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●10月某日 『君のクイズ』小川哲

 深緑野分39歳、普通自動車運転免許の仮免許を取得しました!! それもちょうど誕生日の6日、仮免学科試験の結果通知が来たのです。いやあこれは嬉しい。
 正直、前回書いたように、仮免許ですら危ういと思っていました。教官からいつまで経っても同じことで注意されるし、学科も授業はちゃんと受けたけど効果測定とかやると「そんなん知らんが!?」みたいな問題(習ってない二輪車とか)が出てくるので……
 でもでも、技能も学科も一発で合格できました。よかった。実は技能、ふたりひと組で乗車して試験を受けたのだけど、私の前にやった若い女性がシートベルトを付け忘れたり教習所内コースを逆走しちゃったりして、申し訳ないながらちょっと緊張が解けたのもある。
 しかし大変なのはこれから……そう、路上教習である。教習所内という優しく温かい繭(まゆ)のような箱庭世界から、悪辣暴虐(!?)な社会に出て、車と一緒に揉(も)まれないといけないのである。車社会のルールを肌身で感じろ! 学べ! というやつである。冗談抜きに、これから100km/h以上出すことのできる鉄の塊(かたまり)に乗って、一歩間違えたら人を殺してしまいかねないという世界に、自分は行くのである。私だってもしかしたらその日が命日になってしまうかもしれない……

 そして次の週から路上教習がはじまった。教習所のコースを出て左折、まわりの先輩車たちの列に加わりつつ右折、道幅は狭い、ガードレールがすぐ左にあるのに対向車がばんばん来る、そして歩道からはみ出して歩く人や自転車……いやもうまじ勘弁してくれ!!!!! 自転車を使うみんな! まわりには良く注意して走ってね! あと横断歩道のないところを横切ったり、斜め横断したりするのはやめてください本当に心からお願い……!!!!
 ……と内心悲鳴を上げ、冷や汗だらだらかきながら路上がんばりましたよ。学科も順調にこなし、やれることがどんどん増え、やがて教習所のコースに戻ってくると、めちゃくちゃ狭く感じるし、スピードも遅く感じる。以前は30km/hを超えるだけで怖かったのに、今は普通に40km/h出せちゃうし、国道に出て60km/hもいけてしまった。
 世界は広い。びゅんびゅん行ける。でもそこが怖い。だんだん慣れていくと同時に、ひとつひとつ細かく点検しては走っていた所内の正しいルールから外れて、緩くなっていきそうな自分が怖い。
 しかし、交通ルール、道交法ってすごいですね。とてもよく出来ている。横断歩道や曲がり角の5メートル以内は駐停車禁止ですが、このルールを破って停められるとマジで困る。曲がる時に大変なだけでなく、直線道路でも、信号がない横断歩道を渡ろうとする人が見えにくくなるし。他にもいろいろある。大きなルールから小さなルールまで、とにかく細かく設定してあるからこそ事故は未然に防げるし、道路ってとてもシステマチックにできているんだなあと思いました。

 それから高速教習もやったけど、加速車線で80~100km/h出して合流するのは富士急ハイランドのドドンパかよと思うくらい速かったし、まだアクセル踏んでいいのマジで!?と大混乱だったし、一緒に乗ったスポーツ系ギャルの女の子は「もう二度と高速使わない!!!」と絶叫していた。でもそれでも、高速を降りて40km/h制限通りに走ると、なんかめちゃくちゃ遅く感じるね、という話もした。いや、運転って全然日常生活と違う。何かのスイッチを切り替えて、運転モードにしなくちゃいけない。だから普段と違う性格(素が出るとも言われるけど)が出やすくもなるんだろうな。

 とにかく気をつけたい。安全運転、マナー、だいじだいじ。
  
 さて読書。小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版)を読み終わる。

 テレビを最近まったく観ないのであれだが、早押しクイズってまだ番組として人気があるのだろうか? YouTubeでは人気のあるコンテンツらしく、たまにおすすめ動画としてサジェストされる。
 2000年代は特にクイズ番組が多かった気がするけど、私の世代だと、『高校生クイズ』とか『マジカル頭脳パワー!!』とか『TVチャンピオン』とか、そういう番組が懐かしい。作者の小川哲もこの手の番組は観ていたんじゃないかな。なにしろ『君のクイズ』のクイズ番組描写はとても解像度が高いので。
 
