【はじめに】
 創元SF文庫は来年2023年、創刊60周年を迎えます。

 1963年9月に創元推理文庫SF部門として誕生し、フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』に始まり、1991年に現行の名称への改称を挟んで、これまでに700冊を超える作品を世に送り出してまいりました。エドガー・ライス・バローズの《火星シリーズ》やE・E・スミスの《レンズマン》シリーズをはじめ、ジョン・ウィンダム、エドモンド・ハミルトン、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリ、J・G・バラード、アン・マキャフリー、バリントン・J・ベイリー、ジェイムズ・P・ホーガン、ロイス・マクマスター・ビジョルド、そして近年にはアン・レッキーやN・K・ジェミシン、マーサ・ウェルズら新鋭のSFを刊行しています。また、2007年からは日本作家の刊行も開始し、2008年からは《創元SF短編賞》を創設して新たな才能が輩出しています。

 このたび60周年を迎えるにあたり、当〈Web東京創元社マガジン〉にて全6回の隔月連載企画『創元SF文庫総解説』として、創元SF文庫の刊行物についてその内容や読みどころ、SF的意義を作家や評論家の方々にレビューしていただきます。連載終了後には書き下ろし記事を加えて書籍化いたしますので、そちらも楽しみにお待ちくださいませ。
 
 なお編集にあたっては、書影画像データにつきまして渡辺英樹氏に多大なご協力をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。


【掲載方式について】
  • 刊行年月の順に掲載します(シリーズものなどをまとめて扱う場合は一冊目の刊行年月でまとめます)。のちに新版、新訳にした作品も、掲載順と見出しタイトルは初刊時にあわせ、改題した場合は( )で追記します。
    例:『子供の消えた惑星』(グレイベアド 子供のいない惑星)
    また訳者が変わったものも追記します。
  • 掲載する書影および書誌データは原則として初刊時のもののみとし、上下巻は上巻のみ、シリーズもの・短編集をまとめたものは最初の一冊のみとします。
  • シリーズものはシリーズタイトルの原題(シリーズタイトルがない場合は、第一作の原題)を付しました。
  • 初刊時にSF分類だった作品で、現在までにFに移したものは外しています。書籍化する際に、別途ページをもうけて説明します。
    例:『クルンバーの謎』、『吸血鬼ドラキュラ』、《ルーンの杖秘録》など
  • 初刊時にF分類だったもので現在SFに入っている作品(ヴェルヌ『海底二万里』ほか全点、『メトロポリス』)は、Fでの初刊年月で掲載しています。


 これまでの公開分はこちら→ 【第1回】【第2回】



60906
1966年12月
A・E・ヴァン・ヴォークト『原子の帝国』日本オリジナル編集
吉田誠一訳 解説:訳者
カバー装画:金子三蔵

 遥かな未来。強大な原子力技術を持ちながら、その原理をウランなど四つの原子を「神」として崇める奇妙な信仰に委ねるリン帝国。放射線の影響で醜いミュータントとなった皇帝の孫クレインは、科学者に庇護され成長。失われた文明の遺跡から数々の超兵器を発掘し、冷酷な皇妃の暗殺者を退け、火星・金星との戦争で暗躍し勝利をもたらす。エウロペの野蛮人からの襲撃には帝国軍を指揮し、奴隷解放などを断行して敵を退けるという中編。アシモフの銀河帝国がギボンを意識したものなのに対し、R・グレーヴスの『この私、クラウディウス』を模したものとされ、実際登場人物や暗殺・戦争などの挿話が似ている。また、作者にしては淡々とした叙述が続き、人物の陰影がうまく描かれているのもその影響関係から説明できるかもしれない。特に老いたる皇帝の描写がいい。主人公の成長に伴って権謀術数のスケールが大きくなっていき、遂に帝国の覇者となる物語は、続編The Wizard of Linn(邦訳『銀河帝国の創造』久保書店)では超兵器を用いた宇宙戦争が描かれるが、本書だけで十分堪能できる。三つ目を持つ吸血異次元人からの侵略と戦う短編「見えざる攻防」を併録。(渡邊利道)


62905
1969年5月〜
J・G・バラード『時の声』『時間都市』『永遠へのパスポート』『時間の墓標』(終着の浜辺)『溺れた巨人』The Voices of Time and Other Stories, 1962, and others
吉田誠一、ほか訳 解説:訳者、ほか
カバー装画:日下弘
【新訳】2016〜2017年刊、『J・G・バラード短編全集』1〜3巻(全五巻のうち)監修:柳下毅一郎 浅倉久志、ほか訳

 一九六〇年代の後半、英米のSF界で不穏な(?)動きが起こっているというトピックが伝わってきた。当時、海外SFの動向に広く目を配っていた、伊藤典夫氏を筆頭とする翻訳家・評論家の方々による情報だったが、それによると、この動きは、それまで(主として四〇〜五〇年代)のアメリカSFの表層的な科学技術礼賛や未来志向、さらには、小説表現の浅薄さを批判し、「SFは現代文学の最前衛に位置する小説形式であり、目指すべきは外宇宙ではなく、内宇宙だ」と主張するイギリスの作家たちによるプロテスト/改革運動だった。これが世に言う〝新しい波〟――ニューウェーブ運動である。
 運動を先導していたのは、J・G・バラード、ブライアン・W・オールディス、マイクル・ムアコックら、批判の槍玉に上がったのは、ロバート・A・ハインラインやアイザック・アシモフといった、当時のSF界を代表すると言っていい人気作家たち。これだけでも充分に挑発的なことだったが、これに呼応するアメリカ+世界各地の作家・評論家・編集者――ジュディス・メリル、ハーラン・エリスン、スタニスワフ・レムなど――が批判活動の最前線に加わり、ニューウェーブ運動は先鋭化していく。日本でも、一九六七年にオールディスの『地球の長い午後』(早川書房)、六八年にバラードの『沈んだ世界』(創元推理文庫SF部門)が訳出され、七〇年には新しいSFにフォーカスした「季刊NW‐SF」誌(山野浩一氏主宰)が創刊されて、バラードの作品・インタビュー・評論が次々に紹介されていくことになった。
 そんな状況下、一九六九年五月からわずか二年足らずの間に、創元文庫で立て続けに五冊、バラードの短編集が刊行される。当時、ニューウェーブ運動がどのように受けとめられていたかはともかく(アメリカSF界の主流は当然、ブーイングの嵐だったし、わが国でも、運動そのものには距離を置く傾向が見受けられたように思う)、この集中度は、当時の日本のSF界に、ニューウェーブ、とりわけバラードの作品を読んでみたいと思う読者が少なからずいたことを示している。
 原著は一九六二〜六六年に刊行され、デビューから十年の間に発表されたバラードの第一期の短編群が〝適宜〟まとめられている。一冊一冊に明確なテーマが与えられているわけではなく、むしろ、どれをとっても、あるいは全体を通して読むことで、現代の世界と人間を見つめるバラードの多角的・多層的な観点が鮮明になっていく――そんな意図のもとに編まれたという感が強い。
『時の声』は、宇宙の終末のカウントダウンを抑制された筆致で描出した表題作をはじめ、人間の睡眠機能を取り去る医学実験や、過去の栄光の幻想に浸る元オペラ歌手と言葉を失った下層の清掃員との噛み合うことのない感情の交錯の物語など、七編を収録。時間の計測が禁じられた退行した社会、人口密度が極限に達した都市での不条理な出来事、シュルレアリスティックな想像上のリゾート地ヴァーミリオン・サンズを舞台とするデビュー作など、十編を収めた『時間都市』。以降の三冊、『永遠へのパスポート』、『時間の墓標』(終着の浜辺)、『溺れた巨人』も、宇宙旅行の無意味さ・陰惨さが凝縮された作品から、消費社会の宣伝攻勢に飲み込まれた人々をコミカルに描いたもの、核戦争後の地球生命の終わりの時を鮮烈にとらえたもの、アメリカSFを徹底的に茶化したものまで、テーマも構成も作品世界の雰囲気も、従来のSFとは異質な感覚が充溢したものだった。
 放射能に汚染された異様な姿形の動植物、砂に覆われた廃墟の街、鳥の死骸で埋めつくされた荒野、破局的な事象の前になすすべもなく崩壊した文明社会、無意識の領域までをコントロールするディストピアで狂気に陥っていく人間……バラードの作品に明るいものはひとつもない。いずれもが暗く、死のイメージに溢れ、不穏な気持ちをかき立てるものばかりだ。しかし、そこには、確固たる〝リアリティ〟があった。このリアリティこそが、SF/文学にとどまらず、音楽や映像やアートなど二〇世紀のカルチャーシーン全体に広く影響を与えるにいたったバラードの小説世界(スペキュラティヴ・フィクション)の核にあることは言うまでもない。
 バラードの小説の特徴のひとつに、様々な作品に、同じイメージ・モチーフ・セッティング・タームが登場することが挙げられる。干上がったプール、木々や雲の影が形作る謎めいた記号、時間のオブセッション、メディアの侵略、死んだ宇宙飛行士、黄道十二宮、ファベルジェの宝石、朽ち果てたテクノロジーの残骸(宇宙船の発射台、飛行機、高層ビル群)などなどなど。これらは、個々の単語からフレーズ、登場人物の名前、街の構造にまで及び、作品を読み進めていくうちに、読者の脳裏に重層化したバラードの世界のランドスケープが構築されていく。
 バラード自身は、「わたしにとっても短編小説はつねに重要だった。そのスナップ写真的性質、ひとつの要素に焦点をしぼる能力が大好きなのだ。さらに長編にする前にアイデアを試す場としても役立った。わたしの長編はすべて最初は短編のかたちで暗示されていたものだ。『結晶世界』、『クラッシュ』、『太陽の帝国』などの読者はこの短編集成のどこかにその種を見いだせるはずだ」(『J・G・バラード短編全集』1 序文・柳下毅一郎訳)と述べているが、私的には、むしろ短編の集積の上にこそバラードランドの全体像がある、錯綜した現代の風景が、よりくっきりと浮かび上がってくる、というふうにとらえている。個々のスナップ写真は世界の断面を切り取ったものであり、そこにはホログラフィのように全体像が埋め込まれている。言い換えれば、この五冊の初期短編集には、のちの作品すべての原像が凝縮されているのだ。
 この五冊が原著刊行から五年余りで邦訳され、その後もずっと版を重ねてきたのは、日本の読者にとって実に幸運なことだった。ここに収められた作品群は、現実世界の進行(退行)に伴って、そこに凝縮されていた像を――現代の世界と人間の精神病理を――よりクリアにしつつ、読者に伝えていくことになり、二〇一六〜一八年に刊行された『J・G・バラード短編全集』全五巻(原著は〇一年刊)に引き継がれた(短編全集では1〜3巻に集約、大半が新訳されている)。ロシアがウクライナを侵攻し、ミサイルが飛び交い、核兵器の使用が現実性を増し、宇宙の軍拡競争が激化し、気候変動がかつてない規模に達し、インターネット・ITテクノロジーが人々の精神を激変させている〝今〟を眺めていると、改めて、半世紀以上も前にバラードが見通していたヴィジョンの深度・震度に驚嘆せざるをえない。(山田和子)


60702
1969年6月
H・G・ウェルズ『宇宙戦争』The War of the Worlds, 1898
井上勇訳 解説:訳者
カバー装画:真鍋博
【新訳】2005年刊、中村融訳

 ロンドン郊外に宇宙からの飛来物が落下。火星人の侵略のはじまりだった。濡れたなめし革のような皮膚、何本もの触手、目の真下にあるV字型の口はわなないてよだれをたらしている。そのあまりにおぞましい姿に、地球人は嫌悪と恐怖を禁じ得なかった。軍隊は必死に防戦するが、火星の戦闘機械が繰りだす熱線や毒ガスなどの超兵器の前には、まったく歯が立たない。熾烈な攻撃を縫って逃げのびた語り手は廃屋に潜伏して、火星人について考えをめぐらせる。彼らの奇怪な姿は脳と手ばかりが進化した結果であり、もとは地球人とそう変わらぬ種族だったに違いない。物語は意表を突く結末を迎えるが、そこにはウェルズならではの痛烈な文明批判がこめられている。
 大衆が抱く火星人のイメージを決定づけた古典であり、侵略テーマのSFとして後世の作品に多大な影響を与えている。邦訳は戦前から何種類もあり、創元文庫には井上勇訳が一九六九年に収録。二〇〇五年に注釈版原書に基づいた中村融による新訳がなされた。一九三八年にオーソン・ウェルズがラジオドラマ化し話題となる。五三年にはバイロン・ハスキン監督によって、二〇〇五年にはスティーヴン・スピルバーグ監督によって映画化されている。(牧眞司)


