国内ミステリ出張室

2017.12.08

【特別掲載】 大岡昇平「私のすすめる7点」

事件
この度、大岡昇平の裁判小説『事件』が創元推理文庫より刊行されました。幸い多くの読者の方々に手に取っていただけているようで、嬉しいことに発売から一週間で重版も決まりました。
『事件』については〈Webミステリーズ!〉でも「本の話題」を掲載していますが、そこにも書いてあるように、大岡氏は偉大なる文学者であるとともに熱心な推理小説愛読者でもありました。
この度『事件』の刊行を記念して、大岡氏が創元推理文庫のお薦めを紹介するエッセイ「私のすすめる7点」〈Webミステリーズ!〉に特別掲載いたします。

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大岡昇平「私のすすめる7点」

創元推理文庫
F・W・クロフツ著「樽」
カトリーヌ・アルレー著「わらの女」
ノエル・カレフ著「その子を殺すな」
M・D・ポースト著「アブナー伯父の事件簿」
イアン・フレミング著「ロシアから愛をこめて」
セバスチアン・ジャプリゾ著「シンデレラの罠」
ヘンリ・セシル著「メルトン先生の犯罪学演習」

創元推理文庫は推理小説専門の文庫として発足したが、最近では、SFや怪奇・冒険小説も加わって、幅を広げているが、私としては推理小説から七点を選んでみたい。というのは、私は子どものころから推理小説が好きで、夏目漱石の「坊ちゃん」よりも早く、“ホームズもの”や“ルパンもの”をルビつきの本で読んでいたし、収容所時代にも推理小説を原書で読んだりしたことがあるからです。私と同世代の埴谷雄高・平野謙氏らも推理小説好きで有名です。それにわれわれの世代は日本ものよりも外国ものの方が親しみがあるんです。そういうわけで翻訳もの中心の創元推理文庫は面白い存在といえます。
まず第一には、F・W・クロフツの「樽」を挙げよう。これはもう推理小説の古典ともいうべきもので、これがなければ、現在の松本清張氏はないというほどのものです。
二番目はカトリーヌ・アルレーの「わらの女」。アルレーのものは他にもあるが、女の虚栄を見事についた作品として「わらの女」を推す。
ノエル・カレフ「その子を殺すな」が三番目。謎のフットボールの球の行方を追って展開するサスペンス・スリラー。
次は、「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」のシリーズから、M・D・ポースト「アブナー伯父の事件簿」を挙げよう。これはアメリカのヴァージニアン気質のよくあらわれた作品で、もっともアメリカ的なキャラクターを持ったアブナーの活躍する短篇集。 五番目には創元推理文庫のうちのベストセラー中のベストセラーともいうべきイアン・フレミングの“007”シリーズから「ロシアから愛をこめて」を挙げよう。これはジェームズ・ボンドがソ連の情報機関スメルシュの二重・三重の罠により危機一髪の窮地に追いこまれるという作品。
六番目は夏向きのおすすめ品としてセバスチアン・ジャプリゾの「シンデレラの罠」を挙げる。事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、その上、犯人でもあるという一人四役を演ずる空前絶後のトリックで話題を呼んだいかにもフランス風な洒落た作品で知的遊戯にふけるにはもってこい。
最後は私が個人的に一番好きな作品を挙げることにする。それはヘンリ・セシルの「メルトン先生の犯罪学演習」。これは、法理論の権威メルトン教授がケンブリッジ大学に招かれ、講義をすることになるが、その朝、プラットホームで頭を強打してしまう。頭を強打した教授の講義はいかに法網をくぐるか、完全犯罪をいかにするかというもの。忽ち教室は学生で満員。そしてまた最後に落ちがつくというユーモア法廷小説で、翻訳もいい。
以上の七点が私のお推め品だが、そのほかにも、G・K・チェスタトンの“ブラウン神父”ものも挙げたかったものの一つ。また九月に出るもので私が解説を書いたロバート・トレイヴァの「裁判」も読んでほしい。(談)
初出:〈週刊読書人〉1978年7月24日号


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本文章は、大岡氏が上記初出誌の「ワイド特集・文庫のすすめ」内で、回答したものです。その後『大岡昇平全集23』(筑摩書房/2003年8月刊)に収められました。

シャーロック・ホームズの冒険
「夏目漱石の『坊ちゃん』よりも早く、“ホームズもの”や“ルパンもの”をルビつきの本で読んでいた」という話は『シャーロック・ホームズ全集6 バスカヴィル家の犬/恐怖の谷』(パシフィカ/1978年4月刊)の月報に寄せられたエッセイ「懐かしのホームズ」の枕にも書かれてあります。〈シャーロック・ホームズ〉シリーズに関しては同エッセイから引用すると、「『赤髪連盟』が最初に読んだ短篇集のなかでは最も印象に残っています。10回以上も読み返しているはずで、何度読んでも、あの滑稽さは面白いですね」。「私のすすめる7点」のひとつに挙がっているM・D・ポースト『アブナー伯父の事件簿』は、同文章でも触れられています。

ヘンリ・セシル『メルトン先生の犯罪学演習』は大岡氏のなかでもお気に入りの一冊のようで〈創元推理コーナー〉1962年7月号の「新刊BEST3」にも挙げています。ほかにエッセイ「推理小説自慢話」でも言及があって「昔から大好きで、漱石の『猫』の夕日に照らされた干柿、緑雨のパロディ以来、こんな笑ったことはない」「腹をかかえて笑っただけではなく、自分もこんな話を書いてみたい、と最初に読んだ時から思っていた」と、その偏愛ぶりが窺えます。

黒後家蜘蛛の会
もちろん本文章に挙がっている7点のほかにも、推理小説に関する言及はまだあります。例えばエッセイ「推理小説耽読」では、北富士の山小屋に避暑で訪れた際、東京創元社元取締役で翻訳家の厚木淳氏からもらったアイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』を「最大の収穫」として紹介しています。

大岡氏の推理小説に関する文章は『文壇論争術』(雪華社/1962年7月刊)や『文学の可能性』(作品社/1980年7月刊)でいくつか読むことができます。また、文芸誌〈群像〉に連載されていた『常識的文学論』(講談社/1962年1月→講談社文芸文庫/2010年6月刊)では、一章に亘る「推理小説論」も収められています。どれも残念ながら2017年12月現在品切ですが、特に『文学の可能性』には新保博久氏の『事件』解説でも言及されている「『事件』ができるまで」『事件』刊行直後のエッセイ「十五年目の『事件』」など、『事件』に関する文章も収められています。(なお「『事件』ができるまで」に関しては新保氏が解説にも書かれているように、現在は佐木隆三編『裁判』にも収録されていて、こちらは新刊書店でお買い求めいただけます)
ここまで紹介した文章は、筑摩書房版〈大岡昇平全集〉にはすべて収められています。興味のある方は拾い読みするとともに、広範に及ぶ大岡氏の文学の足跡を追ってみてください。

(2017年12月8日)



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