『君のクイズ』を読んでいると、早押しクイズも、将棋や囲碁と同じく競技なのだとわかる。それも頭脳ばかりでなく反射神経や思い切りのよさなども試されるらしい。
 あらすじはこうだ。クイズ番組界の超新星にならんとする新番組『Q-1グランプリ』。三島玲央と本庄絆というふたりの解答者を残した、緊張感漲(みなぎ)るその決勝の場、次で優勝者が決まる問題が出題される――その直前に、早押しボタンが押された。ランプがついたのは本庄絆。まだ1文字も問題が読まれていない状況でのボタン押し、これは明らかにミスだろうと、誰もが本庄絆の負けを確信した次の瞬間、彼は答えを述べる。高らかに鳴る正解の音。優勝したのは本庄絆だった。
 なぜ問題が1文字も読まれていないのに本庄絆は正答できたのか? 1文字も読んでいない問題に正解することなどできるのか?
 そんなの、事前に答えを知っていたに決まっている。世間は本庄絆と番組の「やらせ」を疑い、SNSをはじめ炎上騒ぎとなる。しかし彼の対戦相手だった三島玲央は、なぜか本庄絆がやらせをしたとは思えなかった。
 どうして本庄絆は、1文字も読まれていない問題に正解できたのか? 三島玲央はその謎を探りながら、自身の早押しクイズ人生を振り返っていく。

 限定的な状況で、あり得ないことが起きる。これは本格ミステリの切り口だ。そして主人公の三島玲央が情報を収集していくやり方も探偵のそれに近い。けれど手触りには文学のなめらかさがあり、本庄絆を通して、玲央が改めてクイズという存在と向き合うことが主軸になっていく。私は映画『スラムドッグ$ミリオネア』(原作ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』ランダムハウス講談社文庫)を思い出した。なにしろ私はこの映画が大好きだからだ。無学な主人公がなぜ高難易度のクイズに正解できたのかを問われると、人生の瞬間、きらめくような一瞬が甦(よみがえ)り、「問題に答えられたのは運命だった」と話す。それと似通うテーマが底を走っている。
 しかし小川哲が描く『君のクイズ』はそんなに甘くない。ビターで、アイロニックで、どこか寂しくて冷たい。また天才VS天才の構造は小川哲の得意技だが、天才同士がどのような関係になるかは作品によって異なるので、作者のファンは読み比べてみるのもまたオツな楽しみ方だと思う。
 ……うーん、私自身だいぶディープな小川哲ファンになってきているな。悔しいぞ。
 作中、ところどころで作者がインタビューで答えていたり、エッセイや短篇で書いていた事柄が出てきて、ちょっとクスッとした。


君のクイズ
小川 哲
朝日新聞出版
2022-10-07




 教習所の卒業検定に(なんとか)受かりました! いやほんとギリギリ……だったと思う。大きなミスはしなかったけど、小さなミス、速度をちゃんと出せなかったり、左折時の左寄せにビビったりで注意された。同乗で卒検を受けた若者二名より私の方が全然、点数が低かった。受かってよかった……
 そして次はいよいよ本免学科試験である。
 私も教習所通いをはじめるまで知らなかったのだが、運転免許というのはこういう課程を経ることになっている。
 仮免許技能試験合格→仮免許学科試験合格→仮免許取得→本免許技能試験合格(教習所卒業)→本免許学科試験合格(各都道府県にある運転免許試験場)→自動車免許取得
 ちなみに教習所には、都道府県公安委員会が指定した「指定自動車教習所」と、指定されていない「届出教習所」の二種類がある。指定自動車教習所を卒業すると、運転免許試験場での技能試験が免除される(卒業検定がこれです。指定教習所を卒業した証=技能試験の免除)。つまり、別に教習所に通わなくても、いきなり運転免許試験場へ行って本免許技能・学科試験の双方に合格しさえすれば、免許は取れるってわけ。ただし99.999999%無理だと思う。とりわけ運転免許試験場は警察の施設なので、まあ難易度もめちゃくちゃ高いらしい。
 ともあれ、そんな運転免許試験場へ私も行ってきた。直前まで学科試験の勉強をして頭の中スーパーぎちぎち状態で……!

