ごみで財をなした一族の興亡を描いた〈アイアマンガー三部作〉で読書家の度肝を抜き、蝋人形で有名なマダム・タッソーの生涯の物語『おちび』でその天才ぶりを余すところなく発揮し、さらに日本オリジナル短編集である『飢渇の人』ではファンに嬉し涙を流させた、かのエドワード・ケアリーがまたやってくれました。
 今度は「ピノッキオ」がテーマの『呑み込まれた男』です。
 なぜケアリーが「ピノッキオ」に挑むことになったのか、どのような経緯で書かれたのか、詳しいことはあとがきの抜粋をお読みいただけるとわかります。
 まだケアリー作品を読んだことがないという、幸運な皆様、ぜひこの『呑み込まれた男』から、イラストと物語のめくるめく競演、エドワード・ケアリーの世界に飛び込んでみてください。



 訳者あとがき(抜粋)


『呑み込まれた男』誕生まで
 イタリアのトスカーナ州コッローディ村には『ピノッキオの冒険』(一八八三年にイタリアで刊行)にちなんだピノッキオ公園という場所があります。訳者は残念ながら訪れたことはありませんが、広い園内にはピノッキオのブロンズ像や、物語に登場する動物の彫刻や遊具も揃っていて、子どもたちに人気の場所だそうです。
『ピノッキオの冒険』の著者カルロ・コッローディは、フィレンツェのジノリ侯爵家で働く両親(父は料理人、母は小間使い)の長男として生まれました。五歳のときに母親の故郷であるコッローディ村の親類に預けられます。カルロの本当の姓はロレンツィーニですが、ペンネームにコッローディを選んだのは、母方の家との繋がりが強かったためでしょう(また、本書の主人公の名前がジュゼッペ・ロレンツィーニになっているのは、この著者の名前からとったものと考えられます)。
 ピノッキオ公園やその付属施設を運営しているのがカルロ・コッローディ財団です。財団のホームページによれば、ピノッキオにまつわるさまざまな文化活動を支援している非営利団体で、美術館や博物館で展覧会を開いています。二〇一七年にエドワード・ケアリーはこの財団から、ピノッキオにまつわるオブジェを創ってほしいと依頼されます。財団からじきじきに指名されただけでも名誉なことですが(「天にも昇る気持ちだった」とケアリーは語っています)、操り人形が命を得たピノッキオという存在こそ、まさしくケアリーの自家薬籠中のものです。自分の意志で動き回る人形の物語に彼が夢中にならなかったはずがありません。
 依頼を受けたケアリーは、何度も繰り返しピノッキオの物語を読み、魚の腹のなかにいるジュゼッペに焦点を当てて作品を制作することにしました。あるインタビューで彼はこう述べています。「『ピノッキオの冒険』のなかでいちばん気になったのは、ジュゼッペが二年間も閉じ込められていたという部分でした。たったひとりで闇のなかで過ごすとなったら、自分ならどうするだろう、どうやって過ごすだろう、きっと何かを作るはずだ、大工なのだから」。「人間である証として、物を創る。創ることで自分であることを証明するわけです」。
 作品の素材は、友人知人から分けてもらったり(謝辞にもありますが、友人からさまざまなものを提供してもらったとのことです。「とりわけ絵筆を作るための鬚をもらえたのは、助かりました。ぼくは鬚を伸ばしていないので」)、木っ端や陶器の欠片などはテムズ川やマサチューセッツ州の海岸で拾い集めたりしたということです。
 そして、「鯨の腹のなか」と題した展覧会が二〇一八年七月十二日から九月二日までピノッキオ公園で開催されました。オブジェができれば物語もできてしまうのがケアリーですから、当然のように'Nel ventre della balena'(イタリア語で「鯨の腹のなか」の意。英語では'Fish House')という短篇も完成しました。訳者に送られてきた英文のデータには、色鮮やかなオブジェのカラー写真が多数入っていました。この作品を基にしてさらに細部を書き込み、人物の感情や心理をより深く掘り下げ、巨大魚の腹のなかでの生活を丁寧に書き加えて出版されたのが本書The Swallowed Manです。展覧会で展示されたオブジェもこの作品のなかに効果的に配置されています。

