訳者あとがき
藤井美佐子  

 イングランドの美しい古都バースを舞台にした、新しいミステリ・シリーズ〈初版本図書館の事件簿〉の第一作『図書室の死体』(原題The Bodies in the Library)をお届けします。
 主人公ヘイリーは初版本協会という、アガサ・クリスティやドロシー・L・セイヤーズをはじめとするミステリ黄金時代の女性作家による作品の初版本を集めたコレクションを所有する協会の新米キュレーター。四十代半ばの離婚歴ありの女性で、離れて暮らす大学生の娘と介護サービスつき住宅に住む母親がいます。
 コレクションの初版本を蒐集したのは、レディ・ジョージアナ・ファウリングという故人で、自身もミステリ作家でもあった資産家の女性でした。初版本協会が入居するミドルバンク館はレディの生前の居宅を改装したもので、ヘイリーも館内にあるフラットに住んでいます。
 キュレーターへの就任は、別の団体でアシスタント・キュレーターのアシスタントをしていたヘイリーにとって夢のようなキャリアアップでした。しかしちょっと困った問題が……それはミステリを専門に扱う協会のキュレーター職なのに、探偵小説を一冊も読んでいなかったことでした。大学で学んだのは十九世紀の文学で、そのうえ、まえの勤務先もジェイン・オースティン・センターとあって、ミステリに関してはまったくの素人。でも友人である協会理事の後押しもあり、前職の給料では娘への仕送りもままならなかったヘイリーは、うしろめたさを抱えつつもこのポストに就いたのでした。
 そこからがたいへんです。ミステリ初心者であることを周囲に悟られずに、協会での自分の存在価値を証明しなくてはならないのですから。協会の同僚はレディの親友だった事務局長ミセス・ウルガーだけで、何かにつけてダメ出しをしてきます。そんななか、ヘイリーは地元のカレッジとの文芸サロン共催など、協会を盛り立てるための企画をいろいろと立て、手始めとして口コミの醸成を狙って二次創作サークルに勉強会の場所貸しをします。サークルのメンバーたちはめいめい、ポワロにミス・マープル、トミーとタペンスという、クリスティの探偵を主人公にした二次創作作品を執筆中ですが、勉強会の翌朝、サークルのメンバーが遺体となって、しかも図書室(ライブラリー)で見つかる事件が発生してしまいます。初めのうちこそ、事件解明は自分の仕事ではないと考えていたヘイリーでしたが、状況が酷似したクリスティの『書斎(ライブラリー)の死体』を読んで大きな変化が訪れ、犯人を捜すことに。そんな折、ミドルバンク館の乗っ取りをたくらむレディの甥が事件に乗じて乗り込んできて……ヘイリーは地元警察と協力して事件を解決し、文芸サロンの共同開催者であるカレッジ講師のサポートを得てピンチを脱出できるのでしょうか?

 著者マーティ・ウィンゲイトは、本人のウェブサイト(martywingate.com)などによれば、アメリカのシアトル生まれで、現在は夫と猫二匹とともにシアトル近郊在住。小説家に転身するまでにガーデニングのハウツーものを三冊出版しているほか、雑誌や新聞向けに園芸関連の記事を多数執筆していました。アメリカ探偵作家クラブやシスターズ・イン・クライムといった推理作家の団体や、英国王立園芸協会の会員でもあります。イギリスへの愛が高じて二〇一四年、イングランドを舞台にテキサス出身の園芸家が活躍するコージーミステリThe Garden Plotを発表。同作はUSAトゥデイ紙のベストセラーリスト入りを果たし、同作を第一弾とする〈Potting Shed Mystery(園芸小屋ミステリ)〉シリーズはこれまでに中篇一作を含む九作品が刊行されています。それと並行して、イギリスの田舎の観光案内所の責任者として奮闘する、著名鳥類学者の娘を主人公にした〈Birds of a Feather Mystery(類は友を呼ぶミステリ)〉シリーズ四作品も刊行。二〇二一年からは、第二次世界大戦中のイギリスで空輸補助部隊のパイロットとなる女性を主人公にしたヒストリカル・フィクションなど、ノンシリーズ作品も発表しており、精力的に執筆活動を続けています。
 本作は、そんな著者の三つ目のミステリ・シリーズの第一作として二〇一九年に発表されたもので、著者作品の本邦初訳となります。自身もささやかながらミステリ黄金時代の作家による作品のヴィンテージコレクションを所有するという、著者のミステリ愛とイギリス愛がひとつになり誕生した作品です。また、本作ではさび猫(ちなみにドロシー・L・セイヤーズ・ファンにはお馴染みのキャラクターに由来する名前)も登場し、愛猫家でもある著者の面目躍如といったところでしょうか、猫らしい活躍ぶりが物語に弾みをつけるアクセントとなっています。

