【はじめに】
 創元SF文庫は2023年、創刊60周年を迎えます。

 1963年9月に創元推理文庫SF部門として誕生し、フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』に始まり、1991年に現行の名称への改称を挟んで、これまでに700冊を超える作品を世に送り出してまいりました。エドガー・ライス・バローズの《火星シリーズ》やE・E・スミスの《レンズマン》シリーズをはじめ、ジョン・ウィンダム、エドモンド・ハミルトン、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、J・G・バラード、アン・マキャフリー、バリントン・J・ベイリー、ジェイムズ・P・ホーガン、ロイス・マクマスター・ビジョルド、そして近年にはアン・レッキーやN・K・ジェミシン、マーサ・ウェルズら新鋭のSFを刊行しています。また、2007年からは日本作家の刊行も開始し、2008年からは《創元SF短編賞》を創設して新たな才能が輩出しています。

 このたび60周年を迎えるにあたり、当〈Web東京創元社マガジン〉にて全6回の隔月連載企画『創元SF文庫総解説』として、創元SF文庫の刊行物についてその内容や読みどころ、SF的意義を作家や評論家の方々にレビューしていただきます。連載終了後には書き下ろし記事を加えて書籍化いたしますので、そちらも楽しみにお待ちくださいませ。
 
 なお編集にあたっては、書影画像データにつきまして渡辺英樹氏に多大なご協力をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。


【掲載方式について】
  • 刊行年月の順に掲載します(シリーズものなどをまとめて扱う場合は一冊目の刊行年月でまとめます)。のちに新版、新訳にした作品も、掲載順と見出しタイトルは初刊時にあわせ、改題した場合は( )で追記します。
    例:『子供の消えた惑星』(グレイベアド 子供のいない惑星)
    また訳者が変わったものも追記します。
  • 掲載する書影および書誌データは原則として初刊時のもののみとし、上下巻は上巻のみ、シリーズもの・短編集をまとめたものは最初の一冊のみとします。
  • シリーズものはシリーズタイトルの原題(シリーズタイトルがない場合は、第一作の原題)を付しました。
  • 初刊時にSF分類だった作品で、現在までにFに移したものは外しています。書籍化する際に、別途ページをもうけて説明します。
    例:『クルンバーの謎』、『吸血鬼ドラキュラ』、《ルーンの杖秘録》など
  • 初刊時にF分類だったもので現在SFに入っている作品(ヴェルヌ『海底二万里』ほか全点、『メトロポリス』)は、Fでの初刊年月で掲載しています。



67103
1984年8月~
ジェリー・パーネル&ローランド・グリーン《地球から来た傭兵たち》Janissaries
大久保康雄、古沢嘉通訳
解説:新藤克己、ほか 装画:鶴田一郎

 CIAによりアフリカの戦場に送り込まれたアメリカ人傭兵リック・ギャロウェイと彼が率いる傭兵部隊は、敵軍に包囲され絶体絶命の危機に陥っていた。彼らは死を覚悟するが、夜闇に紛れて突然空飛ぶ円盤が現れ、リックたちを救出する代わりに宇宙人シャルヌクシのために働くという条件を提出される。否応なくその条件をのむリックたちだったが、その仕事とは希少な麻薬を産出する惑星トランの住民たちを制圧し、支配することであった。トランには遥か昔からシャルヌクシによって地球人たちが連れ去られており、ローマ帝国や中世ヨーロッパの気風を色濃く残す国々が各地にたてられていた。ここにリックたちの国盗り成り上がり物語が幕を開ける。
 一九七五年にはじまったアンゴラ内戦がモデルと思しき冒頭部の近代戦から一転、舞台は宇宙、そして未開の惑星へと目まぐるしく移り変わる。時間的・地理的な条件により歴史上は実現しなかった地球文明間の戦闘というアイデアはフィリップ・ホセ・ファーマーの《リバーワールド》を彷彿とさせるし、部隊を離脱したかつての部下と戦場で相まみえる展開もツボが押さえられている。巻を追うごとに戦場の規模も増し、雇用主であるシャルヌクシを出し抜こうというリックの決意も新たにされていく。本シリーズは《ジャニサリーズ・サーガ》との呼び名もあるが、ジャニサリーとはオスマン帝国のキリスト教徒子弟部隊イェニチェリのことを指し、惑星トランにおけるリックら現代人傭兵部隊の微妙な立ち位置を暗示しているといえよう。作者らしい緊迫感のある戦闘描写はもちろんのこと、現地人ヒロインとのラブロマンス要素、一筋縄ではいかない有力者たちによるポリティカルサスペンス要素も読みどころである。
 昨今の国産ヤングアダルト小説では、異世界召喚もののサブジャンルとして集団召喚ものが存在するが、その源流の一つとして読んでも面白いかもしれない。召喚させられる対象が本邦では学校のクラスなどであるのに対し、本シリーズでは傭兵部隊というのもなかなかお国柄を反映しているようである。
 本シリーズの第一巻『地球から来た傭兵たち』は、ラリー・ニーヴンの『魔法の国が消えていく』などとともに〈創元イラストレイテッドSF〉の一冊として単行本が発行された。第三巻の解説では、次の巻として『裏切りの刻』(原題Hour of Treason)が予告されていたものの、本国でも刊行されずシリーズは途絶してしまった。その後パーネルは自身のウェブサイトで第四巻Mamelukesの導入部を公開し、彼の没後の二〇二〇年に、息子のフィリップとデイヴィッド・ウェーバー(おもな著作に《紅の勇者オナー・ハリントン》《反逆者の月》シリーズなど。ともに早川書房から)によりその完成版が刊行された。(片桐翔造)


66804
1984年9月~
ラリー・ニーヴン《ギル・ハミルトン》Gil Hamilton
冬川亘訳 解説:新藤克己
カバー:鶴田一郎

 ニーヴンの宇宙史《ノウン・スペース》を背景に、国連警察軍または合同地方民警所属の捜査官「ARM(Amalgamated Regional Militia)のギル・ハミルトン」が活躍するSFミステリ・シリーズ。ニーヴンはデビュー当初から、フェアプレイの精神と論理性を重視した謎解きミステリとSFの融合を夢見て、試作を重ねた。その果敢な成果が中編集『不完全な死体』(一九七六)だ。
 違法な臓器ビジネス犯罪を追う探偵ギルは、本格ミステリの「名探偵」の要素とハードボイルドな味わいを合わせ持つキャラクターで、超能力を有する透明の腕を武器に怪事件に挑む。中編「腕」は密室物、しかも時間SFネタという凝った作品で、高度なハードSF知識を駆使した複雑なトリックが、SFミステリの醍醐味を満喫させてくれる。が、他の二編「快楽による死」「不完全な死体」はミステリとしては大味で完成度は落ちる。
 続編長編『パッチワーク・ガール』(一九七八)は、月の都市で起きた密室殺人未遂事件を描くフーダニット物。法廷シーンやダイイング・メッセージ解読があったりと、ミステリ趣味が炸裂している。この書籍にはスペインの巨匠漫画家フェルナンド・フェルナンデスの個性的なイラストが四十三点載っており、造本も愉しめる。 (小山正)


61505
1984年9月
ハル・クレメント『窒素固定世界』The Nitrogen Fix, 1980
小隅黎訳 解説:訳者
カバー:安田忠幸

 窒素固定とは空気中の窒素を反応性の高い窒素化合物に変換する過程のこと。リンやカリウムと並び生物に不可欠な窒素は、自然では雷などの莫大なエネルギーによらなければ他の物質と反応しないので、古来人類はその工程を研究してきた。本作は、バイオテクノロジーによって発生した酸素を触媒とする窒素固定植物が大繁殖して大気から酸素が失われ、硝酸が溶け出した海ではあらゆる生物が死滅。文明が崩壊しわずかに残された技術によってごく少数の人々が生き延びた二千年後の地球が描かれる。もっとも物語では最初世界がどこであるかは描かれず、視点人物の夫婦は自分たちは違う星からの入植者の子孫で、酸素を必要としない生物をこの星の原生動物(ボーンズ)と考えており、彼らと、古代の人間の科学によって酸素が失われたとする伝承を持つ保守派や、ボーンズをむしろ地球から酸素を奪った宇宙からきた侵略者と考える過激派たちが三巴で互いの利害信念のために衝突しながら、次第に真相が解明されていく。変容した世界の緻密な描写や、実は高度な知性を持つ異星人ボーンズの生態の魅力、窒素循環の触媒が金だと示唆され近代科学の曙を支えた錬金術幻想が回帰するラストも素晴らしい。(渡邊利道)


68501
1984年10月
H・ビーム・パイパー『リトル・ファジー』Little Fuzzy, 1962
酒匂真理子訳 解説:水鏡子
カバー:米田仁士

 ツァラトゥストラ星の鉱山業者ジャック老人は、ある日、毛むくじゃらの小さな可愛らしい生きものに出会い、ペットとして共に暮らしはじめる。ジャックが〈ちびのふわふわちゃん(リトル・ファジー)〉と名づけたその生物は、言葉こそ話さないものの、あきらかに知性を備えていた。ツァラトゥストラ星開発の全権を握る特許会社は、そこに知的生命が存在すれば特許を取り消されてしまうためファジーを闇に葬ろうとするが、ジャックとその協力者たちはファジーを守ろうと会社と対決する。
 ゴルフ場の造成工事中に古墳が見つかったかのような定番の対立構造の物語の中で、〝知性とはなにか〟という古くて新しい問題の考察を楽しませる知的娯楽性に溢れた作品。本作ではあえて〝知恵(サピエンス)〟という言葉を使っているが、知性の定義に挑む数々のSF作品の系譜に連なる古典のひとつと言えよう。評価の定まった佳作という印象を筆者は持っていたが、昨今のAIの急速な発達に伴う知性をめぐる議論が、「はて、人間の知性とはどれほどのものなのか?」と逆に問うてくる中で、この作品の皮肉な部分が新鮮に苦々しく立ち上がってくる。(冬樹蛉)


67904
1984年10月
ゴードン・R・ディクスン『宇宙士官候補生』Home from the Shore, 1978
深町眞理子訳 解説:訳者
カバー:鶴田一郎

 宇宙士官候補生ジョニーたちは宇宙空間に遊弋し、人類の与り知らぬ空間移動能力を持つ異星種族コウモリの捕獲を命じられる。海人(あまびと)と呼ばれる海棲人類の末裔であるジョニーたちは、宇宙空間に適応した特殊能力から地球外知性体とのコンタクトが可能だと期待されたのだ。だが、コンタクトが失敗したことが原因で海人と陸人との間で紛争がはじまってしまう……。ディクスンは《チャイルド・サイクル》と名づけられた(ヴァン・ヴォークト的な)歴史循環論テーマの長編群が有名だが、本書は異星種族との最初の接触という衣装をまとったディクスンの文明論的な声明である。地上で生きることを拒絶した海人はすでに固有の家族形態を築いた女性原理の文明であり、地上に暮らす陸人の文明とは隔絶した異質性を有している。海人と陸人の対立を描いたこの物語は、神話学者J・キャンベルの論じた古典的な女性原理文明と男性原理文明の普遍的な抗争にほかならない。SF史の潮流から俯瞰すれば、本書はアンダースンの『時の歩廊』(一九六五)、ゼラズニイの『光の王』(一九六七)への接近を内包した文明論的な小説なのだ。優生学的な男性原理社会を描いた〈ドルセイ〉とは対極的な物語であると言えるだろう。〈礒部剛喜)


