短編ミステリ読みかえ史

2009.09.07

短編ミステリ読みかえ史 【第6回】(1/2)  小森収



 『世界短編傑作集』がカヴァーしている時代で、広く短編小説の世界を見渡したときに、ミステリの側からも無視しづらい、超の字のつく大物がひとりいます。ミステリの歴史においても、近代的なスパイ小説の始まりとして必ず名前があげられ、ショートショートという形式に初めて手を染めたことでも知られる作家。自らを二流作家の先頭と韜晦し、物語を――ひらたく言えば、お話の面白さを――重んじて、また、そのことを公言もしたイギリスの人気作家。そう。サマセット・モームです。
 もっとも、この連載を続けるのに、なぜモームの短編を放っておけないのかは、いささかデリケイトな問題です。『アシェンデン』(創元推理文庫では『秘密諜報部員』の訳題でしたっけ)が、ミステリ史の中に重要な位置を占めていることに、異を唱える人はまずいないだろうし、『アシェンデン』は連作短編と見ることも可能でしょう。クイーンの『黄金の十二』のアンケートにも、モームは「密林の足跡」が一票入っています。なにより、モーム自身ミステリが好きで、晩年に長いエッセイも書いている(「探偵小説衰亡史」)。にもかかわらず、同時期のマンスフィールドの「園遊会」は無視できて、モームの「園遊会まで」が捨て置けないのは、なぜか? という問いに答えるのは、そう簡単ではないのです。

 短編作家としてのモームは、第一次大戦後に始まり、それは戦時中の南太平洋行きが、ひとつのきっかけになったというのが、定説となっています。『月と六ペンス』はそれ以前から書く意志があったようですが、俗に南海ものと呼ばれる短編群が書かれることになったのは、かの地に赴いた結果であったようです。のちの『コスモポリタンズ』も、中国でのメモから簡単な作品を作ったものが、編集者の目にとまって、実現した作品群です。モームにとって、アジア太平洋は、短編小説のインスピレイションを与えるものだったのかもしれません。
 第一次大戦後の最初の短編集『木の葉のそよぎ』の序文には、世紀末から新世紀初頭ごろの話として、編集者は、W・W・ジェイコブズのような話か、コナン・ドイルやラッフルズみたいなものを求めていると、エージェントに言われたという、愉快な回想が出てきます(ついでに書いておくと、その両方ともモームには書けなかったと)。その『木の葉のそよぎ』の実質的な巻頭作は「マッキントッシ」という短編ですが、すでに、この短編にして、ミステリ的な妙味があります。すなわち、未必の故意、もしくは、犯罪を誘発するための不作為というモチーフです。
「マッキントッシ」は後年モームが「奥地駐屯所」で再度手がける、植民地におけるそりの合わない上司と下僚の話です。ふたりの性格の対立ぐあいは、両作品でかなり異なっていて、したがって、単純なリメイク、改作とは言えません。そもそも、対立のあげく殺されてしまうのが、上司と下僚と、それぞれで異なっています。「マッキントッシ」では、現地の人間に慈父的態度をとる一方で、強引傲慢なところもある上司ウォーカーが、その完成が自分の夢でもある、島の道路工事の請負に関して、島民といざこざを起こし、その解決法が無慈悲だったため怨みを買います。部下であるマッキントッシは、それまでに、性格も考えもその上司と合わないことが細かく描かれています。読書家のマッキントッシは、無学で粗野なウォーカーに探偵小説はないかと尋ねられ、ニベもない答えをするのです。さて、島民のひとりで、中心となってウォーカーと対決した男が、マッキントッシに助けを求めに来ますが、そこで、引出しの中にピストルがあることに気づきます。彼が気づいたことに、マッキントッシも気づきます。マッキントッシは、それと一言も口にせず、彼にそのピストルを盗む機会を与え、彼が去った後で、ピストルがなくなっているのを確認します。その後の展開は、定石通りながら、さすがにサスペンスがあります。ピストルが戻ってくることで、事件が起きたことを知るという段取りも見事なものです。「マッキントッシ」「奥地駐屯所」を比較すると、私は後者に軍配をあげますが、それでも、結末を含めて、前者には後者にない魅力があることも確かです。
 同じ短編集に入っていて、短編の代表作に数えられることもある「雨」も、ルース・レンデルあたりが書いていたならば、クライムストーリイと呼ばれていたかもしれません。もっとも、「雨」は、ミステリとしてというよりも、小説として古びていると、私は考えます。半世紀経ってみると、聖職者の肉欲は、あって当然で、「雨」という小説が終わった地点は、現在では、そこから新たな小説が始まる起点でしかないからです。しかし、だからといって、この小説がつまらないとも、お手本にならないとも、私は考えません。「雨」と並んで、早くから日本に紹介された「赤毛」は、結末のつけ方にモームの巧者ぶりが発揮されていると思います。こういう結末は、ミステリ読みやミステリ作家には、まず浮かばない。サキのところでも書いたように、それまでの物語のキイパースンから、彼を見ていた別の登場人物にフォーカスを合わせることで、角度を変えた結末をつけるというのは、抽斗に入れておきたい発想です。


バックナンバー