作者の経歴のために作品のある側面だけを強く読みとってしまうのはつまらないが、郝景芳(ハオ・ジンファン)『流浪蒼穹(るろうそうきゅう)』(及川茜・大久保洋子訳 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 2900円+税)にも、共産党独裁の中国と自由資本主義の西欧という対立構造の隠喩を見ないでいるのは難しい。

 物語は、二十二世紀の未来、独立戦争を経て、友好のしるしとして地球へ送られた少年少女使節団が、生まれ故郷である火星に戻ってくるところから始まる。十八歳のダンサーで、火星の総督を祖父にもつロレインをはじめ使節団のメンバーは、限られた資源を合理的に分配するためにAIによって緻密に計算された社会である火星と、自由で流動性に富むが一方で格差と環境汚染が激しい地球の間で、アイデンティティーの危機を感じていた。さらに大人たちの間でも、現状維持を望む保守派と戦争も辞さず前進を望む過激派の間で緊張が高まっていく。

 フランスとアラブの共存を理想としたアルベール・カミュの『反抗的人間』の引用が鏤(ちりば)められた情感溢れる流麗な文体で、さまざまな背景を持つ人物たちの群像劇が丁寧に描かれていく。全編を通じて登場人物たちの恋愛を厳しく突き放した描き方をしているのが印象的で、人類全体に対して誠実であろうとすれば特定の一人を特別扱いする恋愛は難しくなるのかなどと思った。

『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』(武甜静(ウー・テンジン)・橋本輝幸編、大恵和実編訳 中央公論新社 2200円+税)は、現在中国で活躍する女性作家十四人の代表作を精選したアンソロジー。宇宙・ノスタルジー・人生の終わり、とか、科学研究・人生哲学、とか二、三のキーワードで六つのテーマに分けられている。うらぶれた老用務員がワームホールに飛び込んで宇宙を救う、靚霊(リャンリン)の「珞珈(ルオジア)」、ガリレオも所属した実在の科学結社を、人と猫の交わるユーモラスな物語に仕上げた「ヤマネコ学派」、多発する心理疾患が実は人類進化だったという強烈にアイロニカルな「ポスト意識時代」など、過酷な現実の前でも希望とユーモアを失わないヒューマンな味わいの作品が多い。中でも完全な翻訳ソフトを用いて少数言語を守ろうとする母親と、その母親に反発する息子の物語「語膜」には震えるほど感動した。

 最後に評論を。邵丹(ショウ・タン)『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社 3800円+税)は、現在東京外国語大学で教鞭(きょうべん)を執(と)る、八五年生まれの中国人研究者の本。村上春樹(むらかみ・はるき)の作品について、七〇年代の若者を中心とする、文化の変容を体現するアメリカ文学の翻訳の影響から、その「世界文学性」を見て、リチャード・ブローティガンの翻訳者だった藤本和子(ふじもと・かずこ)とその背後にある演劇や北米黒人女性文学、そしてカート・ヴォネガット・ジュニアの翻訳者である伊藤典夫(いとう・のりお)、浅倉久志(あさくら・ひさし)と六、七〇年代の日本SFの状況について詳細に論じる。

 福島正実(ふくしま・まさみ)がSFを科学啓蒙の具でも大衆娯楽でもなく、新しい時代の文学形式と定義し、続く山野浩一(やまの・こういち)によって米文学からの影響を脱し世界文学として開かれていったとする考察で、東京創元社が創元社になっていたり細かい部分で気になるところもあるが、現在も続く日本SFの幅の広さを七〇年代の文化変容から理解でき、文学における翻訳の重要性を再確認できる好著。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。

紙魚の手帖Vol.05
倉知淳ほか
東京創元社
2022-06-13