68601
1985年1月~
ロジャー・ゼラズニイ《ポル・デットスン》Wizard World
池央耿訳 解説:訳者
カバー:米田仁士

 一九七〇年代、ロジャー・ゼラズニイは長編作家として、時間や歴史が分岐する結節点としての〈道〉に、ひしめく悪漢どもとのアクションをカットバックを駆使して描いた『ロードマークス』(一九七九)等の佳作を遺したが、インパクトが強いのは《真世界》シリーズの成功で――マイクル・ムアコックとはまた異なる切り口にて――多元宇宙とロー・ファンタジーの原理の融合が試みられていた。地球の現実は、真なる世界アンバーの影絵として展開されているわけだが、ゼラズニイが劇作家シリル・ターナーの『復讐者の悲劇』を論じて修士号を取得したことに鑑みれば、「人生は歩く影、哀れな役者」というシェイクスピアの発想が根幹にあると見るのが自然だろう。《真世界》で用いられたオベロン等の妖精モチーフを、取り替え子(チェンジリング)という形で変奏し、それまで《ディルヴィシュ》で展開してきた〝剣と魔法(ソード&ソーサリー)〟に正面から融合させようとしたのが、本シリーズの企てだろうか。
 視点人物のポル・デットスンは、魔王デットを父親に持っていたため、その力を受け継がせまいとする老妖術師モーにより、地球の赤ん坊マーク・マラクソンと取り替えられた。やがてマークは、科学技術に魔法を従属させんとする危険な存在になり、二人は対決する。
 神話的な構造を盛り上げるのは、ずばり挿画である。第一作『魔性の子』(一九八〇)は――ラリー・ニーヴンの『魔法の国が消えていく』に続き――エステバン・マロートによる美麗な装画が添えられていた。懐かしいモチーフが大胆な構図で描き直され、ヴィジュアルと融合したファンタジーの新たな相(かたち)を予感させるにふさわしい仕上がり。続編『外道の市』(一九八一)は、ジュディ・キング・リーニーツの手になるギュスターヴ・ドレを彷彿させる素描が収録されており、こちらも味わいがあった。
『魔性の子』が異世界往復ファンタジーだったのに比べ、『外道の市』はほぼ純然たるヒロイック・ファンタジーだ。フリッツ・ライバーの生んだグレイ・マウザーを思わせる盗賊マウスグラヴとの掛け合いが強調されていることからも自明だろう。世界にはさらなる奥行きがもたらされたが、物語の要たる七魔神の正体は明かされず、作家の生前に第三作は書かれずに終わった。
 本シリーズでは白魔法と黒魔法の二元論を基体としつつ、魔法は単なるリソースというより、異世界との交歓を体現するものとして扱われる。なのに現実世界での体験が物語に深みを与えず、キャラクターが顔のない存在のままなのが弱点だと、ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャンは書評で指摘したことがある(Ares Magazine一三号、一九八三年)。こうした批評は、はたして急所を突いていたのか。《ポル・デットスン》はファンタジーがどこから来てどこへ向かうのか、その試行錯誤を克明に伝えてくれている。(岡和田晃)


61402
1985年3月
ロバート・シェクリー『残酷な方程式』Can You Feel Anything When I Do This?, 1971
酒匂真理子訳 解説:K・S
カバー:佐藤弘之

 日本SFの第一世代に影響を与えた作家として真っ先に名が挙がるのはシェクリーだろう。奇抜なアイデア、ロジカルなストーリー展開、鋭い文明批評に、鮮やかなラスト。「人間の手がまだ触れない」をはじめとした五〇年代の傑作群は、短編のお手本として、星新一や筒井康隆のエッセイで幾度も取り上げられている。しかし、六〇年代以降の作品になると途端に名前が挙がらなくなる。シェクリーは五〇年代で燃え尽きたのだろうか? 七〇年前後の作品を収めた本書を読めば、それは杞憂とわかる。六〇年代以降のシェクリーの特徴は、アイデアストーリーよりも語りで幻惑する作品が増えたこと。典型例が「シェフとウェイターと客のパ・ド・トロワ」。西地中海の観光地にできたインドネシア料理屋に、ひとりの客が通いつめオランダ風米料理の食べ過ぎで太ったという何でもない話が、互いに矛盾する三つの視点で語られることで、なんとも奇妙な読後感を生み出す。特徴のまったく異なる二人の囚人が互いの要素を交換して看守の目をくぐりぬける「架空の相違の識別にかんする覚え書」も読後の酩酊感が楽しい。本書が再評価され、アイデアストーリー以外の作品集がどんどん出るようにならないものか。(林哲矢)


67603
1985年3月
クリフォード・D・シマック『超越の儀式』Special Deliverance, 1982
榎林哲訳 解説:安田均
装画:Michael Whelan 

 妙な題名であるが、物語は本当にその通りに収斂する。そこに至る道筋は、知的な会話によって導かれるのだ。
 主人公は地球の現代社会で学生を指導する大学教授であり、転送された別世界で技師、詩人、牧師、将軍、ロボット(それぞれ異なる世界から飛ばされてきている)と出会い、元の世界へ戻る方法を探るため共に旅に出る。
 六名の同行者たちは、各自全く異なる価値観を有する。それは各自がいた世界の文明文化に起因した違いではあるが、メタ的に言えば、技師は技術、詩人は芸術、牧師はキリスト教、将軍は軍事と、我々がこの世界に実在する視点を先鋭化させたものだ。彼らがそれぞれの立場から交わす知的な会話は、各自の価値観と、人間論や文明論を形而上学的に――ただしあくまで読みやすく深掘りする。旅の途次では、謎めいており不穏で危険な廃墟やオブジェクト、猛獣などが登場し、六人組に危機や別れをもたらすが、それも比較的あっさり描写される。メインはあくまで知的な会話と議論で、雰囲気は古典的とすら言える平明な空気感を維持する。そしてこの異世界の真実が判明するラストまで、全ては丁寧に言語化されていく。実にシマックらしい小説である。(酒井貞道)


61805
1985年5月
R・A・ハインライン『レッド・プラネット』Red Planet, 1949
山田順子訳 解説:高橋良平
カバー:若菜等

 強引な火星植民計画を推し進めようとする権力側に対し、反旗を翻す火星開拓者の若者たちの活躍を描く、ハインライン初期のジュヴナイル作品。後の『月は無慈悲な夜の女王』にも通じる、ハインラインお得意のテーマである「革命」を、少年の成長と絡めて描いているところがおもしろい。中盤、主人公たちが火星を縦断しようとする部分は、まさにジュヴナイル小説の典型的な筋立ての一つである「少年少女だけの旅」をSF的な舞台に置き換えて実現していて、実に上手い。また、(今となってはご愛敬というか、科学的にはちょっとしんどい設定ではあるが)火星の原住生物を巡るSF的趣向もきちんと含まれていて、単なる少年視点の冒険ものではない作りになっているところも良い。単純なハッピーエンドとは言えない、ちょっとドキッとするクライマックスと、その先の展開に想像の余地を残すエンディングも素晴らしい。初期のジュヴナイル作品ということで、ハインラインらしいアクの強い政治的主張もきつくなく、リーダビリティの高さが存分に発揮されていて、SF入門書の一つとして、今でも充分にその意義を保っている快作。(堺三保)


66307
1985年9月~
ジェイムズ・P・ホーガン《造物主(ライフメーカー)の掟》Code of the Lifemaker
小隅黎訳 解説:訳者
カバー:加藤直之

 木星の衛星タイタンを舞台にしたファーストコンタクトの物語。相手は、自己複製機械の進化によって生まれた機械人たちの文明である。
 一千光年かなたの異星文明が資源採掘のために送りだした探査船には、惑星上で自己増殖する工場システムが搭載されていた。それが超新星爆発で損傷を受け、永い流浪のすえ、およそ百万年前にタイタンにたどり着く。機能不全のまま増殖のプロセスを進行させた結果、工場とそれらが製造する機械はある種の「進化」をとげ、無秩序に広がる工場群という自然環境にロボットの動物たちが暮らす、一種の生態系が形成されていく。やがて、人間に似た姿をもつ「機械人(ロビーイング)」が誕生し、人間社会とよく似た文明を築くに至った。ルネサンス期のヨーロッパに似た社会で、「造物主(ライフメーカー)」を信仰する教会が強い権力を持ち、科学者は異端審問に脅かされている。
 これを発見した人類は、西暦二〇二〇年、タイタンに大規模な調査団を派遣する。一行のなかには、超能力ショーで名声を得た心霊術師カール・ザンベンドルフと、彼の欺瞞をあばこうとする認知心理学教授ジェロルド・マッシーがいた。タイタンに到達した彼らは、心を持つ機械人たちに深い共感をいだき、高度な機械製造技術を求めてタイタンを植民地に変えようとする地球の政治勢力を阻止するために奔走する。そして、成り行きで、造物主の使いを演じる羽目になる……。
 百万年にわたる機械の「進化」についての語りは、人類そっくりの姿をした知性体が出現するというゴールを設定したうえでの後付け的なスペキュレーションであり(もちろんとても刺激的だが)、人類とほとんど変わらない心をもつ機械人たちとの邂逅の物語は、人類とエイリアンの関係を西洋文明と「未開の地」の関係に重ねる古典的なSFの類型をなぞっている。とはいえ、いかさま師ザンベンドルフをはじめとして登場人物たちはみな魅力的で、さまざまな思惑が交錯し策謀と腹の読みあいが続くストーリーは面白く、ホーガンらしい楽天性に満ちていて心地よい。
 科学と迷信の戦いという大枠があるが、嘘を商売とするザンベンドルフの存在がいいツイストをもたらし、単純な科学の勝利ではないところに着地するのも読みどころだろう。人間の良心への信頼と愚かさへの諦念が同居するところもまた実にホーガンらしい。
 続編『造物主(ライフメーカー)の選択』では、ひとまずは阻止されたはずのタイタン植民地化の策謀がまた動きだし、そこへ「造物主」、つまりことの発端である異星文明の種族の復活という大事件が到来する。物語は前作よりもユーモラスかつ賑やかに展開し、ザンベンドルフとそのチームがふたたび華々しい活躍をみせる。
 猜疑心と闘争心が根本をなす造物主たちの精神構造と社会の描写が面白く、前作とはべつの独立した作品としても読める魅力がある。(倉田タカシ)


61806
1985年11月
R・A・ハインライン『宇宙(そら)に旅立つ時』Time for the Stars, 1956
酒匂真理子訳 解説:訳者
カバー:佐藤弘之

 太陽系全域に生活圏が拡大した未来、さらなる人口増加に対応するため地球型惑星探査を目的とした一大船団が計画された。恒星間航行でのネックが情報の伝達。だが双子などある種の条件が揃ったペアの間では、相対性理論を覆す光より早い即時通信、いわゆるテレパシーが使えることを利用し、双子の兄パットを地球に残して、トムは宇宙船エルシーで宇宙に旅立つ……。
 家族との別れ、それでも未知の探究をめざす信念、導きを与え頼りになる大人の存在、驚きの結末と主人公がみずから選択した進むべき道など、スクリブナーズ社からクリスマスシーズンに刊行されたハインライン・ジュヴナイルの前作『ルナ・ゲートの彼方』とも通ずるモチーフが見られるが、むしろこれらの要素や自由と責任の道徳観は、著者の特長だといえるだろう。恒星間ジャンプのたびに地球は数十年が過ぎ、苦難に容赦なく人員が削り取られていく中で人はどうあるべきか、ハインラインが若者たちに求める想いは強い説得力を持って問いかける。
 ヒューゴー賞受賞の『ダブル・スター』や『夏への扉』と同年の充実期に出た本書は、宇宙への憧れとは、“SF”に人類が託した根源的希求だったのだと思わせられる、五〇年代SFの逸品である。(代島正樹)


68801
1986年2月
ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘーゲン『コイルズ』Coils, 1982
岡部宏之訳 解説:訳者
カバー:佐藤弘之

 一九八〇年代後半のサイバーパンク運動によって、SF小説の潮流が変わった。超能力ものが激減したのだ。科学で説明できないからかも、あるいは劇的効果では大友克洋に敵わないとみんな悟ったせいかもしれない。ともかく、精神感応や念動力といった超能力を漫画やアニメやジャンル外文学に委ねて、SF作家たちは超人による社会変革よりも、変容する社会で苦しむ普通人を主題にし始めた。
 攫われた恋人を探す中で、コンピュータネットワークを操作する超能力に目覚めていく主人公を描いた本作は、「ニューロマンサー」より二年前の一九八二年発表で、「AKIRA」連載開始よりも早い。しかしムーブメントの只中に刊行されたためか、時代遅れの小説として当時の国内評価は低かった。確かに後半急ぎ過ぎの感はあるが、セイバーヘーゲンの技術知識を軸足に、ゼラズニイでお馴染みのキザな超人の活躍するさまを、過去・現在・意識の流れのカットバックする華麗な文体で描く娯楽作品である。トラックの自動走行をいち早く取り入れているところも注目点だ。サイバーパンク運動が終結し、科学説明の一切を放棄した能力者バトルや異世界転生が受け入れられている現在、新しい読者からはまた違った評価をされることだろう。(理山貞二)


61807
1986年4月
R・A・ハインライン『スターファイター』(大宇宙の少年)Have Space Suit - Will Travel, 1958
矢野徹、吉川秀実訳 解説:訳者
カバー:佐藤弘之