62102
1969年6月
マレー・ラインスター『ガス状生物ギズモ』War with the Gizmos, 1958
永井淳訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 地球は狙われている……全米の森林地帯で野生動物の変死が続発する。激しい抵抗の末に死んだ動物たちの死骸にはいかなる外傷も見られなかった。続いてワシントンDCの防空レーダーが巨大な未確認飛行物体を捕捉した。迎撃機が出撃したものの、不可解なことにパイロットは何も発見できなかった。レーダーには映るが、肉眼には見えない何かが飛来していたのだ……。読者が思わず引きこまれるサスペンス溢れる物語の冒頭は『異次元の彼方から』(一九五五)、『地の果てから来た怪物』(一九五九)などの長編に共通した特徴で、彼の関心がアイデアとプロットにあることをはっきりとしめしている。文学的な深みが欠落した本書がSFとして評価を受けたわけではないが、日本最初の長篇SFとして評価された今日泊亜蘭の『光の塔』(一九六二)には、巧みなサスペンスのなかにラインスターの影響が色濃く織りこまれていて、彼が創成期の日本SFに及ぼした影響の痕跡を見ることができる。さらに気体状の捕食生物が歴史上の神や悪魔の起源だったという仮説を盛りこんだことで、本書にはE・F・ラッセルの人類家畜テーマの古典『超生命ヴァイトン』(一九四八)への接近があることは明白だ。(礒部剛喜)


62703
1969年7月
K・H・シェール『地球への追放者』Der Verbannte von Asyth, 1964
松谷健二訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 アシュト星の宇宙艦隊提督にして科学者のトロントゥルに下された判決は、低開発惑星を流刑地とする終身追放。同じく流刑者で酒浸りの天才外科医アブロットの二人が、転送装置で実体化したのは一九八八年の地球だった。折しもそこはアメリカ合衆国の秘密軍事基地の近く、水爆ミサイルを搭載した原子力戦闘機による急降下迎撃訓練が行われていた……。転送の影響が抜ける間もなく、突如急降下してきた機体を見て思わず分子破壊銃を発射するや、開巻いきなり核爆発が炸裂してしまうというド派手展開。ヒューマノイドのアシュト星人愛飲のお酒の酩酊成分が、コーヒーに高純度で含まれていたりするユーモアを交えつつ、軍の女性協力者を得て流刑地の状況に適応していく。だが実は、核戦争による人類自滅を画策し地球掌握を目論む、別の星系種族も人類に紛れて暗躍していたのだった!
 K・H・シェールは一九二八年生まれで、日本の第一世代作家と同年代(そして翻訳者の松谷健二と全くの同い年)ながら、戦後すぐに十代でデビューしドイツSFを牽引した立役者。ポジティブな作風から「オプティミズムの作家」と評され、《宇宙英雄ローダン》シリーズ(一九六一~)を主導した業績はあまりにも有名。(代島正樹)


62302
1969年8月
アルフレッド・ベスター『ピー・アイ・マン』(世界のもうひとつの顔)The Dark Side of the Earth, 1964
大西尹明訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 SFとは逃避などという生ぬるいものではなく、がっちり捕まえて離さない小説だ――講演「SFとルネッサンス人」(一九五七)で、アルフレッド・ベスターはそう理想を述べた。重視するのは、酸いも甘いも噛み分けたうえで発揮される、他の欠点を帳消しにしてしまうほどの魅力である。落ち着いて幸福に浸っているときこそ、本領を発揮するような小説である。本書はその実践なのだ。
〝地球最後の人間〟テーマの「昔を今になすよしもがな」(この邦題が絶品!)は、洒脱で可笑しい男女の会話でおおかたが構成されている。情報としては他愛もないが、なのに緊張感があって目が離せない。初刊時の表題作「ピー・アイ・マン」では、それがタイポグラフィーの遊びと融合し、『分解された男』をはじめとした長編群とも響き合う(若島正『乱視読者のSF講義』での分析も必読)。一見センチメンタルな「時間は裏切りもの」や、ユーモア溢れる「マホメットを殺した男たち」といった時間SF群も、目眩くレトリックの裏に、現象学や実存主義との響き合いを感じさせて奥が深い。絶えず締め切りや無茶振りに追われるシナリオ執筆の現場で鍛え上げられた腕前が、遺憾なく発揮されたプロ中のプロの伎倆。とくと御覧じろ。(岡和田晃)


63501
1969年8月
アーサー・K・バーンズ『惑星間の狩人(ハンター)』Interplanetary Hunter, 1956
中村能三訳 解説:訳者
カバー:松田正久

 一九三七年から一九四六年にかけて雑誌掲載された作品をまとめた連作短編集。ジャンルはスペースオペラ。
 主人公ゲリー・カーライルの仕事は、展示物の生息範囲を太陽系全体にまで広げたロンドン動物園のために生き物を集めること。衛星生命探査機エウロパ・クリッパーが打ち上げられる現代にあってこの設定は古いどころか先進的だ。
 ゲリーが降り立つのは金星、木星第五衛星、海王星の衛星トリトン、アルマッセン彗星(架空)、土星とその衛星タイタン。タイタンには海と濃い大気があるとわかっているし、トリトンには地下海洋があると目されている。太陽系の天体は人類の手がまだ触れない領域だらけ、どんな生物が潜んでいるかは未知数だ。ゲリーの冒険が現実味をおびてくるではないか。
 キャラクタの魅力もみのがせない。男性的な名だがゲリーはじつは女性、しかも絶世の美女だ。男ばかりの異星生物ハントの世界でトップの実績と知名度を誇るかっこよさ。当人は男社会のなかの女であることに葛藤を抱いているが、そこは深掘りせず軽妙なエンタメに仕上げている。
異星生物のリアルな挿絵も本書の売り。ぜひ推しキャラをみつけてください。(松崎有理)


60802
1969年9月
アーサー・コナン・ドイル『失われた世界』『毒ガス帯』『霧の国』Professor Challenger
龍口直太郎訳 解説:訳者
カバー:日下弘
【『失われた世界』新訳】2020年刊、中原尚哉訳

 シャーロック・ホームズを生んだアーサー・コナン・ドイルはSFにおいても名を残した。その最大の功績が『失われた世界』である。南米に古代生物が生き残っている秘境があり、奇人チャレンジャー教授が探検隊を率いて、マローン記者、探検家ジョン・ロクストン卿、老学者サマリー教授らと共に英国から現地へ向かう、という冒険物語。百年以上前(一九一二年)に発表されたにもかかわらず、その輝きは褪せない。恐竜好きにはたまらない傑作だ。後世、同系統のサブジャンルの作品群は、本作にちなんで「ロストワールド物」と呼ばれるほどだ。
 秘境があればそこへ赴き、獲物がいればそれを撃つ……という、いかにも〝大英帝国的〟な物語でもある。
 もちろん、秘境冒険小説としてはこれ以前の先駆的作品もある。『ソロモン王の洞窟』などH・R・ハガードの作品の影響下に書かれているので、読み比べてみるのも一興だろう。
 また何度も映像化されているが、最初の映画版「ロスト・ワールド」(一九二五)は「キングコング」へ繋がり、それが円谷英二に影響を与えたので、日本及び世界の特撮の歴史においても重要な作品なのだ。
 そんな『失われた世界』はあまりに魅力的な設定ゆえ、世界中でその続編的作品が書かれている。グレッグ・ベアDinosaur Summerや、田中光二『ロストワールド2』、横田順彌『人外魔境の秘密』などなど。キャラクターを借りたマンリー・W・ウェルマン&ウェイド・ウェルマン『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』や、ガイ・アダムス『シャーロック・ホームズ 恐怖! 獣人モロー軍団』などもある。
 コナン・ドイルは『毒ガス帯』で本作のキャラクターたちを再登場させ、シリーズ化した。今度のテーマは打って変わって、破滅SF。地球が有毒エーテル帯へ突入しつつあり、人類は滅亡の危機に瀕するが、それに気づいているのはチャレンジャー教授のみ……という展開。現代では時代遅れとなった「エーテル」が扱われているが、そこも含めて歴史的価値ということで。児童書では『地球さいごの日』の訳題が有名だ。
 シリーズ第三編『霧の国』は、心霊主義者となったコナン・ドイル自身を反映した心霊小説であり、SFとは言い難い。最終的にチャレンジャー教授が心霊の存在を信ずるに至る話で、色々と残念である(それがホームズでなくてまだ良かった、という話もあるが)。マローンの恋愛相手としてチャレンジャー教授の娘イーニッドがいきなり登場するのも前作と齟齬がある(『毒ガス帯』事件当時は寄宿学校にいた等と好意的な解釈も可能だが、あれは世界的な現象なので言及すらないのはおかしい)。
 その後書かれた短編「地球の悲鳴」「分解機」(『毒ガス帯』に併録)ではSFに戻った。前者は「地球が実は××だった」という奇想SFである。(北原尚彦)


63601
1969年9月
L・マーグリイズ&O・J・フレンド編『マイ・ベストSF』My Best Science Fiction Story, 1954
中村能三訳 解説:伊藤典夫
カバー:真鍋博

 作者が自分で最も良いと思う短編を選び、その理由を付した自薦短編集である。原著では、一九四九年のハードカバー版が二十五編を集めていたが、五四年のペーパーバック版で十二編に厳選され、日本版はこちらに準拠している。
 アシモフは比較的軽めの「ロボットAL76行方不明」を選び、ヴァン・ヴォークトは思い切り地味な「宇宙船計画」を選ぶなど、多数の傑作の中からどうしてこれを?的な不可解な選択もあるが、人類史を見据えたうえで希望を力強く語るハミルトンの「世界の外のはたごや」、最後に鋭いオチで締めるカットナーの「いま見ちゃいけない」、展開がわかっていても泣かせるバインダーの「火星からの教師」など、これなら納得という選択もあり、読んでいて楽しめる。また、自薦理由が付いているため、作者が何を主眼にSFを書いているのかが伺われる点からも興味深いアンソロジーとなっている。たとえばアシモフは、フランケンシュタイン的な怪物にはしないという強い信念のもとロボットものを書いていると述べているが、たまたま怪物的ロボットを描いたブロックの作品も収録されているため、対比するのも一興だ。さすがに今読むと古めかしい作品も多いが、それでも入手し、一読する価値はある。(渡辺英樹)


63701
1969年11月~
エドモンド・ハミルトン『スター・キング』『スター・キングへの帰還』Star Kings
井上一夫訳 解説:訳者
カバー:真鍋博
【『スター・キング』新版】2020年刊

