国内ミステリ出張室

2013.06.27

森谷明子/米澤穂信『折れた竜骨』解説(全文)[2013年6月]

 ミステリを愛される方。凛とした人間たちの群像劇のお好きな方。異世界ファンタジーお好みの方はもちろん。そして歴史小説ファンの方。
 それらすべての読者を満足させ得る、稀有な物語がここにあります。
(2013年7月刊『折れた竜骨』解説[全文])

森谷明子 akiko MORIYA


 筆者が米澤穂信氏の著作に初めて触れたのは、二〇〇四年、『さよなら妖精』であったと記憶している。
 プロットの緻密さやキャラクターの造形の巧みさはもちろんなのだが、それ以上に感銘を受けたものがある。
 異文化に生きてきた少女とそれに魅かれる少年の物語で、言葉をいかに伝え合うかに大きなポイントが置かれていたせいもあるだろうが、彼らは(つまり作者は)とにかく言葉遣いの細部にまで気を配っていたのだ。

 ――おれはマーヤに惹かれたのか。違う、おれはマーヤに憧れたのだ。
 ――おれは、こんなことになるとわかっていた。
 いや、正しくは、マーヤはこんなことになるとわかっていたということを、わかっていた。
 ――お前たちの気持ちはわかる。違うな。お前たちの理屈はわかる、のほうが当たっているか。
                                
 (『さよなら妖精』)

 米澤氏の作品に登場する人物の多くは、このように自分の言葉をとことん吟味する。慎重に、臆病とさえ言えるほどに、正確に伝わっているかどうかに心を砕く。
 その印象は翌年、「古典部」シリーズ三作(当時刊行されていたすべて)を読んだ時にさらに強くなった。作者の言葉の使い方の細やかさと厳しさに、思わず襟を正したものだ。

 ――自分に自信があるときは、期待なんて言葉を出しちゃあいけない。
 ――期待っていうのは、諦めから出る言葉なんだよ。
 ――時間的にとか資力的にとか、能力的にとか、及ばない諦めが期待になるんだよ。
                            
  (『クドリャフカの順番』)

 この作家は、体内に独自の辞書を持っているのだという印象が胸に刻み込まれた。そしてその辞書はとてつもなく分厚くて、大変に厳格で精緻で、言葉への切実な愛にあふれているのだろうと。
 以来、「米澤穂信」は私にとって特別な作家である。

 第六十四回日本推理作家協会賞に輝いた本書『折れた竜骨』は、米澤氏の作品群の中でも特異な設定を持っている。
 十二世紀末のイングランド。北海に浮かぶソロン諸島――ブリテン島から船で三日もかかる場所――の領主が刺殺される。領主の館のある島にいた人間はわずかだ。しかも島は鉄壁の守りで外からの侵入を許さない。暗殺者を追ってソロンへやってきた聖アンブロジウス病院兄弟団に属する騎士が、死の解明に当たる……。
 ただし舞台は、現実にはどこにも存在しない、魔術に彩られた異世界である。私たちの教えられてきた中世ヨーロッパを影のようにまといつかせた、魅力的なパラレルワールドなのだ。

 小説というものはすべてその小説内で完結する世界に拠っている。たまたまその小説内世界が読者の生きる世界と地続きであるように見えても。ただ「外界直結型」小説ならば、舞台設定に関する説明の多くは省略できる(読者が実人生での体験や知識で補ってくれる)というだけである。
 それとは対照的に、現実とはかけ離れた世界を丸ごと作者が構築している小説といえば、たとえばファンタジーだろう(筆者は時代小説も一種のファンタジーだと認識している。小説の舞台設定や人々の行動原理が現代の私たちのそれとはかけ離れているから。史実とどの程度離すか近づけるかは作者の匙加減次第だが)。
 そのかけ離れ方が最大級のものをハイ・ファンタジーと呼ぶ。地球ではなくこの世でもなく、文字化されるまで作者の脳内にのみ存在していた世界で展開する物語だ。ハイ・ファンタジーの作者は、その世界の誕生から創作を始める。トールキンは『指輪物語』『ホビットの冒険』を書くために「中つ国」の地図を描き、歴史を創作し、辞書を作った。
 時代小説だろうとハイ・ファンタジーだろうと、ファンタジーの作者は自分が創り、自分が生きている世界へ読者を案内しなくてはならない。くどくもなく置き去りにすることもない、過不足なしの状況説明をまじえつつ。
 舞台設定だの共通理解だののことで読者に負担をかけてはいけない。小説世界に入り込むのに読者の努力を求めてはいけない。読者に心おきなく熱中していただけるよう、全力でのたうち回るのが作者のつとめである。

