【はじめに】
 創元SF文庫は2023年、創刊60周年を迎えます。

 1963年9月に創元推理文庫SF部門として誕生し、フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』に始まり、1991年に現行の名称への改称を挟んで、これまでに700冊を超える作品を世に送り出してまいりました。エドガー・ライス・バローズの《火星シリーズ》やE・E・スミスの《レンズマン》シリーズをはじめ、ジョン・ウィンダム、エドモンド・ハミルトン、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、J・G・バラード、アン・マキャフリー、バリントン・J・ベイリー、ジェイムズ・P・ホーガン、ロイス・マクマスター・ビジョルド、そして近年にはアン・レッキーやN・K・ジェミシン、マーサ・ウェルズら新鋭のSFを刊行しています。また、2007年からは日本作家の刊行も開始し、2008年からは《創元SF短編賞》を創設して新たな才能が輩出しています。

 このたび60周年を迎えるにあたり、当〈Web東京創元社マガジン〉にて全6回の隔月連載企画『創元SF文庫総解説』として、創元SF文庫の刊行物についてその内容や読みどころ、SF的意義を作家や評論家の方々にレビューしていただきます。連載終了後には書き下ろし記事を加えて書籍化いたしますので、そちらも楽しみにお待ちくださいませ。
 
 なお編集にあたっては、書影画像データにつきまして渡辺英樹氏に多大なご協力をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。


【掲載方式について】
  • 刊行年月の順に掲載します(シリーズものなどをまとめて扱う場合は一冊目の刊行年月でまとめます)。のちに新版、新訳にした作品も、掲載順と見出しタイトルは初刊時にあわせ、改題した場合は( )で追記します。
    例:『子供の消えた惑星』(グレイベアド 子供のいない惑星)
    また訳者が変わったものも追記します。
  • 掲載する書影および書誌データは原則として初刊時のもののみとし、上下巻は上巻のみ、シリーズもの・短編集をまとめたものは最初の一冊のみとします。
  • シリーズものはシリーズタイトルの原題(シリーズタイトルがない場合は、第一作の原題)を付しました。
  • 初刊時にSF分類だった作品で、現在までにFに移したものは外しています。書籍化する際に、別途ページをもうけて説明します。
    例:『クルンバーの謎』、『吸血鬼ドラキュラ』、《ルーンの杖秘録》など
  • 初刊時にF分類だったもので現在SFに入っている作品(ヴェルヌ『海底二万里』ほか全点、『メトロポリス』)は、Fでの初刊年月で掲載しています。



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1991年11月
フィリップ・K・ディック『暗闇のスキャナー』A Scanner Darkly, 1977
山形浩生訳 解説:訳者
カバー:松林冨久治

 ディック後期の代表長編。ドラッグによる人生の破綻という自伝的要素で話題を呼んだ。英国SF協会賞を受賞。
 主人公は麻薬捜査官、暗号名フレッド。彼に与えられた新しい使命は、麻薬中毒者グループの重要人物ロバート・アークターの監視である。だが、アークターというのはフレッドの別名なのだ。潜入捜査のために、自ら麻薬を使い、売買にも深くかかわっていたのである。もはやどちらが本物か、自分自身でも判然としない。いまフレッドはベッドに横たわり、とりとめのない意識で考える。「……ヤクをもう一発射ちさえすれば、おれの脳はひとりでにまちがいなく治るはずなんだ」。
 作中のSF要素としては、断片化した人体イメージを無数に切り替えて投影する迷彩服スクランブル・スーツが秀逸。作家活動の最初期から「不確かなアイデンティティ」を繰り返し扱ってきたディックならではのガジェットだ。
 リチャード・リンクレイター監督、キアヌ・リーブス主演で「スキャナー・ダークリー」として二〇〇六年に映画化。別の邦訳として、飯田隆昭訳『暗闇のスキャナー』(サンリオSF文庫)、浅倉久志訳『スキャナー・ダークリー』(ハヤカワ文庫SF)がある。(牧眞司)


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1992年1月
フィリップ・K・ディック『フロリクス8から来た友人』Our Friends from Frolix 8, 1970
大森望訳 解説:森下一仁
カバー:松林冨久治

 世界は人類の中から突然変異で現れた〈新人〉と〈異人〉によって支配されていた。従来型の六十億人は〈旧人〉としてその支配を受けるしかなかった。ニックは息子を公務員能力試験に通してやりたいと願う〈旧人〉の一人に過ぎなかったが、それがひょんなことから反政府組織と接触することになる。だが、その指導者コードンも処刑されそうになっている。そんな地球に届いたのが、十年前に外宇宙に助けを求めて彼方へ飛び去ったプロヴォーニが「友人」を連れて戻って来るという知らせだった。
 ディック自身はこの作品を金のためだけに書いたクズだと酷評する。実生活においても破綻の瀬戸際だった時期の作品だ。主人公のニックは事態の展開についていけず狼狽えているとはいえ、あっさり妻と息子のもとを去って若い娘の虜になるのは情けない(がそれはいつものディックの主人公だ)。このさき何が起こるの? と思っているとフロリクス8から来た友人があっさり世界をひっくり返してしまう結末は呆気ないが、変わり果てた支配者たちの姿を見てしみじみ感慨に耽りながら本を閉じよう。もし本書の内容をすぐに忘れてしまったとしたらあなたも「友人」に触れられてしまったのかもしれない。(中野善夫)


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1992年2月
ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』Tau Zero, 1970
浅倉久志訳 解説:金子隆一
装画:Dave Archer/Edgerly Associates

 核戦争後に文明を復興させた人類は、居住可能な第二の地球を求めて、男女を二十五人ずつ乗せた恒星船〈レオノーラ・クリスティーネ号〉を三十二光年の彼方――おとめ座ベータ星第三惑星に送り出した。旅の三年目、船は直径二十億キロ足らずの小星雲に衝突し、バサード・エンジンの減速システムが故障したことで「永久に加速をつづける」事態に陥ってしまう。
 ポール・アンダースンが一九六七年に発表した"To Outlive Eternity"は、アメリカの物理学者ロバート・W・バサードが六〇年に提唱した理論――宇宙空間の水素原子を核融合燃料とする「恒星間ラムジェット」をアイデアの核とする中編だった。そこに乗員たちのドラマや科学的な説明を加え、船の状況とリンクするように、物語の加速感を演出した長編が本作である。
 現実から乖離しない理論を土台として、暴走列車内の群像劇めいたサスペンスと全宇宙規模のヴィジョンを両立させた本作は、ニューウェーブ運動に対するハードSF側の回答でもあった。多彩な作品群でSF界を支えてきた巨匠が直球の威力を見せつけた絶品といえるだろう。邦訳が遅れた感は否めないが、三十ページを超える金子隆一の科学解説はサブテキストとして秀逸だ。(福井健太)


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1992年4月~
メリッサ・スコット《サイレンス・リー》Silence Leigh, 1985-
梶元靖子訳 解説:中村融、ほか
装画:浅田隆 装幀:矢島高光

 サイレンス・リーはこの世界では珍しい女性パイロット。だが祖父が亡くなり、後見人である叔父に裏切られ、全てを失おうしていた。覇国《ヘゲモニー》の法律下では、未婚の女性には発言権がない。間一髪、サイレンスを救ったのは、キャプテン・デニス・バルサザーと、エンジニアのチェイズ・マーゴ。
 訳ありの二人と三者間結婚契約を結び、新しい船でパイロットとして飛び立ったサイレンス。しかし、覇国《ヘゲモニー》と対立する海賊結社〈神の怒り〉との抗争に巻き込まれ、拘束されてしまう。死の瀬戸際で覇国《ヘゲモニー》のかけた神命《ギーズ》を破ったサイレンスは、自分が男性しかなれないとされていた魔術師《マギ》の才能を秘めていることに気づく。さらに、祖父が遺した大昔の星本には、失われた地球航路の手がかりが書かれていた。
 このシリーズ最大の特徴は、科学ではなく魔術が世界の中心にあるということ。高度に発達した科学はもはや魔術と見分けがつかないという言葉があるが、このシリーズで宇宙船を飛ばすのは、まさに魔術なのだ。
 あらゆる天体には固有の音階があり、宇宙船はまるでセッションをするように、ハルモニウム音楽を奏でながら音響竜骨で飛ぶ。現世と天上の間の煉獄と呼ばれる超空間には、魔術的な象徴である虚空座標《ヴォイドマーク》が鏤められている。なんと心ときめく設定!
 続く『孤独なる静寂』では、サイレンスたちは地球航路の手がかりを求め、覇王《ヘゲモン》に反旗を翻す惑星総督の元に赴く。鍵を握るポートラン航法を記した本と引き換えに総督が持ち出してきたのは、覇王《ヘゲモン》の女宮に捉えられた愛娘の救出。
 そして『地球航路』でサイレンスたちはとうとう地球に到達する。全てが魔術でなくメカニズムで制御された地球を開放するために、サイレンスが取った方法とは。
 スペースマジカルオペラとでも呼ぶベき、絢爛たるイメージの奔流。メリッサ・スコットらしいジェンダーや文化の描き方。独創的な世界観と物語展開は、SFファンはもちろん、異色作を求める読者にもおすすめ。(池澤春菜)


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1992年4月
バリントン・J・ベイリー『スター・ウィルス』The Star Virus, 1970
大森望訳 解説:訳者
カバー:松林冨久治

 銀河系の支配を人類と二分するストリール種族から、宇宙海賊ロドロンは奇妙な性質を持つ〝レンズ〟を掠奪した。絶えず異界の風景を映し出す謎の〝レンズ〟を巡って、ロドロンの星々を股にかけた遁走劇が始まる。
 これはベイリー版レンズマンだ。自由な世界を愛する主人公、ロドロンは、E・E・スミスの描くレンズの所有者とは真逆の非情で残酷な男なのだが、この性格ゆえに好人物に見えるから不思議だ。いっぽう彼を追うのは、デルゴン貴族(原作版)を彷彿とさせる偏狭で頑迷なストリール人たち。だが彼らの奉ずる世界観は迷信などではないらしい。厳密な物理法則がSFの世界を否定するように、科学を極めた者ほど同じ境地に至り、主人公を追い詰めていく。ロドロンが敵対しているのは、実は宇宙の法則そのものだとしたら?
 知性とは宇宙の法則に抗う存在なのか。バリントン・ベイリーは長編第一作にして、スペースオペラに思弁を持ち込んだ。後の作品同様に奇想やガジェットに溢れており、暗いユーモアセンスも健在だ。結局〝レンズ〟とは何だったのか、法則に支配された秩序ある世界と自由な世界のどちらが勝利したのか、ラストには様々な解釈が可能だが、ハッピーエンドだと思いたい。(理山貞二)


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1992年6月
R・A・ハインライン宇宙船ガリレオ号』Rocket Ship Galileo, 1947
山田順子訳 解説:堀晃
写真:中西隆良 模型:DYE AD:吉永和哉 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 原著はハインライン初の単行本として一九四七年に刊行された。ニューヨークの出版社スクリブナーズは五八年に至るまで毎年一冊ハインラインのジュブナイルを刊行し続けたが、その最初の一冊が本書である。昭和三十年代に少年少女向けの抄訳版が刊行されていたが、完訳版は本文庫が初めてとなった。
 ロス、アート、モーリーの高校生三人組はガリレオ・クラブという集まりを作り、ロケット実験を行っていた。そこへアートの叔父であり高名な原子力研究者であるカーグレーブスがやって来て、彼らを月旅行へと誘う。カーグレーブスは本物のロケットを持っており、信頼できる仲間を探していたのだ。家族を説得し、燃料を手に入れ、講習を行った後、四人はすぐさま月へと出発する。ところが、着陸してみると月には既に何者かが到達していた。果たして彼らの正体は……? 第二次大戦終結のわずか二年後に書かれた本書には、もちろん原子力のもたらす危険がはっきりと描かれている。しかし、それにもまして科学技術への信頼が色濃く打ち出され、さらにはアメリカ的な自由の概念と個人主義とが組み合わさって、ハインライン流ジュブナイルSFの典型がここに誕生した。一九五〇年に映画化されている(日本公開名『月世界征服』)。(渡辺英樹)