 到着したのは東京都の東陽町にある警視庁江東運転免許試験場。昭和のビルらしい古い建物についついテンションが上がってしまう。警察の施設なので中の人はみんな警察の人だ……おお……そら当たり前だ。受付で試験手数料を払い、視力検査を受け、エレベーターで上階に向かう。学科試験だけじゃなく免許にまつわるいろんなこと(更新手続きとか講習とか)がここで行われるので、様々な世代の人が来場している。
 エスカレーターを上がっている最中、いかにも手作り感のある、ラミネート加工された案内POPを見つけた。4階に食堂があるらしい。それも私の大好きなタイプの気配がする。メニューのラインナップはカレー、ラーメン、定食、コーヒー。カレーの写真は見るからにサラサラで具なしの、いわゆる昭和スタイルのカレーだ。そして失礼を承知で書くと、概して「あんまりおいしくない、地味、レトルトと大差ない」とか言われちゃうやつ。だが私の中の井之頭五郎はめちゃくちゃはしゃぐ。何しろ私はこういう公共機関にある食堂フェチなのである!
 午後の試験の受験手続きをした後、開始時間まで間が空いたので、その食堂へ行った。免許交付窓口の脇にあり、またしてもラミネート加工のPOP式で「食堂入り口」とでかでか書かれている。食券機には予想よりも豊富なメニューが表示されていて、「おっ」となった。カツカレー、エビフライカレー、醤油ラーメンセット、つけ麺セット、アジフライ定食、中華丼……この食堂、回転がいいな? つまりなかなか人気があるんだろう。再び私の中の井之頭五郎がフムフム顔をする。
 悩んだけれど結局選んだのは普通のカレーライス。温玉(おんたま)も乗せずにシンプルに食べた。でもでも、このカレーライスとても美味しかった。牛肉ちゃんと入ってるじゃん!! 一かけだけど、でもそこがいい。あとやっぱ福神漬けですよね。水色と緑色の中間色みたいな淡い色合いのお皿もきれいで、よくあるピンク色の「ザ・食堂のトレイ」に載せるととても映える。
 こういうタイプの食堂が好きな理由、味ももちろん好きだけど、働いている人やシステムの構造がはっきりとわかりやすいからかもしれない。食券機で券を買い、カウンターで白い調理服姿の従業員さんに渡す。厨房は丸見えで、大きな鍋や炊飯器がもうもうと湯気を立て、フライヤーでは何かが揚がっている。この独特の姿は公共機関の食堂に顕著だけど、マクドナルドなどのキッチンを見るのも好きだ。オリジナリティもいいけど、均一な味、量、値段を保つためにシステム化されたものを、私は美しいと思う。私には不可能な、正反対な性質を持つものだからかもしれない。
 それは道交法に対してもそうで、免許を取ってみると交通ルールの緻密さ、機能美に惚れ惚れしてしまう。全員が道交法を100%守れば事故は起きない――つまり、理想だ。公共の食堂もそう。たぶんソ連などの共産主義もそうだったんだろうし(スタローバヤなんかまさにそうだ)、社会主義もそうかもしれない。でも、人間も現実も変数が多すぎてままならないので、絶対に事故は起こるし、ゴキブリは出るし、壊れた食器は補充されないし、理想は保たれない。「こんなカレーライスはまずい、もっとうまいものを食わせろ」と言う人は大勢いるだろうし、「500円もするこんなカレーライスを食べるくらいならもっと安いレトルトを買った方がいい」というところまで経済が貧しくなっているかもしれない。
「現実」はそうだ。そしてもし公共食堂の食事を毎日毎食食べなければならなくなったら、さすがの私も数日で飽きて逃げ出すだろう。なんだかんだ言って自由な方がいいもの。でもそれでも私は、だからこそ理想は美しいと思うし、ほんの一時、食堂の客としてシステムの一部に組み込まれ、規則正しくて清潔な「理想」に浸るのを、心地よく感じるのだった。