 ハインラインのジュヴナイルは、少年少女が主人公というくらいの意味合いで一般向けと遜色のないハイレベルな作品、と評されることが多い。ならばその水準保証付きで、ワクワク夢中にさせる正統派ド直球ジュヴナイルが読みたければ、コレ!
 月に行くことを夢見る高校生キップは石鹸会社の懸賞に尋常ならざる努力で応募するが、当たったのは中古オンボロ宇宙服。オスカーと名付け夢中になって整備したが、偶然交信した無線で地球を狙う宇宙人に捕えられてしまう。乗り合わせた勝気な少女「おちびさん」と心優しい別の宇宙人「ママさん」との決死の月面逃避行や、冥王星の敵基地、小マゼラン雲の荘厳な星空、人類存続を賭した宇宙法廷など、絵になるシーンが満載だ。
 そして……、この一冊が読者にとって特別なのは、好きな作品の翻訳を試みたひとりのSFファンの想いが結実した青春の記念碑でもあるから(訳者あとがき必読!)。力添えを惜しまなかった矢野徹はSF翻訳の重鎮だが、意外にも創元SF文庫の長編翻訳は本書のみである(他はアンソロジー『ギャラクシー』上)。なお二〇〇八年の復刊(八版)より『スターファイター』から、かつて親しまれた児童書版と同じ『大宇宙の少年』に改題された。(代島正樹)


60408
1986年8月
アイザック・アシモフ『変化の風』The Winds of Change and Other Stories, 1983
冬川亘訳 解説:新戸雅章
カバー:米田仁士

 アシモフは初期作から晩年の作まで多くの作品が邦訳されているだけに、作品集はどうしても玉石混淆になりがちだ。83年刊行の本書もやはりいささか石混じりではあるが、玉をいくつか挙げていこう。まずは表題作「変化の風」。周囲からあまり好かれてない物理学準教授が、周囲の尊敬を集める学部長と偉大な業績を挙げた気鋭の研究者に対し、自分が学長選でふたりに勝つために行ったタイムトラベル実験の顛末について語る。主人公のわずかな優越感のために差し出された代価が恐ろしい。「発火点」は、暴徒の心理学を研究する衆愚政治学者が生み出したスピーチ技法が、無能な政治家をカリスマ的指導者に変える。小品ではあるが〝些細なことで群衆がコントロールできること〟の怖さを感じさせる。空中浮揚の能力を得てしまった主人公が能力を信じさせるために悪戦苦闘する「信念」、コンピュータ衛星で起きた些細な不具合を調べるうちに迫りくる危機に気づく「見つかった!」なども悪くない。確かに、英語でしかわからないダジャレで落とす、アシモフのいつもの悪癖が出た「からさわぎ」「あるフォイの死」といった残念な作品もあるが、すべてひっくるめて、アシモフらしさを満喫できる本といえる。(林哲矢)


68901
1986年9月
デイヴィッド・ビショフ『ナイトワールド』Nightworld, 1979
小隅黎、坂井星之訳 解説:小川隆
カバー:安田忠幸

 百以上の著作のあるデイヴィッド・ビショフの初期の長編である本作は、一人の吸血鬼が魔王に〈召喚〉され、怪物がひしめく〈夜の世界〉に足を踏み入れる場面で幕をあける。
 そこだけ読むと幻想怪奇小説にみえるが、その実体はド真ん中のSFだ。物語の舞台は、夜になると人狼やキメラといった危険な生物が動き始める惑星ステュクス。十九歳のオリヴァーは人狼に襲われるが、帝国守護神聖騎士団のメンバーの男ジェフリー・ターナーに救われ、夜の怪物たちはみな姿かたちは違えど、〝アンドロイド〟であることを知らされる――。
 つまり、最初に出てきた吸血鬼も含めてすべては幻想怪奇の存在ではなく、科学の産物なわけだ。本作の読みどころも、まさにそこ――ドラゴンやキメラといった幻想怪奇の存在に科学的な理屈をつけ、SFとの融合をはかっていくところ――にある。
 そんな世界に、謎の宇宙船が着陸したことがターナーの口から明かされ、二人はこの惑星に怪物たちを生み出した〝元凶〟の打倒を目指す。こてこてのファンタジィのガワで派手なアクション・冒険を繰り広げながら、同時にそれが「世界の真実の姿」の探求に繋がっていく。SF冒険小説として気楽に読める一冊だ。(冬木糸一)


67702
1986年9月
ラリー・ニーヴン&スティーヴン・バーンズ『アナンシ号の降下』The Descent of Anansi, 1982
榎林哲訳
カバー:安田忠幸

 月軌道上にあるアメリカの研究施設が、現場を尊重しない政府に対して業を煮やし、フォーリング・エンジェル社として独立を宣言した。資金調達のための目玉商品は、既存の素材をはるかに超える強度の特殊ケーブルだ。韓国との間に橋を架ける計画を掲げた日本の大山建設がこれを落札するが、資金面で劣るブラジル企業もあきらめていなかった。輸送を担当するスペースシャトル〈アナンシ〉の降下情報をテロリストに流し攻撃させ、救出隊を装ってケーブルを奪取、最終的には大山建設の吸収合併を狙うが……。
 宇宙開発が順調に進んだ時代を舞台にした近未来サスペンスだが、敵味方のスペースシャトルが飛び交い国際的な大企業が夢の新素材を奪い合う――という設定には、現在から見ると懐かしさも漂う。しかし大枠や夫婦の危機を描く人間ドラマはともかく、ケーブル争奪戦にちりばめられたアイデアは今読んでもおもしろい。とくに、エンジンを爆破されたアナンシ号が積み荷であるケーブルをテザーとして利用する展開には唸らされる。宇宙空間を舞台にした人間同士のアクションも緊張感があり、小品ながら読み応えのあるハードSFだ。(香月祥宏)


69001
1986年10月~
マリオン・ジマー・ブラッドリー《ダーコーヴァ年代記》Darkover
大森望、ほか訳 解説:米村秀雄、ほか
カバー:加藤洋之&後藤啓介

 物語のはじまりは一隻の宇宙船だ。
 数百名の移民団を乗せた地球の植民宇宙船が宇宙嵐に巻き込まれ、四つの月を持つ未開の惑星に不時着した。地球との通信も途絶え、孤立した人々は、この地で生きる決意を固め、宇宙船とコンピュータを破壊。やがて惑星はダーコーヴァと呼ばれるようになった。
 ダーコーヴァの森の奥には、美しい姿の長命種チエリが暮らしており、人間とチエリとの混血によってラランと呼ばれるテレパシー能力を持つ一族が誕生する。やがて地球の存在も忘れられ、社会は封建社会的なものへと逆行。超能力とマトリクスの研究・管制機関である〈塔〉を軸に、ダーコーヴァは新たな発展を遂げる。そして不時着よりおおよそ二千年が経過した頃、地球によってダーコーヴァが再発見される。言語や社会学的研究により、この惑星が地球のコロニーのひとつであることが判明するが、両者の文化はかけ離れており、ダーコーヴァはそれを受け入れることができない。合理的で何事もスマートな官僚主義の帝国からすると、ダーコーヴァは野蛮で前時代的な世界であり、最新のテクノロジーをチラつかせれば簡単に接収できると思っていた。ところがダーコーヴァ側は変化を拒み、様々な衝突が起こる。
《ダーコーヴァ年代記》は、地球人が移民した惑星の二千余年に及ぶ歴史を描いた壮大なサイエンス・ファンタジーであり、十五作の長編と外伝二冊が翻訳刊行された。
 アメリカで第一巻『惑星救出計画』が雑誌アメージングに掲載されたのが一九五八年。その後一九六二年に『惑星救出計画』と『オルドーンの剣』がエースダブルにて書籍化。『ダーコーヴァ不時着』(1971)からはDAWブックスに出版元を移した。翻訳版は『ホークミストレス』(1982)までだが、その後もシリーズは継続しており、ブラッドリーの単独作品に加え、マーセデス・ラッキーなど他作家との共作や、ファンによるダーコーヴァ小説も収録したアンソロジー、ブラッドリー逝去後もデボラ・J・ロスによって書き継がれている。なお、外伝の『ナラベドラの鷹』と『時空の扉を抜けて』の二作は、用語や背景の一部を共有しているが、年代記に含まれる作品ではない。
《ダーコーヴァ年代記》は作品ごとに主人公も時代も異なり、全ての作品を独立した物語として読むことができる。ブラッドリー本人も、思いついたところから書いたと語っているように、年代順ではなく、時代が行きつ戻りつする。さらに翻訳版の刊行順番も、時代順でもなければ、原著の執筆順とも異なる。一冊の原著を翻訳刊行時に二分冊にした『ドライ・タウンの虜囚』と『ヘラーズの冬』を除き、どこからはじめ、どの順番で読んでも問題ないが、とりあえずどれか一冊ということであれば、『オルドーンの剣』を推す。
『オルドーンの剣』は、エースダブルで刊行されたシリーズ第一巻だが、小説を書き始めたティーンエイジャーの頃からあたため続けてきた、ブラッドリーの原点とも言うべき作品だ。物語は、地球人との混血でありながら、強いテレパシー能力を持つためにダーコーヴァ貴族(コミン)の一員として認められたルー・オルトンを主人公に、強大な力を持つマトリクスの争奪戦と、コミン評議会の終焉が描かれる。地球とダーコーヴァの文化的衝突や、封建的なダーコーヴァ貴族社会と個人の尊厳との対立、自由意志による恋愛といった《ダーコーヴァ年代記》の命題を、瑞々しい感性で描きあげた傑作である。
「さらばダーコーヴァ! おまえはもはや――ダーコーヴァではない」
 物語を締めくくるルー・オルトンのモノローグは、ダーコーヴァ人がこの惑星に向けるアンビバレントな感情を象徴している。
 長年あたためていたとはいえ、綿密な設定をもとに、年代記を書きはじめたわけではない。筆もそうだが、設定も思想も、後に書いたものほど成熟している。裏を返せば、最初に書いた『オルドーンの剣』は穴だらけとも言える。前日譚である『ハスターの後継者』を書く際に、ブラッドリーは『オルドーンの剣』に縛られることをよしとはせず、後に『オルドーンの剣』をSharra's Exile(1981、未訳)の中に組み込み、書き直してもいる。
 シリーズ開幕当初は、帝国対植民惑星というSFではお馴染みのテーマが中心命題となっており、惜しくも受賞は逃したが、『オルドーンの剣』がヒューゴー賞、『ハスターの後継者』がネビュラ賞、『禁断の塔』がヒューゴー賞の最終候補となるなど高い評価を受けた。しかしやがて物語は、地球による再発見より前の時代に遡り、ファンタジイ色が強くなる。《アヴァロンの霧》の読者はむしろこちらに、ブラッドリーらしさを見出すのではなかろうか。
 主人公はもちろん脇役まで含めた登場人物の造形、物語が相互に絡み合う年代記ならではの面白さ、起伏に富んだ展開とその魅力は枚挙にいとまがない。しかしブラッドリーの作品が当時のシリーズものと一線を画するのは、ジェンダーに踏み込んだ部分だ。それは必ずしも配慮が行き届いた、という内容ではない。『ダーコーヴァ不時着』において、科学者たちは、コロニーを生き残らせるための手段として、人口の増加と遺伝子の多様性が第一義であると考えた。女性が多数の男性との間に子供を産むことを求め、中絶の自由も与えられていない。『ストームクイーン』では、父権制の強い社会に対するアンチテーゼとして登場するのが、フリー・アマゾンと呼ばれる女性傭兵集団だ。彼女たちは、自由意志による対等な関係以外の婚姻を放棄し、男性から庇護されること、父方の姓を名乗ることをやめ、男や家のために子供を産まず、産んだ子供は必ず自分の手で育てるという誓いをたてて暮らしている。このフリー・アマゾンを描いた『ドライ・タウンの虜囚』と『ヘラーズの冬』の二部作は、フェミニズム小説としても評価を受けている。
 最後にブラッドリーが告発を受けた人道的な問題についても記しておく。ブラッドリーの二番目の夫ウォルター・H・ブリーンは、一九九〇年と九一年に未成年に対する性的虐待で逮捕、有罪となり、九三年に獄中で死亡している。ふたりは七九年に別居し、九〇年に正式に離婚しているが、別居後も仕事上の関係は続いており、ブラッドリーはブリーンの動向を承知していたとされる。さらにブラッドリーの没後である二〇一四年に、二人の娘であるモイラ・グレイランドはガーディアン紙に、父だけではなく、母からも性的虐待を受けたとの告発文を掲載した。ブラッドリー本人の死後であるため真偽の決着はつかないが、このことを重く受け止めた出版元や共作者から、売上の一部を慈善団体に寄付するといった表明もあがっている。(三村美衣)