『折れた竜骨』に戻る。
 米澤氏が「ハイ・ファンタジーであった原型のリメイク」と説明する本書は、米澤氏が無から創出した異世界ファンタジーである。私は以前本書について「細胞レベルで世界が違う」というたぐいのコメントをしたことがあるが、その思いは今も変わらない。
 私にとって『折れた竜骨』はハイ・ファンタジーである。

 ハイ・ファンタジーに不可欠の「無から世界を創出する作業」はもちろん大仕事だが、それに成功した作者は、無限の可能性を与えられることになる。その小説世界は文字通り作者の掌の上に載っているのだ。作者は自分の創り上げた論理で物語を支配できる。
 ……もう一度繰り返してしまおう。作者は自分のロジックで、ロジックのみで物語を展開させられると。
 ハイ・ファンタジーにおいて、作中の「なぜ」を作者は自由に解決できるのだ。もしもその小説世界の論理の必然性を読者に認めてもらえるなら、の条件付きだが。
 だからハイ・ファンタジーは大変に魅力的なミステリになりうるのである(もしもその小説世界の……以下省略……)。
 この点を踏まえて、『折れた竜骨』は稀に見る傑作だと断言させていただく。特異なファンタジーとして本作中にのみ存在する論理によって、すべての「なぜ」が解明され、読者を納得させるのだ。

 ――理性と論理は魔術をも打ち破る。

 特に、第五章は大変に特異な論理に基づく、大変に合理的な解決篇である。
 ここまで『折れた龍骨』の舞台に違和感なく入り込んできた読者は、もうこの物語がファンタジーであることも忘れていい。ただ、怒涛の展開を見せるミステリに浸る快感に身を任せていればいい。
 美しいロジックに支えられたミステリとして、『折れた竜骨』は完結する。
 しかも、さらに嬉しいことに、作者はミステリ好きの読者のために随所に工夫を凝らしている。

 ――「……我々の使命を果たし、かつ自らを律するため、我々は真実を明らかにするにあたって一つの儀式を行います」
「儀式……」
「事件の関係者を集め、我々が何を知ったのか、何を知り得なかったのか、何を知った上で公言を控えているのかを明らかにするのです。その上で、今回であれば<走狗>が誰なのかを指摘する。どうかそれまでお待ちください。今日のうちに、全ては明らかになりましょう」

 ――「では言おう。ソロンの守りが鉄壁だというのは、喩えるなら鍵のかかった扉に等しい。その扉の中で誰かが殺害されて、しかもその部屋には他に誰もいなかったとする。こうした場合、殺人者を捜すためにまず為すべきことは何か。
 かつて我々聖アンブロジウス病院兄弟団の騎士たちは、扉に鍵をかける方法や鍵のかかった部屋から脱出する方法を明らかにすることだと考えた。そして多くの場合で時間を費やし、巧妙に隠された盲点や驚愕に値する仕掛けを見抜いてきた。
 しかしそれは、誰が殺人者なのか特定することにはほとんど寄与しなかった! ……(後略)……」

 ……『折れた竜骨』はすべてのミステリ読みを満足させる。


 最後に、私事を少々書かせていただく。
 筆者は創作中に、今書いているこの一文が米澤氏の目に触れたなら、とぼんやり考えている時がある。想像しただけで背筋が伸びる。
 特別な作家、と書いたのはそういう意味だ。
 その特別な作家の作品の追っかけをここまで続けてきた筆者にとって、『折れた竜骨』は大変に貴重な、大変に嬉しい作品なのだ。今までに何回読み返したかわからない。溺愛していると言ってもいい。
 何しろ、筆者の溺愛する、ミステリとファンタジーと十二世紀イングランドの、このうえなく贅沢な融合体なのだから。
 あ。言い忘れてましたが。
 十二世紀イングランド、大好物なのである。
 だから筆者は『折れた竜骨』初読時、その舞台設定に狂喜したのだ。
《修道士カドフェル》シリーズの長年の愛読者で――シリーズを、時系列には沿わずに、季節に合った巻を抜き出して歳時記を読むようにして浸るのが最近は気に入っている――もう永遠に新作が読めないと寂しがっていた筆者に与えられた、「晩課の鐘の音」が不在証明に使われるミステリという贈り物なのだ!

 ……という筆者の個人的嗜好とは無関係に。
 ミステリを愛される方。凛とした人間たちの群像劇のお好きな方。異世界ファンタジーお好みの方はもちろん。そして歴史小説ファンの方。
 それらすべての読者を満足させ得る、稀有な物語がここにあります。
(2013年6月)


■森谷明子(もりや・あきこ)
作家。神奈川県生まれ。2003年、紫式部を探偵役にした王朝ミステリ『千年の黙 異本源氏物語』で第13回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。主な著作は『れんげ野原のまんなかで』『白の祝宴 逸文紫式部日記』『望月のあと 覚書源氏物語「若菜」』『七姫幻想』『FOR RENT—空室あり—』などがある。

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