本格ミステリ漫画ゼミ

2014.10.27

本格ミステリ漫画ゼミ 【第1講】 福井健太 (1/2)

 約20年間にわたってミステリのレビューを続けてきたが、その原動力は"面白い本を教えたい"という欲求だった。これは小説のみならず(より多く接してきた)漫画にも当てはまる。そもそも本格ミステリは小説だけではなく、映画やドラマ、漫画やアニメにも傑作が多い。ビジュアルを駆使することは、解りやすさを増すと同時に、トリックや演出の幅を広げることに通じる。謎解きを旨とする"本格ミステリ漫画"の愉しさを伝えるべく、その歴史を研究・紹介するコラム──それがこの「本格ミステリ漫画ゼミ」である。

 筋金入りのミステリマニアの中には、ミステリ原体験が漫画だった人も多いはずだ。様々な小説家が(直接的・間接的に)関わった作品群は、漫画を読まないミステリファンにも興味深いものだろう。通史についての資料が乏しいため、その欠落を補うことも本連載の目的の一つである。大雑把な流れとしては、プロローグにあたる前史を経て、前半では小説のコミカライズ、後半ではオリジナル作品を採り上げ、それぞれの作例を年代順に辿ることになる。当初は古めかしく見えるかもしれないが、そこは気長に構えていただきたい。

kage.jpg  漫画史の起点を定めるのは難しいが、さすがに「鳥獣人物戯画」や鳥羽絵から語ると長くなるので、戦後の貸本漫画から話を始めよう。代金を払って本を借りる"貸本"は江戸時代から普及していたが、1948年に神戸のネオ書房が「保証金なし」「新刊貸本」のコンビニエンスなシステムを作ったことで、その利用者は劇的に増加した。いっぽう駄菓子屋や露店で販売される(書籍の流通ルートに乗らない)"赤本"の業界では、32年頃から描き下ろしの漫画が急増し、47年刊の手塚治虫『新宝島』が40万部(一説では80万部)を超えるベストセラーになっていた。

 ほどなく赤本は衰退するが、50年代半ばには全国の貸本屋は数万件に達し、赤本からの転業組を含めた多くの出版社が貸本用の漫画を刊行している。若木書房、わかば書房、三島書房などが時代劇を得意とする中、大阪の版元である八興出版は〈日の丸文庫〉シリーズでスリラーを手掛けていた。この八興が56年に創刊した月刊漫画誌『影』は、日本のミステリ漫画史に大きな影響を及ぼすことになる。

 初期号の表紙に「探偵ブツク」という副題が記されていた『影』は、スリラーと推理ものを中心とする短篇誌であり、創刊号にはさいとう・たかを、松本正彦、桜井昌一、高橋真琴、久呂田まさみ、辰巳ヨシヒロが執筆している。一人の漫画家が長篇(基本的に128ページ)を描くスタイルが定着した貸本漫画において、この体裁は革新的なものだった。人気作家を集めた同誌は大ヒットを記録し、他社も様々な短篇誌を創刊するが、その中には若木書房の『迷路』、セントラル出版の『街』、兎月書房の『摩天楼』、東京トップ社の『刑事』のような推理ものも多かった。57年に辰巳が「幽霊タクシー」『街』に掲載)で使ったキャプションから「劇画」という言葉が生まれ、59年に〈日の丸文庫〉出身の漫画家たちが"劇画工房"を結成した話は有名である。ちなみに辰巳の兄にあたる桜井は、彼らにミッキー・スピレインの小説を紹介し、劇画にハードボイルドのセンスを導入した人物。61年に東考社を立ち上げ、水木しげるの諸作をはじめとする200点以上の貸本漫画を発行した。水木作品に頻出する"眼鏡を掛けた出っ歯のサラリーマン"のモデルとしても知られている。

 これらの雑誌が人気を得た理由としては、当時の探偵ブームが考えられる。片岡千恵蔵が私立探偵を演じる映画〈羅尾伴内〉シリーズ(原作・脚本=比佐芳武)は、46年から60年にかけて11本が製作された。54年には江戸川乱歩〈少年探偵団〉のラジオドラマが放送開始。同年には小説を脚色したラジオドラマ「灰色の部屋」も始まり、水谷準、甲賀三郎、大下宇陀児、夢野久作、高木彬光、木々高太郎などに加えて、ディクスン・カーやコーネル・ウールリッチの作品も使われた。聴取者に犯人を当てさせるラジオ番組「犯人は誰だ」のスタートも54年のことだ。テレビに目を転じると、55年には素人探偵と助手が奮闘するドラマ「日真名氏飛び出す」、57年には鮎川哲也、笹沢佐保、島田一男、土屋隆夫、戸板康二らが原作を担当した推理バラエティ「私だけが知っている」も始まっていた。




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