68302
1986年12月~
アン・マキャフリー《恐竜惑星》Dinosaur Planet
酒匂真理子、赤尾秀子訳 解説:福本直美、岡崎沙恵美
装画:米田仁士 装幀:矢島高光

 知的惑星連合から惑星アイリータへと派遣された調査隊は、そこで驚くべき発見をする。なんと、地球で太古の昔に絶滅した恐竜たちが、なぜかこの星で生きながらえていたのだ。
 だが、調査隊を恐竜よりも恐ろしい危機が襲う。隊員たちの一部が反乱を起こしたのだ。難を逃れるため、隊長ら主要な隊員は冷凍睡眠に入るのだが、数十年の時を経て彼らを待っていたのは……。
 マキャフリーの代表作である《パーンの竜騎士》、《クリスタル・シンガー》、《歌う船》、《九星系連盟》などと同じ、《知的惑星連合》世界の片隅にある惑星探査を題材にした二部作。絶滅したはずの恐竜たちが跋扈する世界を舞台にしているという、とても魅力的な設定があまり生かされていないのは残念だが、マキャフリーらしいきびきびとした筋立ての冒険譚となっているところは評価出来る。なお本作には、エリザベス・ムーン、ジョディ・リン・ナイと共作したスピンオフ・シリーズPlanet Pirates三部作(未訳)が存在する。(堺三保)

69101
1987年3月~
デイヴィッド・J・レイク《ジューマの神々》Breakout
厚木淳訳 解説:訳者
装画:星恵美子 装幀:矢島高光

 人気作なら、そのファンに向けた作品が望まれるのは世の常。《ジューマの神々》はまさにE・R・バローズの《火星シリーズ》原典をどう調理しているかが読みどころなのだが、度重なる世界大戦により地球が死の星となった未来が共通する緩やかなシリーズ六作中の、惑星ジューマを舞台にした二冊でもある。
 他の恒星系惑星への植民計画〈突破作戦〉で出航した宇宙船が発見したのは、運河に二つの月、赤色人の美しい女王までいるバルスームを思わせる惑星だった。ジューマ人の大きな特徴は無性別の幼体から男性と女性を経て、また性の無い年長者になる変性サイクルにあり、政治的には女性が取り仕切っている(男性ではまだ若いと見なされる)点にある……というと一見現代的な作品に思えるが、偵察で先着した主人公が初見の蛮族をレーザー銃で問答無用に百人全員抹殺して善しとする乱暴さはともかく、女性の扱いや人種的偏見のような違和感が、作中の設定としても気になる節があるのは否めないかもしれない。
 続編は人類入植から一世代後、新たな主人公が気球船で自由を求め逃避行する、異郷色を増した冒険小説で楽しめる。著者の他の邦訳は「逆行する時間」が新潮文庫『タイム・トラベラー』に収録。(代島正樹)

69201
1987年8月
フレデリック・ポールほか編『ギャラクシー』上下 Galaxy: Thirty Years of Innovative Science Fiction, 1980
矢野徹、ほか訳 解説:鳥居定夫
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 一九五〇年から三十年間続いた、黄金期のアメリカSFを代表する専門誌〈ギャラクシー〉のアンソロジーである。創刊時の編集長ホーレス・L・ゴールドは、作品に対する姿勢が厳しいことで知られていた。アイデアの新奇性より、人物や社会描写のリアリティを重視したのだ。相手を問わず何度も書き直しを命じ、自ら改稿することも躊躇わなかった。言うことを聞かないハインラインの原稿に無断で手を入れ、仲違いするなどトラブルが頻発する(昨今ではありえないが、当時は当たり前に行われていた)。しかし、この編集方針は読者には支持された。部数は十万部を突破、キャンベルの〈アスタウンディング〉誌を抜いて業界トップに躍り出る。原稿料は他誌の三倍だったという。
 本書は、そんな〈ギャラクシー〉が終刊を迎えた年に出版された傑作選だ。編者の一人フレデリック・ポールは、ゴールドの後の二代目編集長を務め、掲載作のレベルアップに貢献した。
〈ギャラクシー〉はSFが多様化し一般読者に受容されはじめるゴールデン・エイジの五〇年代、より文学色・実験色が濃くなるニューウェーブの六〇年代、カジュアルなエンタメ化が進むレイバー・デイ・グループ時代の七〇年代を(しだいに影響力を減じながらも)網羅した専門誌として意義がある。
 五〇年代の作家ではフリッツ・ライバー、ロバート・シェクリー、マーガレット・セント・クレア、ゼナ・ヘンダースンらがいるが、中でもコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》もの「星の海に魂の帆をかけた女」や、自身の存在が不安定になっていくP・K・ディック「おお! ブローベルとなりて」が著者の定番ながら印象深い。
 六〇年代では、二作分の長編連載などで存在感を示すロバート・シルヴァーバーグ、時間もののパロディを書いたラリー・ニーヴン、盆栽を新解釈するシオドア・スタージョン「ゆるやかな彫刻」(後に改題され『時間のかかる彫刻』の表題作となる)、一世を風靡したジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「エイン博士の最後の飛行」、陰謀論のようで底が知れないR・A・ラファティ「秘密の鰐について」が魅せる。
 七〇年代では、わずか三時間で短編を書くハーラン・エリスン、長編の前日譚なのだが独特の哀愁を感じさせる「革命前夜」のアーシュラ・K・ル゠グィン、そして、時代を反映し、日本版短編集の表題作ともなった「汝、コンピューターの夢」のジョン・ヴァーリイを収める。なお、この作品の覚書は、原稿料トラブルについての苦言である(雑誌とこの傑作選の版元は別)。末期の同誌の窮状を象徴するかのようだ。
 本書では、〈ギャラクシー〉の常連ではない作家も採られている。当時を代表する作品が読めるので、この三十年間を概観するには最適のアンソロジーといえるだろう。(岡本俊弥)


61808
1987年11月
R・A・ハインライン『ラモックス ザ・スタービースト』The Star Beast, 1954
大森望訳 解説:訳者
装画:あまのよしたか 装幀:矢島高光

 八本足の巨体、なんでも食べて幼い子どものように喋る正体不明の宇宙生物ラモックスを巡って巻き起こる大騒動――そんな筋を聞いて、ああジュブナイルSFね自分はちょっと、と思ったあなた。直ちにその認識を改めていただきたい。
 もちろんラモックスを始めとする個性的で魅力的な登場人物やテンポよく危機的状態でもなおユーモアを感じさせる会話など、本書が子どもたちに限らず誰が読んでも楽しめる作品であることは間違いない。しかし、ラモックスのちょっとしたお出かけが地球の危機にまでエスカレートしていく過程で描かれるのは、周囲に振り回されていた(だがまっすぐで愛すべき)主人公ジョン・トマスがなすべきことを見つけ道を切り開いていく成長譚であり、副主人公と言える(堅物のワーカホリックだが)能吏・キク宙務省常任次官が次々発生する困難な問題に一歩も引かず、その政治能力を存分にふるって解決していく言わばポリティカル・フィクションなのだ。
 ラモックスの正体は本書の真ん中くらいでもうわかってしまうのだが、それによって明らかになった問題にふたりの主人公が立ち向かう(最後までユーモアたっぷりの)物語は、子どもだけでなく万人をとらえて放さないだろう。(門田充宏)


67304
1987年12月
ジョン・ヴァーリイ『バービーはなぜ殺される』The Barbie Murders and Other Stories (Picnic on Nearside), 1980
浅倉久志、ほか訳 解説:山岸真
装画:麻宮騎亜 装幀:矢島高光

 一九七四年デビューの作者は、SFで見慣れた大道具小道具と最新科学知識を縦横に組みあわせて斬新かつ魅力的な未来世界を構築し、そこでの日常や人間像を鮮明に描いた作品で熱狂的人気を獲得。全SF史を踏まえつつSFを革新するものと絶賛された当時の短編群は、第一短編集『残像』と第二短編集の本書にまとめられ、ともにローカス賞短編集部門を受賞した。
 本書は九編収録。そのうち、デビュー作「ピクニック・オン・ニアサイド」など六編は作者の代表作《八世界》もので、のちに本文庫《八世界全短編》二巻にシリーズ全短編が収録された。「マネキン人形」はトンデモ理論を扱ったサイコホラー調の一編。表題作(ローカス賞受賞)と「バガテル」は、月警察の女刑事バッハが主人公のSFミステリ。表題作は、個人という概念の追放を教義とし、全員が同一の顔や身体に改造された宗教コミューンでの殺人事件の話。バッハ登場作品には本書収録作以外に「ブルー・シャンペン」「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」と未訳中編ひとつがあり、作中の未来世界は《八世界》ものを連想させる場合もあるが、別個のシリーズである。
 九八年の復刊時にその時点の全作品リストが追加された。(山岸真)


69301
1988年5月
チャールズ・シェフィールド『ニムロデ狩り』The Nimrod Hunt, 1986
山高昭訳 解説:大野万紀
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 チャールズ・シェフィールドといえばハードSFを書く科学者作家として有名だが、一九八六年発表の本書は少し毛色が違い、宇宙冒険SFを装いつつ、その実は陰謀と権謀術策、男女の愛憎が織りなす複雑な人間ドラマを軸に、知性の変容をテーマとした盛りだくさんな本格SFである。
 遠い未来、人類は宇宙に進出し、他の異星人たちとステラ-・グループを作っていた。だがその中で強い攻撃性をもつのは人類のみ。そこへ太陽系の秘密研究所で開発された非常に危険な人工生命体が開発者たちを皆殺しにし辺境星域へ逃亡するという事件が起きる。ステラ-・グループは人間と他の異星人一人ずつによる追跡チームを結成しその人工生命体〈ニムロデ〉を追わせる。それを見つけ出し、抹殺せよというのだ。
 物語は各チームのメンバー選びから始まる。隊長はニムロデを創り出した責任者であるエスロ・モンドリアン。彼はこの時代に泥惑星として蔑視されていた地球から隊員を選び、訓練する。チャンという青年と彼の姉代わりの娘リア。二人は人類代表として別々のチームに入るが、チャンには重大な秘密があったのだ……。
 アイデア満載でとりわけ異星人たちが魅力的なSFだ。(大野万紀)


69302
1988年7月
チャールズ・シェフィールド『マイ・ブラザーズ・キーパー』My Brother's Keeper, 1982
久志本克己訳 解説:山岸真
装画:安田尚樹 装幀:矢島高光

 ハード宇宙SFが得意の著者はミステリも好きらしく、処女長編『プロテウスの啓示』(一九七八)がすでに事件捜査物だった。本作は英国・インド・中東が舞台の近未来SFサスペンスで、ヒッチコック風の巻き込まれ型スリラーである。
 米国AID(国際技術局)の諜報員レオとピアニストのライオネルは、英国生まれの一卵性双生児。彼らは謎のヘリコプター事故に遭遇し、ライオネルだけが生き残る。実は救命手術の際、ライオネルは高度な脳外科手術を受け、死んだレオの脳の一部を移植されていた。折しもレオが掴んでいた薬物の秘密情報を狙う闇の組織が、意識が一体化した〝二人〟を襲う。
 謎の薬物(子どもだけに効果が出る奇怪なセックス薬)というマクガフィンをめぐるアクションは、英国伝統の冒険活劇の雰囲気があるし、さらに暗号解読があったり、クラシック音楽の蘊蓄が頻出したりと、シェフィールドらしくネタがテンコ盛り。ショパンのエチュードをゴドフスキーが編曲した練習曲「冗談(バディナージュ)」を使ったエピソードもマニアックで、音楽マニアのツボに刺さるだろう。ちなみにタイトルは、旧約聖書のカインとアベル兄弟の物語に由来するフレーズ「同胞や同志を見守る者」が出典である。(小山正)


69401
1988年7月
クリストファー・パイク『タキオン網突破!』The Tachyon Web, 1986
小野田和子訳 解説:残間浩章
装画:幡池裕行 装幀:矢島高光

 ティーンエイジャーの春休みの冒険が異星人文明の命運にかかわる英雄的行為に発展する、ヤングアダルトSFの佳作。
 超光速航行によって銀河内を自在に移動できるようになった未来、主人公エリック・ティレルは、親友のシュトレムから叔父の持ち物である貿易船エクスカリバー号での違法な旅をもちかけられた。やけっぱちな冒険心から同行したエリック、そして友人たちは、シュトレムが偽っていた本当の目的地に愕然とする。それは人類の居住域を守るタキオン網の外側、爆発したばかりの超新星のそばだった。さらに、未知の異星人の巨大な移民船団が、爆発で滅亡した母星から逃れて旅しているのを発見する。
 故障したエクスカリバー号の修理のために異星の船に潜入し、そこで美しい異星人の少女ヴァニに出会ったエリックはたちまち恋に落ちる。異星人を救うために超光速航行技術を渡すと決意し、エリックは地球の軍との対峙を余儀なくされる。
 異星人の船中での冒険とロマンスは、ご都合主義的な展開にいかにもティーン向けらしい楽しさがあるが、終盤に主人公がいやおうなく直面させられる「大人の世界」の重さと、その先に示される希望と成長も、この年頃の読者にふさわしいものだろう。(倉田タカシ)