 最近、転生して異世界に放りこまれるというシチュエーションがコミックやライトノベルで大流行している。この現象に既視感があって思いかえしてみれば、E・R・バローズ、リン・カーター、R・E・ハワード、それからハミルトンへとつながっていく一筋の流れに行き当たった。あの当時、世の中は科学への妄信と唯物主義の風潮にあって、「努力・忍耐・しかるに豊かな生活」が、呼吸する大気の中にまで浸透していた。そこに窮屈さや閉塞感、圧迫感を持ち、「こんな世界、嫌だー。おら、別世界さ行ぐだー」と、精神的脱出口を本に求めた若者が大勢いたのだ。
 十歳でハイスクール、十四歳でカレッジ入学、数か国語に堪能だった天才ハミルトンにとって、その窮屈さ、違和感は人並み以上だっただろう。彼もまた書物にのめりこみ、「ここではないどこか」へ逃避し、やがて自分で書くようになる。書くことで自由をえようとしたのかもしれない。
『スター・キング』もまた、現実世界のサラリーマンが、異世界へとびこんでいく物語だ。主人公ジョン・ゴードンは、星間帝国の王子と精神を入れ替わって、大宇宙を舞台に大活躍する。仕事や人間関係から生まれる義務や軋轢から自由になり、新しい世界で縦横無尽に活躍するこのパターンが、七十余年を経た今でも健在であることに、読書の意義を再認識させられる。
 読者を夢中にさせるのは、連鎖的に襲ってくる危機を次々に解決していくストーリーテリングと、常識を吹き飛ばしてしまうスケールの大きいアイディアだ。
 しかし、主人公が他人の身体を借りていることによって、欺瞞が生じてくるのは必然といえようか。本来の彼自身ではないこと、その結果として、周囲を欺いたままでいること。その解決編として、『スター・キングへの帰還』が用意された。本当の自分としてスター・キングへ赴き、冒険も愛も実現させる。この、二巻にわたる「変身」は、自己実現のステップともとらえられよう。
 ハミルトンは、青少年向けの《キャプテン・フューチャー》シリーズで勧善懲悪をえがいた。その後、《スター・キング》シリーズでは、より複雑な善悪のあり方を悪役のショール・カンで表現した。それは、「悪」の魅力を語る、という図式に発展していき、晩年の《スターウルフ》において、宇宙海賊として悪行の限りを尽くした主人公の造型へとつながっていく。スペースオペラが下火になりかけていた時代に、スペースオペラの新たな形を模索したともいえよう。それがやがて、「スター・ウォーズ」の時代につながっていったと考えたいのは、身贔屓だろうか。(乾石智子)


63103
1970年1月
E・F・ラッセル『自動洗脳装置』With a Strange Device, 1964
大谷圭二訳
カバー:真鍋博

 英国人のラッセルは一九三七年に作家デビューし、大西洋を股にかけて活躍したが、五九年以降は実質的に筆を折った。本書は原型が五六年に雑誌に掲載され、六四年に単行本となった。長編としては最後の作品に当たるが、その作風になじんでいる者にとっては意外なことに、東西冷戦を背景としたスパイ・スリラーとなっている。
 主人公リチャード・ブランサムは、アメリカの防衛科学研究所に勤める冶金学者。ふとしたことから、二十年前に痴情のもつれから殺害した女性の白骨死体が見つかったことを知る。あわてて現地へ赴くが、地元の人々はその事件について何ひとつ知らず、犯行そのものがあったかどうかも怪しくなる。だが、殺人の記憶は鮮明だ。とすれば、この記憶は偽物であり、何者かに植えつけられたのではないのか。考えてみれば、あいつぐ同僚の失踪の裏にも同様の事情があるのではないのか。ブランサムの調査がはじまる。
 SF的な要素はひとつだけで、それが邦題になっている。作者としては新生面を開こうとしたのだろうが、みずからの得意技を封印した感は否めない。残念ながら、忘れられて当然の作品といえる。(中村融)


62103
1970年1月
マレー・ラインスター『地の果てから来た怪物』The Monster from Earth’s End, 1959
高橋泰邦訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 わずかな駐在員だけが住む絶海の孤島。そこに荒天を避けて一時避難するはずだった南極大陸からの飛行機が、墜落同然の激しさで胴体着陸する。機長は謎の自殺を遂げており、乗客の姿も見当たらない。その後、島では犬や人間が襲われる事件が発生。何らかの生物が入り込んだことが疑われるが、その姿を見た者は誰もいない。果たして怪物の正体は?
 作家・山本弘が「彼の作品こそ、まさにSFらしいSF」と絶賛するラインスターによるホラーSF。飛行機に残された積荷や弾痕、島で起きた襲撃事件の状況など、駐在員たちはわずかな手がかりから対策をひねり出すが、正しいかどうかはわからない。怪物の超常的な恐怖とともに、自分の推論に全員の命がかかっているという人間的な不安が、全編を重苦しく覆う。終盤で明らかになる怪物の正体には南極の地理を生かしたアイデアが絡み、SFとしてもおもしろい。原書が刊行された一九五〇年代は、ハワード・ホークス製作の「遊星よりの物体X」(一九五一)から「トワイライト・ゾーン」(一九五九~)までの、ホラーSF全盛の十年。その流れにも沿った一作だ。本作も「B級映画の帝王」ことロジャー・コーマン製作で、六六年に映画化された。(香月祥宏)


63801
1970年3月
ポール・アンダースン『処女惑星』Virgin Planet, 1959
榎林哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 作者初期の未来史《サイコテクニック・リーグ》に属するサイエンス・ファンタジイ。若くてチャラい冒険家が、事故によって女性だけで野蛮化した惑星に降り立ち、伝説化した「男」として崇められたり処女生殖装置で権力を握った者たちに「怪物」として命を狙われたりしながら、勇気と知恵で苦難を乗り越え一人前の男になっていく。物語は複数の美女に言い寄られるハーレム展開などいわゆる「アマゾネスもの」の典型を大過なくなぞっているが、なんと言っても読みどころは舞台となる恒星系の緻密な設定と、それを反映させたピクチャレスクな情景描写の数々だ。二重恒星系で、太陽の四倍の質量を持つ主星から大きく離れた伴星の木星型惑星マイノスの三番目の衛星アトランティスがその舞台で、大きさは地球とほぼ同じ。自転と公転の周期が一致していて母惑星に対し常に同じ面を向けていることや、他衛星の影響で激しい潮汐効果があるなど木星の衛星ガリレオに似ているなどの設定は、現地人の文明の性質に対する考察なども含め巻末に「著者の言葉」としてまとめられていて、物語を読み終わった後に、それを念頭に場面場面を読み返していくSFならではの楽しみ方ができる。(渡邊利道)


62704
1970年6月
K・H・シェール『宇宙船ピュルスの人々』Die Männer der Pyrrhus, 1965
松谷健二訳 解説:訳者
カバー装画:金子三蔵

 二八一五年、地球連合と自由植民者同盟との三十年戦争は平和条約が結ばれ、かりそめの休戦を迎えていた。連合艦隊特殊部隊長として勇名轟くライオネル・ファテナーは、一癖も二癖もあるかつての部下たち、日本人も含む八人の男と二人の女を招集。一度の超空間ジャンプで一万八千光年を跳躍可能という強力すぎる危険なエンジンを備えた元特殊任務艦、払い下げの宇宙船ピュルスでの交易を企てたのだ。だが超空間ジャンプに狂いが生じ、人跡未踏の銀河系中央星域に漂着してしまう。実体化して失神から目覚めた乗員はテレパシーを操るミュータントに拘束され、銀河文明の存在や地球人類誕生の秘密を知る。犠牲を払いながらも迫る地球の危機に抗し、逆に利用して人類の大同団結の実現をも目指したファテナーたちの奇策とは!?
 本文庫四冊目にして最後のK・H・シェール作品。翌年から訳者の松谷健二は、ハヤカワ文庫を舞台に《宇宙英雄ローダン》邦訳の大事業に着手する。また本文庫既刊では訳者あとがきで次回訳出予定作のあらすじ紹介が恒例となっていたが、本書のあとがきで紹介された作品は『地底都市の圧政者』としてハヤカワ文庫に収録された。他の邦訳に『特務機関GWA』『オロスの男』がある。(代島正樹)


60603
1970年8月
ジュール・ヴェルヌ悪魔の発明』Face au drapeau, 1896
鈴木豊訳 解説:訳者
カバー、挿絵:南村喬之

 原爆を予感したヴェルヌの代表作として知られているが、本書を不滅のものとしたのは、チェコの才人カレル・ゼマンによる映画版の功績だろう。本書の原題は「国旗に向かって」という、ややぼんやりとしたもので、実は「悪魔の発明」という強烈にして見事なタイトルを付けたのは、ゼマンなのだ。
 一九五六年に制作された映画版は、まさにスチームパンクの嚆矢。アニメと実写を巧妙に組み合わせ、銅版画が動き出したかのような映像を作り出してみせた。
 両者の差異は実に興味深く、特にキャラクターの性格付けが大きく違う。原作では、主人公の発明家トマス・ロックは、冷遇されて精神を病んでおり、海賊ケル・カラージュにそそのかされて世界への復讐を誓う。映画版のロック教授は温厚な老紳士だが、ダルチガス伯爵に手厚い援助を約束されて、大喜びで爆弾開発に没頭する。
 ヴェルヌが本書を執筆した一八九六年は、世界大戦のずっと前。ヴェルヌは「世界を破滅させるような発明をしてしまった科学者は正常ではいられないはず」と思ったのだろう。だが科学者は、時に破滅に無関心なままに「悪魔の発明」を生み出してしまうのだ。(高槻真樹)


63901
1970年8月
イアンド・バインダー『ロボット市民』Adam Link - Robot, 1965
青田勝訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 アシモフが初のロボットもの「ロビー」(一九四〇)を執筆する前に書かれていたのが、本書の元となった短編「ロボット誕生」(一九三九)である。その後、ロボット《アダム・リンク》ものとしてシリーズ化される。人間的な心を有し、フランケンシュタインの怪物と恐れられないよう、スーパーヒーローのように活躍するが、逆に法廷で告発されたりする。
 イアンド・バインダーは兄弟作家(アールとオットー)の合作ペンネームだった。兄は早々に執筆から離れ、弟だけとなったが、ペンネームはそのまま維持された。ただし、パルプ雑誌中心の小説執筆は戦前に終わり、戦後はマーベルコミックの原作や脚本の仕事が主となる。アメコミの原作者というと、スタン・リーなどごく一部の著名作家しか名前が残っていないが、バインダーもその一人だったのだ。クレジットがないので確実ではないが、スーパーマン、ブラック・アダム、ジャスティス・リーグ(映画ではなくコミック)などに関わった。
 本書は一九六五年に過去のロボットものを集大成する形で、書き下ろされた長編である。TVシリーズ「アウター・リミッツ」の一エピソード「ロボット法廷に立つ」は最初の短編が原作。(岡本俊弥)


62904
1970年9月
J・G・バラード『狂風世界』The Wind from Nowhere, 1962
宇野利泰訳
カバー:金子三蔵

 地・水・火・風――四大元素の異常な活性化によって、存亡の窮地に立たされる全人類。その記念すべき第一弾は、万物を薙ぎ倒す、恐るべき強風に蹂躙される世界の姿だった……。
 いわゆる〈新しい波(ニューウェーブ)〉SFの旗手として脚光を浴びた、J・G・バラードの長編第一作である。
 一刻も休むことなく東から吹きつける、異常な強風……その威力は日々五マイル近くずつ増加してゆき、ロンドン、ニューヨーク、東京など世界の主要都市は、次々となすすべもなく、廃墟と化していった。
 医学者、軍人、気象学のエキスパート、そして謎めいた大富豪など、さまざまな立場の登場人物たちが織りなす群像劇のスタイルで、作者は突如として地球を襲った未曾有の大災厄の顛末を、克明に描き出している。四部作のなかでは、比較的シンプルな構成の物語ではあるのだが、東日本大震災以来の異常気象を実体験した現在の眼からみると、異様なまでのリアルとサスペンスを感じさせるのも事実だ。
 現在、日本では初期・宇能鴻一郎の復権が密やかに進行中だが、一九三〇年代前半に誕生し、中国で少年期を過ごした両作家の比較論など、大いに興味あるところだろう。(東雅夫)


64001
1970年10月
ブライアン・W・オールディス『ありえざる星』Who Can Replace a Man?, 1965
井上一夫訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 ブライアン・W・オールディスはJ・G・バラードと並び称せられる英国SFの大立者。一九五〇年代なかばにデビューし、多くの長短編SFを書いた。
 本書は初期十年間に書かれた短編群からセレクトした傑作集。中でも有名なのは「だれが人間にかわれる?」で、ロボットものの歴史を語る時には欠かすことができない(ちなみに原著はこちらをタイトル作としている)。ニューウェーブ運動以前の作品とあってか、アシモフのロボット三原則を踏まえているのが微笑ましいが、さまざまなロボットを描き分けるオールディスのペンは喜びに満ちている。
 ロボットものに限らず、本書では多くのSFテーマが取り上げられ、まるでSFのサブジャンル見本市のような様相を呈している。日本版タイトル作はゴヤの幻想絵画を思わせる異星の光景を、「不滅」はテレパシーを、「協定の基盤」はリアルな近未来の戦争を、それぞれ描くといった具合で、著者はそうしたSFの諸相を陰鬱なユーモアで彩り、巧みなレトリックを駆使することで独自の世界に仕立てている。その様子はまるでSFという遊園地で遊ぶかのよう。巨匠の初心溢れるスケッチ集といいたい。(森下一仁)