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1992年9月~
ジョージ・R・R・マーティンほか《ワイルド・カード》Wild Cards, 1987-
黒丸尚、ほか訳 解説:堺三保
装画:末弥純 装幀:Wonder Workz。

 第二次大戦の終戦間もなく、異星人によってマンハッタン上空に散布された「ワイルド・カード・ウイルス」。感染者の九〇%が死亡、生存してもその九〇%は醜く変異するという、きわめて致死性の高いウイルスであったが、生存者のうち残り一〇%には、さまざまな特殊能力が発現した。ウイルスによって生まれた特殊能力者たちは〈エース〉、醜くなった生存者は〈ジョーカー〉と呼ばれるようになった。不可逆的に変化した世界を舞台に、〈エース〉や〈ジョーカー〉たちの人生が交錯し、激しい戦いが巻き起こっていく。
 この基本設定を軸に書かれたのが《ワイルド・カード》シリーズだ。改変歴史ものであり、同一世界観でさまざまな作家が執筆に参加するシェアード・ワールドものでもある(この作品では「モザイク・ノベル」と呼んでいる)。
 実はこの小説は、TRPGが元になっている。ジョージ・R・R・マーティンがゲームマスターとなって、友人のSF作家たちを集めて遊んだ、ケイオシアム社のスーパーヒーローものRPG『スーパーワールド』(一九八三)の、二年に及ぶキャンペーンから生まれたのだ。つまり、マーティンをはじめとする執筆陣、そしてアメリカの読者が想像する作中の光景は、彼らが慣れ親しんだ「アメコミ」そのものだったはずだ。
 ところが日本の読者の大半にとっては、おそらく事情が違った。洒落たデザインのカバーに、末弥純の美麗な挿絵、加えて代表訳者の黒丸尚を筆頭とする洗練された訳文。日本版の《ワイルド・カード》は、「ものすごくかっこいいアメリカの伝奇バトル小説」に映った。他ならぬ私がそうだったのだが、個人的には、同じく末弥純が挿絵を描く菊地秀行《魔界都市ブルース》に触れた後だったので、同じ文脈で夢中になって読んでしまった。
 冴えない中年男性だが装甲した自分の車の中では念動力を発動できる〈無敵の勇者タートル〉、肉が透けて骨と内臓が見えている美女〈クリサリス〉、ワニに変身する少年〈下水道ジャック〉、目を合わせた相手に死を送り込む〈逝去〉(ディマイズ)……。強力な〈エース〉から、たいしたことのない能力しか持たず、差別される〈ジョーカー〉まで、多彩なキャラクターの物語が絡み合いながら一つの大きな絵を描き出す様子はまさにモザイクアートさながらで、彼らの話をもっと読みたいと思わずにはいられない。
 残念ながら、代表訳者の黒丸尚が亡くなって翻訳は第三巻でストップしてしまった。原書のシリーズは継続して出続けていて、二〇二二年には第三十巻が発売されている。パンデミックが絵空事ではなくなり、DCやマーベルのアメコミ作品が日本でも定着した今こそ、復刊と続刊の機運ではないだろうか。その際にはぜひ、末弥純の挿絵をふんだんにお願いします。(宮澤伊織)


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1992年10月
フィリップ・K・ディック『いたずらの問題』The Man Who Japed, 1956
大森望訳 解説:訳者、宮部みゆき
カバー:松林冨久治

 二一一四年、ストレイター大佐による道徳再生運動の結果、アメリカは小型ロボットによって常に監視されている管理社会となっていた。調査代理店の青年社長アレン・パーセルは、突然の衝動にかられて大佐の銅像にいたずらをする。銅像の頭を切り取り、右手に乗せて蹴ろうとしている姿にしてしまったのだ。黒髪の少女グレッチェンとの出会いを機に管理社会から落伍していくアレンは、精神病医の治療を受け、外世界のリゾートに連れ去られた後、地球に帰還する。地位を失いかけたアレンが最後に仕掛けたいたずらとは……。
 ハサミムシそっくりの小型ロボットに監視された社会は、比較的緩やかに描かれており、それほど恐ろしい存在ではない。しかし、これは後のディック作品に繰り返し登場することとなる冷酷な全体主義社会の萌芽と言えるだろう。本書の主題を一言で言えば「全体主義にはユーモアで対抗しよう」ということになるだろうか。ユーモアの扱いにまだ固さが見られるのが残念だが、管理社会を戯画化した諷刺作品としてはよくまとまっている。死の土地と化した北海道で、古物商が主人公にジョイスの『ユリシーズ』を勧める場面がディックらしくて印象に残る。過去の残滓にこそ真実はあるのだ。(渡辺英樹)


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1992年11月
フィリップ・K・ディック『アルファ系衛星の氏族たち』Clans of the Alphane Moon, 1964
友枝康子訳 解説:バリー・マルツバーグ
カバー:松林冨久治

 精神疾患の地球人を集めた衛星が、地球とアルファ星系の星間戦争の混乱で取り残された。だがそこでは躁病や偏執病などの症例ごとに、七つの氏族による独自のコロニーが形成された。事情を知らない地球からは自治領の領土としての統治を目論み、〈対敵諜報機関〉(CIA)のシミュラクラ調査員を送り込むが……。
 大枠はサスペンスフルな構成だが、主人公チャックは妻メアリーとの離婚問題に追い詰められ登場するや飛び降り自殺を企てるし、シミュラクラを遠隔操作して妻殺害まで目論むなど、過激な夫婦喧嘩が物語を駆動させるアンバランスさはディックならでは。疾患の特性が同じ者同士だと特徴が衝突して上手くいかないような気もするが末裔たちはなんだかマイペースだし、チャックはシミュラクラの遠隔プログラムをしながらTVショーの台本作成したり、思考を読み取る理知的なガニメデの粘菌クラムや時間を五分間巻き戻せる超能力少女ジョウンなど、多彩なキャラクターが登場して各勢力入り乱れながら錯綜する。
 初刊のサンリオ版(八六)は池澤夏樹の十頁もの充実した解説が付されたが、本書はバリー・マルツバーグによるPKD作品タイトルを章題とした凝った構成の二十二頁に及ぶ解説を収録している。(代島正樹)


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1993年7月
J・G・バラード『夢幻会社』The Unlimited Dream Company, 1979
増田まもる訳 解説:訳者
カバー:松林冨久治

 テクノロジーの生み出す破滅と快楽の悪夢を描いた一九七〇年代バラード作品の掉尾を飾る長編小説。盗んだセスナで郊外の小さな町シェパトンに墜落し、住民に救出された「おれ」ことブレイク。夢と妄想がどんどん現実を侵食し、町はあっという間に鳥の大群とジャングルに覆われ、全裸となったブレイクは異教の神のように住民たちを淫蕩に変容させ、汎性欲的な楽園が現出する。熱に浮かされたような一人称のあちこちでブレイクの死が示され、この物語全体が死に瀕した彼の見た悪夢なのではないかという疑いが濃密に漂う。理知よりも想像力を重んじる英国十八世紀の詩人ウィリアム・ブレイクの『ミルトン』詩篇との関連も指摘される作品で、あらゆる欲望が抑制を取り払われて世界を本来のありように還元するのもブレイク的。キリストを強く想起させる「おれ」の復活を目撃した女医、その母親、司祭、映画俳優、三人の障害児童たちが、彼の行程の前に導き誘惑する天使か悪魔のように何度も繰り返し現れる展開はどこか悪ふざけめいている。大惨事が人間を徹底して受動的なパッションに陥らせるバラード特有のモチーフが、変容と夢のマニエリスムと融合した特異な小説だ。(渡邊利道)


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1993年8月
ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』Deux ans de vacances, 1888
荒川浩充訳 解説:訳者
装画:L・ベネット 装幀:小倉敏夫

『ロビンソン・クルーソー』は、単なる冒険小説のみならず、重要な教育書でもある。ジャン゠ジャック・ルソーが『エミール』の中で行ったこうした再解釈は、その後のロビンソン物に大きな影響を与えることとなった。

 ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』(一八八八)もまた、その流れを汲んだロビンソン物の傑作である。本作の特徴は、難破した帆船に年齢も国籍もバラバラの十五人の少年たちを乗せることで、従来のロビンソン譚に寄宿学校の要素を取り入れたことだろう。少年たちは『神秘の島』(一八七五)の技師たちのように島に電線を張ったり、爆薬を製造したりはしない。彼らが作り上げるのは秩序ある集団生活――すなわち自分たちだけの寄宿学校である。自ら授業を行い、討論会を開き、リーダーを選出して規則を定め……。無人島を舞台に、少年たちが自らの学校を活き活きと作り上げていくその様は、ある種の「学園もの」のようでもあり、本作の大きな魅力の一つである。

 また、本作はとりわけ日本での人気が高く、明治期以来多くの邦訳本が出版されてきた他、日本アニメーション制作の「瞳のなかの少年 15少年漂流記」(一九八七)など、映像作品も数多く存在する。まさしく不朽の名作と言えるだろう。(松樹凛)


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1993年9月~
バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』『光のロボット』Soul of the Robot, 1974-
大森望訳 解説:黒崎政男、若島正
カバー:松林冨久治

 日本のSFファンたちにひょっとしたら本国イギリス以上に愛されてきたベイリーだが、代表作を挙げるとなれば『時間衝突』であり、『カエアンの聖衣』であり、『禅〈ゼン・ガン〉銃』ということになるだろう。常人には到達不能なロジックが世界そのものをねじ伏せる壮大な時空活劇こそ、ワイドスクリーン・バロックの第一人者の真骨頂であると。それらに比べると本二部作はいささか地味だ。舞台は概ね地球のみ(火星や木星も言及されるが、ほぼ伝聞として登場するだけ)、時間的にもわずか数十年にすぎない。しかし、ケレン味あふれる世界の魅力と、真摯なテーマの追究は、決して他に引けをとるものではない。

 シリーズの舞台は、最終戦争を経て多くの技術が失われた未来。一作目『ロボットの魂』は、子供ができないことを寂しく思った老夫婦が自由意志を持つロボット、ジャスペロダスを作り上げるところから始まる。動き出すなり生みの親を捨てて外の世界に向かった彼の自信は早々に打ち砕かれる。ロボットは魂が無いため意識を持てず、それゆえ人間世界では何の権利もないとされていたのだ。一時はこれを受け入れた彼だったが、ある事件をきっかけに、自分の価値を自分で証明すると決意。権謀術数を駆使して権力の階段を昇っていきながら、改めて「ロボットにとって魂とは何か」に向き合うことになる。

 二作目『光のロボット』は、前作から数年後。所有者を持たないロボットたちの街で古代遺跡の発掘をしていたジャスペロダスは、ロボットに意識をもたらそうとする集団の招きを受ける。強大な知性を持つガーガンの指揮のもと、さらってきた人間やロボットを犠牲にする彼らの実験をみたジャスペロダスは、このままでは人類が滅ぶとして、壮大な裏切りを決意する。