68603
1988年9月~
ロジャー・ゼラズニイ《ディルヴィシュ》Dilvish
黒丸尚訳 解説:高橋良平、中村融
装画:天野喜孝 装幀:矢島高光

 一九六〇年代アメリカン・ニューウェーヴの旗手にして、SFを経由した神話の再生者。スタイリッシュな文体には皆が憧れたもの……。ロジャー・ゼラズニイは、そうした過去形のイメージで語られ、本シリーズに代表されるヒロイック・ファンタジー群が、とりわけ日本においては過小評価されてきた感は否めない。

 だが、特に本シリーズは、ゼラズニイの創作歴における一つの屋台骨なのだ。地獄から生還した《解き放つ者》こと半妖精の騎士ディルヴィシュと豪胆な黒馬ブラックの遍歴は、一九六五年の「ディルファーへの道」より、独立した短編連作という形式をとって、主にFantastic誌に発表されてきた。「ショアダンの鐘」(一九六六)は、〝剣と魔法(ソード&ソーサリー)〟を主題としたL・スプレイグ・ディ゠キャンプ編の先駆的なアンソロジー第四弾Warlocks and Warriors(一九七〇)の掉尾を飾っている。

とにかく密度が濃い。イマドキの作家であれば、各短編を強引に長編エピック・ファンタジー連作へと引き伸ばすだろうが、そこはリルケに学んだポエジーが彩る「伝導の書に捧げる薔薇」(一九六三)の作者ならではの切り込み。主人公のDilvishという名前はElvish(妖精の言葉)やDervish(スーフィの修行僧)を想起させるが、夢幻的かつ抑制的な筆致のなかで、設定のための設定は大胆にカットされ、アクションとダイアローグの清新さにこそ焦点が絞られている。昏さを背負うダークヒーロー像という観点からも、かのマイクル・ムアコックの《エルリック・サーガ》への向こうを張ったかのようである。

『地獄に堕ちた者ディルヴィシュ』(一九八一)を読めば、短編としての成果を一望できるが、シリーズの転回点は「血の庭」(一九七九)だろう。本作では麻薬めいた花や呪文の効能で人間の形姿をとったブラックとディルヴィシュが共闘し、生贄にされようとしていた女司祭サーニャを救おうとする場面が描かれる。剣戟の迫力、息のあった掛け合いは、フリッツ・ライバー《ファファード&グレイ・マウザー》への応答のようである。「血の庭」の初出誌「ソーサラーズ・アプレンティス」三号は、RPG『トンネルズ&トロールズ』のサポート記事を掲載していたプロジンで、編集者でゲームデザイナーのケン・セント・アンドレはゼラズニイと文通し、イラストレイターのロブ・カーヴァーは《ディルヴィシュ》の年季が入ったファンだった。彼らは新興メディアであったRPGと、質の高い小説の相互作用に期待をかけていたのだ。続く『変幻の地のディルヴィシュ』(一九八一)は長編で、W・H・ホジスン『異次元を覗く家』やH・P・ラヴクラフトらの《クトゥルー神話》に対する大胆なオマージュ。これによって《ディルヴィシュ》は、ウィアード・ファンタジーの文脈そのものを、まるごと更新してみせたのである。(岡和田晃)


69501
1988年10月
イアン・ワトスン&マイクル・ビショップ『デクストロⅡ接触』Under Heaven’s Bridge, 1980
増田まもる訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 英米の本格派が共作したファーストコンタクトSF。ジェミニ星系の恒星デクストロと恒星ラエヴォとの間を8の字に公転する惑星オノゴロで人類が遭遇したのは、有機体と機械が融合し、七体で共同体を構成する巨大な生物だった。カイバーと名付けられた彼らは高度な知性を有し、言語学者高橋恵子から人間の言語を教えられると、瞬く間に人類に関する知識を吸収、彼ら自身については沈黙を守ったまま冬眠状態に入る。ほどなくしてデクストロがノヴァ化を迎えることが判明し、地球への帰還が決定される。恵子の恋人で異星生物学者のアンドリックは、カイバーが人類を超越した存在であると確信し彼らとともにあろうと決意するが……。惑星の設定もカイバーの生態もSF的にものすごく面白いのだが、物語の中心となるのは、三十三間堂の観音像がカイバーに、旅行で訪れた東京がオノゴロに重ね合わされる重層化した恵子の記憶をカットバックしながら何か異様なことが起こっているという不穏な緊張感が増していくサスペンスと、調査隊のメンバーによる思弁的な議論、そしてクライマックスでカイバーたちが恵子たちにもたらす超越体験に加えて余韻嫋嫋たる終幕の美しさだ。(渡邊利道)


55001
1988年12月
テア・フォン・ハルボウ『メトロポリス』Metropolis, 1926
前川道介訳 解説:訳者

 一九二七年公開、ドイツの巨匠フリッツ・ラング監督による古典的名作SF映画の、当時の妻ハルボウによる原作本。刊行は唐突に見えるが、実は前年末にアメリカ時代のラング作品が上映され、再評価の機運が高まっていた。
 とはいえ当時、肝心の映画版「メトロポリス」をきちんとした形で観る機会はほとんどなかった。ビデオも、多くは九十分以下に切り詰められた粗悪な不完全版。その後二度にわたる修復が行われ、現在では百五十分版がディスク化されている。
 摩天楼、監視社会、巨大機械、ロボットマリア…… すべてのアイデアは原作本に存在する。だが大仰で妄想じみたハルボウの文体は、読みづらい。本書刊行当時の読者は苦労させられたことだろう。ところがラングの映画版では、数ページにわたるダラダラした文章が、わずか数秒に圧縮され迫力満点の映像に化ける。映画版のアイデアノートとしての資料的価値は高い。
 この後、ハルボウはナチスへの心酔を深め、ユダヤ人のラングと決別。ラングはアメリカに亡命し、作品は端正ながら小品ばかりとなった。時代に引き裂かれた夫婦の、当時の確執を描いた、ハワード・A・ロドマンの異色小説『運命特急』(白水社)も必読。(高槻真樹)


65404
1988年12月
ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル『降伏の儀式』上下 Footfall, 1985
酒井昭伸訳 解説:酒井昭伸、竹原沙織、小浜徹也
装画:末弥純 装幀:矢島高光

 ニーヴンとパーネルの共作は『神の目の小さな塵』など多数あるが、読み応え満点の作品が多い。アメリカで一九八五年に出てベストセラーとなった本書もその一つ。
 内容はストレートな侵略SFで、乱暴な要約をすると、宇宙からハンググライダーに乗った■■さんが地球に攻めてきて、人類はボロボロになるが、SF作家たちが大統領に様々なアイデアを出し、起死回生の策としてとんでもない宇宙戦艦を建造、そして反撃に出る――というもの。なお■■の部分はそれが当時大変有名になったのですが、未読の人のために伏せ字にしました。ぜひ読んでワッと言ってください。
 面白そうでしょう。実際に面白い。まるでバカSFみたいだけれど、右よりでミリタリーSFの得意なパーネルが真面目に書こうとしたものを(例えばソ連の政治社会状況など今読めばなるほどと思える)、西海岸のお茶目なSFファン、ニーヴンがかき回してねじ伏せたように読める。SF作家たちが活躍する下りなど「SFの気恥ずかしさ」が炸裂している。
「降伏の儀式」がどういうものかといったテーマも重要だが、最後の人類の反撃が凄い。まるでマンガのネームを読むみたいで、それが迫力満点! 興奮します。(大野万紀)


60137
1989年1月~
E・R・バローズ《アパッチ》The War Chief
厚木淳訳 解説:訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

『ウォー・チーフ』(連載・単行本一九二七)と『アパッチ・デビル』(連載一九二八、単行本三三)の二部作は、「読者の娯楽のために書く」ことを信条としたE・R・バローズが本当に書きたかったのはコレだったのか……と思わせる入魂のウェスタンである。この時代においてインディアンを悪役に据えるのではなく、アパッチの酋長ジェロニモの養子、若き戦闘酋長ショッディジージ(黒熊)を主人公として、気高き部族の誇り、住む土地を理不尽に追われる無念さ、戦闘と降伏の葛藤を、実際に第七騎兵隊に所属した経歴を持つバローズはシリアスかつ丁寧に描写する。《火星シリーズ》で赤色人を味方に、そして常に〝野生讃歌〟を通底するテーマとして謳い上げた著者の真骨頂であり、ずばりバローズの裏ベスト作品だと確信している。
 なお、今作は『カリグラ帝の野蛮人』邦訳(一九八二)以来ひさびさの訳書でSF要素もないため、拳銃マーク(警察小説・ハードボイルド)で刊行された。本総解説への収録は「バローズは一括でSF分類」との編集部判断によるものだが、実はまだ一度も重版もカバー替えもされていないため、物理的なSF文庫バージョンは(現時点では)存在しない。コレクター諸氏はご安心を!(代島正樹)


61809
1989年3月
R・A・ハインライン『ルナ・ゲートの彼方』Tunnel in the Sky, 1955
森下弓子訳 解説:大森望
カバー:佐藤弘之

 恒星間転移ゲートの先にある未知の惑星、そこで十日間生き延びるという試験(この設定だけでも現代の教育者が目を剥きそうだ)に志願した少年ロッド・ウォーカー。だが、ゲートの故障により帰還は不可能となり、彼とクラスメートには過酷なサバイバルが待ち受けていた。
 本作の再版時、帯に坂木司がつけたコメントは「ひどいよ、ハインライン…。」ほんとうにひどい。ジュブナイルとか、十五少年漂流記の宇宙版とかいうレベルではない。絶えず変化を受け入れ、新しい生き方を身に着ける、できなければ残酷な大人社会には対抗できない。ハインラインは自分の信念を子供相手にも手加減なしで突きつけて、大人の心までへし折ってしまう。
 ハインラインの著作は今後ますます入手困難になると予想する。政治、戦争、宗教、性、あらゆるテーマに果敢に挑んだにもかかわらず、最先端の科学技術が半世紀後にはそうでなくなるように、彼が作中で発揮したリベラリズムは革新的ではなくなってしまったからだ。しかし、彼のジュブナイルは長く読み継がれるだろう。これはその価値のある作品だし、事実本国では出版社を変え、版を重ねて、愛され続けている。(理山貞二)


60314
1989年4月~
ディヴィッド・A・カイル《ドラゴン・レンズマン》Authorized Lensmen Trilogy
小隅黎訳 解説:山岡謙、ほか
装画:幡池裕行 装幀:矢島高光

 E・E・スミスのあまりにも有名なスペース・オペラ《レンズマン》シリーズの脇役である、異星人レンズマンたちを主人公にして、筋金入りの古参SFファンでもあるカイルが書き上げたスピンオフ作品。ちなみに、カイルがどれくらい古参かというと、一九三九年、主催者を批判する小冊子を作って配布したために、第一回ワールドコンに出入り禁止になったという曰くがついているのだといえば、わかっていただけるだろうか。そんなカイルのこと、原典であるレンズマン世界を知り尽くしたうえで、細かいくすぐりも満載に話を展開、原典の主人公たちも登場して活躍するというサービスぶりで、原作ファンも納得の外伝と言っていいだろう(ただし、原典ではこの物語時点では存在しないはずの第二の女性レンズマンを登場させたことで、一部ファンはお怒りだとか)。もっとも、逆に言えば「良くできた二次創作」の枠からはみ出していないところが弱点ということも言える。もう一人、パレイン人レンズマンのナドレックを主人公に据えた第三作Z-lensmanが未訳なのが惜しまれる。(堺三保)


69601
1989年4月
フィリップ・K・ディック『去年を待ちながら』Now Wait for Last Year, 1966
寺地五一、高木直二訳 解説:寺地五一、大森望
装画:松林冨久治