60604
1970年11月
ジュール・ヴェルヌ『オクス博士の幻想』日本オリジナル編集
窪田般彌訳 解説:訳者
カバー、挿絵:南村喬之

 ジュール・ヴェルヌの場合、作家活動の前半に前向きで明るい作品が、後半には厭世的で暗い作品が多いと言われている。それは間違いではないが、前半にも、悲観的あるいは絶望的な作品がけっこう紛れている。
 その証拠が、この『オクス博士の幻想』に収録された「オクス博士の幻想」(一八七四)「ザカリウス親方」(一八五四)の二つの短編だ。ヴェルヌを一躍有名にした『気球に乗って五週間』は一八六三年の発表だから、「ザカリウス親方」は、それ以前の習作と言える。「オクス博士の幻想」の元版「オクス博士の酔狂」は、『八十日間世界一周』(一八七二)と同年に雑誌に発表されており、円熟期の作品に属する。
 SFの父と呼ばれるヴェルヌの作品には、『海底二万里』(一八七〇)に代表されるとおり、表面的には科学謳歌の装いをまといつつ、文明批判も顕著である。その特徴は、この短編集でも濃厚だ。ある地方の町人たちを不思議なガスで狂気に誘う「オクス博士の幻想」が名の通った作品ではあるが、より深みのあるのは、悲劇性の強いゴシック小説「ザカリウス親方」である。ヴェルヌには悪の科学者が新発明で世界を騒がすものが何編かあるが、「ザカリウス親方」はその嚆矢と言って良いだろう。(二階堂黎人)


61503
1970年11月
ハル・クレメント『テネブラ救援隊』Close to Critical, 1964
吉田誠一訳 解説:訳者
カバー装画:金子三蔵

 気温三七〇度、八〇〇気圧、重力は三G、硫化物の混じった大気に覆われ、硫酸の海が広がる惑星テネブラ。そこには八本足で鱗のある、卵生の知的生命が棲息していた。地球人がテネブラにロボットを送り込んで「原住民」を教育し、地表の探検や研究調査を始めてから十数年後、地球人少女とドロム人外交官の息子が乗った着陸船が惑星に不時着し、軌道上の人々は、地表のテネブラ人たちと協力して子供たちの救出を試みる。
 クレメントが得意とする、異形の知的生命と地球人との協力による冒険譚。一見して『重力への挑戦』と同工異曲のようにも思える設定だが、本作では遭難した聡明な地球人少女イージーの、高重力をものともしない活躍が読みどころ。
 テネブラ人の卵を拉致して孵化させ、地球人の言いなりになるよう教育するくだりなど、ちょっと倫理的にどうかと思うところもあるが、そうした大人たちの思惑を超えた少女の意志が物語を駆動させていく展開は今読んでも新しい。
 なお、本書で活躍した少女イージーは、続編『超惑星への使命』(ハヤカワ・SF・シリーズ)では言語学者に成長して登場し、『重力への挑戦』のメスクリン人たちと共演している。(風野春樹)


60908
1970年12月
A・E・ヴァン・ヴォークト『時間と空間のかなた』Away and Beyond, 1952
沼沢洽治訳 解説:訳者
カバー:司修

 一九五二年に出たヴァン・ヴォークトの中短編集(ボリュームの関係から、原著から二中編が省かれている)。執筆自体は八〇年代まで続くが、長短編を問わず、ヴァン・ヴォークトがもっとも作品を書いたのは四〇~五〇年代だった。本書は、アスタウンディング誌などに載った、その全盛期の作品を収めたもの。
 原野で見つかる動力不明のエンジン、独裁者を出し抜こうとする発明家、ナチス治下のドイツで開発される無尽蔵のエネルギー転位装置、八千万年前に墜落した宇宙船に積まれていた平和樹の種子、地球に不時着した船に乗る二頭の異星獣、貸し出す度に中味が入れ替わる映画フィルム、地球に避難場所を求めてやってきた生気エネルギーを吸い取る異星人。
 マッド色が強い科学者による驚異の大発明、(吉村昭『羆嵐』に出てくる人食いヒグマのような)凶暴で狡猾な異星の獣、超人を凌駕する超・超人など、ヴァン・ヴォークトおなじみの誇大妄想狂的アイデアが満載で楽しい。とはいえ中編では短いので、長編で見られる破天荒さ、破れかぶれといったことは(あまり)なく、手堅くまとまっている。
 アスタウンディング掲載のクラシックな作品では、まず発想の自由さを堪能すべきだろう。(岡本俊弥)


64201
1971年4月~
ラリー・マドック《TERRAの工作員》Agent of T.E.R.R.A.
高橋泰邦訳 解説:訳者
カバー:金森達

〈時間エントロピー修復機関(TERRA)〉と、悪の組織である〈エンパイヤ〉は、互いに相手の存在を消し去ろうと、銀河系のそちこちで壮絶な時間改変戦争を繰り広げていた。
 TERRAの工作員であるハンニバルと、その共働者で可変種のウェブリーは、通信の途絶えた仲間を探すため、航時輸送機に乗り、二十六世紀から過去の地球へとタイム・ジャンプした。そこでは、〈エンパイヤ〉の工作員が時間侵犯を行なっており、正しい歴史を歪めることで、未来の宇宙全体を支配しようと画策していたのだった。かくして、時間と空間を股にかけた両者の熾烈な戦いが披露される――。
 この『TERRAの工作員』が書かれた一九六〇年代は、映画《007》シリーズや、TVドラマ「インベーダー」に代表されるように、スパイものや、UFOもののドラマや小説が大人気だった。したがって、当シリーズも、そうした流行の影響下に描かれたスケールの大きなSFスパイ小説になっている。
 しかも、空飛ぶ円盤、アトランティス、古代神話、タイム・パラドックスなどといったSFならではの素材がふんだんに出て来て、活劇面と知的興奮の両方を満足させる。(二階堂黎人)


63802
1971年5月
ポール・アンダースン『地球人よ、警戒せよ!』Strangers from Earth, 1961
榎林哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 一九四七年に学生デビューしたポール・アンダースンは数年の助走期間を経て、猛然と活動を開始する。六〇年までの雑誌掲載作品は長編、中短編合わせて百五十編超。理工学的知識に優れ、高い文学性と歴史感覚に秀でた安定感溢れる作品群と、なによりそのたぐいまれなる量産能力で一躍時代の寵児となった。六〇年と六一年は過去の活動の総決算を目指した時期にあたり、合わせて十一冊の単行本を上梓している。その後刊行数は急減する。そんな時期六一年に刊行された本書だが、これだけの作品を量産してきた作家だというのに、連作集を除く純然たる短編集として初めての本となる。代表作のいくつかが著名アンソロジーに収録されて抜けたことで、若干華やぎに欠けた面は否めないが、それでも十年がかりの精華集には違いない。
『世界SF全集 世界のSF現代篇』にも「野生の児」として収録された表題作、友人知人、国民すべての憤激を一身に背負いつつ施政者として祖国のために奮闘する、著者得意の人物像を描く「宇宙の群盗」などバラエティーに富んだ作品集。
 個人的には著者の未来史の一編で、高等遊民と化したロボットの悲哀が胸を打つ小品「ドン・キホーテと風車」を特に推したい。(水鏡子)


61804
1971年5月
R・A・ハインライン『ポディの宇宙旅行』(天翔る少女)Podkayne of Mars, 1958
中村能三訳
カバー:山野辺進
【改題】1985年【新訳】2011年刊、赤尾秀子訳

 ハインラインのジュヴナイルには珍しく少女小説的なテイストを持つが、進歩と保守、情動と合理性がせめぎ合う作者の特徴も存分に味わえる。主人公のポディは火星育ちの十五歳。外見は北欧美人風だが、火星移民ならではの人種ミックスだ。夢は宇宙船の船長で勉強熱心だが、ティーンエイジャーらしい自惚れやさんでもあり女子力も高め。そんな彼女が、ひょんなことから豪華客船の乗客となり地球に向かうことに。一等船室の年寄りの我儘や差別意識への苛立ち、放射線からの避難行動のすったもんだなど、船内の様子が面白おかしく一人称で綴られていく。しかし、物語は終盤で一転。この旅行には別の目的が隠されていたことが発覚し、とんでもない結末を迎える。初刊時、陰惨でジュヴナイルにそぐわないと書き直しを求められたハイラインは、不服ながら最後に〝救い〟を加えた。しかし没後、もともとの結末が公刊され、ふたつの結末に対して人気投票が行われた。結果は書き直し前のオリジナルに軍配が上がり、それ以降の書籍ではこちらが採用されている。トラウマ本と言われることの多い本書だが、これでも翻訳版は(旧版・新訳版共に)、〝救い〟のある方を底本としている。(三村美衣)



64401
1971年7月
フレデリック・ポール『22世紀の酔っぱらい』Drunkard’s Walk, 1960
井上一夫訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 大学を中心とするエリートと過酷な海で生活する労働者階級に二分された未来社会。数学教授のコーナットは、テレビ授業のスターで、男ぶりもよく順風満帆だったが、知的エリートの間で流行している謎の自殺願望に囚われていた。一方、南海の孤島から大学によって連れられてきた原住民を感染源として天然痘が蔓延し、また信頼する学部長が殺人未遂の正当防衛で殺害される。それらの事件が裏で繋がっていることに気づいたコーナットは、恐るべき陰謀と立ち向かう羽目になるが……という物語。皮肉たっぷりのサタイヤで、作品が発表された一九六〇年でもすでにやや時代遅れな感じのテーマを階級社会の閉塞性に結びつけ、次々に起こる事件の連鎖を悠揚迫らぬ筆致で冷たく突き放すように描く。コーナットが学部長に結婚を勧められる美人学生ロシールの、至れり尽くせり才色兼備の佇まいはほとんどそれ自体お洒落なジョークのようだ。ロシールと学識豊かでも色恋には唐変木なコーナットとの掛け合いは、どんどん殺伐としてくる後半のサスペンスフルな展開に、おっとりしたラブコメディの花を添える。SFとしては数学的な小ネタが随所に鏤められているのが嬉しい。(渡邊利道)


60117
1971年8月
E・R・バローズ『時間に忘れられた国(全)』The Land That Time Forgot, 1918
厚木淳訳 解説:訳者
カバー装画:武部本一郎

 南太平洋の絶海の孤島キャスパック、断崖絶壁に囲まれ外界から完全に隔絶された世界。巨大な火山が陥没して噴火口が内海になったドーナツ型のその秘境に、偶然流れ着いたのが英米仏独の一団(と賢い犬)。時あたかも第一次世界大戦の激動の時代。だがキャスパックは太古から不変の、恐竜を始めあらゆる年代の生き物が跋扈する、驚異のロストワールドだった!
 本書は第一部「ボウエン・タイラーの手記 ―時間に忘れられた国―」の内容を綴った手記を瓶で海に流し、受け取った親友による救出行の第二部「トーマス・ビリングズの冒険 ―時間に忘れられた人々―」、第一部の途中で別行動を取った「ブラッドリーの物語 ―時間の深淵より―」の第三部という構成になっている。そしてSFとして際立たせているのが、個体が一生の間に数十万年の進化の段階を辿るという、特異で複雑な生態系のアイデアであり、有翼人のような奇怪な存在だろう。また《ペルシダー》に先行するプロットの類似性も興味深い。
 当時のバローズ人気の過熱ぶりは凄まじく、本書は三分冊のハヤカワ文庫版からわずか半年後に刊行された。SF度の高い異郷冒険の一巻もの作品として、バローズのショウケースにゼヒお試しあれ!(代島正樹)