 話がめちゃくちゃ逸れてしまった。
 本免学科試験は無事合格、一発ストレートで普通自動車免許が取れました!! 免許証を手に入れた瞬間の嬉しさ込み上げは無類。道交法きっちり守って運転するぞ~!
(ちなみにあまりにもここ江東食堂が気に入ったので、免許証発行までの時間つぶしにまた訪れ、醤油ラーメン食べてコーヒー飲みました。どっちもめちゃうまでした)

 さて読書。
 マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』(酒寄進一訳 東京創元社)を読み終わる。

 凄(すさ)まじい技巧短篇集である。「参りました」とシャッポを脱ぎたくなる。私は翻訳短篇小説が好きなのだが、カシュニッツの巧さはちょっと、そんじょそこらでは見つけられない。
 
 その巧さは冒頭に収録されている一編「白熊」だけでも実感できるだろう。以下、出だしの文章を引用する。


 やっと帰ってきた、と女は思った。玄関ドアの鍵が開く音がしたからだ。すでに床についていたが、その音で目が覚めた。でも、どうしたのだろう。夫は玄関の照明をつけずにいる。寝室のドアは玄関の方を向いていて、半開きにしてあるから、照明がつけば見えるはずだ。
「ヴァルター」と声をかけ、女はすこしのあいだびくびくした。ドアを開けたのが夫ではなかったらどうしよう。知らない男、たとえば泥棒が忍びこんで戸棚や引き出しを物色するつもりかもしれない。女は寝たふりをした方がいいかなとも考えたが、泥棒がいるときに夫が帰ってきて、拳銃で撃たれたりしたらたいへんだ。女は怖かったが、とにかく明かりをつけて、そこにだれがいるのかたしかめることにした。ナイトテーブルのランプから下がっている鎖に手を伸ばす。と、そのとき夫の声がした。
「明かりはつけないでくれ」
 夫は寝室のドア口に立っていた。


 この先、夫婦はどうなるだろうか? 夫はなぜ明かりをつけないでくれと頼んだのか? 夫婦の仲はいい? 悪い? 妻の方は夫の心配をしているので、愛情があるのは間違いないようだ――などなど、展開が気になる、ぐっと引き込まれる導入部分じゃないだろうか。
 たいしたことが起きているわけじゃない。ただ、夫が帰ってきたのに玄関に留まったまま電気もつけずにいる、それだけだ。なのにとても気になる。頭の中のアラートが鳴る。何か異常なことが起きているぞ、と。しかもこれほど簡潔な文章にもかかわらず、情景がありありと浮かんでくるし、家の構図も、女の姿勢も感情も、夫との距離感もわかる。
 巧いとはこういうことだ。日常に起きたひずみ、まるで、静かで規則正しく動いていたはずの心電図が、突然びくりと異常な動きをするその瞬間のような、わずかなのに緊迫感に満ちているシチュエーションの選び方、その切り取り方、言葉選び、そのすべてが巧い。
 それでいてタイトルが「白熊」だ。まったく状況に似つかわしくない動物のイメージが、先を読み進めるごとに濃く、印象的になっていく。

 いったい何者なんだ、この作家は? 1901年ドイツ生まれ、1974年没。96編もの短篇を書き上げ、これまで邦訳が発表されたことはあるけれど、日本では知られざる作家と言ってもいいくらいの知名度だ。しかしドイツ本国では数々の文学賞を受賞するなど高く評価されている。

 注目すべき作品はもちろんこの一編だけではない。本文211ページと決して厚くない、むしろ薄い部類に入る本にもかかわらず15編も入っている、そのどれもが鋭く、良質である。静謐(せいひつ)という言葉がよく似合う。ベルリンを取材で訪れた際に見た、掃き清められ磨き上げられた白いタイルを思い出した。
 ジャンルとしてはディーノ・ブッツァーティやサキなどに代表される「奇妙な味」に分類が近いが、私は少し違う味わいを感じた。確かに相当奇妙な設定や展開が多いのだが、それ以上に人間に軸を置いている。日常の中の非日常、ひずみ、気がついたら何かがズレていたが、もう後戻りできない上に差異はどんどん広がっていくような、焦りと諦念。そういったひずみに対して人間はどう感じたか、どう行動したか、最終的に何を選んだかに、重点がある。世代は30年ほど異なるが、どことなくルシア・ベルリンと親和性があるようにも思う。
 
