訳者あとがき
ヒエログリフは、いつ誰がどのようにして解読したのかと問われて、「十九世紀初めにフランスのシャンポリオンという学者がロゼッタストーンを手がかりに解読した」と答えられれば、世界史のテストではひとまず正解だ。しかしロゼッタストーンという「固い石からできた一枚の窓」から、解読に至る歴史を覗いてみると、そんな一言で、簡単にくくってしまってはいけないと思えてくる。「そこから覗けるのは、解読へ向かう本道ばかりではない。その背景にある言語という沃野(よくや)や、歴史の脇道や、人間の生み出した文化が深化していく過程までが、すべて覗ける」と著者はいう。
原書のタイトルはThe Writing of the Gods――直訳すれば、「神々の文字」であり、日本語では「聖刻文字」と訳されることの多いヒエログリフをさしている。古代エジプト時代につくられた神殿やオベリスクに刻まれた、摩訶不思議(まかふしぎ)な絵文字の羅列。三九四年に、ナイル川上流にあった神殿の壁に刻まれたのを最後にヒエログリフはつかわれなくなり、以降誰にも読めない、意味不明のものとなる。後世のヨーロッパの学者たちは古代エジプトを神聖視するあまり、「ヒエログリフが伝えるのは日常的なメッセージではなく、深遠な宇宙の真理である」とすら考えた。
以降、さまざまな人間が解読に挑戦してきたものの、いっこうに成功せず、長きにわたって膠着(こうちゃく)状態が続いていた。そこに大きな風穴を開けたのが、十九世紀になって登場したふたりの天才学者、トマス・ヤングとジャン=フランソワ・シャンポリオン。このふたりが生涯をかけて挑んだ究極の解読レースの模様を追うというのが、本書の中心テーマだ。
古代文字解読の歴史はいつの世でも人気で、なかでもロゼッタストーンとヒエログリフに関する類書は多数出ており、いずれも読者の興味を引きつけてやまない。しかし、扱うのは文字学や言語学であるので、どうしても難解な側面があり、そこで挫折してしまう読者がいるかもしれない。
しかし本書は違う。ヒエログリフを中心に、いまだ謎の部分が多いとされる古代文字の話題を取りあげながらも、難しい話は一切出てこない。遙か昔に長年月(ちょうねんげつ)をかけて生み出され、言語とともに生き栄え、言語の滅亡とともに捨て去られ、忘却された古代の文字。まるでひとつの生物種のように、誕生、進化、衰退、絶滅というプロセスを経た文字が、ロゼッタストーンという〝化石〟として発見され、研究されることによって、在(あ)りし日の姿と生態を徐々に現していく。そんな文字のめくるめく歴史が、それに関わり、翻弄(ほんろう)された、生身の人間たちの人生とともに読者の目の前にありありと展開するのである。
ヒエログリフが刻まれたオベリスクを三年もの歳月をかけてイギリスの自邸に持ち帰り、解読者たちに貴重な資料を提供しながらも、哀れな末路をたどったウィリアム・バンクス。ぎっしり詰まったミイラと顔をこすり合わせながら墓の地下深くの狭い道を進んでいって盗掘し、ヒエログリフを解く重大な手がかりを掘り当てた元サーカス芸人の怪力男、ジョバンニ・ベルツォーニ。ヤングとシャンポリオンを主役とする解読劇に、なくてはならない役割を果たしながら、時の流れに埋もれてしまって、いまではその名も忘れ去られた個性豊かな名脇役たちも、ここでは往年の姿のままに颯爽(さっそう)と蘇(よみがえ)る。
ロゼッタストーンという窓からは「歴史の脇道」も覗けると著者はいっているが、そこへの寄り道もまたすこぶる面白い。「まさか、そんなばかな……」と読者を啞然(あぜん)とさせる、負けの込んだナポレオンがエジプトに兵士を残してこっそり母国に帰る遁走劇(とんそうげき)。ミイラにした生き物が売れるとわかると、ボロ布と骨のかけらを包帯でくるんでネコやハヤブサの形に仕立て、死後の世界をともに生きる永遠のパートナーとして法外な金で売りつけていた古代エジプトの悪徳商人たち。紀元前二五〇〇年、紀元前一五〇〇年、紀元前五〇〇年につくられた彫像のあいだに大した違いはないという古代エジプトの極端すぎる保守性などなど、面白いエピソードが無数の脇道をつくって、作品世界を豊かにしている。
しかしなんといっても圧巻は、肉体の死を超えて生き続けたいという古代エジプト人の願いに、ある意味で応えるかのように、一度死んだ古代エジプト文字を数千年の時を超えて蘇らせた、ヤングとシャンポリオンの偉業だ。ほぼ正反対の性格といっていいふたりは、まったく異なるアプローチでヒエログリフの解読に挑みながら、互いを意識して熾烈(しれつ)な競争心を燃やす。飽くなき好奇心と知的欲求に取り憑かれたようなふたりの人生を見てくると、難解極まる謎にどこまでも食らいついていく人間の知の執念に震撼(しんかん)する。
著者のエドワード・ドルニックは一九五二年生まれのアメリカのジャーナリスト・作家。『ボストン・グローブ』紙の元サイエンス・ライター主幹で、『アトランティック・マンスリー』、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』、『ワシントン・ポスト』などに記事を寄せてきた。一九九八年にMadness on the Couch: Blaming the Victim in the Heyday of Psychoanalysis(未訳)を出版したのを皮切りに、確かな科学知識と入念な取材に裏付けされた興味深いノンフィクション作品を続々と発表している。二〇〇六年にアメリカ探偵作家クラブ賞のベスト・ファクト・クライム部門で受賞を果たした『ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日』(河野純治訳・光文社刊)は日本でも紹介されており、「ミステリーより面白い、スーパー・ドキュメント」という謳い文句に違わぬ面白さだ。
読者の心を揺さぶらずにはおかない、迫力あるノンフィクションを得意とすることで定評があるドルニック。最新作である本書は現時点における彼の最高傑作といえよう。
冒険小説を読んでいるのに等しい興奮を覚えながら夢中でページを繰るうちに、自分のなかに眠る細切れで脈絡のないバラバラな歴史の断片が、著者の巧みな比喩(ひゆ)や例示、明快かつ痛快な論調によって、ものの見事につながっていき、随所に目が覚めるような驚きの事実がちりばめられていく。まるで複雑緻密なパズルが組み上がって、脳内に壮麗な歴史絵巻が浮かび上がるような、えもいわれぬ心地よさに陶然となる。「まさに読書の喜びここに極まれり」とつぶやきつつ、深い満足感をもって本を閉じること間違いなしの作品だ。
「知る」ことは、まさに究極のエンターテイメント。ああ、世界はこんなにも面白い出来事であふれていたのだと、目の前が一気にひらけてくるような感覚をぜひ味わっていただきたい。一冊の優れたノンフィクションがもたらしてくれる極上の読書体験はなにものにも代えがたく、もっともっと本を読みたいと、知的好奇心と読書欲をますます刺激されること請け合いだ。
最後になりましたが、綿密な原稿整理と校正により、素敵な邦訳版をつくりあげるのに尽力してくださった、編集の桑野崇さんと校正者の方々に心より感謝を申し上げます。
二〇二二年十一月
■杉田七重(すぎた・ななえ)
東京都生まれ。東京学芸大学卒。英米文学翻訳家。主な訳書にウィリアム・ダルリンプル&アニタ・アナンド『コ・イ・ヌール』、ジェラルディン・マコックラン『世界のはての少年』、クリス・ヴィック『少女と少年と海の物語』などがある。