64501
1971年9月
ジョージ・O・スミス『ブレーン・マシーン』The Brain Machine (The Fourth "R"), 1959
伊藤哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 五歳の子供ジェームズ・ホールデンは、両親が開発した電子機械教育器によって膨大な知識を得ていた。父の友人ポール・ブレナンはこの機器を手に入れるため、ジェームズの両親を殺害するが、ジェームズは機器を破壊し、ポールのもとから逃れる。マシーンの作り方はジェームズしか知らず、ポールは執拗に彼を追いかけるが……。
 作者は電子工学技士として働いていた経歴があり、脳波をフィードバックして知識を定着させるマシーンの仕組みはそれなりに説得力がある。ただし、本書の主眼は、このマシーンが社会にもたらす影響ではなく、大人並みの知能を得た五歳の子供が社会で暮らしていくにはどうしたらよいかを丁寧に描き出す点にある。ジェームズは作家として原稿料を得て、大きな屋敷に隠れ住み、家政婦を雇って生活していく。ジェームズが十四歳になるまでの成長物語として本書を読むことは十分可能であり、また、本書の後半二十ページに渡る法廷描写から、本書を「知能をもった子供を大人として認めるかどうか」について検討した法学SFとして読むこともできる。どちらにせよ、邦訳されている作者の他の長編とは趣が異なり、本格的な社会派SFとして記憶に留めるべき作品である。(渡辺英樹)


64301
1971年9月
ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録3174年』(黙示録三千百七十四年)A Canticle for Leibowitz, 1959
吉田誠一訳 解説:池澤夏樹
カバー:石垣栄蔵

 一九五九年刊で、六一年のヒューゴー賞を受賞している。翌六二年はキューバ危機の年であり、まさに東西冷戦時代のまっただ中に生まれた作品だ。
 二〇世紀に勃発した全面核戦争によって人類の文明は大きく後退。生存者の一部は科学技術文明を否定する過激な運動を推進、知識人を虐殺し、書物を焼いた。カトリック教会は、人類の知識を秘匿し保存するための修道院を密かに創設する。
 二十六世紀、三十二世紀、三十八世紀の物語をそれぞれ描く三部構成の本作は、いったんは滅びかかった科学技術文明が再び勃興し、恒星間移民をも実現する高みに達しながらも、またもや過ちに突き進んでゆくさまを、諦観の漂う語り口で淡々と綴ってゆく。
 こうした〝アフターホロコースト〟の設定は、現代の読者の目にはもはや定型様式であり、筆者も本作をSF愛好家がときおり紐解くのみの埃をかぶった古典だと不明にも近年までは思っていた。しかし、東西冷戦終結以降で世界が最も核戦争に近づき、国内外で政治と宗教の関係が問題視されてきた昨今、本作は、そこに流れる〝循環〟のモチーフそのままに、いま再び新鮮な作品として輝きを放ちつつある。(冬樹蛉)


60118
1971年12月
E・R・バローズ『失われた大陸』The Lost Continent (Beyond Thirty), 1916
厚木淳訳 解説:訳者
カバー、口絵、挿絵:武部本一郎

 二十世紀後半の悲惨な世界大戦から二百年後、南北アメリカ大陸には統一国家が誕生、平和を謳歌していた。ただし、他大陸とは完全に没交渉となったまま。そんな中、海難事故でヨーロッパへと漂着してしまった若き主人公は、そこで異様な光景を目にする。今やヨーロッパは文明が完全に後退、野生動物が跋扈する危険地帯となっていたのだ……。
 バローズはその著名なシリーズで、常に怪物や悪漢に溢れた世界を探検する主人公たちの冒険を描いてきた。それはジャングルの奥地、他の惑星、地底世界等、いまだ人が足を踏み入れたことがない異郷を舞台にしていた。ところが本作は、文明が一旦滅んだ世界を舞台にした、一種のポスト・アポカリプスSFとなっているところが珍しい。バローズがこのような未来図を思い描いたのは、執筆当時進行中だった第一次世界大戦の影響があるのはまちがいない。だから、本作に当時の人々の憂いを読み取ることも不可能ではない。現代の目から見ると素っ頓狂にも見える設定の数々はご愛敬といったところか。とはいえ、そこはバローズ、設定もそこそこに毎度お馴染みの快男児によるお姫様救援冒険譚が繰り広げられるので、そこは安心されたし。(堺三保)


51701
1972年3月
ジュール・ヴェルヌ『サハラ砂漠の秘密』L'étonnante aventure de la mission Barsac, 1914
石川湧訳 解説:石川布美
カバー、挿絵:南村喬之

 馬上の美女、見上げる空には乱舞する怪しい飛行機械。表紙買いである。「惑星カレスの魔女」にも心揺るがなかったこの私が、だ。カバーと挿画は怪獣画や恐竜画で有名な南村喬之、挿画も素晴らしく、作中のイメージ喚起を手伝ってくれる。
 本作はジュール・ヴェルヌの死から十四年後の一九一九年、未完成の二つの中編を元に息子のミシェル・ヴェルヌが長編化したもの。このミシェル、父親に反抗するあまり、駆け落ちするわ借金するわ浮気するわ妻に暴力を振るうわ離婚してまた駆け落ちするわで、親子関係は一時最悪となる。しかし父は、金銭こそほとんど相続させなかったものの、著作や遺稿の管理を息子に委ねた。その才能を認めていたのだ。そして息子もそれに応えて、殺人ドローン(そう、表紙の怪しい機械だ)や人工降雨など、自身の着想も盛り込んだうえで娯楽作品として完成させている。
 兄の汚名を雪(すす)ぐべく、アフリカ調査団に同行し、悪の機械帝国ブラックランドに挑む主人公ジェーン・バクストンには、名誉回復や父との和解を願うミシェルの姿が重なる。しかしそんな背景を抜きにしても楽しめる逸品である。日本では「パタパタ飛行船の冒険」としてアニメ化もされている。(理山貞二)


51702
1972年6月
ジュール・ヴェルヌ『必死の逃亡者』Les Tribulations d'un chinois en Chine, 1879
石川湧訳 解説:石川布美
カバー、挿絵:南村喬之

 SFというよりは純粋の冒険エンタメであるがゆえに、いっそうヴェルヌの奇想とストーリーテラーぶりが楽しめる作品で、何しろ舞台は清朝末期の中国。何不自由ない境遇で、ために人生に退屈しきっていた金馥(キンフー)は一夜にして全財産を失い、自殺するかわりに親友に殺してもらうことで保険金を彼や恋人に贈ろうとするのですが、そうと決まったあとで破産は誤報とわかり――という展開は、この手のサスペンス・コメディの元祖といえ、現にフィリップ・ド・ブロカ監督、ジャン゠ポール・ベルモンド主演の映画「カトマンズの男」の原作になっています。
 とにかくヴェルヌならではの〝調べに調べた結果生み出される幻想世界〟が魅力的で、登場する中国人たちは何やらコスプレをした西洋人めいているし、金馥は恋人の雷呉(レイウ)と蓄音機を使って文通し、海賊を逃れて海に飛びこめば水中でも消えない化学ランプや帆のついた潜水服を使うなど、ちょいちょいとはさまれる当時の科学トピックスが何ともミスマッチでユーモラスです(作者のミスなのかジャンク船の船長さんたちの扱いはひどすぎますが)。作家はヴェルヌで小説のデッサンを学ぶと何かで読んだ記憶がありますが、本書はまさにその好見本と言えるでしょう。(芦辺拓)


64601
1972年9月
ベン・ボーヴァ『天候改造オペレーション』The Weathermakers, 1967
伊藤哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 気象学をテーマに据えた、日本ではあまり注目されて来なかったタイプのSFだ。事なかれ主義の上司に研究所を追い出された若き気象学者テッドと彼を慕うモンゴル出身の化学者テューリは、語り手である大企業の御曹司ジェレミーと組んで新たな企業を立ち上げる。表向きは高精度な長期の天気予報の提供を売りにしつつ、具体的な天候制御の技術確立をも目指すのだ。現場目線で顧客の信頼を獲得しつつ、元上司の策謀や空軍の介入を経て、大統領絡みのプロジェクトでの巨大ハリケーン上陸阻止という難題に挑む羽目に陥る……。
 バランス感覚の行き届いた、お手本のように手堅い作り。経営シミュレーションや眼鏡をかけた技術者バーニーをめぐるロマンスといった要素も加え、物語のスケールは無理なく拡大していく。描かれる中心的な技術は人工降雨なのだが、このときの取材は、中学生向けノンフィクション『人は天候を変える』Man Changes the Weather(未訳、一九七三)にも反映されている。ここでは二酸化炭素の制御という、喫緊の課題までもが強調されていた。ボーヴァは北ヴェトナムやラオスが、気象改変の実験台にされたことへの問題意識も隠さない(一九七六年のインタビュー)。コアの思想は今なお有効なハードSFの佳品であろう。(岡和田晃)

60405
1972年10月
アイザック・アシモフ『宇宙の小石』Pebble in the Sky, 1950
沼沢洽治訳 解説:訳者
カバー:司修

 仕立屋の隠居シュワーツは核研究所の些細な事故によって、一九四九年から銀河暦八二七年の世界へと転移してしまった。人類は銀河系の二億もの惑星に住み、総人口は五〇万兆にもおよぶ。そのなかで、地球は人類発祥の地であることを忘れさられ、放射能にまみれた辺境の地として蔑まれる立場となっていた。シュワーツは地球の物理学者シェクトの新発明シナプシファイアーの実験にかけられ、強化した学習能力によって未来の言語を習得する。さらに不思議な精神能力も発現しようとしていた。シナプシファイアーの秘密には、地球を牛耳る〈古代教団〉がかかわっているらしい。また、情報をつかんだ銀河系帝国側も動きだしていた。まったく事情を知らないシュワーツは、虚々実々入り乱れた勢力の駆け引きに巻きこまれていく。
 アシモフ最初の長編。恩師にあたる編集者ジョン・W・キャンベルの影響を受けずに書きあげた、この作家のキャリアにおいて重要な意味を持つ作品である。放射能汚染に対する誤解、拭いきれない人種差別、過激化する偏狭な民族主義など、現在にも通じる諸問題が取り上げられていることにも注目したい。別の邦訳として高橋豊訳『宇宙の小石』(ハヤカワ文庫SF)がある。(牧眞司)


64701
1973年2月~
ジャック・ヴァンス《冒険の惑星》Planet of Adventure
中村能三訳 解説:大谷圭二
カバー:小川陽

 ジャック・ヴァンスを読むのは、まだ見ぬ景色の広がる異郷へと旅に出るということだ。なかでも本書の没入感はただものではない。地球から二一二光年離れた惑星チャイ。謎の電波信号の調査に出向いたアダム・リースは、乗っていた偵察艇が撃墜され九死に一生を得る。彼は紋章遊牧民のトラズ、ディルディル人(マン)のアナコと一緒にチャイを旅し、そこで怪しげな教団に出くわし、生贄にされかけていた美女『キャスの花』を救出する……。
 こう書くと、ありがちなE・R・バローズの亜流に見えるかもしれないが、さにあらず。船員として各地の風俗を目にしてきたヴァンスは、狭苦しい偏見の枠組みをはるかに飛び越えたものとしてエキゾチックな風習を描き、視点人物リースを含め、そのなかの生き様を伝えるのだ。『大いなる惑星』での冒険感覚や『竜を駆る種族』的なSF設定も踏襲したうえで、ディルディル(Dirdir)等の固有名詞の音楽的響きは美しい。ル゠グウィンが『夜の言葉』で感嘆した抑制的なユーモアも健在だ。
 ヴァンスは自分が都会の図書館で本を読み耽るインテリではなく、あくまでも労働者だと述べている(伊藤典夫のインタビュー、「SF宝石」一九七九年一二月号)。本シリーズは原著の刊行時期が近いジョン・ノーマンの《反地球》の流れでも紹介されたが、《反地球》のごとき女性蔑視の正当化はなく、だからこそ二巻で『キャスの花』を待つ運命の衝撃は大きい。
 本書はスタイリッシュな《魔王子》シリーズの前期と後期の間に挟まれるように、一九六八年から七〇年まで連続刊行されたもので、山野浩一のような〝新しい波〟の批評家にも「良質のスペースオペラで楽しめる」と称讃されている(「読書人」一九七三年三月一九日号)。実際、全体のまとまりはよく、新ヒロインのザップ210が登場する四巻の怒涛の展開も違和感はない。日本語版のカバーは小川陽による装画の色違いだったが、再刊時には各巻ごとに米田仁士の新カバーが描き下ろされてイメージ一新、フレッシュな読者層を獲得した。
 ヴァンス作品はRPGの基礎でもある。『終末期の赤い地球』はRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の魔法システムや邪神ヴェクナ(Vecna)、『トンネルズ&トロールズ』の職業(盗賊)へ与えた影響が著名だが、『冒険の惑星』での太古種族に関する設定は、『ウォーハンマー』のオールド・スランを想起させる。実際、関連誌「ホワイト・ドワーフ」七四号(一九八六)には『冒険の惑星』の書評が掲載されていた。汎用RPG『ガープス』では、なんと本シリーズを緻密にデータ化した追加設定資料(サプリメント)も刊行されている(未訳、二〇〇三)。現在は入手困難だが、いかにもチャイで起きそうなイベントをランダム生成する表の部分は無料公開されている(http://www.sjgames.com/pyramid/sample.html?id=4144)。必ずやニヤリとさせられるはずだ。(岡和田晃)


