国内ミステリ出張室

2017.05.17

志賀泉『無情の神が舞い降りる』、春見朔子 『そういう生き物』…「ミステリーズ!82号」(2017年4月号)書評 瀧井朝世[文芸全般]その1

 寡作な太宰治賞作家、志賀泉が久々に新刊を上梓した。『無情の神が舞い降りる』(筑摩書房 1600円+税)は自身の出身地である南相馬(みなみそうま)と思われる、避難地区に育った男と少女が主人公の二篇を収録している。

 表題作は、東京に出たもののUターンした故郷が震災後の原発事故で避難地区に指定されたが、寝たきりの母がいるためとどまって暮らす男が主人公。母の世話をし、生活必需品を隣町まで買いに行き、人のいなくなった町をうろつく日々。ある時、かつて同級生の少女がいた病院の敷地に入ったところ、昔は孔雀(くじゃく)が飼われていた檻にやせ細ったラブラドールが取り残されているのを見つける。ペットレスキューの女性との交流もあるなか、彼の胸に生々しく甦(よみがえ)っているのは、医院の娘と孔雀をめぐる、 むごい思い出である。

 故郷を奪われそうな孤独な男の話かと思ったら、途中からその故郷は彼にとって残酷な記憶が刻まれた不穏な場所でもあることが見えてくる。育った土地というのは、きれいごとだけではない苦味も痛みも内包するものなのだろう。そして終盤に男が知るある事実が、彼の心の中にゆるやかな化学反応を起こしていく。

 もう一篇の「私のいない椅子」は、避難先の高校で原発事故に関する自主映画を作ることになり、その主役に抜擢(ばってき)された少女が主人公だ。原発や原発関係者を糾弾するような台詞(せりふ)を強制され、違和感を抱き逡巡(しゅんじゅん)する過程に、胸が痛くなる。と同時に、自分を含めた周囲の人間は、被災者は怒りや悲しみといった強い感情を抱いているのが当然だと思いこみ、そこに同情する心構えでいやしないか、と思わされる。でも、この二篇で描かれるのは、強い感情というよりも、日常が続いていくなかで日々繊細に揺れている心の動きだ。

 被災者に心を寄り添わせる内容ではあるが、震災文学とカテゴライズしてしまって読み手を限定してしまうともったいないな、とも思わせる作品。

 カテゴライズについてつくずく考えさせられたのは春見朔子の第40回すばる文学賞受賞作『そういう生き物』(集英社 1300円+税)だ。高校の同級生だったまゆ子と偶然再会した千景は、話の流れで彼女を自分の部屋に居候(いそうろう)させることにする。薬剤師として働く千景はその一方で、大学で世話になった老教授のもとを訪れては一緒に線虫(せんちゅう)を観察したり、好きでもない男と平然とセックスしたり。一方のまゆ子は恋愛経験がないようで、叔母の営むスナックを手伝うほかは、千景の部屋を訪ねてくるようになった少年とカタツムリの観察をしたりしている。単体で繁殖する線虫、雌雄(しゆう)同体のカタツムリといった存在が象徴的なこともあり、これは異性を求める千景と、千景を求めるまゆ子の話なのかと思っていたら、また違う事実が明るみになっていく。彼女たちの関係を、自分が理解できる形にカテゴライズしようとしていた自分に気づかされる展開になっているのだ。
 カテゴライズしようとするのは、相手を理解したいからかもしれない。でも、名前もつけられない存在や関係を“そういうもの”として受け入れられるようになったら、相手も自分ももっと楽になれるのかもしれない、そう思わせてくれる。

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■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970 年東京都出身。慶應義塾大学卒。朝日新聞「売れてる本」、本の話WEB「作家と90分」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。

(2017年5月16日)



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