 一作目のタイトル通り、シリーズを通してのテーマは「ロボットは意識=魂を持てるか」。ロボットが感情や自由意志をみせたとしてもプログラムされた反応と区別できないという定番の議論は、ロボットの視点で語られる本シリーズでは無効(主観では、意識は確かに「ある」のだ)だが、「自分は意識を持っているという内省もまたプログラムにすぎない」という反論もまた覆せない。ジャスペロダスは「自分には確かに意識がある」という実感と、「意識は実装できない」という理論の間で苦悩することになる。どんなに出世し、栄耀栄華を極めようとも「自分が存在しないかもしれない」と悩みつづける彼の姿は実にいたわしく、愛らしい。その悩みが、身も蓋もない物質的な真実により、あっけなく解決してしまうのだからこそ特に。

 HAL9000をはじめとする苦悩するAI・ロボットを愛してきた諸氏にはぜひ、ジャスペロダスや二作目の裏主人公ガーガンら、己の存在に迷いつづける本シリーズのロボットたちにも愛を送っていただきたい。(林哲矢)



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1994年2月
アーサー・C・クラーク『イルカの島』Dolphin Island, 1963
小野田和子訳 解説:金子隆一
写真:ボルボックス 装幀:吉永和哉 レイアウト:斉藤恵+Wonder Workz。

 クラークが残したジュヴナイルSF長編は二点しかない。それらは、彼が生涯魅せられた二つの世界――星々の世界と海の世界を舞台に、クラークならではのセンス・オブ・ワンダーへと誘う作品だった。だがしかし、本邦紹介は明暗に分かれた。前者は、一九五〇年代の傑作ジュヴナイル叢書として名高い米国ウィンストン社のシリーズ(全二十六巻)の一巻だったことで、これを参考に企画された銀河書房石泉社の「少年少女科学小説選集」に『宇宙島へ行く』(中田耕治訳、五五年十二月)として原著刊行からわずか三年で翻訳され、のち、講談社「世界名作全集」の『宇宙島へいく少年』(福島正実訳、六〇年六月)、集英社「ジュニア版・世界のSF」の『宇宙の群島』(福島訳、六九年十二月)、そしてハヤカワ文庫SF『宇宙島へ行く少年』(山高昭訳、八六年九月)と、長く読み継がれてきた。一方、後者は、伊藤典夫リライト翻訳で〈6年の科学〉六四年四月号から「イルカとジョニー」の題で一年連載されたものの、初の書籍化は角川文庫「SFジュブナイル」シリーズの『イルカの島』(高橋泰邦訳、七六年七月)で、二度目が本書。ともあれ、英国伝統の漂流物語から展開する近未来海洋冒険SFの佳作だ。(高橋良平)


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1994年3月~
イアン・ワトスン《黒き流れ》Black Current, 1984-
細美遙子訳 解説:大森望、ほか
装幀:吉永和哉+Wonder Workz。、中西隆良

 イアン・ワトスンはクリストファー・プリーストとともに、一九七〇年代イギリス若手SF作家の代表格と目されたが、作風やSF像は対照的だった。プリーストはSFもあくまでも小説であるという立場。対するワトスンは、小説的完成度を置き去りにしてでも破天荒なアイデアや観念的なテーマを追求する作風が評価される一方、難解な作家というイメージも持たれた。
 そのワトスンがアメリカのSF雑誌〈F&SF〉一九八三年六月号に発表した短編「スロー・バード」は、奇想とドラマが魅力を増幅しあう傑作だった。その数カ月後に同誌で中編四連続掲載(長編の章単位)として発表された『川の書』は、さらに大きく従来の作風とは異なる(ように見える)ものだった。
 全長七百リーグ(三千キロ強)の巨大な〈川〉で東西に分断された世界。〈川〉の対岸に渡ろうとした者は例外なく死にいたり、さらに男性は二度〈川〉に出ると死ぬ。それは〈川〉の全長にわたって中央に横たわる〝黒き流れ〟という謎の存在が原因と思われた。女性中心の社会が築かれた〈川〉の東岸に育った十七歳の少女ヤリーンは、社会の生命線である船の運航を司る川ギルドに加入した。あるとき半ば事故のようにして西岸にわたることになった彼女は、そこで過酷な体験をする。だがそれは、時空を超えた壮大な冒険の序章にすぎなかった……。
 こうして《黒き流れ》三部作は、快活な少女ヤリーンを主人公に、ヤングアダルト異世界冒険ファンタジー風に開幕する。しかし、世界と〝黒き流れ〟の驚愕の正体が明かされる第一部『川の書』後半から、第二部『星の書』、第三部『存在の書』へと物語が進むにつれ、大胆なSF的背景設定が提示され、絶対者や超越といったテーマが作中でむき出しのかたちで扱われて、ワトスンSFの魅力に満ちた作品になっていく。最終的には小説的バランスが取れているとはいいがたい結果になるが、本三部作は作者の代表作のひとつと呼ばれるに値すると思う。
 オールディス他『一兆年の宴』では、本三部作をフィリップ・ホセ・ファーマー《リバーワールド》への「形而上学的解答と見ることもできる」と評している。同時に、(とくに『川の書』は)七〇年代にSFのアイデアとスタイルの比重について論争したプリーストの『逆転世界』を意識しているようにも思える。奇想天外な世界像、ギルド社会での成長物語(『逆転世界』は男性中心社会での少年の、《黒き流れ》は女性中心社会での少女の)といった要素がそれだ。また『星の書』の中では『川の書』を、『存在の書』の中では『星の書』を主人公が執筆中という記述があり、だとしたら『存在の書』はいつ書かれたのかという疑問が生まれ、さらに『存在の書』のラストにはひねりがあって、その点も、同時期にメタフィクションへの傾斜を強めたプリーストへの目配せとも感じられる。(山岸真)


61813
1994年9月
R・A・ハインライン『栄光の星のもとに』Between Planets, 1951
鎌田三平訳 解説:訳者
装幀:吉永和哉+Wonder Workz。

 地球の寄宿学校で暮らすドン・ハーベイに、至急火星に来るよう両親から連絡が届いた。地球連邦と金星植民地の間に高まる緊張で、戦争の噂が拡がっていたのだ。だが地球周回ステーションに向かうシャトル搭乗前から、なぜかドンは治安警察の監視下で執拗な追跡を受ける。両親の友人から送られた小包が奴らの標的らしいのだが……。そしてようやく到着したステーションでは金星共和国の革命軍が突如占拠、独立を宣言した!
 地球人の父と金星植民二世の母から宇宙で生まれ育ち、特定の国籍を持たない特殊な生い立ちのドン。いやおうなく巻き込まれた革命の渦中、移送された金星から火星の両親に何としても小包を届けようとする原動力は、自らの信念で選択し成長するハインライン流キャラクターでも屈指の頑固オブ頑固さだ。著者は『ラモックス』など知的異種族創作の名手で本作にも巨大な金星ドラゴンが活躍するが、やたら人懐こくて迷惑なくらいくっついてくる小動物〝ムーブオーバー〟の可愛さは格別!
 なお本作の邦訳紹介は早く、児童書版『宇宙戦争』は一九五七年刊行。H・G・ウェルズの名作と紛らわしいが塩谷太郎の翻訳はかなり忠実で、本文庫収録以前から長く読み継がれてきた作品なのである。(代島正樹)


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1995年2月
ジェイムズ・P・ホーガン『マルチプレックス・マン』上下 The Multiplex Man, 1992
小隅黎訳 解説:福本直美
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 ホーガンの異色作No.1。文明が月面や宇宙ドームなどの〈宇宙圏〉に拡大した近未来、地上の生活は二〇世紀の水準のまま停滞しているかに見える。脳神経科クリニックで治療を受けていた平凡な中学教師ジャロウは、遠く離れた町で赤の他人として目覚める。故郷に戻った彼が知ったのは、自分がすでに病死し、友人らが葬儀にも参列していたという驚くべき事実だった。では自分はいったい誰なのか――わずかな痕跡や手がかりから空白の七ヵ月の謎を追ううち、浮上したのは米軍が極秘裏に進める驚くべきプロジェクトだった。
 上巻のあり得ない設定と不安なトーンは、まるでレイ・ブラッドベリかスティーヴン・キングのダーク・ファンタジーを思わせるが、そこはさすが理知の人ホーガン、読者を納得させる疑似科学的説明をこれでもかと詰め込んでくる。だが異色作と言う意味は下巻にある。主人公の〈変身先〉がジェームズ・ボンド風のタフなモテ男なのと(こんな変身ならちょっとしてみたいかも)、極秘計画を阻止しようと宇宙圏側の反対勢力も参戦することで、冬の東欧を舞台に謀略と謀略が絡み合う三つ巴の冒険が展開するさまは、まさにホーガン流エスピオナージュ。それにしても主人公ジャロウの運命はあまりに切ない。(山之口洋)


70601
1995年7月
ロバート・チャールズ・ウィルスン『世界の秘密の扉』Gypsies, 1989
公手成幸訳 解説:尾之上俊彦
カバー:松林冨久治

 カレン、ローラ、ティムの三人姉弟には並行世界へ通じる扉を作る能力があったが、両親はその力を怖れ、また謎の〈灰色の男〉が悪意を持って接触してくるようになると、長姉であるカレンもその力を避け「普通の生活」を求めて生きようとする。しかし、息子のマイケルにもその力が顕れ、〈灰色の男〉が付きまとうようになり、カレンは息子を連れて逃げ、妹や弟、両親を訪ねて自分たちの出生の秘密や特殊な能力について初めて向き合い真実を追究する。彼らの故郷は、この世界と若干異なる並行世界だった。ローマ・カトリックがヨーロッパを支配し、アメリカ大陸と対立している。並行世界を旅する能力は特別な目的で開発されたものだったのだ……三人は自分の故郷そして安住できるホームはどこなのかを探索する旅を続ける。
 本書はウィルスンの最初に邦訳された長編SFである。謎めいた現象に戸惑う主人公らの感情が繊細に描かれているが、後の作品では宇宙的な規模で世界に異変が生じるようになってスケールの大きさに圧倒されるようになる。それでも、登場人物の喪失感や望郷の念は決して弱まることなく、むしろ強く描かれ続ける。ここ数年新作が出ていないようだが、実は未訳の傑作もまだ残っているのだ。(中野善夫)


70501
1995年11月~
ヴァーナー・ヴィンジ『遠き神々の炎』上下ほか Zones of Thought,1992-
中原尚哉訳 解説:山岸真、ほか
装画:ジョン・ハリス、鶴田謙二 装幀:吉永和哉+Wonder Workz。、岩郷重力+Wonder Workz。