『呑み込まれた男』について
 The Swallowed Manはケアリーの七番目の小説にあたります。イギリスでは二〇二〇年十一月に、アメリカでは翌年一月に出版されました。物語の主人公は、丸太からピノッキオを創り出した大工のお爺さんで、本書の冒頭に鬚ぼうぼうの姿で描かれています。ジュゼッペ爺さんは、『ピノッキオの冒険』では姿を消したピノッキオを探しに行った先で大きな魚に呑み込まれ、それ以来、物語の最後のほうになるまで登場することはありません。でも『呑み込まれた男』では、最初からジュゼッペが物語を引っ張っていきます。彼は魚の腹のなかにあった朽ちかけた帆船マリアで、航海日誌を見つけ、その余白ページにこれまでの事情や生き長らえている理由について書いていくのですが、この語り方が実に巧妙で見事で、読者はのっけから一気にエドワード・ケアリーの世界に引きずり込まれていきます。
 訳者が原書の完成データを読んだのは新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るい、ロックダウンが続いているときだったために、閉じこめられた主人公のあり方がひどく現実味のあるものに感じられました。誰にも会えず、なんの反応もない孤独な世界は、主人公にとって絶望的な状況ですが、幸いなことに船には命綱とも言える蝋燭と飲み水、食料がありました。とはいえ深い絶望と孤独のなかで、どうやって二年間を生き延びることができたのでしょう。
 本書はその謎を解くために書かれたとも言えます。

 ケアリーの『おちび』を読んだ方のなかには、またまた人形がらみのお話だ、と思う方もいるかもしれません。確かに、マダム・タッソーは蝋人形に魅せられた女性ですし、ジュゼッペは木彫りに惹きつけられた大工です。本書も『おちび』も、回想録という体裁を取っています。でも、このふたつには決定的な違いがあります。それは、マダム・タッソーは実在の人物で、ジュゼッペは架空の人物だという点です。そしてマダム・タッソーは当時としては驚くほど長い距離を移動し、有名無名を問わずさまざまな人物に会いますが、ジュゼッペのほうは一か所(闇のなか)に留まらざるをえず、記憶と対話し、思い出のなかの人たちとのやりとりを続けます。というのも、生き延びるためには記憶にしがみつき、オブジェを創り続けなければならなかったからです。現実から逃避するためにおこなった創作が、結局は生きるために不可欠なものになっていきます。つまり、本書は極めて困難な状況を生き延びていくサバイバーの物語でもあります。
 この作品はピノッキオのオリジナルの物語を知らない人でも、もちろん楽しめます。むしろ知らないほうがまっさらな気持ちで受け止められるかもしれません。
 ちなみにピノッキオの物語のなかではこのお爺さんの名はGeppetto(ジェッペット)ですが、これはトスカーナ地方でGiuseppe(ジュゼッペ)という名前を親愛を込めて呼ぶときの、接尾辞-ettoをつけた形の呼び名です。

●本書の魅力
 なんといっても、作品内にある小さなオブジェたちが魅力的です。そのひとつひとつにジュゼッペの生を支えていた物語が込められています。
 特に忘れがたいのは磁器のオットーです。水夫が自分を慰めるために創った慰み細工(スクリムショウ)のように、ジュゼッペは磁器の欠片の人形を創り、物語を生み出します。ジュゼッペは本書では陶器に絵柄を付ける工房の跡継ぎという設定です。冒頭で触れましたが、カルロ・コッローディの両親はトスカーナ州のジノリ侯爵家(後に有名な陶磁器メーカーに発展します)の屋敷で働いていました。イタリア近現代史が専門の藤澤房俊の『ピノッキオとは誰でしょうか』(太陽出版)によれば、コッローディの弟パオロは後にそこの磁器工場の支配人になります。ジノリ家を含む磁器工場の近辺にいたコッローディ家の事情を踏まえると、ケアリーがそこからオットーの物語のヒントを得たということは充分に考えられます。それにしても、強く抱き締められると壊れてしまうというのは、『望楼館追想』のフランシス・オームの世界にも通じますし、『堆塵館』に出てくる儚いタミスをも彷彿とさせます。
 本書でピノッキオが言う「バッボ」というのも魅力的な言葉です。これはトスカーナ地方の方言で「とうちゃん」を意味します。この言葉のニュアンスについてイタリア在住のジャーナリスト内田洋子さんから、「大人は滅多に使いませんが、心温まる素敵な言葉です」と伺いました。また、日経新聞のエッセイ「プロムナード」(二〇二一年十二月二十三日)で内田さんは次のように書いています。「〈バッボ〉は幼児語や俗語だと思われているけれど、ダンテの『神曲』地獄篇にも出てくる、古くからイタリア半島に生きてきた呼称だ。今、大人が〈バッボ〉を選んで口にするとき、そこには父親に対しての深い愛情と尊敬が込められる」。
 そして、ピノッキオとジュゼッペのあいだで交わされるテンポのよい会話も大きな魅力です。ピノッキオは、自分とは何か、人間とは何か、ということをジュゼッペに問います。その哲学的な問いはジュゼッペのその後の生き方に大きな影響を与えていきます。

●エドワード・ケアリーについて
 作家のほかに劇作家、イラストレーター、彫塑家の肩書きを持つエドワード・ケアリーは、一九七〇年にイギリスのノーフォーク州に生まれました。幼い頃、物語を書きたくなるような古い館に住んでいたことは、『飢渇の人』「序」に詳しく書かれています。作家になる前にはいろいろな職業に就いていました。マダム・タッソーの蝋人形館で守衛をしていたのは有名な話です。現在はアメリカのテキサス州オースティンで暮らし、テキサス大学で教鞭を執りながら執筆をおこなっています。妻は優れた短篇を発表している作家のエリザベス・マクラッケン。夫妻のあいだにはガスとマチルダというふたりの子どもがいます。
 ケアリーの著作リストは以下のとおりです。

