07年10月刊
『理由(わけ)あって冬に出る』
似鳥鶏


 新たな道具が発明され、商品化され、一般に普及する。大多数の人が日常的にその道具を利用するようになると、今度は逆に、それを持っていない人間がマイノリティとして排除されるようになる。ことの是非は置くとして、どうやらこれは歴史の必然のようです。100年前の人間は自動車なんてなくても生活できていましたが、今では免許がないと就職もおぼつきません。20年前の人間は携帯電話なんてなくても様々なテクニックを駆使して友人と落ち合っていましたが、今では携帯電話なしでは待ち合わせなど考えられず、あろうことか「なんで携帯持ってないんだよ」と迷惑がられます。同様にきっとこれからは、パソコンがないと小説など書けなくなるのでしょう。ペンは骨董品になり、400字詰め原稿用紙は姿を消し、小説の新人賞の「応募の心得」コーナーから「原稿用紙のマス目に合わせて一字ずつワープロで印刷してくる人がいますが、これは非常に読みにくいのでやめましょう」などという記述も消えるのでしょう。それは時代の流れというやつで、一人だけ意地を張って古い道具を使い続けても無駄な苦労が増えるだけで、流れに乗って新しいものに買い換えていくのがきっと賢いやり方なのでしょう。でもブラウン管テレビはもう少し使わせてください。Windows XPのアップデートももう少し続けてください。お願いします。だってみんなゴミになっちゃうじゃないですか。

 とにかくそう気付いた私は頑張ってパソコンを(とりあえずWordの使い方だけ)覚え、パソコンで小説を書きました。ルビをつけるたびにそこだけガバッと空いてしまう行間の設定に悩まされたり、フラッシュメモリをポケットに入れたままシャツを洗濯してしまったりといろいろ困難にぶつかりましたがそれでも頑張って、体中をぼりぼり書きながらパソコンに向かいました。こんなに頑張れたのはひとえに Officeアシスタントのイルカ君がかわいかったから、ではなくて書くことが楽しかったからでしょう。

 書くことの楽しさは読んでもらう楽しさ、自分が書いたものをいつか誰かが読んでくれるだろう、という嬉しさにあります。まあミステリの場合、書く楽しさの中には「ひひひ。きっと読んだやつはここで騙されるぞ」といういささかタチの悪い楽しさも含まれているのですがそれは今は置いておきまして、とにかくこの文章だって、きっと見知らぬ誰かが読んでくれる。そう妄想するから楽しく書けるのです。つまり、この楽しさはすべて読者の皆様のお陰であります。この場を借りまして深くお礼申し上げます。本作を読了されました皆様、 読んで頂きありがとうございました。ほんとありがとうございました。このあとがきから読んだ方も、あとがきを読んで下さりありがとうございました。できれば本編も読んでくださいね。お金を払って買って頂く以上、「買って損した」というものを書かないよう、今後も精一杯頑張ります。

 また、世間知らずな私は作品が「商品」になるまでにはおそろしく大変な工程を経なければならないことを最近になって知りました。作品そのものはいわば食材のそれも一部に過ぎないようでして、下ごしらえをして切ったりすりおろしたりして他の食材と合わせて加熱してアクをとって調味して盛りつけて配膳して時にはテーブル脇に立って料理の説明をしなければお客様のもとに届かないわけです。したがいまして編集桂島氏を始めとする東京創元社の皆様、校正デザイン印刷営業取次さらには書店の皆様、そしてこの絵があれば小説はいらないんじゃないかという勢いのイラストを描いてくださったtoi8先生、深くお礼申し上げます。こんなこと書くと「俺は著者のために仕事してるんじゃねえ。自分のためにしてるんだ」とハードボイルドに否定されるかもしれませんがそもそもお礼というものは言う方が言いたいから言うものですのでどうかお許しください。

 それではまた次作でと終わりにしようとしたのですが、今さっき脳内編集者の「あとがきなんですから作品について書いてください」という声とリアル編集者の「まだページありますのでもう少し書いてください」という声が聞こえましたので作品についても少しだけ書きます。

 本作は第16回鮎川哲也賞に応募し、運よく佳作を頂いた作品です。最初は新人賞に出すつもりなどなく、大学時代に在籍していたサークルの友人に見せて改善点を言って貰い、今後の参考にしようといういわば習作でした。しかしアドバイスを貰って直してみたら思ったより出来がよかったため、調子に乗って応募してしまったのでした。アドバイスを頂きましたサークルの友人倉吹ともえ及びM氏N氏、ありがとうございました。

 タイトルには特に意味はなく、道立旭川美術館で見た舟越桂氏(『永遠の仔』のカバーの作品を作った方です)の作品に『午後にはガンター・グローブにいる』というのがあり、タイトルと作品の絡み方が凄えと思ったので真似をしただけです。字面を見ると一体どこをどう真似たのかよく分かりませんが、私の頭の中では本作のタイトルと紙一重です。

 執筆時私は大学院生であり勉強が忙しく、結果としてほとんど取材なしで書けるよう、高校が舞台になりました。だから自分の母校がモデルです。この母校には私が在籍していた当時、山に登ると細胞分裂で五人に増える山岳部の顧問や背中にファスナーがついていて中には別人が入っている社会科教師等、面白い教員がたくさんいました。面白いからいずれ書くかもしれません。

 また、応募当時は時代設定も十数年前、つまり私が高校生だった頃にしてありました。就職もしてそろそろ30に手が届こうかという歳になった主人公が、校舎が解体されると聞いて久しぶりに母校を訪れ、当時の事件を回想するという設定になっていました。これは取材云々ではなく、実際に母校の校舎が解体されると聞いたため、哀悼の意を捧げるといったつもりで書き始めたからです。しかし書き上げてみると回想形式をとった意味はあまりなくなっており、その点を選考委員の先生方にズバリ指摘され、刊行前に、リアルタイムの話に直すことになりました。第16回鮎川哲也賞の選評でも触れられている点ですので、あれれと思われる方がもしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、そういう事情があったことをお断りしておきます。結果として作品はよりよくなったと自負しております。哀悼の意は、まあ、いいでしょう。


 それにしても話は戻りますがこのパソコンというやつはどうしてこう難解なのでしょう。最近また余計な機能を使ってしまったらしく、doc. ファイルを開くたびに画面が真っ黒になり「BANG!」という文字が表示され、保存しておいた文章にぼこぼこ穴が開くようになってしまいました。これでは文章が読めないのですが設定の戻し方が分かりません。まあ、編集の方はパソコンに詳しいはずなので、この文章もそのまま送ればむこうで設定を戻してくれるとは思いますが。


(2007年11月)

似鳥鶏(にたどり・けい)
1981年千葉県生まれ。2006年、『理由(わけ)あって冬に出る』で第16回鮎川哲也賞に佳作入選し、本作でデビュー。