 それまで出ていなかったのが不思議な気もするが、本作が創元SF文庫の記念すべきディック第一作だ。二〇五五年、地球はリリスター星とリーグ星の星間戦争に巻き込まれていた。主人公の人工臓器移植医エリックは、地球防衛の要である国連事務総長モリナーリの担当を依頼されるが……。物語の中心となるのは、敗色濃厚な人類の結末ではなくエリックと妻キャシーの愛憎劇。目下、エリック最大の問題は「如何にして悪妻と手を切るか」なのだ。謎のドラッグJJ180の登場でその関係は一層、泥沼化する。おそらく多くの読者は戦局よりも夫婦の諍いを追う展開に、何故……?と戸惑うのではないか。これは執筆当時のディックの状況も影響しているようだ。東西冷戦、作家としての重圧、そして妻アンの絶望的な浪費癖(その後、離婚)私小説かと思うほど己の心情が色濃く反映されている。その分SFとしてはやや疑問が残るものの、切なく味わい深い良作になっている。理不尽な運命に振り回され、傷つき悩み身も心もくたびれ果てるエリックへのあたたかいまなざしは、ディックが自らを慰めているように感じてしまう。巻末に収録されている「ディック、自作を語る」では『じつによくかけた小説だと思う』と述べている。(本気鈴)

66308
1989年5月
ジェイムズ・P・ホーガン『終局のエニグマ』上下 Endgame Enigma, 1987
小隅黎訳 解説:永瀬唯
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 ロシア革命百年を記念してソビエト連邦が建設した宇宙島〈ワレンティナ・テレシコワ〉。それは一万二千人以上の人々が暮らす巨大な円環体であり、同国が掲げる宇宙の平和利用の象徴だった。だが米国の諜報筋は擬装計画の背後に地上を攻撃するレーザー兵器の存在をつかむ。国防総省作戦課のルイスと空軍の通信科学者ポーラの二人は真偽を探るべく、招待客を装いコロニーに潜入するが逮捕されてしまう。地上から何十万マイルも離れた敵国のコロニーに監禁された二人だが、その裏には想像を絶する巨大な陰謀が隠されていた。
 原著が出版された一九八七年と言えば、レーガン大統領がぶち上げたスターウォーズ計画がソ連の国防・財政体制を崖っぷちに追い詰めていた真っ最中。そんな時代背景に影響されてか、著者ならではの科学技術至上主義にも苦みが加わった異色作となった。そして宇宙戦争が現実化しつつあったこの時代は、〈アポロ月着陸捏造説〉に代表される陰謀論の隆盛期でもあり、先行するSF映画の傑作『カプリコン1』もそこから生まれた。本作品は理系作家ホーガンによるその究極形態。緻密な推理の果てに宇宙島の壮大な謎(エニグマ)が明かされるカタルシスこそ本作の値打ちだ。(山之口洋)


69602
1989年6月
フィリップ・K・ディック『ザップ・ガン』The Zap Gun, 1967
大森望訳 解説:訳者
装画:松林冨久治

 世界が東西の二陣営に分かれて兵器開発を競う未来世界(当時)で兵器ファッション・デザイナーを務めるラーズは超次元空間に意識を飛ばして、そのトランス状態中に新兵器のスケッチを書き取る特殊能力がある。東側陣営にも同様の能力の持ち主リロがいる。激しく東西が戦う世界のように見えていても密約があって実際にはそうやって開発された兵器で人々が殺し合っているわけではなかった。その代わり、それらの新兵器は日常品開発に活用されている。それを担うのがコンコモディーと呼ばれる六人である。その世界に異星人がやってきて人工衛星を配置するようになる。兵器ファッション・デザイナーは東西で協力して異星人に対抗する兵器を造るという任務を課せられることになった。
 ディック自身は本書を評価していないし、ディック作品の人気投票でもトップを取るような本ではないのだが、それでもディックらしさに溢れるSFであることは間違いない。世界は判りにくいし、重要人物だと思っていた登場人物が忘れられている? と思ったら唐突に戻ってきたり、少々破綻しかけているところもまたディック愛読者は許して心から楽しめるはずだ。今はハヤカワ文庫SFに移籍している。(中野善夫)


68604
1989年7月
ロジャー・ゼラズニイ『アイ・オブ・キャット』Eye of Cat, 1982
増田まもる訳 解説:訳者
装画装幀:吉永和哉 協力:佐藤仁

『光の王』などの神話とSFを融合させた作品で知られるロジャー・ゼラズニイが本書でとりあげたのはアメリカ先住民ナヴァホの神話である。ナヴァホの呪術師は歌の力で厄を払い病を癒すという。本書の主人公ビリーはナヴァホ最後の呪術師であり、異星生物ハンターとして宇宙をかけめぐって数多くの異星生物を博物館に送り込んできたが、そのなかの変身獣「キャット」はひょっとすると知的生物だったのではないかとひそかに思っていた。そしてあるきわめて困難な依頼を受けたとき、彼は「キャット」に協力を依頼した。予想どおり「キャット」は知性生物であったが、協力の見返りにビリーの命を要求した。こうしてふたりは命を懸けて戦うことになる。ビリーが戦いの場に選んだのはナヴァホの聖地にしてナヴァホ神話の舞台でもあるアメリカ南西部のナヴァホの土地〈ディネター〉だったが、作中にちりばめられたナヴァホ神話のエピソードとビリーが歌う祈りとしての詩がナヴァホの聖地で響きあって、本書はさながら新たなるナヴァホ神話となり、壮大な自己回復の物語へと変貌を遂げるのであった。本書はまぎれもなく埋もれた傑作であるといえるだろう。(増田まもる)


65406
1989年9月~
L・ニーヴン&J・パーネル&S・バーンズ《アヴァロンの闇》Heorot
浅井修、中原尚哉訳 解説:大森望、堺三保
装画:末弥純 装幀:矢島高光

 地球から二十光年の惑星アヴァロンへ入植した人類に、現地の生態系が牙をむく。本シリーズのSFとしての肝は、現地の生物の生態と生態系の設定にある。地球に実在する生物を一部参考にしつつ、異様ながらも実際にいそうな生物たちを登場させるのだ。そしてそれらはもちろん、パニックホラーに発展させやすい絶妙なところを狙って設計されるわけである。
 第一作『アヴァロンの闇』は、アヴァロンはキャメロット島にある唯一のコロニーが、未知の怪物グレンデルに襲われる出来事を話の主眼とする。楽園と見紛う穏やかな環境の中で、まず飼育動物が謎の生物に襲われ、危機を主張する主人公は周囲の人物から疑いの眼差しを向けられる。やがてグレンデルの存在と危険性が顕在化する。よって下巻に至ると、コロニー構成員は島のグレンデルを掃討するところまで行く。ところがグレンデルには隠された生態があって、それが更に大きな危機をもたらすのだ。パニックホラーのお手本のような展開を見せる主筋の傍らでは、コロニー内の諍い、中年の危機、恋愛ドラマ(三角関係を含む)など、グレンデルとの闘い以外の要素も丁寧に作り込まれており、読ませる。入植者の一部が、冷凍睡眠から醒める際に脳にダメージを受けて知能低下がみられる、という細かい設定も、物語のあちこちでスパイスとして効いており面白い。ベオウルフ伝説をモチーフにしている形跡も見られ、複雑で多面的な読み方に耐える作品に仕上がっている。
 第二作『アヴァロンの戦塵』では、この複雑な味わいが一層深化した。前作より二十年後が舞台で、入植以降に誕生した若い世代がキャメロット島を飛び出して大陸の調査を望むようになっている。前作でグレンデルの脅威が身に染みた上の世代は、グレンデルが大量生息するであろう大陸への積極進出には消極的だ。ここに世代間対立がテーマとして現れるのである。若者のリーダー格は前作主人公の血を引いており、親子小説の要素も入って来る。人間の生き様に関する言及も明らかに増え、人間ドラマとしての深み、読み応えが強まっている。そして本分としてのパニックホラーに関しては、生態系の設定が一層複雑かつ緻密になって、サイエンス・フィクションとしての格が上がっている。本書において大陸はごく一部しか登場しないが、それでもなおキャメロット島よりも遥かに大きく、島にはいない生物が複数登場する。グレンデルも、大陸の住環境に合わせて独自の進化(分化)を遂げた亜種が登場し、グレンデルではない脅威も出現する。前作は結局のところグレンデルが人類にとって問題となったが、今作はグレンデルを含む生態系全体が人類を襲う趣があり、奥行きは圧倒的に深まっている。
 本シリーズは二〇二〇年に、第三作が本国で刊行された。物語の更なる発展が期待でき、邦訳刊行が待たれる。(酒井貞道)


69603
1989年12月
フィリップ・K・ディック『死の迷路』A Maze of Death, 1970
山形浩生訳 解説:訳者
装画:松林冨久治

 数あるフィリップ・K・ディック(PKD)の小説のなかで、もっとも暗い作品――ロック批評家ポール・ウィリアムズは一九七四年のインタビューで、PKDにそう問いかけ同意を得ている。アルコール、セックス、薬物……多様な依存を抱えた人々が悪意に満ちた惑星デルマク・Oに集められ、一人、また一人と殺されていく。極限状態で人間の本性が剥き出しになり、そうした状況を作り出す世界そのものが模造品(シミュラクラ)だという認識は、昨今流行のソリッド・シチュエーション・スリラーの一つの原型か。世界には空虚、無意味さ、孤独しかない。だからこそ最後に姿を表す「導製神」に、眠っていても太陽を感じられるサボテンになりたい、と願う場面は切実だ。プロット上の破綻がないため、かえってパンチが弱く見えるが、痛し痒し。陰惨な小説世界がいっそう際立つ結果ともなっている。
 原著は一九七〇年刊。『高い城の男』(一九六二)に見られる易経、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(一九六四)が想起させるLSD体験、さらには『ユービック』(一九六九)に顕著な宗教性の発露といった要素がいったん統合され、独自の神学やワーグナーの楽劇等、晩年の《ヴァリス四部作》で掘り下げられるモチーフへの橋渡しがなされている。本書を知らずして、PKDは語れない。(岡和田晃)


69701
1989年12月
バリントン・J・ベイリー『時間衝突』Collision with Chronos (Collision Course), 1973
大森望訳 解説:大野万紀
カバー:松林冨久治
【新版】2016年刊

 本書は、SFマニアたちから奇想の王として崇められるバリントン・J・ベイリーの第四長篇であり、国内では第21回星雲賞を受賞した代表作としても挙げられる作品となっている。
 遠未来の地球。異人種を異常亜種と呼び、彼らを武力で制して覇権を確立した白人種からなるタイタン勢力。彼らの懸念は、かつて人類を蹂躙し、地球を去った異星文明であり、その遺物の研究は最大の重要案件だった。考古学者ヘシュケは、新たに発見された謎の遺跡の調査をタイタン首脳部に命令される。その遺跡は時が経つにつれ、新しくなっていくというのだ。この現象の解明のため、異星人のテクノロジーを使ってヘシュケらは過去に向かうが……。
 本作は、極めて独創的な理論を軸に展開する奇想天外な物語ではあるものの、物語はその理論を読者に浸透させるための道具にすぎない。登場人物たちの葛藤や絶望といったドラマ以上に、彼らが語る哲学的/科学的アイディアに基づく議論こそがベイリー作品の真髄なのである。本作もまた「現在」とは何なのか、「時間」とは何なのか、宇宙に複数の時間線は存在するのか、そしてそれは干渉しあうのかといっためくるめく議論を楽しむべき作品であろう。(縣丈弘)


69604
1990年3月
フィリップ・K・ディック『タイタンのゲーム・プレーヤー』The Game-Players of Titan, 1963
大森望訳 解説:訳者、牧眞司
カバー:松林冨久治

 出生率の低下した人類がタイタンの不定形生物〝ヴァグ〟との戦争に敗れ、特権階級の人間が土地を賭けたゲームを行う近未来。住み慣れた町を奪われたピート・ガーデンが宿敵と再戦した翌朝に、相手の他殺体が発見される。ピーターを含むチームの六人は当日の記憶を失っていた。
 苦しい家計を支えるべく、代表作『高い城の男』と『火星のタイム・スリップ』の間に書き飛ばされたペーパーバック――とされる(著者の評価も低い)本作だが、娯楽小説としての見所はむしろ多い。超能力者たちのゲーム対決、連続殺人と記憶喪失の被疑者たち、主人公をめぐる愛憎劇といったキャッチーな要素を盛り込み、矢継ぎ早にフェイズを切り替え、逆転劇の応酬で読者を惹きつける。整合性よりもスピード感を重視したB級エンターテインメントなのだ。
 人間に擬態するヴァグ、自動車やエレベーターが口を利くラシュモア効果といった設定の数々も楽しく、独特のセンスを随所に感じさせる。散らかった印象は否めないが、著者らしいアイデアや道具立てを連発し、勢いで押し切るディック感満載の一冊であることは確かだろう。名作群の後に読むことをお勧めしたい。(福井健太)