60907
1973年3月
A・E・ヴァン・ヴォークト『目的地アルファ・ケンタウリ』Rogue Ship, 1965
永井淳訳
カバー:金子三蔵

「おい! 宇宙の本質をつきとめたぞ」――そんなSF読者憧れのセリフが登場する、豪快な宇宙冒険譚だ。主な舞台となるのは、太陽系滅亡を察知したレズビー博士率いる地球脱出船〈人類の希望号〉。しかし船は予定の速度を出せず、旅は長引き、船内の空気は常に不穏だった。初代レズビーから五代目の時代に至るまで、何度も繰り返される探索派と帰還派の対立。新たな理論の発見や異星人との出会いを経て、船内の勢力図は目まぐるしく変化してゆくが……。
『宇宙船ビーグル号の冒険』などと同じく別々に発表された三作をまとめて長編にしたもので、展開が早い。当初の目的地である邦題のアルファ・ケンタウリを、序盤にあっさり通過。他の候補地をめぐりながら地球への帰還を模索するのだが、その過程でぶっ飛んだアイデアが次々と投入される。架空理論の細部は正直よくわからない。しかし、とりあえず言い切って書いてしまう力技が圧巻だ。一方ストーリーは、権力志向や望郷の念に基づく人間模様が駆動する。アイデアの突飛さとドラマの俗っぽさのギャップが生む急流に、読む側は翻弄されっぱなし。冒頭のセリフが、どこでどんな風に飛び出すのかも注目だ。(香月祥宏)


64801
1973年3月~
ウィリアム・テン『ウィリアム・テン短編集』1・2 The Wooden Star, 1968 and other
中村保男訳 解説:訳者
カバー:サングラフィック 山本典子

 W・テン(本名ポール・クラス、一九二〇~二〇一〇)が「囮のアレグザンダー」でSF界にデビューしたのは、第二次大戦直後の一九四六年春。本邦初紹介は、日本初のSF同人誌〈宇宙塵〉八号(一九五八年一月)に、同誌の主宰者・柴野拓美が小隅黎名義で訳した、タイム・パラドックスのおかしさを狙った原型的な作品「俺と自分と私と」。そして、〈S‐Fマガジン〉の創刊初年度の六〇年に二号連続で短編が訳されたのをはじめ、その後もコンスタントに同誌に紹介され、「奇抜な着想と独特な話術で、五〇年代の諷刺ユーモアSFの代表的作家」(浅倉久志)として親しまれたにも拘わらず、同じ系譜に属する後輩のブラウン、シェクリーほど人気を博することなく、忘れられてしまった。
 本国でも傑作・佳作短編をものし、高く評価されながら、なぜか賞に恵まれないまま、六六年には創作からセミ・リタイアし、ペンシルヴェニア州立大でSF創作講座の教鞭をとる大学人となったが、そんな彼の功績を顕彰するかのように、二年後の六八年夏、バランタイン・ブックスは、唯一の長編と、この短編集二冊の底本を含む短編集三冊の新刊ほか計六点を同一フォーマットのペーパーバックで一挙に刊行。その辛辣と諧謔の作品を熟読玩味すべし。(高橋良平)


60119
1973年5月~
E・R・バローズ《地底世界》Pellucidar
厚木淳訳 解説:訳者
カバー、口絵、挿絵:武部本一郎

《火星シリーズ》のジョン・カーター三部作、《ターザン》開巻の二部作を矢継ぎ早に発表し、飛ぶ鳥を落とす勢いのE・R・バローズが一九一四年に連載開始した第三のシリーズ、それが《ペルシダー》シリーズである。地球空洞説に基づく魅力的な世界設定とスケールの大きさで、地底テーマの代名詞とされているのは、「ウルトラマン」に登場する地底戦車が〝ベルシダー〟とオマージュされた事例(一九六七)からも伺えよう。
 地球中心核の動かぬ太陽が天頂で照りつけ、夜も時間も方位も存在しない。地殻の凹凸に対応して陸海の比率は逆で、内側でも陸地面積では地表を遥かに凌駕する。その広大な未開の原野に恐竜と猿人と旧石器時代人が共存した不可思議な世界……。ディヴィッド・イネス青年は老技術者アブナー・ペリーが開発した地下試掘機〝鉄モグラ〟の暴走でペルシダーに辿り着くのだが、この二人の配役自体が映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を引き合いに出したくなる盤石の布陣。そこに仲間と魅力的なヒロインが揃えば、手に汗握る冒険はまちがいなし!第一巻で大型翼竜の爬虫類「マハール族」が儀式場で催眠術にかけた少女を喰らうシーンの戦慄描写は、バローズ全作品中でも白眉の鮮烈さ。巻が進むと《火星》《金星》シリーズにも登場する、ジェイスン・グリドリーやターザンまでもが大活躍。現実世界と地続きのペルシダーならではの粋な読者サービスだ。
 それはそうと、本シリーズほど日本の読者に厳しい選択を強いた作品は無いのではなかろうか。《火星シリーズ》への対抗として早川書房が翌一九六六年から刊行開始し、文庫版でも全七巻を七二年に完結済み。七三~七七年の創元文庫版は完全に後塵を拝していたのである。もちろんバローズにおいて、翻訳は厚木淳で装幀が武部本一郎というブランド価値は鑑定書並みに絶大なものだが、悩ましいのが第七巻『美女の世界ペルシダー』である。連作短編三作品(初出一九四二)からなるが、原書(一九六三)にはバローズ没後に発見された未発表原稿が収録されており、その翻訳権を早川書房が取得していたのだった。この創元版は、完訳と比べて一割弱まで圧縮したダイジェストを第三部の終章に追加するという荒業を駆使した執念の一冊なのだが、《ペルシダー》をどういう形で揃えて読み進めるべきか苦悩された経験を持つ方はきっと多いはず。
 さらに第一巻『地底の世界ペルシダー』は映画「地底王国」(一九七六)に合わせた映画カバーに替えたのは良いとして、せっかくの武部画伯の装画にいつまで経ってもなぜか戻さず、シリーズ装幀が長きにわたり不統一だったのも惜しまれる。
《ペルシダー》が復活する際には、バローズと同じく厚木淳が秘かに翻訳していた未発表訳稿が発見され……なんてドラマを夢想してみたりするのもファンの愉しみだろう。(代島正樹)


60909
1973年9月
A・E・ヴァン・ヴォークト『終点:大宇宙!』Destination: Universe!, 1952
沼沢洽治訳 解説:訳者
カバー:司修

 ヴァン・ヴォークト初期の中短編集。主に一九四〇年代に書かれており――同時期の長編同様――出色の十作を収録する。「魔法の村」は火星ファーストコンタクトもの。「一罐のペンキ」は方程式もの系パズルSFで、二〇〇四年に映画化された。
 収録作の大半が宇宙SFである本書の題は、ハインライン原作のハリウッド映画Destination Moon(邦題「月世界征服」)から。著者あとがきに、知人がその映画を見て〈起こりうること〉を描いているからSFではないと言ったとある。著者はそれをSFへの非難と見なす(同あとがきでは作家たちが科学発展の一部を見落としてきたと認めつつ作家は科学者の千分の一しかおらず劣勢だとする)。本書は反論/弁明なのだ。
 題名にも呼応する「はるかなりケンタウルス」では地球初の恒星間航行者が、後発の進んだ科学をもちいた航行者に追い抜かれ――ここまででも十分面白いと思うのだけれど――その理解できないほど進んだ科学をもちいて新たな目的地をめざす。なお本短編が書かれたのは一九四四年、NASAが発足する十四年前である。
 SFが〈ありえる/ありえない〉の二分法を軽やかに飛び越えていくことを、十の実作によって証明するヴァン・ヴォークトSFの精華。(高島雄哉)


62501
1973年11月
フリッツ・ライバー『放浪惑星』The Wanderer, 1964
永井淳訳 解説:訳者 カバー:金子三蔵

 冒頭に四つの引用が掲げられている。出典は順にE・E・スミスの『第二段階レンズマン』、ウィリアム・ブレイクの「虎」、聖書の「ヨハネ黙示録」、オラフ・ステープルドンの『スターメイカー』。つまり、本書がスペース・オペラ、猫型異星人とのファースト・コンタクト、天変地異による世界の終末、壮大な宇宙年代記の要素を兼ね備えていることを表しているのだ。まさに野心作と呼ぶにふさわしく、作者にふたつ目のヒューゴー賞をもたらした。
 物語は、地球の近傍に異様な天体が突如として出現するところからはじまる。その重力で月は粉砕され、地球は津波と高潮と地震で文明崩壊の危機に見舞われる。やがて意外な事実が明らかになる。〈放浪者〉と名づけられたこの天体は、宇宙の体制に反逆して逃亡をつづける宇宙船だったのだ。追いついてきた〈警察星〉とのあいだに戦闘がはじまり、大破した〈放浪者〉は超空間へ脱出するが……。
 ライバーはアメリカ幻想文学界の巨人ともいうべき存在。代表作にデビュー以来五十年近くにわたって書きつがれた〈剣と魔法〉の物語《ファファード&グレイ・マウザー》シリーズなどがある。(中村融)


60201
1973年12月
アンドレ・ノートン『猫と狐と洗い熊』Catseye, 1961
井上一夫訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 九十三年の生涯で百冊以上の小説を書き、SF少年たちに多大な影響を与えた女性作家アンドレ・ノートンだが、邦訳には恵まれておらず、創元SF文庫では、《ウィッチ・ワールド》シリーズを除けば唯一の訳書が本書になる。
 のどかな故郷の惑星で動物たちと一緒に暮らしていた青年トロイ・ホーランは、戦禍で故郷を追われ、天涯孤独の身となって快楽の惑星コーウォーのスラム街ディップルに流れ着く。トロイはペットショップで日雇いの仕事にありつくが、精神感応の能力を持つ動物たちとテレパシーで交信したことをきっかけに、巨大な陰謀に巻き込まれていく。冒険の相棒となるのは、猫二匹、狐二匹、洗い熊一匹の合計七匹の動物たちだ。
 動物とのテレパシー的なつながりは、『ビーストマスター』など、同時期のほかの作品にも通じるところ。前半はノートンにしてはかなりゆっくりとした展開だが、舞台が異星人の古代遺跡に移ってからは軽快なテンポになっていく。
 本書は独立した長編だが、スラム街ディップルは、ほかのいくつかの作品でも舞台として登場している(いずれも未訳)。また、天涯孤独の青年という主人公像もノートンのお気に入りだ。(風野春樹)


64901
1974年7月
ロバート・シルヴァーバーグ『時間線を遡って』(時間線をのぼろう)Up the Line, 1969
中村保男訳 解説:訳者
カバー:真鍋博
【新訳改題】2017年刊、伊藤典夫訳