 ヴァーナー・ヴィンジと言えば、一九七〇年代には「ジョーン・D・ヴィンジの夫」として知られていたが(七九年に離婚)、いまや〝シンギュラリティの概念を最初に提唱した人〟としていちばん有名かも知れない。九三年のエッセイ「〈特異点〉とは何か?」は、実に先見的な内容だった。その先見性は、もちろん小説にも発揮されている。早すぎたサイバーパンクとも言われる、ネット空間を題材にした八一年の中編「マイクロチップの魔術師」がその一例。ただし、SF作家としては極端な寡作で、七年に一度くらいしか長編が出ない。その数少ない長編の代表作が、九三年のヒューゴー賞長編部門を受賞した『遠き神々の炎』に始まる《思考圏》三部作。
 舞台となる超未来の銀河は、無数の異星人種族がひしめくインターネット的な情報ネットワークを形成(ニュースグループまである)。ただし、エリアによって通信速度(情報伝達速度/思考速度)が異なり、銀河系は四つのゾーン(思考圏)に分かれる。銀河中心付近の「無思考深部」は知性が存在できない思考停止領域。ひとつ外が、太陽系を含む「低速圏」。その外の「際涯圏」では光速の壁が突破できる。さらに、その外は神のごとき演算能力を持つ「神仙」が棲む「超越界」……。要は銀河中心から外に行くほど通信速度が上がって頭がよくなるというトンデモ設定だが、これが実にうまく機能している。
 さらに、主役級で登場するイヌ型エイリアン「鉄爪族」がすばらしい。単独ではただの動物だが、四匹から八匹ぐらいで群れをつくると、その群れが知性を持つ。『遠き神々の炎』では、彼らの棲む世界を舞台に、邪悪な超越知性vs人類vs異星人同盟の三つどもえの戦いが勃発する。
 七年後に出た『最果ての銀河船団』は、二〇〇〇年のヒューゴー賞、ジョン・W・キャンベル記念賞、プロメテウス賞受賞作。こちらは、前作より古い時代の話で、「低速圏」の人類が遭遇した三番めの知的エイリアン「蜘蛛族」が軸になる。二種類の人類文明の船団(交易船団と、新興文明の船団)がたまたま同時に彼らの星系に到着し、軌道上でにらみ合う。一方、地上では、蜘蛛族の天才科学者が、冬眠せずに暗期を乗り切る技術革新を実現しようとしていた……。主役も悪役もバリバリにキャラが立ち、長丁場にもかかわらずぐいぐい読ませる。
 その十二年後に出た『星の涯(はて)の空』は、第一作の直接の続編で、鉄爪族世界の十年後が描かれる。主役は、人類側の共同女王ラヴナ。来るべき疫病体(邪悪知性)襲来に備えようとする彼女に、危機感のない若い世代が反発。ラヴナは、鉄爪族の一部と連携して巻き返しをはかる。鉄爪族の集合知性の詳細や、合唱集団を形成する熱帯種の生態が読みどころ。商売上手な八個体群〝大富豪〟など、鉄爪族の新キャラも魅力的だ。(大森望)


66312
1995年12月
ジェイムズ・P・ホーガン『時間泥棒』Out of Time, 1993
小隅黎訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 ある日突然、ニューヨーク市中の時間の進み方が狂い始める。いや、世界中で、全ての時計が遅れ始める。しかも、地域ごとに遅れ方が違う。何故そんなことが起こっているのか? もしや、何者かが「時間」を盗んでいるのか? そんなことが可能なのか? ニューヨーク市警の刑事コンビ、街の司祭、物理学者たち……。どういうわけか結成された風変わりな混成チームが導き出す奇想天外な結論と、それに基づいた事件の解決策とは? ホーガン作品でも一二を争う驚天動地の怪事件!
 J・P・ホーガンの書くSFの魅力は、奇抜な設定を疑似科学的かつ一見論理的な説明で理詰めに推し進めていくところにある。それによって読者を納得させつつ、あっと驚く結論を導き出す手腕こそが、最大の読ませどころなのだ。本作はそんな彼の作風が大いに発揮された、というよりも、発揮されすぎた怪作と言っていいだろう。題名通りの「時間泥棒」の原因を登場人物たちが考察するクライマックスの長い議論は、よくよく考えるとデタラメなのだが、その論理のアクロバットは、この手の疑似科学的な議論が好きなSFファンたちを魅了して止まないことは間違いない。(堺三保)


70701
1996年4月
キム・スタンリー・ロビンスン『永遠(とわ)なる天空の調(しらべ)』The Memory of Whiteness, 1985
内田昌之訳 解説:山岸真
装画:田中光 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

天球の音楽――数学を介し、音楽と宇宙を類比的に捉えるモデルのこと。だが著者の実質的な第一長編である本書では、宇宙の解釈に飽き足らず、音楽による宇宙の再創造までもが試みられている。大編成のオーケストラとシンセサイザーを融合させたがごとき唯一無二の音楽機械の継承者たる音楽家の、太陽系全土にわたるグランド・ツアーで……。冥王星に始まる星々のバラエティに富んだ社会状況、随伴する音楽記者や謎の宗教団体の視点も絡めた構成等見どころは多いが、特筆すべきは多彩な音楽描写だ。ブルックナーの交響曲やプログレッシヴ・ロックバンドのイエスのアルバムを彷彿させる重層性はそのままに、グリーンスリーヴスの懐かしい旋律へと再帰する。その根幹には、P・B・シェリーの長編詩『アラスター』(一八一六)の宇宙論的な発想があるという(一九八七年のインタビュー)。著者はフィリップ・K・ディック研究で博士号を取得、批評家フレドリック・ジェイムスンと相互に仕事を参照し合っている。本書の未来史は、その後の《火星三部作》や『2312』、短編「三十三枚目のルーアン大聖堂事件」(〈SFマガジン〉一九九六年四月号)にも通じる。非音楽SFでもグレッグ・イーガン『宇宙消失』(一九九二)からRPG『エクリプス・フェイズ』まで、〝響き合う〟作品は多い。(岡和田晃)


65503
1996年5月
クリストファー・プリースト『逆転世界』Inverted World, 1974
安田均訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 主人公ヘルワード・マンの住む〝都市〟は全長千五百フィートの巨大建造物で、進行方向にレールを敷設しつつ移動を続けている。内部では都市の移動を最優先課題とする中世的ギルド体制が敷かれていた。こうした設定(世代宇宙船ものへのオマージュ)だけでも異様だが、舞台となるのはSF史上屈指の奇想天外な形状の世界(G・イーガンの未訳長編の舞台が形だけは類似している)。それはこの世界の太陽の形が示唆するように、双曲面世界というべきもの――といっても想像困難だろうが、物語中盤で主人公が都市の南方への旅で遭遇するのはさらに想像力の限界に挑むような現象で、その描写はまさに圧巻。こうしたSFの極みのような光景が、青年の成長物語として重厚な筆致で描かれていく。ラスト十ページで世界の秘密が開示されるが、それは当時の宇宙SFで注目されるようになった宇宙論的題材と通ずるものともいえる。また結末には、文学界でも高く評価された『魔法』『双生児』などのちの長編と共通のテーマが見てとれる。英国SF協会賞受賞・ヒューゴー賞候補のこの第三長編で、作者は一九七〇年代イギリス若手SF作家の代表格と目されるようになった。なお本書はサンリオSF文庫からの再刊。(山岸真)


66313
1996年6月
ジェイムズ・P・ホーガン『ミラー・メイズ』上下 The Mirror Maze, 1989
小隅黎訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 原書が一九八九年刊なのもあって、東西冷戦の緊張感が色濃く反映された至近未来ポリティカル・サスペンス長編だ。時は二〇〇〇年、アメリカ合衆国の大統領選を制したのは、二大政党ではなく、政府による干渉をとりやめ真の自由経済を謳うリバタリアンらの護憲党だった。一方、当然そうした思想がアメリカで支配的になるのを嫌う勢力も存在し、内戦ともいえる争いがソ連など諸勢力まで含めて展開していく。
 ホーガンはリバタリアニズムを絡めた作品を幾度か書いているが、本作はその筆頭の作品といえる。まるでリバタリアニズムの入門書のように、否定派と肯定派の議論・対話を通してその主義主張が解説されていくからだ。たとえば、市民が稼いだものを政府が取り上げるのは泥棒であり、経済が破綻するのは資本主義の問題ではなく、すべて政府の介入のせいであるとか、保護が必要な人達をどうすべきなのかなど。
 本作のリバタリアニズムに関する議論は古く真に受けるようなものではないが、現代のアメリカでは二大政党に次ぐ規模(弱小ではあるが)のリバタリアン党が存在し、着実に得票率を伸ばしている現実もある。ここで描かれている争いが、アメリカで起こらないとも限らない。(冬木糸一)


70401
1996年6月
デイヴィッド・メイス『海魔の深淵』Demon-4, 1984
伊達奎訳 解説:橋本純
装画:久保周史 装幀:矢島高光

 六十五日間続いた核戦争が終わった後も、海底に放置されていた自動戦闘要塞群。そのうちの一つが、機能解除作業中の事故により起動してしまった。このままでは、南極海一帯に全面核攻撃が開始されてしまう。事態への対処を任された指揮官バーバラは、最新自由意志型ロボット戦闘体・深海潜航多機能型巡航艇〈デーモン‐4〉を作戦海域に投入。しかし、防御を固めた要塞に近づくのは容易ではなく……。
 一見すると海洋生物パニックものめいたタイトルだが、実はハードな深海ミリタリーSFだ。〈デーモン‐4〉は、瀕死の人間から脳の一部を取り出してシステムの中枢に据えた、言わばサイボーグ潜水艦。心理的要素を最小限まで削られ口数は少なく、時に乗組員の意志に反する無慈悲な決定も厭わない。この硬派な潜水艦と使命を忠実に実行しようとする戦闘要塞による極限の戦いは、緊張感たっぷりだ。冷戦を背景にした設定も、古さというより、あらためて戦争の恐ろしさや戦後処理の厄介さを感じさせるものになっている。タイトルから想像されるような海の怪物も出ないわけではなく、ある深海生物が(人間に利用される形でだが)終盤で重要な役割を果たすのも読みどころのひとつだろう。(香月祥宏)


60707
1996年9月
H・G・ウェルズ『モロー博士の島』The Island of Doctor Moreau, 1896
中村融訳 解説:訳者
カバー写真提供:ギャガ・ピクチャーズ・カンパニー

 一八九五年の『タイム・マシン』と、九七年の『透明人間』にはさまれて、九六年に書かれたウェルズの傑作長編。生物学や進化論といったモチーフは三作共通だが、本作が最も色濃い。ウェルズ同様、ダーウィン主義者であるハクスリーに学んだ主人公が、遭難して島に流れつくのだが、そこは生理学者であるモロー博士が外科的手術によって動物を〈人間化〉する実験場だった――タイム・マシンは歴史を編集するために作られ、透明人間は透明化によって暴力革命を遂行することで社会を編集しようとしていた。モロー博士の〈編集〉対象は、動物ないし人間というよりは、知性あるいは世界の法則そのものであることが判明していく。孤島という閉鎖環境での生体実験や、倫理問題への言及など、『ジュラシック・パーク』を大きく先行するストーリーで、結末もモロー博士と島と主人公――三者三様に劇的で、当然のように二十世紀中に複数回映画化されている。巻末には充実の藤元直樹編「H・G・ウェルズSF作品邦訳書誌」を収録。遺伝子編集が現実化し、あるいは細胞を編集して構成する小器官(オルガノイドOrganoid)を応用した人工知能の一種〈生体知能:OI〉が実現されようとしている今――再び映画化、そして再読されるべき一冊。(高島雄哉)


70801
1996年11月
ジェイムズ・H・シュミッツ『惑星カレスの魔女』The Witches of Karres, 1966
鎌田三平訳 解説:米村秀雄
装画:宮崎駿 装幀:吉永和哉+Wonder Workz。

 宇宙貿易で一旗上げようとおんぼろ改造宇宙船で船出したパウサート船長。最後の寄港地で、うっかり揉め事に首をつっこんだ彼は、奴隷にされていた幼い三姉妹を買い取るはめに陥ってしまう。ところがなんと三姉妹は、帝国が接触を禁じる禁断の惑星カレス出身の魔女だった。そして、親切心から三人を故郷に送り届けたばっかりに、船長はお尋ね者に! 帝国に追われる身となった彼は、密航してきた次女のゴスと共に、這々の体で辺境宙域へと逃走するのだが……。頭はいいがいまいち冴えない男が、魔女っ子に振り回されながらも、銀河系の危機に立ち向かう冒険を描いたユーモラスで胸躍るスペースオペラ。〈アスタウンディング〉誌の一九四九年十二月号に掲載された中篇を原型とする。六六年に大幅に加筆され長編書籍化。SF的ガジェットを詰め込んだスピーディな展開が高く評価され、翌六七年のヒューゴー賞の候補となった。ロングセラーの愛され本であり、二〇〇四年よりマーセデス・ラッキー、エリック・フリント、デイブ・フリーアにより続編シリーズ三冊も刊行されている。自由闊達な魔女っ子のキャラはいま読んでも新鮮で愛らしく、翻訳版の宮崎駿のジュヴナイルテイストな表紙が見事にマッチしている。(三村美衣)


