正しくあろうとするあまり、思わぬ状況に遭遇してしまう少女を描いているのは真下(ました)みことの『わたしの結び目』(幻冬舎 一五〇〇円+税)だ。


 中学二年生の里香(りか)は、以前学級委員をつとめていたクラスで、とある出来事によって疎外されてしまった経験がある。転校した彼女は新しいクラスで、どこか浮いた存在の彩名(あやな)に話しかけられる。彼女は周囲から噓つきと呼ばれているが、里香は彼女と親しくなっていく。というのも里香は、人に優しくすることを信条としているから。彩名との関係は良好に思えたが、次第に彼女は里香を束縛するようになってしまう。

 彼女たちのクラスではひと月ほど前に女子生徒が一人事故死しているのだが、その子は彩名の友人だったという。なにやら不穏な予感である。そんな謎を含め教室内の、決してわかりやすくはない人間関係の緊張状態が巧みに描かれていく。もう何十年も前のことなのに、自分の中学生時代が鮮明に脳裏に蘇(よみがえ)ったほどだ。教師たちの未熟さの描写も絶妙で、これまた教師たちへの昔の恨みつらみを思い出してしまった(ほんと腹立つ!)。

 里香も彩名も不器用でバランスを欠いているが、その思春期の感情はわからなくはない。彼女たちが、彼女たちのままで、今陥(おちい)っている状況から一歩踏み出そうとする姿が、痛ましくも愛おしかった。

 伊藤朱里(いとう・あかり) 『内角のわたし』(双葉社 一六五〇円+税)は、自分の中のさまざまな側面と葛藤(かっとう)する話。それをユニークな方法で描く。


 歯科助手のアルバイトをする女性、森(もり)の中には三人の「わたし」がいる。可愛いものが好きで甘えんぼうのサイン、自立心も正義心も強いコサイン、対立する両者のなだめ役で、達観というより諦念(ていねん)を抱いた様子のタンジェント。森の中ではつねにこの三人が会話を交わしており、一人の人間の中にもさまざまな本音がせめぎ合っている様子がリアルに伝わってくる。自分の中ではどの「わたし」の主張が強いか、などと考えて楽しんだ。

 つねに無難に振る舞おうとしながらも、その内側には若い女性として消費されることへの怒り、正しさを暴力的に強制される際の和感、被害者にもなり加害者にもなりうる自分について葛藤し、それに対する〝正解のなさ〞に悩む森。特に本音が滲(にじ)み出る「新人くん」との会話がグサグサ刺さる。今の世の中に漂う戸惑いのようなものが見えてくる。

 紗倉(さくら)まな『ごっこ』(講談社 一五〇〇円+税)は三編を収録。どれも、ひとことでは説明できない関係性が掬(すく)い上げられる。


 恋人同士がドライブを楽しんでいる情景かと思いきや、二転三転するパワーバランスの中で彼らの意外な事情が見えてくる「ごっこ」はスリルたっぷりで、中学時代から女友達に思いを寄せ、彼女が結婚した今も親しくしている女性の思いをたんたんと追う「はこのなか」はじわじわと切なさが沁みてくる。痛快だったのは「見知らぬ人」で、自身も浮気をしている既婚女性が、ひょんなことから夫の浮気相手と対峙(たいじ)する。対立しているようで、どこか共鳴しているようで、でもやっぱり……という状況や、浮気相手の論理的なようで破綻(はたん)しているような主張など、このシチュエーションならではの会話の妙味が炸裂していて、筆運びの巧(うま)さに唸(うな)ったのだった。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。