第二次世界大戦前後からのヨーロッパ史に詳しい須賀しのぶの新作『また、桜の国で』(祥伝社 1,850円+税)は、第二次世界大戦前夜からのポーランド、ワルシャワが舞台となっている。

 白系ロシア人を父に、日本人を母に持つ棚倉慎は幼い頃から自分が何者であるのか、揺れる思いを抱えていた。中学卒業後に外務省留学生試験を受けて日本を離れ、北満州の哈爾浜(ハルビン)で過ごした後、外務書記生としてワルシャワの在ポーランド日本大使館に着任。そもそも慎には幼い頃、シベリアで保護されて一時的に日本にやってきたポーランド人孤児と交流を持った経験があり、この国への思い入れは強い。時は1938年。ドイツが周辺諸国への不穏な動きを見せるなか、慎やその同僚たちは戦争回避のために孤児たちが作った極東青年会とも協力しあい、奔走する。しかしついにドイツ軍が侵攻――。

 極東青年会の会長で、レジスタンスを率いたイエジ・ストシャウコフスキといった実在の人物や、彼が隠れ蓑(みの)にした孤児院の子どもたちがドイツ兵の前で君が代を歌ったという実際のエピソードを織り交ぜながら、この町がどれほど過酷な運命に翻弄(ほんろう)されたのかを、著者は克明に描き出す。世界史を学んだ人なら、本作のクライマックスはワルシャワ蜂起(ほうき)だと予感するだろう。その時、慎は単なる狂言回しとはならず、彼は信頼する隣人であるこの国の市民のために尽力する。そしてある行動に出るまでの、その過程でも読ませるのだ。歴史を知るだけでなく、こうした読み手を引き込む物語の作りの巧さはさすがである。

 ノンミステリだが人の心という究極の謎に迫るのが貫井徳郎『壁の男』(文藝春秋 1,500円+税)。集落の家々の壁に拙(つたな)いながらも力強い絵が描かれ、その一風変わった光景がネットで評判となった北関東の田舎町。興味を持ったフリー記者の男は町を訪ね、絵を描いた井苅という一人暮らしの男に出会う。井苅自身は寡黙(かもく)で絵を描く理由も特に語ろうとしないが、周囲の住民から、彼には娘を亡くした過去があるという噂が記者の耳に入ってくる。

 物語は、記者が井苅の半生を、時間を遡(さかのぼ)るようにして調べていく作りだ。娘を亡くした過去があるというのなら、妻がいたのか? 今井苅が一人暮らしというのなら、その妻はどうしたのか?そのように、過去が少し明らかになるたびにまた新たな謎が生まれていく。

 事実が明かされるにつれ彼がどれほど辛く過酷な道を歩んできたのか、その事実が重くのしかかってくるが、悲しみを抱えた井苅の現在の日常には絵という彩(いろど)りがあることに慰められる。しかし最後に明かされる事実には、打ちのめされた。中盤で井苅のことはだいぶ分かった、と思ってしまった自分の浅はかさを反省してしまう。ついに自力では真相を見抜けなかったミステリを読んだ気分になる。

(2017年1月16日)



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