 シルヴァーバーグはめちゃくちゃ好き! とくにニュー・シルヴァーバーグ期と呼ばれる時期の作品はどれも傑作だ。私はSFとは「グロテスクなものから美を見つける行為」だと思っているが、そう考えるに至ったのは中高生の頃この人の諸作に触れたことが大きい。シルヴァーバーグは実はディックよりも暗いしグロいし変だと思う。今回はじめて『時間線を遡って』(第六回星雲賞海外長編部門受賞)ではなく新訳『時間線をのぼろう』を読んだが、新訳の方が内容にあったポップで過激な表現になっていて断然読みやすい。時間局に就職し、過去への観光旅行客を引率する任務についたジャド・エリオットは、自分の先祖のひとりとヤバい関係になる。全編を覆う主人公のエロさとアホさに目が行きがちだが、独自のルールによるタイムパラドックスのつるべ撃ちはさすがだし、キッチュで時間改変なんぞ糞くらえ的な登場人物たちも魅力的だ。主人公がエロすぎ、アホすぎて感情移入しにくいが、話がどんどん転がっていくのでOK。ビザンティン帝国などのヨーロッパ史の知識があればもっと楽しめるかも。ラストも「おお!」という感じで、今回読み返してもやっぱり「おお!」となった。シルヴァーバーグ最高!(田中啓文)


60312
1974年7月
E・E・スミス『惑星連合の戦士』Spacehounds of IPC, 1931
榎林哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 惑星連合の宇宙船〈アークチュルス〉号が火星めがけて地球を飛び立つと、圧倒的科学力を誇る謎の球形船に襲われ、破壊される。かろうじて脱出した物理学者スティーヴンスと恋人ネーディアは、天才的発明と破天荒な武器を駆使して、この謎の球形船とふたたび相まみえるのだった――。
 太陽系全体を舞台にした、想像力豊かなスペース・オペラ『惑星連合の戦士』を初めて読んだ時、《スカイラーク》シリーズと《レンズマン》シリーズの中間みたいな話だな、と思った。
 しかし、これは逆であった。E・E・スミスは《スカイラーク》の次に『惑星連合の戦士』を書き、出版社と方針が合わず揉めて、他の出版社にさっさと移ったのだった。そして、『惑星連合の戦士』のプロットを焼き直し、のちに〈レンズマン〉に組み入れられる『三惑星連合軍』を発表したのである。
 したがって、〈レンズマン〉の惑星連合や銀河文明といった広大無辺な世界観の成立過程を理解するには、『惑星連合の戦士』を読んでおく必要がある――というと、何だか難しいようだが、ただ単純に、波瀾万丈の冒険が繰り広げられる煌びやかな宇宙物語に没頭して、楽しめば良いだけのこと。(二階堂黎人)


60910
1974年9月
A・E・ヴァン・ヴォークト&E・メイン・ハル『惑星売ります』Planets for Sale, 1954
永井淳訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 人類が宇宙へ植民した遙かな未来。百九十四の太陽で構成される尾根星団(リッジスターズ)に、立志伝中の若き実業家アーター・ブロードがいた。すでに星団の富の四分の一を所有していると噂される彼は、もはやビジネスでは燃えない。生き甲斐を感じるのは、兇悪な敵や危険と対峙しているときだけだ。裏社会に根を張る商売敵、ブロード社に潜伏した裏切り者、地球から来た悪辣な科学者、そして人類を超えた知識を有する狡猾な異星生物……。この異星生物(スカルと呼ばれる)の行動原理が人間の常識で計れないもので、それがプロットに絶妙に絡んでくる。
 ブロードはいわゆる正義漢ではなく、必要とあらば金にものを言わせたり、政治的人脈による圧力を用いたり、あっさりと殺人もおかす。とはいえ、基本的には好人物だ。そのキャラクター造形の塩梅がいい。彼の部下として有能な働きをみせる脇役たちが、ことごとく女性であることも注目ポイントだ。
 もともとはハルの単独名義で雑誌に発表された五編の連作(一九四三~四六年)だが、単行本化(五四年)にあたって長編の体裁にフィックスアップされた。初刊時もハル単独名義だったが、六五年のペーパーバック版以降は夫婦合作の名義となる。(牧眞司)


65101
1975年1月
ジョン・ブラナー『テレパシスト』Telepathist (The Whole Man), 1965
伊藤哲訳 解説:訳者
カバー:せき・イラスト・グループ

 テロで爆死した父親とその愛人から生まれた奇形の子供ジェラルド・ハウサンは、生まれつき腰が曲がり、足を引きずっていた。十七歳で母を亡くし、映画館で様々な知識を得るが、ある日そこでギャングのやり取りを聞き取ったことをきっかけに自身がテレパシストであることに気づく……。
 ここで言うテレパシストとは、単に相手の心を読む者を指すだけでなく、人々に自分の心を投射したり、相手の心の中に入り込んで治療したりする者まで含んでいる。大変幅広い概念であり、精神分析や心理学の治験を取り込んだという意味では、同時期に書かれたゼラズニイ『ドリーム・マスター』とアイディア的に重複しているところもある。ジェラルドが包帯を巻いたこともないのに自らを医師と名乗り、傷ついたテレパシストのグループを治療していく場面は本書の読みどころの一つと言えよう。故郷へ戻ったジェラルドは、かつて同じテレパシストとして交感を行った聾唖のメアリーと再会を果たすが、それは大変苦いものにしかならなかった。この辺り、現実を真摯に見つめるリアリストとしてのブラナーの面目躍如たるものがある。社会派SFの可能性を広げた未訳長編Stand on Zanzibar(一九六八)の邦訳が待たれる次第だ。(渡辺英樹)


65001
1975年3月~
テッド・ホワイト『異次元世界の扉』『異次元世界の女魔術師』『異次元世界の狼』Qanar
小尾芙佐訳 解説:訳者
カバー、口絵、挿絵:南村喬之

 作者は熱心なファン活動を経て、プロとしてSFに関わるようになった人であり、創作のほかに評論や編集の分野でも名を馳せた。とりわけ一九六九年から七九年にかけてSF誌〈アメージング〉と〈ファンタスティック〉の編集長を務め、再録専門に堕していた両誌に活気をとりもどした手腕は高く評価されている。
 作家活動の初期においては、しばしば先輩作家と共作して腕を磨いたが、ファン活動を通じて培った信頼関係があったからだろう。たとえばデビュー作は、〈アメージング〉一九六三年二月号に掲載された"Phoenix"という短編だが、これはマリオン・ジマー・ブラッドリーとの共作だった。この作品を組みこむ形で長編化したのが、一九六六年に発表された『異次元世界の扉』(原題 Phoenix Prime)である。
 簡単にいってしまえば、主題は善のスーパーマンと悪のスーパーマンたちとの闘い。とはいえ、前者である主人公マックス・ケストが、後者によって超能力の発揮できない異次元世界クワナールへ放逐されるので、物語の大半は砂漠や荒野でのサバイバルに費やされる。この描写が微に入り細を穿つもので、ハモンド・イネスやデズモンド・バグリイなどの冒険小説を彷彿とさせる。もっとも、舞台は文明崩壊後の世界であり、旧文明の遺産である物質伝送装置が登場して、SF的な広がりを見せる。
 この作品が好評だったので続編が二作書かれた。もっとも、マックスの闘いは終結しているので、こちらではマックスゆかりの人々が主役を務める。
 第二作『異次元世界の女魔術師』(一九六六)の主役は、第一作に登場した女魔術師(じつは物質伝送装置の故障で三千年前の文明世界から迷いこんできた古代人)シャナーラと、マックスに命を助けられた豪族エルロン。このふたりが、クワナールに侵入してきた悪のスーパーマンたちを撃退しようとするのが物語の骨子。
 第三作『異次元世界の狼』(一九七一)の主役は、マックスがクワナールの遊牧民女性とのあいだにもうけた息子マクスターン。部族のはみだし者だった彼が、人になついている狼と出会い、故郷を飛び出して幻の父の足跡をたどる旅が描かれる。
 第一作と同様に、主人公たちは過酷な環境に放りこまれ、肉体的にも精神的にもギリギリまで追いつめられる。その苦しみを描く作者の筆致は冴えわたり、読むのがつらくなってくるほどだが、もちろん苦難は克服され、最後にはハッピーエンドを迎える。けっきょくのところ、作者の狙いはストーリーを語ることよりも異次元世界の様相を書きこむことにあるのだろう。その意味で、シリーズ名が示すとおり、真の主役はクワナールなのかもしれない。(中村融)


65102
1975年4月
ジョン・ブラナー『星は人類のもの連盟』The Long Result, 1965
井上一夫訳 解説:訳者
カバー:せき・イラスト・グループ

 人類が恒星間飛行を実現し、異星人と交流を持っている未来。技術力の高い植民惑星から、新たに発見した異星人を地球につれて行く、という連絡が入る。文化交流局のヴィンセントは受け入れ係を拝命するが、この件をめぐって彼の周囲で物騒な出来事が頻発。背後には〝星は人類のもの連盟〟と名乗る、植民惑星の発展や異星人との対等な関係を良しとしない、人類至上主義の過激な組織の影が見え隠れする。
 一九五〇年代から娯楽SFを量産、のちにStand on Zanzibar(一九六八)などで新境地を開く作者が、六五年に発表した長編。宇宙時代の排外主義を描き、後期の作品にも通じる社会への鋭い洞察や警告を含んでいる。技術力で逆転されているのに恣意的な観点から他の惑星を見下し続ける地球人、あまつさえ〝すべての星は人類のもの〟であるべきと主張する狂信的な団体などの設定は、現在でも考えさせられるところだろう。同時に、恋愛を絡めた展開や謎解き要素が効果的で、ストーリーは軽快。終盤、見下してきた異星人が実は……からのスケールアップも読みどころだ。発表当時は量産型娯楽SFの延長線上にあった作品だが、あらためて読むと作者の円熟への兆しが垣間見える。(香月祥宏)


64902
1975年4月
ロバート・シルヴァーバーグ『禁じられた惑星』A Time of Changes, 1971
中村保男訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 一九七一年発表のネビュラ賞受賞作。〝文学性〟の高い作風でニュー・シルヴァーバーグと呼ばれ、アメリカSFをリードする作家のひとりとなった時期の代表作のひとつ。異星文化人類学的設定や語り手の手記という形式などは、ル・グィン『闇の左手』(一九六九)を意識しているようにも思える。
 歴史的経緯から「自己の表出を禁じる」文化が支配する惑星が舞台。前半は王族である主人公の流浪譚。彼は物語のちょうど半分でドラッグ使用による意識の解放・他者との精神の合一を体験し、「愛と自己解放」を広める改革者たらんとするが……。原題の「変化の時」は、この理想の実現を意味する。
 自己の表出を禁じるというのは、「わたし」という概念自体の否定ではなく、会話や文章での一人称の使用が禁忌とされるというもの(原文ではoneを用いた三人称構文)。主語の省略が頻繁な日本(語)では、やや衝撃が弱いかもしれない。
 執筆当時のドラッグ・カルチャーと作者や本書の関わりについては、九八年復刊時に追加された中村融解説にくわしい。笠井潔『機械じかけの夢』では本書に一章をあて、オールディス『一兆年の宴』ではハインライン『異星の客』と比較して論じられている。(山岸真)


60911
1975年9月
A・E・ヴァン・ヴォークト『月のネアンデルタール人』The Beast, 1963
佐藤晉訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 主人公の元軍人ペンドレークが発見した謎のエンジンは、物語の早い段階で見知らぬ男たちに奪われる。が、しばらくすると、戦争で失われたペンドレークの右腕が生えてくる。原因をエンジンと見定めた彼は、エンジンを追うことを決意した――と、ここまでで三章である。
 本書は三十一章とエピローグから成り、最初の四章は多くが短編「偉大なエンジン」からの転用だ。続く第五章冒頭でストーリーは転換する。詳述は避けるが、乱丁を疑うような急変である。しかも同等の変化は五章だけではなく、以後も複数回起き、物語は千鳥足の展開を辿る。論より証拠、第四章までには、月も、ネアンデルタール人も、原題の"The Beast"に相当する事項も一切出て来ないが、終盤までには、確かに全て重要なファクターとして登場する。P・K・ディックの諸作を彷彿とさせる無軌道な展開だが、不安定な印象はほぼ受けない。本書はどんな局面でも一貫して、主人公ペンドレークの克己、復活を主要主題としていることからぶれない。どの場面でも読み口を統一され、戦争で挫け、最愛の妻と別れて家庭でも挫けた男の、活き活きした人生への復帰が、一見無軌道なプロットに、古典的で太い筋を通す。(酒井貞道)