69605
1990年6月~
フィリップ・K・ディック《ヴァリス四部作》VALIS
大瀧啓裕訳 解説:訳者
装画:藤野一友「抽象的な籠」、ほか 装幀:松林冨久治


 涙ぐましいほどに切実な作品群である。身近な人々の死を食い止められない哀しみ――のみならず――まったき他者の無惨な死にすら痛みを感じる自分が、死のうとしても死にきれずにいること。そんな救済への希求と否定の感覚から、本書は紡ぎ出されている。超越性の手前で踏みとどまった『暗闇のスキャナー』(一九七七)の先へと向かう形で……。
 一九七四年二月、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を聴いていたフィリップ・K・ディック(PKD)は、可視光線のスペクトル表には存在しないピンク色の光線を頭や目に照射される体験をした。これは超越的な神の力の仲介で、それまで悩まされていたあらゆる恐怖や邪悪についての観念が和らぎ、生まれてからずっと気の狂っていた自分がようやく正気になったという感覚を得た(チャールズ・プラットによる一九七九年のインタビュー等)。モチーフ上は、この体験を膨らませる形で四部作が構成されている。
『ヴァリス』(一九八一)では、PKD自身のギリシャ語とドイツ語読みであるホースラヴァー・ファットが、先述したものと同様の神秘体験を経て、独自の神学の教典を記し始めたことが記されている。ワーグナーの最後の楽劇『パルジファル』すら、もはや浄化(カタルシス)には縁遠いという心性から、古今東西の神秘思想の寄せ集め(ブリコラージュ)がなされるわけだが、教義のコアは意外と単純。造物主は悪しき存在で、だからこそ世界は狂っていて模造品(シミュラクラ)ばかりというグノーシス主義の発想がまずあって、そこに神性が流出的に陥入して死からの再生を創発的にもたらすというヤーコプ・ベーメの秘教観が織り交ぜられる。
 今なお新しいのは、こうした世界像が、作中のSF映画『ヴァリス』に出てくるVast Active Living Intelligence System(=巨大にして能動的な生ける情報システム)というシンギュラリティSFを先取りしたようなガジェットを介し、社会に遍在するものとして敷衍される点か。これが『聖なる侵入』(一九八一)では、悪しき存在ベリアルとの宇宙規模での戦いとして語り直され、遺作『ティモシー・アーチャーの転生』(一九八二)では、ジョン・レノンの死と死海文書の探究というモチーフから現代小説としての技巧的・歴史的な再整理が入り、円環はエレガントに閉じられる。遺稿の原型作品『アルベマス』(一九八五)をひもとけば、なぜPKDが自らの神学をSFとして記したか、よりドキュメント的かつ重層的に理解できよう。あまり指摘されないが、PKDの神秘体験は、フロイトやドゥルーズ&ガタリに衝撃を与えた、神経症患者ダニエル・パウル・シュレーバーが回想録に記した奇妙な体験に酷似している。二〇世紀思想史を辿り直すうえでも、PKDの到着点たる本シリーズは避けて通れない。(岡和田晃)


61810
1990年8月
R・A・ハインライン『宇宙の呼び声』The Rolling Stones (Space Family Stone), 1952
森下弓子訳 解説:訳者
装画:佐藤弘之 装幀:矢島高光

 月生まれの天才一家ストーン家の自家用宇宙船での惑星間旅行を描いたジュヴナイル。月独立の立役者である祖母、元市長で作家の父と医師の母に、一女三男のストーン一家。平凡とは無縁の彼らだが、中でも十五歳の双子は無許可の核実験で逮捕されたことがあるほどの天才悪ガキコンビだ。二人は特許で手に入れた資金を元手に、宇宙船と中古自転車を購入し、鉱山惑星に持ち込んで転売利益を得ようと画策するのだが……。原題のThe Rolling Stonesは、「転がる石になれ」というストーン家の家訓で、宇宙船の名前でもある。明快な経済観念や正義感と、ファミリー・シットコムのような会話劇もさることながら、宇宙船が自転車の縦列を牽引しながら飛ぶという日常と非日常が融合した光景が子供の心をわし掴みにする。ハインラインのジュブナイルの中でも最も愛すべき作品だ。なおストーン家はハインラインの月作品には欠かせないキャラで、『月は無慈悲な夜の女王』では十代のヘイゼルが活躍し、さらに『獣の数字』、『ウロボロス・サークル』にも登場。『落日の彼方に向けて』ではヘイゼルに加えて双子のその後も語られている。また本作に登場する無限増殖する宇宙猫は、『スタートレック』のトリブルの元となっており、ハインラインはアイデアの対価にサイン入り台本のみを受け取った。(三村美衣)


69606
1990年11月
フィリップ・K・ディック『ジョーンズの世界』The World Jones Made, 1956
白石朗訳 解説:鳥居定夫
カバー:松林冨久治

 一九九五年、連邦世界政府の保安警察官ダグ・カシックは、カーニヴァルで人類の未来を占う男フロイド・ジョーンズに出会う。一年先までの未来を予知できる彼を政府は監視下に置くが、ちょうどその時〈漂流者〉と呼ばれる巨大な単細胞生物が太陽系外から飛来してきた。ジョーンズは愛国者連盟を結成して、星への移住を説きはじめる。七年後、連盟の勢力は政府と対立するまでに拡大した。〈漂流者〉の驚くべき正体が明らかになり、自らの死を予知したジョーンズは最後の攻撃にうって出ようとするが……。
『偶然世界』(ハヤカワ文庫SF)に続いてエース・ダブルから刊行されたディックの第二長編。人工的に作り出された異形のミュータント、能力を限定された予知能力者、知人を裏切るドラッグ中毒者、独裁者が支配する全体主義国家など、初期ディック作品に頻出するアイディアや設定がここまでで確立されたことになる。地球では生きていけないミュータントたちがようやく辿りついた金星で、これこそ自分たちの故郷だと落涙する場面は感動的だ。ディック自身もまた多数の作品を通じて、真の故郷を見出そうとあがき続けた作家であったと言えるのではないか。初期作品の中では完成度が高い。(渡辺英樹)


69801
1991年1月~
ロイス・マクマスター・ビジョルド《ヴォルコシガン・サーガ》Vorkosigan Universe
小木曽絢子訳 解説:訳者、ほか
装画:浅田隆 装幀:矢島高光

 ヴォルコシガン・シリーズの第一巻『戦士志願』に出会ったのは高校生の頃。大変な本を見つけてしまった、と仰天。しかもシリーズ物だと言うから、まだまだ続きが読めるではないか、と大興奮。それから早三〇余年にわたる筋金入りのマイルズファン、言うなれば遠縁の叔母/伯母みたいなもんだ。『マイルズの旅路』では感涙のあまり、暫く本を枕元に置いて寝た。
 マイルズからしたら迷惑極まりないだろうけれど、愛ゆえの暴走。全十七巻二十二冊、二百五十年を見守ってきたんだから、ちょっとくらいオバ面してもいいだろう。お気に入りの甥っ子の活躍に目頭を熱くしたり、ヒヤヒヤはらはらしたり、心から祝福を送ったり、拳を固めてただ見守ったり。ここまで来たら、オバは墓の底まで付き合う覚悟です。

 ヴォルコシガン・シリーズ、もしくはヴォルコシガン・サガは、アメリカの作家ロイス・マクマスター・ビジョルドによるSFシリーズ。
 その作品は二〇以上の言語に翻訳され、ヒューゴー賞を作品として四回、シリーズとして一回受賞している。ローカス賞二回、ネビュラ賞も二回受賞。また、ビジョルド自身に対しても、SFとファンタジーへの貢献に対して贈られるデーモン・ナイト記念グランドマスター賞が贈られた。

 以下、マイルズを軸に、刊行順ではなく時系列で紹介する。
 マイルズ・ヴォルコシガンは、生まれたときから先天的な障碍を持っていた。ベータ植民惑星のコーデリア・ネイスミス艦長を母に、バラヤーの国守の息子アラール・ヴォルコシガンを父に持つ恵まれた出自。だが誕生前にアラールを狙った暗殺事件が起こり、コーデリアが毒ガスを吸ってしまう。彼女を救うための解毒剤には強い催奇性があった。『バラヤー内乱』
 脆い骨を持ち、子供のような身長のマイルズは、長年の夢であった帝国軍士官学校へ入学することができなかった。けれどベータ植民惑星に向かう途中、偶然、封鎖された政府に兵器を届ける仕事を手に入れ、成り行き上、マイルズ・ネイスミス提督という歴戦の傭兵隊長を演じることに。人助けをしようとしたり、先立つものを手に入れようと四苦八苦するうちに、嘘から出た実(まこと)でデンダリィ自由傭兵艦隊が結成されてしまう。度胸とはったりと口のうまさで部下をどんどん集め、果ては内戦に干渉し、見事収めてしまうまでに。わらしべ長者的に加速していく状況と、毎回なんとか状況を収めてしまう口八丁手八丁な手腕が最高に楽しい。『戦士志願』
 二十歳になり帝国軍士官学校を卒業したマイルズは、辺鄙な島の気象観測基地に配属される。規律正しい生活を送ることができれば、宇宙艦隊に配属させると言われ暫くは我慢するものの、あっという間に問題を起こし、機密保安庁預かりとなる。へーゲン・ハブに送られたマイルズは偶然、行方不明となったグレゴール皇帝を見つけ出す。グレゴールを助けるためには、再びネイスミス提督になるしかない。『ヴォル・ゲーム』
 またこの年、国守代理として、障碍を持つ嬰児が殺された事件を解決する。「喪の山」(『無限の境界』に収録)
 敵国セタガンダ帝国の皇太后が逝去した。マイルズは、能天気な従兄弟のイワンと共に葬儀のため首都惑星に赴くが、セタガンダ帝国の陰謀に巻き込まれ、皇太后が残した謎と鍵、皇宮に残された美女たちの救出に関わる。『天空の遺産』
 遺伝子工学者の亡命を手伝うマイルズは、悪名高いリョーバル商館に潜入し、そこで遺伝子改変を受けた女戦士タウラと出会う。「迷宮」(『無限の境界』に収録)
 マイルズは捕虜救出のため、脱出不可能と言われるドーム型の施設に赴く。「無限の境界」(『無限の境界』に収録)
 マイルズの前に現れた、そっくりな男マーク。彼はマイルズに取って代わり、父アラールと皇帝グレゴールを暗殺する命を受けたクローンだった。『親愛なるクローン』
 マークはネイスミス提督のふりをして、バラピュートラ商館からクローンたちを助け出そうとするが失敗。救出に向かったマイルズは死亡、遺体も行方不明となる。ようやく探し出したマイルズは蘇生していたものの、自分が誰なのかすら思い出せなくなっていた。『ミラー・ダンス』
 マイルズは蘇生の後遺症で発作を起こし鬱状態となる。だが機密保安庁の長官シモン・イリヤンが精神に異常を来したため、国聴聞卿に任命され原因究明に乗り出す。『メモリー』
 ミラー衛星事故の調査のためコマールへ赴いたマイルズは、ヴォル階級のエカテリンと出会い心惹かれる。だがコマールでは密かに陰謀が進行していた。『ミラー衛星衝突』
 エカテリンに片思い中のマイルズ。だけど彼女は夫を亡くしたばかり。ひとまずヴォルコシガン屋敷の庭のデザインを依頼し、折を見てプロポーズしようと考える。『任務外作戦』
 遅い新婚旅行に出かけたマイルズとエカテリン。だがコマール船の護衛艦からバラヤー士官の一人が消え、マイルズは帝国聴聞卿として調査に赴くこととなる。『外交特例』
 学会出席のためキボウダイニに到着したマイルズは反乱分子に誘拐されてしまう。誘拐犯からは逃れたものの、冷凍施設の中で迷子になり、ジンという少年に助けられる。シリーズ完結編、マイルズ最後の冒険。『マイルズの旅路』
 マイルズ以外が活躍するスピンオフも多い。マイルズが生まれる二百年前、無重力空間で仕事をさせるために作り出された、四本の腕を持つクァディーたちの危機を描く『自由軌道』。デンダリィ自由傭兵隊の中佐エリ・クインと、男だけの惑星で育った青年医師イーサンが活躍する『遺伝子の使命』。タウラ視点で進む短編「冬の市の贈り物」(『任務外作戦』に収録)。イケメンで女の子大好きで能天気なマイルズの従兄弟イワンが、やっぱり女性絡みの事件に巻き込まれる『大尉の盟約』など。
 個人的お気に入りは、マイルズの母コーデリアと父アラールが出会う『名誉のかけら』。めちゃくちゃ勝ち気なジュリエットと、やや陰気で時折ぶち切れるロミオの出会いとロマンス。
 未訳はあと一編。エカテリンが主人公の"The Flowers of Vashnoi"。邦訳がとても楽しみ。
 長く険しい、だけど温かさとユーモア、多彩な登場人物に彩られたマイルズの歩みを、ぜひ一緒に体験して欲しい。そしてぜひあなたもマイルズの自称オジ・オバ仲間に。(池澤春菜)