 特に私が好きな作品は「白熊」「船の話」「六月半ばの真昼どき」「ルピナス」「長距離電話」「四月」「人間という謎」だ。中でも「ルピナス」は第二次世界大戦を経験したドイツ人が書いたという点でも興味深いし、これほどの結末、私のような凡才にはとても思いつけない。なんという結末の一文だろう。美しく哀しいイメージの向こうにある、隠しようもない凄絶さに、読者は言葉を失う。ああ、「私」じゃなければよかったのに。
 あと、「長距離電話」もいい。電話の会話の一方だけの視点から書く、若い男女のカップルと男側の家族のやりとり。現実にありそうだし、ブラックユーモアが利いているが、まさかこんな展開をしてこんな結末を迎えるとは。軽んじられやすい若い女性のつらさ、めちゃくちゃわかる。

 この見事な本の話はいつまででもしていたいが、それだと文字数がひどい量になるので、このあたりでやめておく。私が陳腐な千の言葉を尽くすより、実際に読んでもらいたい。
 装幀も大変美しく、非常にドイツ的なセンスだし、内容によく合っている。見返しも凝(こ)っているので、ぜひ紙の本で手に入られたし。


その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ
東京創元社
2022-09-30



 長篇は執筆したし刊行もしたけれど、全体的には静かに伏していた2019年、2020年、2021年の後、2022年は私的には相当な飛躍をした年になった。作家としての活動は全然で、本当は長篇を書きはじめるはずが立て込んでしまった短篇の仕事でいっぱいいっぱい、長篇は設定とプロットを考えるくらいで終わった。

 2022年、某ギャグアニメの後、漫画『吸血鬼すぐ死ぬ』(盆ノ木至 秋田書店)にハマり、かつてない怒濤(どとう)の勢いで同人誌を買いまくったかと思うと、これまでほとんど使わなかったYouTubeのプレミアム会員登録をして初スパチャをし、その次は運転免許を取るため教習所に通い、2ヶ月弱で免許取得した。そして先日、車を買った。マイカーだ。まさか私が車を!?と自分で自分に半信半疑だが、本当に買っちゃったのである。
 しかもディーラーの予約確保分とこちらの要望が合致したので納車まで1ヶ月ととても短く、12月1日に手に入れることができた。9月下旬に教習所通いをはじめ、12月にマイカーを乗り回している……なんというスピード感。
「自分の車」はとても素敵だ。移動できる個室だし、タクシーと違って自分の行きたい時に行ける。Bluetoothでスマホと繋げば好きな音楽も聴ける。何より私だけのマシンというのがいい。メカやロボットに憧れて車を買う人は多いだろうなと思う。運転席はコックピットだ。
 
 そういえば今は『機動戦士ガンダム 水星の魔女』にハマっていて、毎週日曜の放送をリアルタイム視聴するのが何よりの楽しみになっている。推しはみんな大好きグエル君だ。恥ずかしながらガンダムを一度も(どのシリーズも!)観たことがなかったので、モビルスーツのかっこよさに圧倒されている。ついついお絵かきをして仕事の原稿がおろそかになっていて……元々人物を描くのが苦手で、キャラクターのファンアートは全然できなかったのだが、モビルスーツならなんとか描ける。コピックもたくさん買ったので年末年始はこれで遊ぶぞ(原稿が終わってから)! ちなみに一番好きなMSはディランザとエアリアル。ダリルバルデよりディランザ派です。プロローグのルブリスもいいな!
 そういう話をしたら、友達から「画力は大人だけどやってることが小学生なんだよ」と言われてしまった。いいんだ、小学生で!
『水星の魔女』を観ていると、「神は細部に宿る」は真実だなと改めて感じる。緻密(ちみつ)な人物設定と世界設定があり、それぞれが複雑に絡み合っているのだが、その緻密さはセリフや仕草のほんの一端に垣間見えるだけで、主張はしない。だがそのちらりと見える一端に、濃密な情報量が含まれているのがわかるのだ。エンジンが巨大な物語はその情報量の多さゆえに出し惜しみがなく、視聴者・読者の想像力を無限に引き出してくれ、しかもそれを裏切り、予想を上回る展開を見せてくれる。私はそういう物語が大好きなのだ。

