先日、必要あって一九八〇年代頃の小説を読んでいたのだが、そこで描かれる男女関係があまりにも古びて感じられ、なるほど、フェミニズムは読者の意識をラディカルに変革したのだなあと思わずにはいられなかった。

 今回のイチオシ、アフリカ系アメリカ人女性作家の草わけ的存在として知られるオクテイヴィア・E・バトラーの『血を分けた子ども』(藤井光訳 河出書房新社 二三五〇円+税)は、ヒューゴー、ネビュラ、ローカスの三賞を受賞した表題作を含む短編七作とエッセイ二編を収録した作者の代表的な短編集。その表題作は、地球人が移住した惑星の支配種族が、自(みずか)らが選んだ男性に卵を産みつける代わりにその家族を保護するという共生関係を描くめくるめくラブストーリー。困難を乗り越える主人公の決断が凄惨(せいさん)なまでに官能的で、私が男性だからか存在を根底から揺さぶられるような感動がある。その他、遺伝子疾患という〈呪い〉をめぐる物語「夕方と、朝と、夜と」、ウィルスによって言語能力が失われる疫病(えきびょう)が蔓延(まんえん)する「話す音」など、どれも身体に網目のように張り巡らされた権力と情念を重層的に描いている衝撃的な作品だ。個々の作品に作者自身による解説がつき、また書くことについて真摯(しんし)に語ったエッセイも含めてきわめて立体的に作家のコンセプトが理解できる。本国ではSFのみならずアメリカ文学の重要な作家として認知され、N・K・ジェミシンなど多くの作家にリスペクトされている存在だが、日本でもついに時宜(じぎ)を得てアリス・ウォーカーを思わせる初期長編『キンドレッド』の翻訳が復刊、本書に続いて代表作とされる長編『種を蒔(ま)く者の寓話』の翻訳刊行も予告されている。

 ジャネット・ウィンターソン『フランキスシュタイン』(木原善彦訳 河出書房新社 三八〇〇円+税)は、クィアな思弁が炸裂(さくれつ)するトランスヒューマンでテクノゴシックなラブストーリー。一八一六年、メアリー・シェリーが夫君と妹クレア、そしてバイロン卿(きょう)とその主治医ポリドリと過ごしたディオダディ荘を起点とし、二百年後の現代で先の人物たちとほぼ照応する登場人物たちの物語が並行して、めまぐるしく時空と場面を変え優雅で残酷な、時に時代錯誤的ですらあるスノッブな会話/議論を繰り広げる。メアリーは先進的であるようで女性差別主義者である男たちに苛立(いらだ)ち、精神的な彷徨(ほうこう)の果て、自らが創造したヴィクター・フランケンシュタインに出会う。一方AI研究者、トランス男性の医師、セックスボットの企業家、フェミニストの雑誌記者、敬虔(けいけん)なクリスチャンといった現代の登場人物たちは、技術によって根底から揺さぶられる「人間」という観念及びセックスとアイデンティティーの境界線の上で衝突し続ける。二つの時代は人物と引用とイメージの連鎖によって複雑に関係づけられ、詩的で美しい描写と悪意溢(あふ)れる皮肉なユーモアに彩(いろど)られた演劇的な構成の長編小説だ。

 宮澤伊織(みやざわ・いおり)『神々の歩法』(東京創元社 一八〇〇円+税)は、第6回創元SF短編賞受賞作である表題作に始まる連作シリーズ。魚座で起きた超新星爆発のために高次幾何(きか)存在の文明が崩壊し、錯乱(さくらん)状態で地球にたどり着いた彼らは、現地の生物に憑依(ひょうい)して災厄を巻き起こす。〈セキュリティ多胞体〉というカウンターアタックのみを戦闘手段とする存在「船長」に憑依されたチェコ人の少女ニーナは、一夜にして十五歳の身体に変容させられ、次々に現れる憑依体と友人になろうとし、あるいはそれに失敗して戦うことになる。ニーナを支えるのは米軍サイボーグ部隊の屈強な男たちに陰険なCIAのエージェント。さらに友人になった、というか戦って従わせた〈死の聖母〉カミラ。キャラが立っていてスピード感のある展開と、密度の濃いSF的アイディアに緻密なミリタリー設定と何拍子も揃ったエンタメSFだが、憑依されるものたちがアメリカに密入国して日本で強制労働させられていたメキシコ人やら、密猟者から逃げていた象の群れやらロシア帝国復興を夢見る老知識人やら、現在の世界の暗部を否応(いやおう)なく意識させられる存在たちで、読後も複雑なモヤモヤ感が残るのが素晴らしい。シリーズはまだまだ続くようなので、どんどん嫌な情景を見せてくれるのを期待したい。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。