こんにちは、見習い編集者のKMです。
四半世紀を関西で暮らし、この春から東京で働くことになりました。上京と書けば感傷的な響きがあるものの、世の中に東京を舞台にした創作物の多いおかげで、毎日がいわゆる「聖地巡礼」の気分です。


 「14平米にスーベニア」(歌:久川凪)

「良い」と思っていた作品が、己の足で東京を歩くことで「良い!」に変わっていく。最高に楽しい体験です。読んでは歩き、聴いては歩き、観ては歩き、見知らぬ土地に迷い込んではグーグル先生に助けを乞う日々を送っています。

さて。
私はこの春まで京都に住んでいました。舞台となる作品の数では東京に負けず劣らずの街です。思えば私自身が京都の大学を志望したのも、高校生の頃に西尾維新先生の『戯言シリーズ』を読み、「人識くんに会いたい。絶対に」と決意したからでした。叶わなかったけど。

代わりに京都で出会ったのがタイトルにある「きつね」です。そう、私は世界のあらゆるきつねが好きというわけではなく、愛しているのは京都市動物園に住む彼だけなのです。

きつね(遠い)

きつね(近い)

ホンドギツネのキョウくんです。ご覧のとおりあまりいい写真ではありません。撮影者の技量がお粗末なのもありますが、他にも理由があるのです。

あれは冷気が肌を刺す冬、初めて京都市動物園を訪れた日のことでした。
キョウくんはケージの奥、写真の位置にいました。眠っているのかぴくりともせず丸まっています。遠くて顔もよく見えないため、私は隣のケージのたぬきを眺めていました。

しばらくして視線を感じました。いつのまにかキョウくんが眼下の金網に鼻を近づけて、私を見上げているのです。じぃーっと。私たちは見つめあいました。世界が溶けていき、ひとつの言葉だけが残りました。

愛。

キョウくんはケージの奥に駆け戻り、そこから動くことはついにありませんでした。季節をまたいで何度彼を訪ねようとも。だから遠影のぼやけた写真しかないのです。彼方の彼に目をこらすたび、あの日の特別さが心に刻みつけられました。そしてまた動物園に足を運ぶ。次こそは。次こそは。

博徒。あの頃の自分に重なる言葉です。最初の成功体験にしがみつき、二度三度と敗北の沼に沈むフール。胴元が賭場を支配するように、私も彼の手の平の上にいたのでしょうか。手の平? 肉球? さわってみたいのでそういう動物園をご存知の方はご一報ください。


ところで。
動物といえば東京創元社にもくらりという黒猫がいるのでした。こやつが事件の鍵を握る短編が今月発売の『紙魚の手帖 vol.05』に掲載されています。相沢沙呼先生の「ギガくらりの殺人」です。

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倒叙ミステリの切れ味鋭く、シリーズキャラクター城塚翡翠の持ち味も存分に発揮された名短編。社会人になりたての我が身としては、翡翠が不慣れな環境で奮闘(大暴れ)する様が爽快で幸せな気分になれました。くらりのふてぶてしい可愛さが見事に描写された遠田志帆先生の扉絵も必見です。

本誌掲載の短編でもうひとつ動物好きには見逃せないのが、似鳥鶏先生の「吾輩は犯人である」。一読すれば、我が家・我が街の猫もなにやら賢しい策謀を練っているのではという想像がこみあげてきます。撫でれど撫でれどわからぬ猫の腹のうちを考えるよい機会になるでしょう。

この二作を含む本誌の特集は題して「倒叙ミステリの最前線」。コロンボ、古畑など映像として浴びる倒叙も愉しいですが(私は「二枚のドガの絵」が好きです)、小説の形態においても歩みを止めない「最前線」をその目でお確かめください。

書きたいことを書いていたら長くなりました。
それでは失礼します。


紙魚の手帖Vol.05
倉知 淳ほか
東京創元社
2022-06-13