66315
1997年1月
ジェイムズ・P・ホーガン『インフィニティ・リミテッド 』上下 The Infinity Gambit, 1991
内田昌之訳 解説:高橋良平
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 ホーガンといえば科学を中心においたハードSFが代表的な作風としてあがるだろう。だが、彼にはスリラー作家としての顔も存在する。本作『インフィニティ・リミテッド』は、まさにその代表例といえる、純然たるスパイ冒険スリラーだ。
 物語の主人公バーナード・ファロンは元英空軍の特殊部隊員だが、現在はフリーの諜報屋をやっている人物だ。そんな彼のもとに、アフリカの小国ズケンダの政府から、国内の反政府テロリスト組織(ZRF)の要人暗殺の依頼が舞い込む。だが、同時に当のZRFからも、ズケンダ政府の仕事をあえて引き受けカウンタースパイになって欲しいと依頼され、さらにはそこに基本的な人間の権利や尊厳を侵害する行為と戦う独立組織〈インフィニティ・リミテッド〉までもが介入してきて──と、ファロンは複雑な立ち位置に追い込まれていく。
 本作にはSF要素は存在しないが、ホーガンお得意のリバタリアニズムが絡んだ主義主張を持った組織が中心的な役割を果たすことと、国家は、人類は、破滅的な結末を避けるために今後どのような方向を目指すべきなのかといった壮大なヴィジョンを示す演出が相まって、実にホーガンらしい長編に仕上がっている。(冬木糸一)


65408
1997年6月
L・ニーヴン&J・パーネル&M・フリン『天使墜落』上下 Fallen Angels, 1991
浅井修訳 解説:牧眞司
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 近未来のアメリカでは急進的な環境保護活動が社会を席巻し、科学技術が白眼視されていた。ある日、氷河に覆われたノース・ダコタに、宇宙ステーションの空気採取船が墜落。二名の宇宙飛行士(暗号名は天使)は命に別状はなかったが、敵対するアメリカ政府に追われ、絶体絶命の逃避行がはじまる。しかし、地上にも彼らの味方はいた。弾圧されながらもアンダーグラウンドでファン活動をつづけていたSF愛好家たちである。
 頑迷な世間に対して科学を理解する仲間が立ちむかう図式は「SFの気恥ずかしさ」(トマス・M・ディッシュ)全開であり、環境愛護やポリティカル・コレクトネスを当てこするあたりに保守思想(とくにパーネルの)が覗くが、軽快なストーリーテリングとハリウッド映画を思わせるユーモア(多くはフリンのお手柄だろう)が毒消しとなって、肩の凝らないエンターテインメントに仕上がっている。現実のSFファンダムをモデルにしたトリヴィアルなネタが多数ちりばめられているあたりは、ビッグネーム・ファンとして鳴らしたニーヴンの面目躍如だ。
 リバタリアンSFを対象とするプロメテウス賞を受賞。日本では日本SF大会参加者投票による星雲賞を受賞。(牧眞司)


70901
1997年12月
ルイス・シャイナー『グリンプス』Glimpses, 1993
小川隆訳 解説:訳者
装画:Alton Kelly "Magical Mystery Tour Film Showing" 1969 装幀:宇治晶

 一九八八年十一月、テキサス州オースティンでステレオ修理業を営むレイは、ビートルズの《レット・イット・ビー》を聞きながら、レコーディングの様子と別テイクを想像していた。すると、ステレオからその曲が聞こえてきたのである。録音することもできた。専門家のグレアムに聴かせたところ、本物に聴こえると言う。グレアムはレイの不思議な能力を使い、ドアーズやビーチ・ボーイズなど六〇年代ロック・バンドが完成させられなかった幻のアルバムを再現することを思いつく。
 六〇年代ロックへの深い愛情と綿密な取材によって、起こり得たかもしれない世界を描くオルタネート・ヒストリーものとして、本書は高い完成度を誇る。さらに、レイが抱える父親との確執、夫婦間の不和といった個人的な問題と、ミュージシャンが抱える家族の問題とが密接に結びつき、主人公の人間的な成長物語として読めることも本書の特色の一つだ。音楽が世界を変えるという六〇年代末に若者が掲げた理想と、天安門事件やベルリンの壁崩壊が起きた八〇年代末の現実とが対比されているところも興味深い。今は亡き訳者の思い入れが深い作品であり、訳者による詳細な注釈と長文の解説が付されている。世界幻想文学大賞を受賞した。(渡辺英樹)


69615
1998年1月
フィリップ・K・ディック『ライズ民間警察機構 テレポートされざるもの・完全版』Lies, Inc., 1964, 1983, 1984
森下弓子訳 解説:牧眞司
カバー:松林冨久治

 埋もれた傑作から伝説の駄作まで、ディックの全作品を訳しつくす。サンリオSF文庫の遺志を継ぐ形で完走した創元SF文庫の奮闘は、讃えられていい。なかでも屈指のレア作品が本書だ。あなたがサンリオ版をすべて揃えていたとしても、これだけは手に入れないわけにはいかないだろう。テレポート技術の開発で左前になった惑星間輸送会社の若社長が、植民惑星の陰謀に挑む、という原形中編に、異世界・ドラッグ・タイムトラベルなどを盛大にぶち込んだ後半を書き足したのが、サンリオ版『テレポートされざる者』。
 これに対して本書は、ディックの没後に発見された書き直し版で、サンリオ版よりカオスが増しているのがすさまじい。物語の前後は複雑に入れ替えられ、結末もまったく違う。原書はどちらも没後出版なので、複数の欠落箇所が残されていた。本書では文体模写に優れた才人ジョン・スラデックが欠落を埋めているのも興味深い。だが注目すべきは、その後発見された欠落部分の訳文も収録していることだろう。これを読めばサンリオ版の印象すら一変してしまう。『ヴァリス』の冒頭に登場する「大ソビエト百科事典」には、そういう意味があったのか!(高槻真樹)


71001
1998年3月
フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー『地球最後の日』When Worlds Collide, 1932, 1933
佐藤龍雄訳 解説:金子隆一
装画:久保周史 装幀:矢島高光

〝サイエンス・フィクション〟という呼び名がやっと生まれ、スペースオペラの時代も開幕したばかりの一九三〇年代早々――フリッツ・ラングの映画「月世界の女」の中でこそロケットは軽やかに飛翔していましたが、現実にはロバート・ゴダードの苦闘が続いていた時代に書かれた壮大なスケールのディザスターSF、それがフィリップ・ワイリーとエドウィン・バーマーの合作になる『世界が衝突するとき』(原題)なのです。
 ジョージ・パルの製作で映画化された際の邦題『地球最後の日』で知られるこの長編は、まるで『日本沈没』の遠い祖先と言わんばかりに、太陽系内に侵入し、地球に向かって突進する二つの放浪惑星がもたらす異変――世界大洪水と社会の崩壊、そしてついには地球の消滅までを徹底的にシミュレートしてゆきます。発表当時は不可能だったはずの地球脱出用ロケットとそのためのエンジンの開発が描かれる一方、物語の舞台となる世界にスターリンとムッソリーニ(ヒトラーは抬頭前夜でした)の独裁が落とした影を見逃していません。つまり本作は、SFが世界をまるごととらえることができ、空想も科学も現実も全てを描破できる文学であることを示した成果でもあったのでした。(芦辺拓)


60409
1998年6月
I・アシモフ&R・シルヴァーバーグ『夜来たる[長編版]』Nightfall, 1990
小野田和子訳 解説:水鏡子
装画:浅田隆 装幀:矢島高光

 一九四一年発表のアシモフ最高傑作「夜来たる」――完璧な短編を九〇年に長編化した本作は、自伝によると執筆はシルヴァーバーグが中心となり、しかしそれを読んだアシモフはほとんど自分が書いたように感じたという。長編化は広義の翻案〈アダプテーション〉であり、翻案元である短編のあざやかさをそのままに、長編を読むよろこびを宇宙論的に拡張する本作は、SF史上最重要の文学的行為の記録でもある。物語は短編と同じ、六つの「太陽」を持つ惑星に二千年ぶりに夜が来る、という極めて魅惑的な世界で展開する。〈連星〉や〈太陽系外惑星〉など、現代宇宙物理学のテーマを二十世紀に可視化していることは、いわゆるSFプロトタイプ的な事象かもしれない。だが本作の本領はただ一点、タイトルに端的に示されている〈夜〉に他ならない。百年以上の昼が続く惑星は二十一世紀になって実際に見つかっている。そこでは照明技術は発展しないだろうし、長い昼は天文学やそこから生まれるはずの科学や文化に対する限界となるはずで、その星の住民は地球とは大きく異なる世界観を持つことになる――星の数ほどあるSFの機能の中でも、〈夜〉の発見は端的な奇跡であり、それを読むことは最上の幸福である。(高島雄哉)


70702
1998年8月~
キム・スタンリー・ロビンスン《火星三部作》Mars Trilogy, 1992-
大島豊訳 解説:金子隆一、ほか
装画:加藤直之 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 創元SF文庫最長の三部作。火星開拓SFで、第一作『レッド・マーズ』の赤い惑星に、第二作『グリーン・マーズ』で緑が芽吹き、第三作『ブルー・マーズ』で青い海が広がる。SF史に残る大災厄(複数)などで環境改造は幾度か停滞・後退するが、北半球の大半を海が占める第三作巻頭の火星地図は衝撃的だ。最終的には地球と火星を数日で往来可能な技術も開発されて太陽系の他天体への居住も進み、系外進出も着手される。
 火星探査機によるデータに基づいて従来のSFの火星像を更新した作品は一九七〇年代から増えはじめ、九〇年代前半には何人もの作家が火星SFの長編を発表した。その中でも『レッド・マーズ』は、アーサー・C・クラークが「最高の火星植民小説」と激賞。三部作を通して詳細かつ詩情豊かに描写される火星の地質・地形・景観・自然現象、環境改造の理論や作業手順とその結果には、現実の旅行記や研究・事業記録と見紛うばかりの迫真性と独特な魅力がある(第三作で描かれる地球や他天体も同様)。作者は八〇年代に頭角をあらわしたとき、サイバーパンクとの対比で文学派とも呼ばれたが、初期から最新科学情報を駆使した宇宙SFも多い。自然描写にはアウトドア派である作者の体験も反映され、火星開拓は惑星規模の環境破壊にほかならないのでは(その極みは、火星からふたつの衛星が消えること)という問題意識も最後の場面まで貫かれている。
 火星の自然環境とともに三部作が描くのが、二百年以上にわたる火星社会の変遷。地球の人口・経済問題(南極での異変による海面上昇でその逼迫度が増す。気候変動も作家歴初期からの作者の題材)を背景に、火星人たちは独立にむけて真摯な議論を重ねる。二〇二〇年代に火星開拓の第一陣となった〈最初の百人〉(その内面と人間関係が物語を大きく駆動する)のうち数人が、長命化技術の恩恵もあってカリスマ的指導者であり続けるのはやや疑問に感じるが、作者の一貫したテーマであるユートピアの探求をひとつのかたちに結実させた大変な力作であることは揺るがない。現実の二十一世紀では宇宙進出のシナリオとしても、それ以上に種々の社会情勢的にもすでに〝存在しない未来〟となったにせよ、逆に忘れられてはならない理念として、夢として、この三部作は読まれつづける価値がある。
 第一作はネビュラ賞・英国SF協会賞・星雲賞受賞、第二作と第三作はともにヒューゴー賞・ローカス賞受賞、翻訳を含めてほかにも受賞・候補歴多数の一九九〇年代SFの代表作。二〇〇九年の原書再刊時にかなりの改稿がなされたが、翻訳は初刊時のものが底本。三部作の枝編とその他の火星SFからなる未訳の短編集もある。二十数年来、ジェームズ・キャメロンをはじめ何人もが三部作や『レッド・マーズ』の映像化権を取得してきたが、脚本制作かそれ以前の段階から進んでいない。(山岸真)


