古本とミステリの特別な結びつきについて考えてみると、一冊や二冊と言わず思い出す作品があります。紀田順一郎さんの諸作をはじめ、野呂邦暢『愛についてのデッサン』、宮部みゆき『淋しい狩人』、ジョン・ダニング『死の蔵書』、ジェラルディン・ブルックス『古書の来歴』……近年でも三上延〈ビブリア古書堂の事件手帖〉シリーズが巻を重ねて人気を博しています。
 さらに言えば、これらの作品のいくつかは古本だけでなく古本屋がでてきます。古本屋となると京極夏彦〈百鬼夜行〉シリーズで中禅寺秋彦が営む〈京極堂〉は言うに及ばず、若竹七海さんが生み出した不運な探偵・葉村晶も最近はミステリ専門の古書店〈MUDER BEAR BOOKSHOP〉でアルバイトをしているのでした。もしかしたら古本とミステリというよりも、古本屋とミステリに特別な結びつきがあるのかもしれません。

 思い返してみれば、かの江戸川乱歩「D坂の殺人事件」も、事件現場は古本屋でした。
 当の乱歩自身が団子坂で「三人書房」という古本屋を営んでいたのだから、経緯を知ればそれほど驚くことでもありません。それでも、どのような本がならんでいるか足を踏み入れなければ窺い知れぬ、古本屋という場が漂わす一種独特な怪しさ。その奥に美女の死体が倒れ伏している異様な情景は、同作を読んだことのある誰しも脳裡に焼きつけられていることと思います。新刊書店が絶えず現在の社会や文化の有り様を写し鏡にする清浄な知の神殿とすれば、古本屋とは知に対する欲望が時の流れさえ淀ませて混然とした悪魔的な儀式場なのかもしれません。
 大仰な言い回しになってしまいましたが、混沌に論理の光をあてて真実を明らかにすることがミステリというジャンルであるからこそ、古本屋という場とも相性がよいのでしょう。この度文庫化された門井慶喜さんの長編『定価のない本』は、先に挙げた諸作とならび、まさに古本とミステリが、ひいては古本屋とミステリが特別な結びつきを持つ作品です。



 東京・神田神保町――江戸時代に旗本の屋敷地としてその歴史は始まり、明治期は多くの学校がひしめく文化的な学生街として発展してきたこの地は、大正十二年の関東大震災を契機に現在に至るまで日本一の規模を誇る古書の街としてあり続けています。『定価のない本』は、神保町という街を見舞った二度目の危機――第二次世界大戦から一年を経て、復興を遂げつつある昭和二十一年から始まります。
 かりそめの賑わいをとり戻したかに見える街の一隅で、ある日ひと知れずこの世を去った一人の古書店主。男は崩落した古書の山に圧し潰され、あたかも商売道具に殺されたかのような皮肉な最期を迎えました。古くから付き合いがあった男を悼み、同じく古書店主である琴岡庄治は事後処理を引き受けることに。
 しかし、間もなく事故現場では不可解な点が見付かります。果たしてこれは、本当に単なる事故なのか? さらには、行方を眩ました被害者の妻、注文帳に残された謎の名前、またGHQの介入と、奇怪な事件が彼の周囲まで影響を及ぼすなか、一人の古書店主の死をめぐる探偵行は、その背後に潜む恐るべき“計画”を炙りだしていきます。



 文庫化に際して、巻末には著者である門井慶喜さんと、古本ライターとして著名な岡崎武志さんの対談を収録しています。
 本対談は、単行本刊行時に三省堂書店神保町本店の主催でおこなわれたトークイベントを再構成したものとなります。イベントは、毎年秋に百以上もの出版社と種々の団体が協賛する神保町ブックフェスティバルの一環として催されました。当日は神保町ブックフェスティバルと神田古本まつりが開催されており、靖国通りとすずらん通りに所狭しと露店がならんでいました。
 晴天の下に靖国通りを何百メートルにも亘って古書の棚が連なるさまは壮観です。売る側も買う側も本を愛するひとたちがこれほどまでにひとところに集まっている光景は、何度みても嬉しくなります。おふたりのお話は『定価のない本』を中心に、時宜と場所に相応しく古本に対する愛あふれる内容となりました。活字ではありますが、当日の雰囲気がすこしでもつたわりますと幸いです。
 さらに三省堂書店神保町本店(現在は神田小川町の仮店舗で営業中)、書泉グランデ、東京堂書店神田神保町店の三店舗では、店舗毎にデザインの異なる特製しおりと一緒に〈散歩の達人〉編集部のご厚意のもと、2021年11月「神田・神保町」特集号の記事「作家・門井慶喜と歩く、『定価のない本』の街」を特製ペーパーにして同封しております。数量限定ではございますが、神保町のガイドマップとしてもお楽しみいただけます。神保町にお立ち寄りの際は、ぜひお手に取ってみてください。

 トークイベントが催されたのは、2019年の10月。それから半年と経たず、社会はあっという間にめまぐるしい変化の波に呑み込まれてしまいました。その変化は、神保町にもひとしく訪れています。
 昨年、一昨年と神保町ブックフェスティバルも神田古本まつりも中止となり、例年の賑わいを失ったすこし淋しい秋となりました。また街のランドマークでもあった三省堂書店神保町本店も、ビル建て替えのため一時閉店となり、先述のとおり仮店舗で営業しています。今年10月29日(土)と30日(日)、2年の中止を経て暫くぶりに神保町ブックフェスティバルが開催を予定しています。同じく神田古本まつりも、今年の3月におよそ2年半ぶりの特別開催を経て、10月28日(金)から11月3日(木)に開催を予定しています。

 出版社とも図書館とも違う、かれらにしかできない方法で書物を守る古書店のひとびと。本書を読みながら、かれらが守り続ける古書と街並にすこしでも思いを馳せていただければと思います。