○長篇
OBSERVATORY MANSIONS(2000)『望楼館追想』(二〇〇二年、文藝春秋。創元文芸文庫より二〇二三年一月刊行予定)
ALVA & IRVA(2003)『アルヴァとイルヴァ』(二〇〇四年、文藝春秋)
The Iremonger Trilogy〈アイアマンガー三部作〉
・HEAP HOUSE(2013)『堆塵館』(二〇一六年、東京創元社)
・FOULSHAM(2014)『穢れの町』(二〇一七年、東京創元社)
・LUNGDON(2015)『肺都』(二〇一七年、東京創元社)
LITTLE(2018)『おちび』(二〇一九年、東京創元社)

○中篇
THE SWALLOWED MAN(2020)本書『呑み込まれた男』(二〇二二年、東京創元社)

○短篇集
CITIZEN HUNGER AND OTHER STORIES(日本独自編集)『飢渇の人』(二〇二一年、東京創元社)
 単行本未収録の短篇に、日本での出版のために書き下ろした六篇を加えた、全十六篇からなる日本オリジナルの短篇集。さまざまな異形のものたちが登場するケアリーならではの味わいのある作品ばかりです。とりわけ表題作「飢渇の人」は、十八世紀のフランス革命時を舞台にした作品で、動物と人とのかかわりを描いた傑作です。

○スケッチ集
B: A YEAR IN PLAGUES AND PENCILS(2021)
 蔓延する新型コロナウイルスのせいで世界中がロックダウンを余儀なくされていたとき、SNS上でケアリーは、コロナ禍が収まるまで毎日一点ずつスケッチを上げていくと宣言し、さまざまな人から、描いてほしい作家や動物の名前が寄せられました。五百点まで続け、それを区切りとしましたが、そのなかから感染症の一年の記録として三百六十五点がこの本に収められています。もちろんスケッチだけではなく、この時期に書かれた身辺雑記やエッセイなどの短い文章も読むことができます。
 ちなみに、このタイトルの『B』は鉛筆の濃さのことであり、ケアリーはスケッチを描くのにトンボ鉛筆のBを愛用しています。

 いま取りかかっている長篇小説EDITH HOLLER(二〇二三年刊行予定)は、子ども病院が舞台になっているということです。そのなかに収められる予定のスケッチがときどきTwitterに上げられています。作品の完成が待ち遠しくてなりません。
 なおYouTubeなどでケアリーがインタビューを受けている動画が見られます。そこには彼の家の居間の様子が映っていて、壁に掛けられたマダム・タッソーやピノッキオの肖像画、本書に掲載されているオブジェの一部が見えます。興味のある方は是非ご覧ください。

 最後になりますが、著者のケアリーさんは、訳者のどんな些細な質問にも快く答えてくださいました。その優しさに今回も大変に助けられました。また、エッセイストでジャーナリストであり翻訳家でもある内田洋子さんには、イタリア語や、イタリアでのピノッキオの受容について、親切に教えていただきました。そしていつものように、東京創元社の小林甘奈さん、編集と細かなチェックをしてくださった友人の鹿児島有里さんと大野陽子さんには大変お世話になりました。みなさまに心から感謝いたします。ありがとうございました。

 二〇二二年五月十日
古屋美登里   




■古屋美登里(ふるや・みどり)
翻訳家。訳書にエドワード・ケアリー『望楼館追想』、『アルヴァとイルヴァ』(以上、文藝春秋)、〈アイアマンガー三部作〉、『おちび』『飢渇の人』(以上、東京創元社)、M・L・ステッドマン『海を照らす光』(ハヤカワepi文庫)、B・J・ホラーズ編『モンスターズ 現代アメリカ傑作短篇集』(白水社)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』(以上、亜紀書房)ほか。著書に『雑な読書』、『楽な読書』(以上、シンコーミュージック)。

呑み込まれた男
エドワード・ケアリー
東京創元社
2022-07-12


堆塵館 <アイアマンガー三部作>
エドワード・ケアリー
東京創元社
2016-09-30


穢れの町 (アイアマンガー三部作2) (アイアマンガー三部作 2)
エドワード・ケアリー
東京創元社
2017-05-28


肺都(アイアマンガー三部作3) (アイアマンガー三部作 3)
エドワード・ケアリー
東京創元社
2017-12-20


おちび
エドワード・ケアリー
東京創元社
2019-11-29


飢渇の人 エドワード・ケアリー短篇集
エドワード・ケアリー
東京創元社
2021-07-12