63104
1975年9月
E・F・ラッセル『わたしは“無”』Somewhere a Voice, 1965
伊藤哲訳 解説:訳者
カバー:金子三蔵

 序文でラッセルは言う。「SFとは広範囲なテーマの思索的なフィクションである」 中&短編六編を収録した本書は、その思弁の成果といえよう。巻頭中編「どこかで声が……」は壮絶なサバイバル物だ。惑星ヴァルミアに不時着した宇宙船の乗員八名は、徒歩で三万二千キロ離れた救急ステーションを目指す。劣悪な自然環境もあって、彼らは次々に壮絶死を遂げた。極限の中でも、人間は寛容に生き、威厳をもって死ぬことができるのか?――という問いが、ズシリと胸に響いてくる。中編「ディア・デビル」は世界戦争で滅んだ地球に来た火星の詩人ファンダーの話。悪魔風の容貌の彼は、壊滅した街で一人の少年に出会う。それを契機に次第に復興してゆく文明――。言葉と詩の無限の可能性を描く壮大な叙事詩である。短編「わたしは“無”」は戦争の非道さを告発する哲学的SF。宇宙戦争を指揮する独裁者のもとに、戦地から送られてきた少女。彼女が告白する「わたしは“無”」の意味とは何か――。古より数多くの物語や散文に登場してきたI Am Nothingのフレーズ。それをラッセルはSF的に深掘りし、〝無〟の意味を「悪の起源」と捉えることで、戦争という底なしの闇を読者に叩きつける。物語造りの巧さが圧巻だ。(小山正)


65301
1975年12月~
ジョン・ノーマン《反地球》Gor
永井淳、ほか訳 解説:訳者、ほか
カバー、口絵、挿絵:武部本一郎

 アメリカでエドガー・ライス・バローズの《火星シリーズ》が発表され、圧倒的な人気を誇った後に、雨後の筍のように、追随作品が現われた。ジョン・ノーマンの《反地球》シリーズも、当初はその一つだった。
 たとえば、第一巻の『ゴルの巨鳥戦士』(一九六六)は、《火星シリーズ》の第一巻の影響が強い。《火星》の主人公ジョン・カーターは、ある種の精神力で地球から火星へテレポートし、多くの戦いを経て、赤色人の王女と結婚する。しかし、抗えない力で地球に戻されてしまう。
《反地球》の主人公タール・キャボットは、太陽を挟んだ地球とは反対側の公転軌道にある惑星ゴルへ、銀色の宇宙船によって運ばれる。そこは、超上的種族の《神官王》がひそかに支配する世界であり、下層の住人たちは、戦いに明け暮れる古代のギリシャやローマのような野蛮な生活を強いられている。タールも巨鳥を操る一戦士となり(ゴルは地球より引力が弱い)、他国との戦いに巻き込まれ、愛する女性タレーナと結ばれる。だが、ふたたび円盤に乗せられ、地球に戻されてしまう。
《反地球》の第二巻は、《火星》の第二巻のように、主人公がこの未知の惑星に戻ったところから始まる。タールは、ふたたび戦いに身を投じながら放浪し、タレーナを探すのだった。
 そして、第三巻『ゴルの神官王』において、謎めいた《神官王》の正体が明らかになる(その姿はあまりに冗談めいているが)。彼らは他の星系の宇宙種族であり、ゴルを太陽系に移動させ、地球人を誘拐しては、この惑星に構築した社会に組み込んでいるのだった。
 ここまでは、《火星シリーズ》の第三巻までを換骨奪胎した物語だと言えよう。しかし、《反地球》シリーズが独自性を発揮するのはその後で、SF的要素、科学的要素はどんどん希薄になり、単なるヒロイック・ファンタジーと化していく。
 また、巻を重ねるごとに、奴隷制、男尊女卑、エロティシズム、SM、ボンデージ、ポルノ、といった露悪的な面が強くなる一方のため、好き嫌いがはっきりと分かれるシリーズとなった。日本では六巻で途絶えたが、アメリカではカルト的人気を誇っており、三十七巻まで出ているようだ。
 ちなみに、作者は哲学者だそうで、シリーズ開始当初は、それ以外の素性は明かされていなかった(《ジョン・ノーマン》自体が匿名であることを示している)。
 なお、『ゴルの巨鳥戦士』を映画化した「タイムスリップTOゴア」、『ゴルの無法者』を映画化した「タイムスリップTOゴア2」があり、日本でもVHSテープで販売されていた。(二階堂黎人)


51703
1976年3月
ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』Le tour du monde en quatre-vingts jours, 1873
田辺貞之助訳 解説:訳者
カバー、挿絵:南村喬之

フィリアス・フォッグは、何をするにも時間厳守を貫く英国紳士。彼は陽気なフランス人パスパルトゥーとともに、世界を八十日で一周できるか大金を賭けて挑む。この痛快冒険譚は一八七三年に出版され、物語も一八七二年に始まる。一行はロンドンを出発して、インド、日本、アメリカなどを訪れる。現代では誰でも世界一周できるが、旅はいつも予定通りには進まない。フォッグは、時に人助けもせねばならず、また彼を逃亡犯と思い込んだ刑事フィックスの執拗な妨害を受ける。フォッグは、当時最先端の気球や列車、蒸気船を活用し期限までにロンドンに戻ろうと奮闘する。なぜ本作がSFかは最後まで読めばはっきり分かる。物事に決して動じない英国紳士として誇張されたフォッグの人物像は機械かとさえ思わせるが、時折見せる人間らしさのギャップが魅力。無茶をする性格のパスパルトゥーとは対照的で、古典的バディーものといえる。一九五六年に映画化されてアカデミー賞五部門受賞。二〇〇四年にはジャッキー・チェンがパスパルトゥーを演じて再度映画化。この他、舞台化、アニメ化なども多数。BBCでもドラマ化され、二〇二二年に日本でも配信開始された。(八島游舷)


60406
1976年4月
アイザック・アシモフ『わたしはロボット』I, Robot, 1950
伊藤哲訳 解説:訳者
カバー:真鍋博

 子守ロボットと少女との交流を描く「ロビー」、水星探検隊に採用されたSPD十三号の奇怪な行動の謎を探る「堂々めぐり」、孤絶した宇宙ステーションしか知らないQT一号がデカルト的真理に到達する「理性」、読心力を持って生まれたRB三四号の物語「嘘つき!」など九編。もともとは独立した短編として発表されたが、一九五〇年の単行本化にあたってロボット心理学者スーザン・カルヴィンの回想というかたちに整えられた。カルヴィンが博士号を取得してUSロボット社に入社したのが二〇〇七年、最終編「避けられた抗争」でロボットが人類を破滅から守るまでに成長したさまを確認するのが二〇五二年という時代設定である。
 ロボットの挙動は簡潔な「ロボット工学の三原則」で律されるが、それが感動的なドラマや不可解な事件を引きおこす。このアシモフ創案の三原則を前提とし、こんにちまで多くの作家が新作を手がけている。本書は二〇〇四年にアレックス・プロヤス監督、ウィル・スミス主演で『アイ,ロボット』として映画化された。別の邦訳として、小尾芙佐訳『われはロボット』(ハヤカワ文庫SF)、小田麻紀訳『アイ・ロボット』(角川文庫)がある。(牧眞司)


64002
1976年5月
ブライアン・W・オールディス『子供の消えた惑星』(グレイベアド 子供のいない惑星)Greybeard, 1964
深町眞理子訳 解説:伊藤典夫
カバー:小悪征夫

 米ソの核実験の結果、大規模な放射能汚染で全人類が不妊となり、子供が存在しなくなった世界。最も若い世代である五十代の「灰色ひげ(グレイべアド)」は、妻と隣人を連れテムズ川を下りながら、崩壊した世界を眺める。彼らの青年時代の回想を挟むことで、空間と時間を並行して移動する奥行きを作り出す洗練された技法が見事な作品。原題である GREYBEARD には「賢人」という意味があり、実際灰色ひげは思慮深く内省的な人物だが、その行為は滅びゆく世界を記述し、存在するかもわからない後世の知性に伝えるというもので、どこか皮肉な響きを持っている。破滅SFにありがちな独裁者や怪しげな教祖なども登場するが、みな熱量に乏しく、沈みゆく世界のデカダンスな静けさのほうが印象に残る。なべて効率を求め機械化された文明への批判や、世界全体をどうやって良いものにするかという抽象的な「正義」よりも、身近な人間を大切にする「愛」のほうが大切だというごく素朴な意見が語られ、人類の滅亡が個人の死と変わらないささやかな幸福の中、ラストに現れる「新しい事態」に対して、我々には何もすることはないという諦めにも穏やかな心地よさに包まれる。(渡邊利道)


61308
1977年2月
ジュディス・メリル『SFベスト・オブ・ザ・ベスト』上下 SF the Best of the Best, 1967
浅倉久志(大谷圭二)、ほか訳 解説:浅倉久志
カバー:日下弘

 SFの黄金時代として知られる一九五〇年代。その後半の精華よりなる五冊の年刊ベスト選集より、さらに粒選りの短編を集めたものが本書で、来るべき革新としての〝新しい波〟の胎動すら感じさせる逸品だ。
 くたびれた宇宙飛行士の帰還を扱うウォルター・M・ミラー・ジュニア「帰郷」から、《遠宙訓練》を描くシオドー・スタージョン「隔壁」に続く冒頭の流れが美しく、そこから一転、科学ガジェットに頼らず子どもの〝大事なもの〟を描いたゼナ・ヘンダースンの大傑作「なんでも箱」へとつながる驚きといったら! 日本語版では割愛されたが、その次に原著ではJ・G・バラードのデビュー作「プリマ・ベラドンナ」が入っていた。
 かような構成の美しさのほか、マネーゲームを風刺したマック・レナルズ「時は金」に、人口爆発をひっくり返したブライアン・W・オールディス「率直(フランク)にいこう」のような歴史改変SFや、謎の牽引力が素晴らしいデーモン・ナイト「異星人ステーション」に、超能力テーマへ〝語り〟の妙をまぶしたマーク・クリフトン「思考と離れた感覚」、冷戦下の宇宙チキンレースを描くシオドー・L・トマス「衝突針路」といったストレートな力作が揃い踏み。作品名は伏せるが、猫、犬、馬、ネズミ、異星人、さらにはポリプ等に視点を据え人間中心主義を脱した小説もあれこれ収録されている。
 擬似イベント・テーマの先駆作であるロバート・シェクリー「危険の報酬」、もはやメタバース批判としか読めないフリッツ・ライバー「マリアーナ」、吊し上げ誘導による加害を描くスティーヴ・アレン「公開憎悪」、Black Lives Matter(黒人の生命は大事だ)の要因であるレイシズムを扱うシオドア・R・コグズウェル「変身」等、いまいっそうシリアスに読める作品群も多い。
 一方、一万年の時間的飛躍を鮮烈に処理したコードウェイナー・スミス「夢幻世界へ」から、抑制された文体で孤独や恐怖を示すアルジス・バドリス「隠れ家」やシャーリー・ジャクスン「ある晴れた日に」、終始爆笑もののアヴラム・デイヴィッドスン「ゴーレム」に至っては、技巧の洗練あるいは逸脱の徹底に唸らされる。
 いま読むと編者ジュディス・メリルのコンセプトは〝再読性〟だろうと感じる。何度読んでも古びないからだ。本書は私が初めて手に取ったSFアンソロジーで、自分の編集や創作ではこの水準を目標にしたいと常々思っている。
 ただ、現代日本的な〝軽さ〟からすれば歯ごたえはあるので、「録夢業」のアイザック・アシモフ以外の作家は聞いたことがないという段階の友人に紹介するなら、一緒に読書会でも開いて味読していくのが吉。
 なお、映画「マトリックス」を先取りしたがごとき不穏さを残す秀作「プレニチュード」の作者ウィル・ワーシントンの正体は謎とされていたが、どうやら作家ウィル・モーラーの筆名らしい。(岡和田晃)