70001
1991年2月
マイク・レズニック『サンティアゴ はるかなる未来の叙事詩』上下 Santiago: A Myth of the Far Future, 1986
内田昌之訳 解説:山岸真
装画:朝真星 写真:北口佳央 装幀:ワンダーワークス(吉永和哉)

 莫大な懸賞金が懸かった極悪非道の犯罪者、サンティアゴ。その正体を知る者はなく、数々の伝説だけが銀河に知れわたっている。だがいま、元革命家としての純な心を宿す賞金稼ぎのカインが、サンティアゴ追跡を開始した。時を同じくして、サンティアゴへのインタビューを試みる女性ジャーナリスト、通称ヴァージン・クイーンや、銀河系最高の賞金稼ぎのエンジェルら、ひと癖もふた癖もある連中が独自の思惑で動きはじめ、複雑に交錯するその軌跡が伝説に新たなページを刻む……。
 作者は抜群のストーリーテリングを持ち味とし、一九八〇年代にエンターテインメントの粋をきわめたスペースオペラを量産。中でも自他ともに認める最高傑作が、西部劇的ロマンをSFにそっくり換骨奪胎した本作である。本作を含む当時の作品の背景には壮大な未来史が設定されている。本作は二〇〇三年に続編が出た(未訳)。また映画化権が売れて脚本完成との報もあったが、二〇二二年末時点で長らく続報は途絶えている。
 本作のあと、『キリンヤガ』などアフリカ文化に材をとった作品で人気と評価をいっそう高めた作者は、九〇年代を中心に日米等でSF賞受賞・候補の常連となり、アンソロジストとしても活躍した。(山岸真)


69303
1991年4月~
チャールズ・シェフィールド《マッカンドルー航宙記》McAndrew Chronicles
酒井昭伸訳 解説:橋元淳一郎、訳者
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 本シリーズの魅力は、がちがちのハードSFをリーダビリティの高い上質なエンタメに仕上げている点だ。
 初読の方には、まずまっすぐ本文にとびこんでみることをお勧めする。短編九本をおさめた本シリーズは終始、主人公の相棒である宇宙船船長ローカーの一人称で語られる。第一話を読み進めてはじめて明かされる船長の姿にぜひ驚いてほしい。そして第二話第三話と物語が展開するにつれ、一枚ずつベールをはがすようにクリアになっていく船長の正体にも。
 主人公のマッカンドルーはニュートンと並び称される天才物理学者だが、作中ではとかく「変人」だと強調される。だが彼を変人呼ばわりしているのは語り手のローカーであって、客観的にみればマッカンドルーのふるまいは仕事熱心な研究者そのものだ。研究対象をペットのように愛で、相手の反応などおかまいなしに専門分野の話を何時間でも続け、新しいアイデアに没入すると周囲がまるきりみえなくなる。おかしなことなどなにもない。
 いっぽう、ふたりの前に立ちはだかる悪役はそろいもそろってとことん邪悪だ。たとえば、第一話冒頭でおおぜいのお供を連れて華々しく登場するのはなんと十億人を殺した超大物犯罪者である。巨悪に対峙するわれらがマッカンドルーとローカーのコンビはいつも苦戦を強いられ、しょっちゅう身体に穴をあけられたり指が飛んだりするのだがそこはだいじょうぶ。舞台設定は約二百年後なので医療技術が発達しており、失った指さえ再生できるからだ。物語のラストで悪いやつらが受ける報いも、その悪さに比例するがごとく徹底している。
 ハードSFの部分が盤石なのは著者シェフィールドが本職の物理学者であるがゆえだろう。第一話の発表が一九七八年、もっとも新しい最終話でさえ一九九九年発表なのに、まったく古びていないのは驚異的だ。おそらく著者は、何十年経っても古びない科学テーマを慎重に選び、そうでないものは「ここからはフィクション」の線の向こうへ持っていったのだろう。たとえば第一話に登場するカー・ニューマン・ブラックホールの理論は未来永劫不変であるが、それを宇宙船の動力とするのは当面フィクションのままにちがいない。
 著者が唯一読みちがえたのは第五話に登場する放浪惑星。みずから筆をとった巻末科学解説では、宇宙空間を自由に漂う惑星はみつからないだろうと述べている。だが事実はいいほうに転んだ。観測技術の進歩により、二〇〇二年を皮切りに、自由浮遊惑星はぞくぞくと発見されつづけている。
 その二〇〇二年、シェフィールドは脳腫瘍のため死去。六十七歳なんて早すぎる。もうけっしてマッカンドルーものの新作は読めないのだと思うと悲しくてたまらない。(松崎有理)


69702
1991年5月
バリントン・J・ベイリー『永劫回帰』The Pillars of Eternity, 1982
坂井星之訳 解説:中村紀夫
カバー:松林冨久治

 宇宙は何度も同じ時間を繰り返している。全ては予め定まっていて、同じことが永遠に(←誤字誤用にあらず)繰り返されるのみなのだ。……という大前提の設定がある。主人公ボアズはこれを全力で拒否せんと、単身で宇宙の法則そのものに挑む。
 スケール極大の個人冒険譚が頻出するワイドスクリーン・バロックの中でも、本書は無茶度が高い。物語はこの無茶ぶりに対し、熱量高く驀進することで応える。ハイテンションそれ自体が読みどころになるのだ。また大量の小ネタも強烈だ。たとえば主人公ボアズは、正気を保ったまま死ぬこともできずに長時間身を焼かれた経験(恐ろしい!)を持つ。その結果、ボアズの肉体の制御はハイスペックな宇宙船が肩代わりしており、この船を手足のように使うことで、彼は超人的能力を発揮するのだ。放浪惑星にある謎の文明、珍妙なスキルを持つ盗賊、時間研究を規制する政府などなど、それだけで物語の大ネタになりそうな設定がてんこ盛り。一々が楽し過ぎます。
 正直なところ仕上げは荒い。主人公ボアズは世界を変えることに最終的に成功するが、機序が不明確だ。でもまあいいじゃないですか。この強烈なケレンを前に、ツッコミは野暮というもの。読み耽る悦楽に身を任せましょう。(酒井貞道)


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1991年6月
フィリップ・K・ディック『虚空の眼』Eye in the Sky, 1957
大瀧啓裕訳 解説:訳者
装画:藤野一友「レダのアレルギー」 装幀:松林冨久治

 陽子ビーム偏向装置の実験中に起こった事故によって、見学に来ていた人とガイドの八人が観察台から強烈な磁場が存在する床に落下。奇跡的に軽傷だった見学者たちが目覚めると、そこは意識を失った八人の精神世界が順に発現してゆく世界であった。

 ディックは一九二八年生まれ、五五年にセグレとチェンバレンはカリフォルニア大学バークレー校の加速器ベヴァトロンを使った実験で反陽子を発見し、五九年にノーベル物理学賞を受賞している。本書の冒頭に事故が起こった日を五九年十月二日としている。ディック、三十歳の時である。見学者の一人、ハミルトンは電子工学専門家で妻のマーシャと共に事故に遭った。ハミルトンは、勤めていたミサイル調査研究所から妻の素行(穏やかな社会活動)を理由に休職に追い込まれていたのだ。これは、四九年から五〇年代前半に吹き荒れた共和党マッカーシーによる「赤狩り」が背景にある。今、読むと見えにくいが、同時代のグロテスクさがかなりストレートに反映されたディック初期長篇だといえる。巻末には訳者による詳細な解説付き、本書は八六年サンリオSF文庫から刊行された。(大倉貴之)


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1991年8月~
マイクル・P・キュービー゠マクダウエル《トライゴン・ディスユニティ》Trigon Disunity
古沢嘉通訳 解説:永瀬唯、大野万紀
装画:加藤直之 装幀:矢島高光

 一九八〇年代、人類を核の呪縛から解き放つべく進められていた国連の非公開プロジェクトが、核兵器を無効化する〈核の毛布〉の開発に成功した。しかし、あらゆる核分裂反応を阻害するこの装置は原子力発電も停めてしまい、世界をエネルギー危機に陥れる。結果として、核戦争は回避されたが人類の文明も大きく後退してしまった。そんな中、個人で細々と研究を続けていた天文学者が、宇宙からのメッセージとしか思えない電波を受信して……。第一作『アースライズ』では、ここから科学の再興、宇宙船打ち上げ、ファースト・コンタクトまでを駆け抜ける。一からの宇宙開発ではないので、星々への憧れだけでなく、科学に対する恐怖を和らげ取り除く政治・宗教的な取り組みを同時に描いてゆくのが特徴だ。かつての科学文明を失った西欧諸国ではなく、中国やインドを中心にプロジェクトが進むのもおもしろい。
 続く『エニグマ』では、一気に時代が進む。意外なファースト・コンタクトから数世代、人類は超光速の船を駆り宇宙のあちこちを探索するようになっていた。しかし、行く先々で出会うのは、見たことがあるような種族ばかりで……。コンタクト・チームの新米調査員を主人公とした一種の宇宙探検ものだが、波乱万丈の冒険よりもチーム内の人間関係やコンタクトのプロトコルが読みどころになる。いったん文明が後退したところから始まる前作同様、物語は一直線には進まない。いくつかのコンタクトを通じて、背景になっている人類社会を描き出し、引っ張ってきた大きな謎の答えにじっくり迫る。
 完結編となる『トライアッド』は、またまた時が進んで前作から百五十年後。前作で判明した事実により、人類は拡大方針を転換せざるを得なくなっていた。再び積極的に宇宙へ出てゆくために、最終兵器《トライアッド》を使用するか否かをめぐって委員会の意見は割れていたが……。核兵器を強制的に停止したところから始まった物語が、再びここに戻ってくる。さまざまなコンタクトを経た人類が、どんな決断を下すのか。ここまで仕掛けてきたSF的な設定を随所で使いながら改めて問い直される問題は、現代にも通じるものを孕んでいる。
 コンタクト、宇宙探検、戦争など、各巻ごとに扱うテーマや趣向は異なるが、全篇を通して共通しているのは、科学技術だけでなくその扱いを決めるプロセスをきちんと語ろうとする姿勢だ。登場人物の内面から人類全体の方針を決める政治的な駆け引きまで、丁寧に描き出してゆく。アイデアに厚みを加えるそんな作風が評価されたのか、アシモフのロボットものスピンオフやクラークとの合作なども手がけ、八〇~九〇年代を中心に活躍した作者だが、残念ながら最近は本国でも新作を発表していない。(香月祥宏)


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1991年11月
メリッサ・スコット『遙かなる賭け』The Game Beyond, 1984
梶元靖子訳 解説:C・J・チェリイ
装画:杉本要 装幀:矢島高光

 豪華絢爛、宇宙版宮廷絵巻。色恋あり、策謀あり、裏切りあり。野心と駆け引き渦巻くビルドゥングス・ロマンス。
 舞台は地球人類〈連邦〉の外れにある辺境の〈帝国〉。女帝崩御の知らせを受け、色めき立つ帝位請求権を持つ貴族とその取り巻きたち。ところが開封された遺言に次期皇帝として記されていたのは、長年女帝の愛人と見なされていた一介のギルドマスター、ケイラの名前だった。この指名に納得のいかない上級貴族(メイジャー)、下級貴族(マイナー)入り乱れて、権力争いが始まる。
 本書をSFたらしめているのは〈能力〉(タラント)と呼ばれる超能力の存在だ。人々の表情や反応を解読し、未来を〈読む〉力。有力な貴族ほど強い〈能力〉を持つ。貴族たちは遺伝子の疵と引き換えにしても、より強い〈能力〉を獲得しようとする。
 かつて絶えた大公家の末裔であるケイラは、誰よりも強大な〈能力〉を武器に、陰謀渦巻く宮廷に乗り込んでいく。祖先が遠い昔に交わした賭けに勝つために。
 緻密で厳格な社会設定と複雑な政治背景は、歴史学を学んだ著者ならでは。デビュー作である本書にもその特徴が良く表れている。C・J・チェリイの解説「未来戦争についての考察」も読みどころ。(池澤春菜)