国内ミステリ出張室

2018.05.07

木村紅美『雪子さんの足音』、小山田浩子『庭』…「ミステリーズ!88号」(2018年4月号)書評 瀧井朝世[文芸全般]その1

 芥川賞候補にもなった木村紅美『雪子さんの足音』(講談社 1300円+税)。実はなかなかスリリングな心理戦が描かれる一作だ。

 物語は現代のパートから始まる。その夏、東京出張の際に、新聞記事で高円寺(こうえんじ)のアパートの大家の老婦人が熱中症で亡くなったと知った薫。実はその月光荘は、彼が二十年前に一時期住んでいた場所だ。東京大空襲の炎の中を逃げ生き延びたのに、夏の暑さで命を落としたという大家の雪子さんを思い、薫は彼女との日々を振り返る。

 彼が入居した頃にはすでに夫と息子を亡くし、一人で暮らしていた雪子さん。彼女は寂しいのか、彼と、彼と同い年の入居者、OLの小野田さんを食事に招待する。しかも二人にお小遣いまで用意する面倒見のよさ。薫は戸惑い、鬱陶(うっとう)しくも思うが、食費の節約になるうえお金までもらえる誘惑には打ち勝てない。どうやら雪子さんは彼と小野田さんをくっつけようと画策しているようだが(かつ、小野田さんもその気がありそうだが)、薫は彼女を恋愛対象としては意識していない様子。

 ある日、薫は廊下に置いた洗濯機のカバーが新品に取り換えられていることに気づく。雪子さんが気を利かせてやってくれたに違いないが、文句を言うのもお礼を言うのも面倒でそのままにしたのが思えば運命の分岐点。雪子さんによる、薫の生活への侵食が始まり、二人の関係はこじれていく。

 一人でいるのは寂しい、でも一緒にいる相手は自分にとって都合のよい存在でいてほしい。そんな我と我のぶつかりあいが、そこはかとない諧謔味(かいぎゃくみ)と現実味を持って描かれていく。大人になって雪子さんの死を知った薫がネット検索したところ、雪子さんについて温かい言葉を綴(つづ)る元住人の書き込みも多数散見される。彼女は誰に対しても“困った人”ではなかったのだ。ただ、少し何かが噛み合わないだけで、人間関係は悪夢になりうる。でも悪夢だって、人は感慨にふけって振り返ることもできるのだ。登場人物たちの我儘(わがまま)っぷりに呆れつつも、愛おしさがこみあげてくる一冊。

 芥川賞といえば、『穴』で同賞を受賞した小山田浩子が待望の新作短篇集『庭』(新潮社 1700円+税)を上梓(じょうし)。離婚を決めて田舎(いなか)に戻る途中、バスで奇妙な体験をした女性が、祖父に謎めいた儀式に連れていかれる「うらぎゅう」、双子を妊娠した妻が窓にはりついたヤモリを嫌がっていたのに、いつの間にか夫の目にしか増殖していくヤモリが映らなくなる「うかつ」、義両親に旅行をプレゼントするつもりが断られ、夫と二人で訪れた温泉で妻が奇妙な話を耳にする「名犬」、会社の同僚、サイキさんに関する休日の目撃談を耳にする「予報」等々。

 どれも短いながらも予想外の展開を迎え、奇妙で幻想的な世界に読者をいざなう。夫婦、妻の妊娠、実家というモチーフが何度も現れ、身内であっても完全には分かり合えない様相が浮かび上がるが、それを悲観的にとらえるのではなく、世界のいびつさとともにその事実も受け入れる様子が大らか。それにしても日常がちょっとずつずれていく奇想の展開の手さばきはさすが。今回もさまざまな(グロテスクな)生物が登場するのも魅力だ。

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■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。本の話WEB「作家と90分」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著者に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)、『あの人とあの本の話』(小学館)がある。

(2018年5月7日)



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