66319
1998年10月
ジェイムズ・P・ホーガン『量子宇宙干渉機』Paths to Otherwhere, 1996
内田昌之訳 解説:菊池誠
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 近未来、世界情勢は緊迫し、第三次世界大戦の危機が迫っていた。そんな中、並行宇宙間の粒子が生物進化に与える影響を研究していたグループが、すべての並行宇宙で生じる結果にアクセスできる量子干渉相関器QUICを完成させる。米政府は、国防問題の切り札としてこの装置に目をつけた。関連研究を軍事機密に指定し極秘プロジェクト化するため、科学者たちをロスアラモス国立研究所に集めるが……。
 生物進化と多世界解釈を絡めてQUICの開発へつながってゆく冒頭の議論はスリリングで、作者の面目躍如。その後は、QUICの応用で並行世界の自分の意識を乗っ取ることができるという設定のもとで繰り広げられるサスペンスや、技術の軍事利用を目論む政府と科学者たちの駆け引きが中心になり、SF的にはやや失速する。ただしアイデアの部分では、今でこそ数多い量子コンピュータ(的なもの)を中心に据えた長編SFとして先駆的だ。量子計算理論の第一人者ドイチュが広く一般向けに著した『世界の究極理論は存在するか』(原著一九九七年)にも一年先んじる。併読してみると、作者がドイチュの理論に論文の段階から注目し、意欲的に作品に取り込もうとしたことがよくわかる。(香月祥宏)


66321
1999年7月
ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』Realtime Interrupt, 1995
大島豊訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 科学者ジョー・コリガンは、自分が開発していたヴァーチャル・リアリティの中に閉じ込められてしまう。何故そんなことが起こったのか? どうすれば現実と見分けのつかないシミュレーションの世界から脱出することが出来るのか? コリガンの奮闘が始まる……。
 日本ではハードSF作家として認識されることが多いホーガンだが、実際のところ、科学的な詰めは甘い作品が多い。そんな中で唯一現実のテクノロジーとSF的な疑似科学設定との乖離が小さいのが、コンピュータサイエンスを扱った作品だ。それは、彼が専業作家になる前、コンピュータのセールスマンをしていたため、専門知識を有していたからだろう。そんな作品の白眉が人工知能(AI)を扱った『未来の二つの顔』であり、もう一つの代表作が仮想現実(VR)を扱った本作ということになろう。いずれも、AIやVRを便利なガジェットとして扱うのではなく、その技術的基盤について、きちんと考察しているところがミソとなっている。特に本作は、映画『マトリックス』のヒットによって仮想現実が一気にSF作品のサブジャンルとして一般化する四年も前に発表されており、まさに早すぎた佳作だと言えよう。(堺三保)


60143
1999年8月~
E・R・バローズ《ターザン》Tarzan, 1912-
厚木淳訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 十九世紀末、英国貴族グレイストーク卿夫妻は、幼子を連れて船で旅行中、アフリカ西海岸に取り残され、その後相次いで死んでしまう。たった一人残された赤ん坊は、子供をなくしたばかりの類人猿に拾われ、彼らの言葉で「白い肌」を意味する「ターザン」と名づけられ、類人猿の仲間として育てられる。やがて、すくすくと成長した彼は、ジャングルの王者として、脅威に満ちた冒険の日々へと乗り出していく……。
《ターザン》シリーズは、二十世紀前半のアメリカを代表する大衆娯楽小説の旗手、E・R・バローズの代表作だ。日本では《火星シリーズ》や《金星シリーズ》、《ペルシダー》といったSFシリーズの方が人気で、特に《火星シリーズ》が群を抜いた評価を得ているが、本国アメリカにおいては、なんといってもバローズと言えば《ターザン》なのである。
 そこには、映画化やテレビドラマ化、アニメ化といった他メディアへの波及の効果があったことも確かだが、それは同時に原作である小説版の特徴を大きく削いだ印象を広めることにもなったのは間違いない。映像化されたターザンのイメージは、近年の数作を除けばいずれも、無教養ではあるが明朗快活で率直な明るい野生児といったところだろう。だが、小説におけるターザンの人物像は、それとは正反対だ。それは《火星シリーズ》のジョン・カーターに代表されるバローズの冒険活劇の主人公の多くのような正統派ヒーロー像とも全く異なるものである。
 人間と接することなく育ったターザンは、嘘をつき陰謀を巡らす人間たちを信用しない。そのせいで彼は内省的で寡黙となり、他人を信じることなく常に単独で行動する。そして、ジャングルのルールに従うため、自分に敵対する者の命を奪うことにためらいがない。一方で、一旦人間社会に戻って以降は、その高い知性で数カ国語を習得、学問にも通じ、必要とあればスーツをきっちり着こなして、英国紳士そのものと化す。彼が再びジャングルに戻って半裸になるのは、それが野生児の象徴であるだけでなく、虚飾に満ちた人類文明に対する拒絶の表れでもあるのだ。寡黙で虚飾を嫌い自らの正義を貫く冷酷非情な男……。ターザンの本質は、ダシール・ハメットの小説の主人公にも似た、超ハードボイルドな心象なのである。
 原作におけるターザンのもう一つの大きな特徴は、それが常に異境冒険活劇だというところなのだ。バローズの他のシリーズが巻数を重ねるうちに主人公を変えていくのは、そうすることで同工異曲となるのを防ごうとしていたのだろうが、《ターザン》シリーズだけは、主人公を変えずにその冒険の舞台を次々に変えていくことで、シリーズの命脈を保ったのである(何せ、ペルシダーへ行ったり、自分の話を映画化しているアメリカに行ったりまでしている)。
 ハードボイルドな主人公が、毎回違う舞台で活躍する冒険活劇。このスタイルの確立こそが、ターザンを全二十五作という長大なシリーズに為し得たのだ。(堺三保)


71101
1999年8月
グレッグ・イーガン『宇宙消失』Quarantine, 1992
山岸真訳 解説:前野昌弘
装画装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 二〇三四年のある日、地球から星が消えた。何も通さない暗黒の物体〈バブル〉が一瞬にして太陽系を包み込んだのだ。三十三年後、元警察官の探偵ニックは病院から失踪した女の捜索を依頼される。重度の脳障害で意思を示すことすらできない彼女は一切の痕跡を残さず消えた。捜索を通じ、ニックは〈バブル〉の真実を知ることになる……
 一九八〇年代後半から現代SFの最前線を走るグレッグ・イーガンのSF第一長編。ナノスケールでは成立する量子論のふるまいをマクロスケールで表現し、世界を異化する趣向はコニー・ウィリス「混沌ホテル」などジャンルでは馴染みのもの。しかし、量子論に基づくアイデンティティの揺らぎや倫理的な課題を半ば偏執的に突き詰め、われわれの世界観を揺さぶる点で著者ならではのこだわりを提示した。中盤以降の語りは小説的な仕掛けを含めそれほど成功しているとは言えず、問題意識の共有の点でも読者を選ぶことは否めないが、他に類を見ない読書体験を味わえることは間違いない。
 オーストラリアSF大会の参加者投票によるディトマー賞長篇部門を受賞。本邦でも「SFが読みたい」ベストSF1999海外部門第一位を獲得した。(糸田井)


71201
1999年12月
ジョー・ホールドマン『終わりなき平和』Forever Peace, 1997
中原尚哉訳 解説:冬樹蛉
装画:加藤直之 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 中米の紛争で、連合軍は兵器ソルジャーボーイを投入していた。小隊メンバーが精神をつなげる遠隔操作システムである。主人公ジュリアンの小隊は比較的うまく機能していたが、あるとき誤って民間人の少年を殺し、彼は精神を失調してしまう。ドン底からどうにか回復するも、より深刻な危機が待ちうけていた。恋人の物理学者アメリアから、木星軌道上の巨大粒子加速機を用いた実験「ジュピター計画」が、宇宙の破滅を引きおこすと聞かされたのだ。アメリアの検証はあまりに高度で、関係者を説得することができない。同じ時期、ジュリアンはソルジャーボーイに潜む秘密を知り、それを利用してジュピター計画を中止させる〝作戦〟を思いつく。しかし、その実行は全人類の精神に不可逆な影響をおよぼすものだった。
 本書では平和がけっして理想として扱われていない。〝作戦〟実行の段に、主人公はこう独白する。「戦争をなくしたら、人間は人間以外のなにかになってしまうのではないか」。ホールドマンは、ベトナム戦争で従軍した経験を反映した『終りなき戦い』(一九七四)によって、複数のSF賞を獲得。本書もまた、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、キャンベル記念賞の三賞に輝いた。(牧眞司)


71301
2000年1月
ダニエル・F・ガロイ『模造世界』Simulacron-3 (Counterfeit World), 1964
中村融訳 解説:尾之上浩司
写真提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

反応モニター法という法律によって世論調査員が優遇されている未来。電子仮想社会に仮想人間を住まわせ、仮定の状況下での反応調査を可能にする社会環境シミュレーターの開発計画が進められていた。そのマシンが起動すれば、調査員の多くは失業してしまうのだ。計画の担当技術者ダグラス・ホールが開発者の事故死により監督に昇格した直後から、彼の周囲で異変が起こり始めて……。現実だと思っていた偽りの表層が剥がれ落ち、主人公がすべてを信じられなくなるパラノイア的展開はP・K・ディックを想起させる。だが、内的世界へと向かうディック作品とは異なり、こちらは世界をとりまく外部の陰謀を暴く戦いがサスペンスフルに描かれる。アクションあり恋愛ありの正統派娯楽SFだ。また、転移ヘルメットを使ってヴァーチャル世界の住人と精神を結合させ没入するシーンは、元祖サイバーパンク(パンク抜き)という感じでグッとくる。この埋もれていた秀作は映画公開(二〇〇〇年)のタイミングで翻訳された。映画化名は「13F」、製作ローランド・エメリッヒ、監督ジョゼフ・ラズナック。仮想空間をノスタルジックな雰囲気漂う一九三七年のロスにしたセンスが素晴らしい。内容は原作に忠実でエンタメ度も高い。(本気鈴)


