『聖域』は、私とともに
変化を続けてきた物語でもある。

未踏峰を夢見た男たちの友情と死
静かな感動を呼ぶ渾身の山岳ミステリ!
(08年4月刊『聖域』あとがき[全文])

大倉崇裕 takahiro OKURA

 

 大学時代、 私は山岳系の同好会に所属していた。勉強などほとんどせず、山にばかり登っていた。 山に行きすぎて、卒業するまでに五年かかった。
 同好会を去るとき、後輩の一人が、私に文庫本を贈ってくれた。新田次郎の『山が見ていた』だった。山岳ミステリを書いてみようと思い始めたのは、そのときからだったかもしれない。
 短編を数本書いた後、いよいよという気持ちで長編『聖域』に取り組み始めた。だが、山とミステリの融合は想像以上に難しく、試行錯誤をくり返すうち、あっという間に十年がたってしまった。
 思い返せば、この十年にはいろいろなことがあった。『聖域』は、私とともに変化を続けてきた物語でもある。
 内緒で書き続けてきた『聖域』だが、完成前に読んでもらった人物が二人だけいる。もしこの二人がいなければ、『聖域』が一冊の本となり、書店に並ぶことはなかっただろう。ありったけの感謝をこめて、その二人のことをここに書いておこうと思う。
 一人目は、東京創元社の編集者である桂島浩輔氏である。初めて会ったのは、もう十年以上前のこと。私が会社員で、彼が大学生だった。
 当時、ミステリを書こうと思い定めていた私は、勉強の意味もあって、あるミステリの愛好会に参加していた。今思い返しても、そこに参加していた人たちは凄かった。ミステリについてはそれなりに勉強しているつもりだったが、会の中では素人同然であった。呆気にとられるほど、参加メンバーの知識は深かった。
 そんな濃いメンバーの中にあってなお、皆が全員一致で認めるほど、博識な人物がいた。圧倒的な読書量、圧倒的な記憶力。亡くなられた翻訳家の浅羽莢子氏が歩くデータベースと言った彼こそが、桂島氏であったのだ。
 その後、私は新人賞をいただき、ミステリを雑誌に発表するようになった。桂島氏がそれらをどう読んでいたのか、本当のところは判らない。優しい彼は、常に好意的な意見を述べてくれたので。
 山岳ミステリの長編を書いているという話題も、そんな語らいの中で出たのだと思う。彼は即座に名作といわれる山岳ミステリのタイトルをいくつか挙げ、有益なアドバイスをくれた。
『聖域』の第一稿が完成したとき、桂島氏に読んでもらおうと思ったのは、彼との会話が記憶に残っていたからだ。私はプリントアウトしたものを送った。
 桂島氏が東京創元社に入社したという驚くべきニュースを聞いたのは、その少し後だった。
 ミステリ好きとして出会った男が、十数年後、一人が作家となり、一人が編集者となった。何とも不思議な巡り合わせではある。
 彼が入社した時点で、私には東京創元社に担当編集者の方がいた。だが、 この『聖域』は、桂島氏に担当してもらうのが筋であるような気がした。作品に関し既にアドバイスをもらっていたからだ。
 私の願いは聞き届けられ、『聖域』は桂島氏が担当となった。彼との仕事は有意義であり、刺激的だった。大変であったのは確かだが、作家として大いに勉強になった。
 優柔不断でいい加減で短気。こんな私に最後までつき合ってくれた桂島氏に心よりの御礼を。本当にありがとう。そして、私の我が儘を聞いて下さった、東京創元社編集部の皆様にも、心より感謝します。
 そしてもう一人、『聖域』執筆の最終局面で、私を救ってくれた人物がいる。神谷浩之氏だ。
 紆余曲折を経て、何とか完成に近づいた『聖域』だが、最後にまた大きな壁にぶつかった。それは、山岳関係の記述についてである。大学時代山に登っていたとはいえ、既に十年以上の月日がたっている。最近はハイキングにすら行っていない。山を取り巻く状況は大きく変わったであろうし、最新の装備などの知識もない。本などを読んで勉強するにも限界がある。
 思案に暮れているとき、知人の一人が神谷氏の存在を教えてくれた。現役の山屋であり、私の本も含め数多くのミステリ、山岳ものの小説を読んでいるという。
 私はさっそく、神谷氏にメールを送り、『聖域』の監修を頼めないかと打診した。ほどなく返事が来て、彼は快諾してくれた。
 数ヶ月後、神谷氏から監修が終わったとの知らせが来た。その時点ではまだ、神谷氏とは顔を合わせたことがなかった。これを機会に、どこかで会いましょうということになったが、お互い約束の店を間違えて、会うまでにかなり時間がかかったことを覚えている。
 神谷氏は私が送りつけた原稿の束をテーブルに置き、チェック点について一つ一つ、語り始めた。それを見て、私は心底驚いた。原稿に入れられた朱は、「監修」 のレベルではなく、立派な 「校正」 だったのだ。誤字脱字、時間経過の齟齬などがすべて洗い出され、表にまとめられていた。山岳描写に関する問題点も徹底的に精査され、きちんとした指摘がなされている。私は誤字脱字の多さに赤面すると同時に、神谷氏の完璧な仕事ぶりに心底、驚愕した。そして、顔を合わせたこともない作家が送りつけてきた原稿に、ここまでの精力を傾けてくれた意気込みに心を打たれた。
 もし、神谷氏の監修、校正を受けずに『聖域』が刊行されていたら。
 そのことを考えると、正直、背中が寒くなる。神谷氏のおかげで、『聖域』の精度は上がり、山岳ミステリとして自信を持って世に送り出せる作品となった。この機会に、心よりのお礼を述べさせていただこうと思う。本当にありがとう。ただし、後で加筆したところもあり、本書に事実誤認などの誤りが含まれていたら、その責任はすべて筆者に属する。
 神谷氏とは、一緒に山へ行く約束をしている。お互いの都合が合わず、なかなか実現できないのだが、いつか必ず。
 山行の代わりというわけではないが、二度ほど一緒にクライミングジムへ行った。一番難易度の低い壁で、私が悪戦苦闘している間、彼はするするとあらゆる壁を登っていった。数年前まで一面識もなかった二人が、そろってジムに出かけたりするのだから、これもまた、『聖域』が運んできた不思議な縁というやつなのだろう。
 縁といえば、大学時代、私が所属していた山岳系同好会が、部員の減少を理由に廃部の危機にあるという。おまえがこんな小説を書くからだ、というOB、OG諸氏の叱責が聞こえてきそうだが、「部員数減少」は体育会系クラブ共通の悩みと聞く。何とか続いてもらいたいという思いと、時代に合わなくなったものを延命させることに価値があるのかという疑問が相半ばしている。
 山岳ミステリを書くのは、私の目標でもあり願いでもあった。ようやく一区切りして、晴れ晴れとした気持ちでいる。

(2008年5月)

大倉崇裕(おおくら・たかひろ)
1968年京都府生まれ。学習院大学法学部卒。97年「三人目の幽霊」で第4回創元推理短編賞に佳作入選、翌年には「ツール&ストール」で第20回小説推理新人賞を受賞。『七度狐』『やさしい死神』『オチケン!』などの落語ミステリをはじめ、アクションを導入した意欲作『無法地帯』、和製〈刑事コロンボ〉シリーズとして注目された『福家警部補の挨拶』など作風は多彩だが、丁寧なプロットの魅力と謎解きの面白さは常に一貫している。本書『聖域』は、大学時代、山岳系同好会に所属していた著者が数年の構想の末に放つ、新たな代表作。