 物語の舞台であるイングランド南西部の古都バースはロンドンの西約百五十キロ、列車で一時間半ほどの場所にあります。浴場跡などのローマ時代の遺跡で知られる有数の温泉観光地なので、訪れたことのある読者のかたも多いのではないでしょうか。
 紀元前から先住のケルト人がこの地の温泉を信仰の対象としていたとされ、ローマ時代より温泉地として知られるようになったものの、一時衰退し、十八世紀に再建されて上流階級の保養地、社交地として繁栄しました。その立役者となったのが、本書でもひとこと言及されているだて男(ボー)ナッシュの通称で知られたリチャード・ナッシュでした。ナッシュは建築家のウッド父子にバースの都市計画を任せ、父子は本書にも登場するクイーン・スクエアやプライアー・パーク、ザ・サーカスの円形広場とそれを取り囲む建物、三日月形に建ち並ぶテラスハウスが壮観なロイヤル・クレセント、社交界の中心となった集会所アセンブリー・ルームズ(第二次世界大戦で破壊されたのち再建)といった建築物をつぎつぎと手がけました。この時代はちょうどジョージ王朝時代(ジョージ一世が即位した一七一四年からジョージ四世が死去した一八三〇年まで)にあたり、この時代の古典主義的な建築様式がジョージアン様式と言われるものです。
 初版本協会が入居するミドルバンク館もジョージアン様式の連棟住宅テラスハウスの一画を占めており、バース市街には今もこの様式の建造物が数多く残っています。なお、一九八七年にはバース市街がユネスコの世界文化遺産に登録されました。そんな美しい街の名所も、本作の主人公がふだん生活し、ミス・マープルをお手本にしながら事件を探る場面を彩る魅力的なバックグラウンドになっています。
 バースにゆかりの深い作家といえば、ミステリ黄金時代の女性作家ではないものの、なんと言ってもジェイン・オースティン(一七七五~一八一七年)でしょう。オースティンが実際にバースに暮らしたのは十九世紀初頭の一八〇一年から〇九年にかけての八年間にすぎませんでしたが、本書でも言及されるようにバースを舞台にした小説(『ノーサンガー・アビー』『説得』)を執筆するなど、バースでの生活は彼女の作品に影響を与えました。オースティンが小説を発表した時期は、本書にたびたび登場する「摂政時代/リージェンシー」と呼ばれる時代にあたります。摂政時代というのは、ジョージ三世の治世中、のちにジョージ四世となる皇太子が「摂政/リージェント」として病気の父のかわりを務めた一八一一年から国王に即位する一八二〇年までの期間を指し、この時代の女性の代表的なファッションといえば、バストの下をきゅっと絞ってスカート部分をすとんと足元まで落としたハイウエストのドレスでした。実在のジェイン・オースティン・センターでも、裏方だったので毎日は着ずにすんだとヘイリーが言っているこのスタイルのドレスをスタッフが着用しています。

 作品中には、本作がモチーフにしている素人探偵ミス・マープルを主人公とした長篇二作目『書斎の死体』のほかにも、クリスティやセイヤーズらの作品が登場します。ミステリファンのかたはにやりとしながら、黄金時代のミステリはこれからというかたは主人公ヘイリーと一緒に作品を読みながら、仕事に恋に探偵にとがんばる彼女の奮闘ぶりをどうぞお愉しみください。読書の愉しさを知る人なら、ヘイリーが初めて探偵小説を読んで抱く気持ちに共感していただけるのではないでしょうか。シリーズ二作目は、セイヤーズの作品で著者が最も好きだという『殺人は広告する』をモチーフにしたミステリで、現在翻訳中です。愉しみにお待ちいただけますと幸いです。

  二〇二二年 風薫る五月



■藤井美佐子(ふじい・みさこ)
翻訳家。横浜市立大学文理学部卒。訳書にコッパーマン『海辺の幽霊ゲストハウス』『150歳の依頼人』、バイナム『若い読者のための科学史』、シャット『共食いの博物誌』、ステン『毛の人類史』などがある。