70602
2000年2月
ロバート・チャールズ・ウィルスン『時に架ける橋』A Bridge of Years, 1991
伊達奎訳 解説:中野善夫
装画:久保周史 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 アメリカ北西部の森に佇む寝室が三部屋に地下室のついた木造屋敷。妻と別れ、仕事を失って故郷に帰ってきたトムは、静かに暮らすため、何年も空き家になっていたその屋敷を手に入れた。ところが、出しっぱなしにしていた洗い物が、翌朝きれいに片付いていたことをきっかけに、屋敷の中で奇妙な事件が起き始める。原因が地下室だと目星をつけたトムは、壁の奥に隠されたトンネルをくぐって、見覚えのない場所にたどりついた。そこは三十年前のニューヨークだったのだ。
『世界の秘密の扉』につづき紹介されたウィルスンの第五長編。前半、面倒見は良いが押しつけがましい家族、合法の範囲だが倫理的に納得しがたい仕事など、主人公の周囲の「我慢すべきだが納得しがたいもの」を丁寧に描写してから、ついに三十年前の世界に脱出するところまでは、「また逃避の話か」という感があったが、屋敷の本来の持ち主が復活するあたりから、急激にアクションSF味が増していった。心理描写の丁寧さと、設定語りが多くテンポの遅い活劇展開がいささかアンバランスで、手放しで称賛できる作品とは言い難いが、おっかなびっくりでも未来に向かおうとする感触は、後の名作《時間封鎖》三部作に続いているようだ。(林哲矢)


66322
2000年3月
ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』Bug Park, 1997
内田昌之訳 解説:金子隆一
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 ニューロダイン社は、直接神経接続(DNC)で操作するマイクロロボットの開発に成功した。ケヴィンは同社研究員の息子で、親が与えてくれる旧式のロボットを改造・操縦し、友人のタキと一緒にミニチュアを設置した昆虫公園(バグ・パーク)で遊んでいる。テーマパーク経営を手掛けるタキの叔父は、この遊びがアトラクションとして商売になると考えた。しかしロボット業界老舗のライバル企業側も、黙って新市場の独占を許すはずもなく……。
 ナノテクがSFの題材として注目を集めていた一九九〇年代後半に、ひと回り大きいマイクロマシンを扱った作者らしい一作だ。サイズが小さいと打撃系の武器は効果が落ちるためロボットはドリルなど回転系の武器を使う、神経接続の際にマクロ世界の動きをミクロ世界向けに〝翻訳〟するなど、ナノ世界よりも現実に近いぶんだけ技術的にリアルな描写が随所に入ってくる。折しも二〇二二年、幅〇・五ミリの遠隔操作可能なロボットに関する研究が専門誌に発表された。現実が本書の世界により近づき始めた今、読み返してみるのもおもしろいだろう。ストーリーは、企業間の争いに少年たちが巻き込まれ、大人の助けを借りつつ大活躍するという、作者には珍しいジュヴナイル・テイストになっている。(香月祥宏)


60410
2000年4月
I・アシモフ&R・シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114 バイセンテニアル・マン[長編版]』The Positronic Man, 1992
中村融訳 解説:訳者
カバー写真提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

 一九七六年に発表され、ヒューゴー・ネビュラ両賞を受賞したアシモフの中編「バイセンテニアル・マン」(創元SF文庫『聖者の行進』所収)をシルヴァーバーグが長編化したものである。同じ趣向の『夜来たる』(創元SF文庫)は、シルヴァーバーグによる新エピソードが盛り込まれていたが、本書はほぼ忠実に原型の中編をなぞっている。
 マーティン家で働く家政ロボットNDR‐114は、アンドリューと名づけられ、仕えているうちに芸術的な才能を持っていることがわかる。才能を生かして築いた富により、アンドリューは徐々に人間に近づいていく。まずは自由を手に入れ、服を着る。次にロボットの権利を手に入れる。さらに金属の身体を有機的な身体に交換し、体内に人工腎臓などの代用器官を入れる。人間になるため最後に彼が下した決断は……。
 人間になりたいと願った一体のロボットの歴史を通じて、人間とロボットの違いが浮き彫りになっていく。アシモフの原型中編には一切の無駄がなく、シンプルな文体が逆に感動を生んでいるが、これに肉付けをし、詳細な描写を加えてリアリティを増したシルヴァーバーグの腕も見事。二〇〇〇年にロビン・ウィリアムズ主演で映画化された。(渡辺英樹)


71401
2000年4月
ピート・ハウトマン『時の扉をあけて』Mr. Was, 1996
白石朗訳 解説:菅浩江
装画:朝倉めぐみ 装幀:小倉敏夫

 アルコール依存症の父を持つ少年ジャックの一家は、亡き祖父が遺した屋敷に移り住むことになった。しかし葬儀の夜も、父は母に暴言を吐き、喧嘩は終わらない。三階の寝室に逃げ込んだジャックは、不思議な扉の夢に導かれ、クロゼットの中に入ってゆく。するとそこで、ほのかに緑の光を放つ金属製の扉が見つかった。扉をあけた先には、確かに祖父の家と同じ屋敷があったが、様子はまるで違っており……。
 扉の先は五〇年前、一九四一年の世界だった。ジャックはそこで、家庭に恋に友情にと、新しい関係を築き始める。だが時は太平洋戦争前夜。激戦地ガダルカナル島へ送られたジャックを、過酷な運命が待ち受ける。普通の時間遡行型SFなら、主人公が悲惨な未来を変えるため奮闘する……という流れになるのだろうが、ジャックの場合は常に受け身だ(この点は、菅浩江による巻末解説「アダルト・チルドレンの立場から」が参考になる)。それでも、淡々とした筆致と緊密な構成が絶妙に絡み合い、最後にはめぐりめぐった因果の輪がきれいに閉じる。父による虐待描写は痛々しく、結末も希望に苦味が混じる独特の読み味だが、不思議な魅力を持つタイムトラベル・ファンタジイの佳品だ。(香月祥宏)


71501
2000年8月
中村融/編訳『影が行く ホラーSF傑作選』日本オリジナル編集
解説:編者
造形:松野光洋 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 恐怖は想像力の栄養源である。暗闇の中に、宇宙や未踏の地、カウチの下に、人はこの世ならざる存在を妄想して怯える。とりわけ見知らぬ物事への不安は強く、未知を描くことに長けるSFは、そうした恐れと何度となく融合してきた。本作はそんなホラーSFを十三編集めた日本オリジナルのアンソロジーである。
 一九三八年にジョン・W・キャンベル・ジュニアが発表した表題作「影が行く」は、南極の越冬隊と氷漬けから甦った寄生型異星生物との死闘の物語だ。未開の地だった南極は、かつて幻想怪奇小説の先駆者ポオやラヴクラフトも題材にしたほど、人の恐怖心をかき立てるらしい。その効果は今も健在で、「影が行く」は現在までに三度映画化され、特に『遊星からの物体X』(一九八二)が有名だ。
 他の収録作も、たった二〇ページで絶望に突き落とすフィリップ・K・ディックの「探検隊帰る」や、アルフレッド・ベスターの暴力的でクレイジーな「ごきげん目盛り」など傑作揃いで、二〇〇〇年度のSF小説ランキング『SFが読みたい!』(早川書房)の海外篇第二位にランクインした。編訳者の中村融は本作で初めてアンソロジー編纂を手がけ、これ以降も一級品のアンソロジーを数多く刊行している。(深緑野分)


69616
2002年3月
フィリップ・K・ディック『あなたをつくります』We Can Build You, 1972
佐藤龍雄訳 解説:牧眞司
装画:松野光洋+岩郷重力 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 ディックが主流文学作家となることを夢見ていた時期に書かれた異色作。SFと主流文学の融合がはかられるが、普通こんな混ぜ方はしないだろう、という珍妙な読み味がいかにもディックである。弱小電子オルガン業者のコンビが、起死回生を狙って、スタントンやリンカーンといった南北戦争期の模造人間(シミュラクラ)を開発する。そんなすごいものを作る技術があるのなら、別の形で生かせばよいのに、誰もツッこまない。そして、どうやって売り込むかで悩んだ末に、大富豪が仕掛けた乗っ取りの陰謀に巻き込まれてしまう。

田舎の町工場を舞台にした下町人情劇めいた幕開けだが、物語が進むにつれてディックらしいSF的小道具が少しずつ姿を見せ始め、陰鬱なディストピアめいた近未来世界と、そこに生きる人間らしさを失った人々の苦悩が描かれていく。作り物であるはずのシミュラクラたちの方がはるかに人間らしく、主人公らを温かく励ますのが、なんとも皮肉である。

気が付けば、主人公は徐々に狂気に捕われていき、作品そのものを破壊した末に、世界も、物語も、主人公も終わる。そこに潜むメタSFめいた先進性にディックが気付くのは、もっとずっと後のことである。(高槻真樹)


71701
2003年2月
ジョー・R・ランズデールモンスター・ドライヴインThe Drive-In, 1988
尾之上浩司訳 解説:訳者
装画:横山えいじ 装幀:横山えいじ

 一九八〇年代のスプラッタパンクを代表する長編。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』や『悪魔のいけにえ』などホラー五本立て上映中のドライヴイン・シアターが彗星の襲来とともに周囲から隔絶されてしまう。キング『アンダー・ザ・ドーム』を思わせる設定のもと、観客たちが繰り広げる阿鼻叫喚が展開、果てはポップコーンを口から吐く〈ポップコーン・キング〉なる怪人が出現して、この閉鎖空間を支配下に置く。SF色は強くないが、悪趣味版『アンダー・ザ・ドーム』のようでもあり、ラストはある意味SF。
 こんな荒唐無稽の極致のような話を、南部ゴシックやトウェインなどの血脈を継ぐ南部作家ランズデールは高校生の一人称によって軽快に語り、アメリカ伝統のホラ話のように聞かせてしまう。感覚的にはサム・ライミの『死霊のはらわた』(これも上映中)シリーズにも近い。B級ホラーやSFに対するトリビアも満載で、スプラッタパンクの核にオタク精神があることを思い出せる。なお続編はThe Drive-in 2(1989)、完結編はThe Drive-in 3: The Bus Tour(2005)。
 ランズデールはやがて犯罪小説に作品の主軸を移し、南部ゴシック系サスペンス『ボトムズ』でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞を受賞。短編の名手でもある。(霜月蒼)



71601
2003年4月
ジェイムズ・バイロン・ハギンズ凶獣リヴァイアサン』上下 Leviathan, 1995
中村融訳 解説:訳者
装画:久保周史 装幀:矢島高光

北極圏の孤島で、アメリカの軍産複合体の作った爬虫類型生物兵器《リヴァイアサン》がコントロールを外れて暴れる、モンスター・パニック小説である。この怪物は、火を噴き、重火器も効かず、毒ガスすらやり過ごせる。しかも凶暴かつ悪賢い。

主人公は、この計画の実態を知らないまま研究施設の整備に従事するエンジニアだ。この僻地に妻と幼い息子を帯同して来ており、後半では、怪物から妻子を守る必要性も生じる。彼の他には、リヴァイアサンのリスク評価を正しく行い、いざとなれば立派な態度を取る軍人や科学者などの善玉と、反対に、メンツや損得勘定から危険性を軽視する軍人や企業家など悪役とが登場し、対立する。モンスター・パニックものの道具立ては一通り揃っているといえ、緊迫感の強い物語が楽しめる。

しかし本書最大の特徴は、この現代的でB級なストーリーに、西洋の《竜殺し》伝説のモチーフを重ねた点にある。島に隠棲する敬虔な大男トール・マグヌッソンが、北欧神話の雷神トールよろしく、巨大な斧(!)でリヴァイアサンと宿命の戦いを繰り広げるのだ。トールが登場するシーンは全てヒロイック・ファンタジーの色合いが濃く、本書に唯一無二の読み心地をもたらしている。(酒井貞道)



71801

2003年5月
ジャック・ヴァレ『異星人情報局』Fastwalker, 1996
磯部剛喜訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:岩郷重力+Wonder Workz。

