SFの魅力を表現する言葉に、〈センス・オブ・ワンダー〉というのがある。この世界を、科学理論・技術を利用したフィクションによって違う角度から見ることで生まれる驚きのことで、この場合の科学というのは自然科学だけではなくて、もっと広く社会科学だったり、単に哲学的な思弁だったりする。

 今回のイチオシ、現代アメリカ文学を代表する作家の一人リチャード・パワーズの『黄金虫変奏曲』(森慎一郎・若島正 訳 みすず書房 5200円+税)は、まさにこの「科学(理論)がもたらしてくれる驚き」の魅力を、精緻(せいち)な構造と豊穣(ほうじょう)な文章技巧で描き出した極めつけの長編小説だ。

 原題のThe Gold Bug Variationは、ポオの短編「黄金虫」The Gold Bugとバッハの『ゴルトベルグ変奏曲』The Goldberg Variationを掛け合わせたもの。「黄金虫」は宝のありかを示す暗号を解く物語で、この作品が遺伝子暗号(コード)をめぐるものであることを示唆(しさ)している。バッハの楽曲は、冒頭と最後に「アリア」を置き、その間に三〇の章(変奏)が配される小説の構成原理となり、また物語においても重要な役割を果たす。その物語は、DNAの四つの塩基(えんき)が組み合わさってどのように生命を表しているのかを、ゴルトベルグ変奏曲とのアナロジーで理解しようとする科学者レスラーをめぐって、四半世紀後に彼と知り合った若い男女、ジャン・オディとフランクリン・トッドが、その半生の謎を解こうと奮闘する、というもの。この三人に、レスラーが恋する人妻ジャネットが加わり、二つの恋物語が、まるでDNAの二重螺旋(らせん)構造のように並行して展開する。

 小説の語りは三つの時間軸に分岐(ぶんき)し、まず現在時である八五~七年、ついでトッドがオディにレスラーについて調べて欲しいと依頼し、二人の恋が始まる八三~四年、そしておそらくはオディが調べたと思われる五七~八年のレスラーとジャネットの恋。前二つは一人称、三つ目は三人称で、それがトリプレットのように組み合わされて構成されている。恋の回想と遺伝子学についてオディが理解していく道筋が渾然(こんぜん)となった物語は、遺伝子コードとゴルトベルグ変奏曲を模したアナロジーで細部にわたって遺伝学、進化論、情報科学、文学、音楽、美術、歴史などの様々な要素を膨大に盛り込んだ、豊穣な作品世界に二組のカップルの愛情の物語が花開くシンプルで美しいものだ。その核にあるのは、遺伝子の表現、あるいは翻訳としての個々の人間存在への「驚き」である。最後のアリアを読めば、どんな読者だってもう一度最初のページに戻って再読し始めるに違いない、そんな長編小説だ。

「SFとファンタジーの基本はセンス・オブ・ワンダーだ」と断言するのは、『黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選』(J・J・アダムズ編 中原尚哉他訳 創元SF文庫 1360円+税)の編者序文である。原題にサーガという言葉が入っていることからもわかるように、コミックや映画を思わせるスケールの大きい荒唐無稽(こうとうむけい)なアイディアを用いた宇宙SFのアンソロジーで、神話的、魔術的な要素がふんだんに盛り込まれた作品を多く含む十八作品を収録。


 冒頭のチャーリー・ジェーン・アンダーズ「時空の一時的困惑」は、通常の太陽系の半分の大きさで何十億もの目玉を持つ肉塊の支配者から逃げ出した単細胞と多細胞の宇宙生物カップルの話。カール・シュレイダーの表題作では、巨大な太陽レンズで氷に閉ざされた惑星を解凍し、その地に因縁のあるAIが生存者と出会う。ユーン・ハ・リーの六連合シリーズと同一世界観を背景にした「カメレオンのグローブ」のほか、ベッキー・チェンバーズやアリエット・ドボダールなど実力派の作家陣による、めちゃくちゃなアイディアを豪勢にぶち込んだ爽快な作品揃(ぞろ)いの贅沢(ぜいたく)な一冊だ。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。


黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選 (創元SF文庫)
ダン・アブネット
東京創元社
2022-06-13