 さて読書。このところ短篇集ばかり読んでいて、これもそうなる。『アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション』(岸本佐知子、柴田元幸編訳 スイッチ・パブリッシング)だ。

 先の読書日記で書いた『その昔、N市では』も「異色短篇」と呼ぶのが相応しいかもしれない。
 本書『アホウドリの迷信』は、翻訳小説読者なら知らぬ者がいないほど著名な翻訳者、岸本佐知子と柴田元幸が選び訳した短篇を集めた、異色短篇集である。
 岸本さんも柴田さんも、「異色短篇」を愛してきたおふたりだし、おかげで日本の翻訳文化の土壌は非常に豊かになったと思う。英語圏限定ではあるが、ど真ん中ではなく脇道に逸れてしか生きられない、望もうと望むまいと書くものすべてが「異色」作になってしまうタイプの作家を、現在進行形で数多く紹介していらっしゃる。
 そんなおふたりが選んだ短篇集だもの、期待に違わずとびきり「異色」で脇道に逸れた作品ばかりが集まっている。

 個人的に好きなのはルイス・ノーダン「オール女子フットボールチーム」とカミラ・グルドーヴァ「アガタの機械」、ローラ・ヴァン・デン・バーグ「最後の夜」とリディア・ユクナヴィッチ「引力」
「オール女子フットボールチーム」は、異性の魅力に気づいた少年が、父や自らの女装をきっかけに自らの美しさや同性の魅力も知り、自分の中の何かがスパークするクィアな一編。この作品が1980年代に書かれたことはとても重要なのではないかと思う。
 また短篇集の掉尾(ちょうび)を飾る「引力」はとても好みな肌触りの作品だった。幼い頃から水に魅せられ、生きることそのものが泳ぐこと、水と同化することになっていった少女が、戦火に追われて家族とともに逃げる。少女の水への強い渇望は死の恐怖よりも強く、心を滾らせる。情景や五感がフルに現れている文章も、戦火と難民というテーマもメッセージも、私にとてもフィットする短篇だと思った。
 本は短篇を収録するだけでなく、岸本×柴田の対談が間に挟まれ、なぜこの短篇を選んだのか、これを書いた作者はどのような人なのかが詳しく語られるのも魅力だ。「引力」の作者リディア・ユクナヴィッチの壮絶な経歴や「misfit」(岸本さんは「生きるのに向いていない」「生きにくい」と訳す)のことを知れたのは、読解の上で非常に興味深かった。
 それから自分の来し方を内省するおふたりの正直な気持ちの吐露(とろ)を受けて、読者も色々と考えるきっかけになるのではないだろうか。とりわけ、読む小説を選ぶ際、小説家の性別――男か女かによって無意識に区別してしまうことについての話は他人事ではないし、「これからの世の中インディーズが大事だと思うので」に関してはかなり悩んでしまった。
 また、これだけ膨大(ぼうだい)な量の原書にあたり、海外の雑誌も読んでいるおふたりでさえ、まだ知らない作家、知らない作品が非常に多いことを知らしめられて、圧倒される。

 物語の海は、人間には意識ができないほど広く、人生の全部をかけたとしてそのごく一部しか味わえないほど深い。作者だって、自分の頭の中に浮かぶ物語でさえすべてを書くことができないのだから、その量は推して測るべし、である。
 物語は謎の化物だ。得体の知れない異物だ。でも温かくて懐かしく、私たちが知っているものでもある。武器であり、毒であり、栄養ドリンクであり、金平糖であり、拡声器であり、神や仏であり――人間の奇妙な同胞だ。





■深緑野分(ふかみどり・のわき)
1983年神奈川県生まれ。2010年、「オーブランの少女」が第七回ミステリーズ!新人賞佳作に入選する。13年、入選作を表題作とした短編集でデビュー。15年刊の初長編『戦場のコックたち』は、三つの年末ミステリベストランキングでベスト3にランクインしたほか、第154回直木賞、2016年本屋大賞、第18回大藪春彦賞の候補となるなど高く評価されている。著作に『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)、『この本を盗む者は』(KADOKAWA)、『カミサマはそういない』(集英社)、『スタッフロール』(文藝春秋)などがある。

オーブランの少女 (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2016-03-22


戦場のコックたち (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2019-08-09