 フランスのUFO研究の第一人者ジャック・ヴァレが英語で発表したSF謀略スリラー。UFOを異星人の乗り物ではなく、古今東西の超自然的な事象を「UFO現象」として捉えて、独自の宇宙文明論を唱える著者の異色作だ。
 異星人情報局〈エイリンテル〉は、アメリカ政府が設立した、UFO現象の機密を扱う組織。一部の大統領を除いて存在は極秘とされ、時には情報操作のためにアブダクションを偽装したり、贋の証拠や誤情報を捏造することも辞さない。そんな策謀が蔓延る中、〈エイリンテル〉内の反対勢力と、スクープを狙うTVジャーナリスト、エイリアンを信仰するカルト教団などが入り乱れ、UFOの真実が明かされてゆく。
 エンタメ色の強いフィクションとはいえ、ヴァレの筆致は犀利を極め、非常に生々しい。現実に起こったとされる事件の記録や報告書等が次々と登場し、さらに巻末の丁寧な注釈をチェックしながらストーリーを追うと、どこまでが事実で、なにが虚構かが分からなくなってくる。UFO現象の謎が明かされた際は大衆の反応を管理するべきだ、という〈エイリンテル〉の目論見は特に目新しいものはないが、キワモノ扱いされがちな題材を、透徹した批評眼で迫り、現代国家の欺瞞を告発する著者の志は頼もしい。(小山正)


71901
2004年2月
ピーター・F・ハミルトン『マインドスター・ライジング』上下 Mindstar Rising, 1993
竹川典子訳 解説:堺三保
装画:鶴田謙二 装幀:東京創元社装幀室

 温暖化が進み、戦争と政治的混迷によって疲弊した未来の英国。大企業イヴェント・ホライズンは、会社に損害を与えている何者かをあぶり出すため、特殊部隊〝マインドスター〟出身の探偵を呼び寄せた。彼の名はグレッグ・メンダル、人工腺(グランド)を移植されており、相手の感情を読むことができる特殊能力者だ。経営者の孫娘で補助脳により高い分析力を持つ少女ジュリアを伴い、グレッグは軌道上工場へ調査に向かうが……。
 骨格はハイテク企業サスペンスでアクションも豊富だが、むしろ魅力的なのは背景となっている世界の書き込みだろう。海面上昇の影響を受けた英国は二百万人が移住を余儀なくされ、植生も大きく変化している。戦争によって軍事などの技術は発達しているが、戦後政権が社会主義に傾倒して経済的には凋落。そんな陰鬱な近未来社会を、多面的に細かく書き込んでゆく。ただそのぶん話運びのテンポや登場人物の掘り下げが割を食っているのは否めない。英国ニュー・スペースオペラを牽引した作家の初邦訳作として期待されたが、日本での評価はあまり高くなかった。本書の続編や遠未来を舞台にした大作Night's Dawn三部作なども発表し活躍しているが、残念ながら邦訳は出ていない。(香月祥宏)


66323
2004年7月~
ジェイムズ・P・ホーガン『揺籃の星』上下ほか Cradle of Saturn, 1999-
内田昌之訳 解説:金子隆一、ほか
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 科学的データよりも世界中の神話や伝説を元に、金星は木星から彗星として飛び出し、有史時代の地球に破滅をもたらした、とする、疑似科学のヴェリコフスキー理論にほぼ全面的に依拠した連作である。土星の衛星に移住して独自の公明正大な文化を発展させたグループ、クロニア人が地球にやって来て、前記の論理を地球で発表し、大騒動に発展する。しかしその理論が現実のものとなる天体が出現して地球文明は崩壊の瀬戸際に立たされる。これが『揺籃の星』で、カタストロフもの、アポカリプスものとしても読める下巻が白眉。続く『黎明の星』では、クロニアに脱出した少数の旧地球市民が、クロニア人と協力して地球を再訪し生き残りを探す。と同時に、クロニアの理想主義と平等性を不服として、社会を覆し、旧来の地球型権力を確立しようと暗躍する旧地球人グループの陰謀も描かれる。
 二作品における太陽系の設定は過酷だが、ホーガンらしく、物語は人類の精神と科学への賛歌になっていき、読後感は二作ともに良い。唯一の問題は、その賛歌がトンデモ理論に基づく点で、気になる人は気になるはず。作者は既に故人ゆえ、割り切って読むのが吉でしょう。(酒井貞道)


63711
2004年8月~
エドモンド・ハミルトン《キャプテン・フューチャー》Captain Future, 1940-
野田昌宏訳
解説:訳者、ほか
装画:鶴田謙二 装幀:岩郷重力

「展開される豊かなイマジネーション、途方もない愉快なアイデアの数々は、それを身上とする〝スペース・オペラ〟の分野においてさえもずば抜けたスケールを誇っていて他の追従を許さない(中略)すんなりとSFをたのしむことを知っている人なら、〈キャプテン・フューチャー〉シリーズはおそらく文句なしにたのしんでいただけると思う」(『SF英雄群像』)
 天才科学者で冒険家の、赤髪の青年カーティス・ニュートン、肉体に煩わされず思索に耽る、生きている脳サイモン・ライト、緑の瞳のアンドロイド、俊敏で変幻自在な変装の名人オットー、疲れ知らずの鋼鉄ロボット、剛健無比で忠誠心の強いグラッグ、彼らキャプテン・フューチャーとフューチャーメンは出動を求める北極の信号が灯されるや、太陽系の人々を襲う不可思議な怪事件に、科学の力と勇気とチームワークで立ち向かうのだ!
 この基本設定で紡がれた長編二十作と戦後の短編七作からなる《キャプテン・フューチャー》シリーズ(以下《CF》と略)を、「スペースオペラを代表する傑作」と呼ぶことに異議を唱える方はいないだろう。でも〝スペースオペラ〟の魅力を語る際に《CF》を引き合いに出して「こんなに楽しくて痛快なのがスペオペなんだよ!」と典型例扱いするのは、ちょっと注意が必要だ。というのもアメリカSF幼年期に乱立したパルプマガジンを舞台に百花繚乱、実際には粗製濫造されたこのジャンルにおける《CF》の特殊性、それによって生み出された唯一無二の面白さが、典型例とすることをウソにしてしまうからだ。
《CF》が他のスペースオペラと異なる特長は、発表媒体と作者の二点に集約されるだろう。まず〈ドック・サヴェッジ〉誌や〈ファントム・ディテクティヴ〉誌などの先行モデルを持つ、特定ヒーローの専門誌〝ヒーローパルプ〟のSF版として企画された唯一の雑誌であったこと。第一回世界SF大会の席上で創刊予告された伝説的逸話も含め、〈キャプテン・フューチャー〉誌が後発の利点も活かせる一九四〇年創刊という史実は、直後の戦争や出版環境の変化を見ても絶妙なタイミングだった。そしてふたつ目に作者がエドモンド・ハミルトンであったこと。SF揺籃期の二〇年代後半から《星間パトロール》シリーズなどを発表し、奔放なアイデアとズバ抜けた筆力を誇る第一人者なのは大前提として、通常ならハウスネーム(共同筆名)を使い定型フォーマットを複数人で量産するヒーローパルプ業界にあって、〈キャプテン・フューチャー〉誌はハミルトンの単独名義で創刊された。この差は意外に大きく、エピソードを重ねても作中時間が変わらないお約束を脱し、シリーズの展開が一貫することで読者が感情移入して共に歩める世界へ変質した。(後期に共同筆名ブレット・スターリング導入。十四・十七巻をジョゼフ・サマクスン、二十巻をM・W・ウェルマンが執筆)
 本国アメリカでは映画《スター・ウォーズ》以降はともかく蔑称として生まれた〝スペースオペラ〟が、日本におけるイメージたるや「スペースオペラは面白い!」と定着したのは、ひとえに野田昌宏の先駆的な研究紹介をまとめた歴史的名著『SF英雄群像』のおかげである。その最終章のトリを飾ったのはもちろん《CF》なのだが、〈SFマガジン〉六三年九月号の連載開始時から読者の反響すさまじく、出版界への影響力も絶大であった。というかもっとも〝拝借した〟のが東京創元社で、E・R・バローズ《火星シリーズ》第一巻『火星のプリンセス』を武部本一郎の流麗な表紙・口絵・挿絵で六五年九月二七日に販売を開始。爆発的なヒットを呼ぶやSF読者層の急拡大に貢献した。その後もE・E・スミス《レンズマン》(六六年四月~)、同《スカイラーク》(六七年三月~)、バローズ《金星シリーズ》(六七年六月~)(以上実際の発売月)を「4大スペース・オペラの名作」と謳って畳みかけた。早川書房もすぐさま六六年《スカイラーク》とバローズ《ペルシダー》、六七年《レンズマン》で応戦したが、一番最初に投入した対抗作品が《CF》第五巻『太陽系七つの秘宝』(六六)であった。
 順番に訳されていないのは、どこまで出せるか分からない状況ゆえに面白さ優先で訳す方針を採用したためだが、ハヤカワ文庫創刊(七〇)という舞台も整い読者の好評を得て、全長編二十冊と、短編全訳も〈SFマガジン〉八三年七月増刊『キャプテン・フューチャー・ハンドブック』に掲載。七八~七九年には原作一巻分を各四週に分けて、大晦日特番と合わせた十四巻分がNHKでアニメ化もされた。実際これだけでも幸福なシリーズだが、世紀が変わって二〇〇四年、合本版《火星シリーズ》、新訳版《レンズマン》と再構築を進める創元SF文庫にまさかの電撃移籍。望みうる最高の全集として復活した!
 本全集の構成は、一巻に長編二冊分を収めて短編集成を加えた全十一巻からなる(別巻に野田昌宏『風前の灯! 冥王星ドーム都市』)。その第一の特長は「時系列順の編纂」で、シリーズとしての流れが整理された配列であること。キャプテン・フューチャー誕生の経緯を詳しく描く第一巻『恐怖の宇宙帝王』から始まり、太陽系グランドツアーの趣きで各惑星を舞台とし、探偵小説の犯人探しさながら悪党を追い詰めるシリーズ前半から、後半はデネブが人類を含む知的種族の始祖とする壮大な宇宙史を背景に、太陽系外まで活躍の場を拡げていく進展が明確化している。作品時間が唯一直結している第九巻『輝く星々のかなたへ!』と第十巻『月世界の無法者』も同一巻にまとまったほか、早川書房版が順不同かつ十七年を費やして訳出されたために生じた、訳語の不統一なども見直しが行われている。
 特長その二は、断片的にしか紹介されていなかったコラム類の全編訳出。原書の〈キャプテン・フューチャー〉誌では登場する惑星の紹介コラムと、主要登場人物にスポットを当てたサイドストーリーが毎号誌面を彩り、作品の楽しさを増幅させていたが、本全集では作品世界コラムを毎巻二編ずつ、サイドストーリーは第十一巻に十七編を一挙収録して完全訳を達成した。
 特長その三は、大充実の解説陣。多角的アプローチで紐解く貴重な論考で、帯コメントの豪華さも壮観だ。これほどの陣容を揃えた編集部のディレクションは見事のひと言。第一巻の野田昌宏解説では、当時実は創元文庫の厚木淳から《CF》全訳を真っ先に打診されていた秘話も登場! それから約四十年後、ハミルトン生誕百年記念の年に実現した世界初の全集。本文中にも挿絵が入った水野良太郎版も恋しくなれど、新鮮なイメージに刷新した鶴田謙二イラストも素晴らしい。パルプから全集に姿を変え、極上の娯楽SFは愛され続けるのだ。(代島正樹)



おことわり:2000年7月刊行のディーン・クーンツ『デモン・シード[完全版]』は都合により次回公開とさせていただきます。