30年前の私ならば「ミステリとは言えないけれど、ミステリマガジンを面白くするのはこの手の短編」とでも評していたでしょう。もっとも、往年のHMMに載っていた都会小説よりは、少々スクエアな感じはしますが。このアンソロジーに収められた作家で、唯一、この連載で、この先、取り上げる予定でいたのが、デイモン・ラニヨン(私が慣れた表記ではラニアン)です。ここに収録されている「ユーモア感」も楽しい短編ですが、ミステリとして読むということを頭においても「約束不履行」「ミス・サラー・ブラウンのロマンチックな物語」(ミュージカル「野郎どもと女たち」のベースになった話です)「ブッチの子守唄」「三人の賢者」「レモン・ドロップ・キッド」と、またたくまに作品が並びます。
 各作品を一作一作見ていては、きりがありません。私がこのアンソロジーで、とりわけ注意を惹かれたのは、ウィリアム・フォークナーの「修道士」につけられた、クイーンの解説の冒頭でした。「ウィリアム・フォークナーの『騎士の陥穽』は、彼の最初の短編探偵小説集である」フォークナーの? 短編探偵小説集? フォークナーがEQMM年次コンテストに応募し、二席に入ったことは知っていましたが、一冊分も書いているとは、まったく知らなかったのです。




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