世界一の私立探偵コンビ、リディア&ビル
MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞、シェイマス賞、
アンソニー賞……数々の栄冠に輝く名シリーズ
現代ハードボイルドの最高峰、必読の最新作


    解  説
大矢博子   

 ニューヨークの私立探偵、〈リディア・チン&ビル・スミス〉シリーズの長編第12作である。前作『ゴースト・ヒーロー』(創元推理文庫)から八年。やっと、やっと、ふたりが帰ってきてくれた。いやあ、待ちかねたぞ!
 久しぶりなので、まずはこのシリーズ全体についての紹介にページを割かせていただこう。
 ニューヨークのチャイナタウンで育った、小柄な中国系アメリカ人の女性リディア・チンと、アイルランド系のいかつい白人中年男性ビル・スミス。ふたりはそれぞれ私立探偵を生業(なりわい)としており、必要に応じてタッグを組むという方法をとっている。
 シリーズの特徴は何といっても、一作ごとに主人公(語り手)が交替することだ。1994年(日本での訳出は1997年)に刊行された第一作『チャイナタウン』はタイトル通りニューヨークのチャイナタウンで起きた盗難事件をリディアが追うというもの。ビルはそのサポート役だ。翻(ひるがえ)って第二作『ピアノ・ソナタ』は殺人事件の調査を依頼されたビルが、リディアの助けを借りつつ現場の老人ホームに潜入する。以降、奇数巻はリディア、偶数巻はビルの物語として展開するのである。
 ……あれ? 本書は偶数巻なのにリディアの話になってるぞ? という件については後述するのでしばしお待ちを。
 興味深いのは、どちらが主人公を務めるかによって物語のテイストが変わることだ。口うるさい母親と四人の兄がいて中国系コミュニティとの縁も強いリディアの巻は、その生活描写や家族描写ゆえにコージーな雰囲気が漂う。だが特技のテコンドーと持ち前の負けず嫌いから、事件への態度は実にタフ。
 彼女が扱う事件はABC(アメリカ生まれの中国人)という彼女の属性にまつわるものが多く、『チャイナタウン』以降も『新生の街』はアジア系・女性・性的少数者らが直面する問題を描き、『苦い祝宴』では中国系移民の内実・裏側に迫り、著者にとって二度目のシェイマス賞受賞作『天を映す早瀬』では香港が舞台になる。『シャンハイ・ムーン』で描かれるのは日中戦争から国共内戦にかけての動乱に巻き込まれた一族の物語、『ゴースト・ヒーロー』の端緒は天安門事件だ。
 一方、ビル・スミスが主人公の作品を見てみると、こちらはネオ・ハードボイルドの印象が強い。ビルは家族との縁が薄く(巻を追うごとに彼の過去が少しずつ明かされていく)、ピアノを愛する繊細にして心優しきタフガイ。
 彼の巻で扱われる事件はリディアの巻に比べてバラエティに富んでいる。初のシェイマス賞受賞作『ピアノ・ソナタ』では老人や黒人など社会的弱者の問題を取り上げ、『どこよりも冷たいところ』はブルーカラーの現実を描いてアンソニー賞を受賞、『春を待つ谷間で』はビルが都会を出てニューヨーク州北部の山小屋で休暇を過ごしているときに地元の事件に巻き込まれる。シリーズ屈指の傑作の呼び声も高い『冬そして夜』では、万事がハイスクールのアメリカン・フットボールチームを中心に回る街に巣食う歪みを描き出してアメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀長編賞やマカヴィティ賞などに輝いた。『この声が届く先』はなんとリディアが誘拐されてしまい、彼女を救うためにビルがニューヨークを駆け回るタイムリミット・サスペンスだ。
 リディア贔屓(びいき)としては、受賞作がビルの巻に偏っているのが少々不満なのだが、どの巻もたいへんレベルが高く、一度読み始めたらこの世界の虜になること間違いなし。年齢・性別・人種・環境の異なるふたりをそれぞれ交互に語り手にし、ニューヨークというハイソから底辺までゴッタ煮の街を主な舞台にすることで、ワンパターンに陥ることなく毎回新鮮なドラマを提供してくれるのである。
 もうひとつ本シリーズの大きな特徴は、ふたりが完全に対等なパートナーである、ということだ。リディアが単身で立ち回りを行うこともあるし、ビルのピンチに彼女が助けに入ることもある。もちろん逆も。ビルが必要以上にリディアを「守る」ことはないし、リディアが過剰にビルを「頼る」こともない。事件によってどちらが主でどちらが従かという立場が明確で、それを侵すことはないのだ。それぞれが完全に個として立っている上での、イーヴンな関係。それがとても心地よい。
 もちろんふたりの間にロマンスめいた流れがないわけではないが、とても抑制が効いている。12作目の本書のラストでようやくここまで来たか……という進みの遅さなのだ。むしろふたりの関係は時折顔を覗かせるスパイス、あるいはずっと流れているのだけれど表面にはあまり出てこないベース音のようなもので、あくまで物語の主眼は事件にある。だからこそ、ふとしたときに見せるふたりの関係のストイックな進展に萌えるのである。
 主人公交替制により、それぞれが「自分で描写する自分」と「他者が見た自分」の両面から描かれるのも、物語の奥行きに寄与していることを忘れてはならない。リディアの巻で描かれるビルはいつも飄々(ひょうひょう)としていて冗談を言ってはリディアをからかい、彼女が落ち込んでいたらコーヒーを入れて話を聞いてくれ、常に背中を守ってくれる頼もしい相棒だが、ビル自身が語り手を務める巻では、思いがけない繊細さや寂しさを覗かせる。リディアもまた、ビルの視点と自分の視点で語られるのとでは印象が異なる。どう違うのかはここには書かないでおくので、ぜひご自分で確かめてみていただきたい。

 ということで、ようやく本書の話に入る。
 長編第12作(間に日本オリジナルの短編集を二冊挟んでいる)となる本書『南の子供たち』の舞台はミシシッピ州北西部、ミシシッピ川とヤズー川に挟まれた、いわゆる〈ミシシッピ・デルタ〉と呼ばれる地域である。
 リディアが存在も知らなかった親戚がミシシッピ州におり、リディアにとっていとこ(といっても中国人社会では「いとこ」の指す範囲がかなり広いらしい)にあたる青年が父親殺しの罪で逮捕されたという。リディアの母は、自分の親戚が犯人のはずがないという強固な信念のもと、冤罪(えんざい)を晴らすために娘を派遣した。もちろんビルも一緒に。
 と書くとシリーズ読者は驚くかもしれない。娘が私立探偵などという仕事をしていることにも、ビルという白人とコンビを組んでいることにも強硬に反対していたあのお母さんがずいぶん丸くなったものだ! このあたりの経緯はいずれ短編集などで補完される(リディアの母が活躍する短編がいくつかあり、そのうち一作は短編集『永久に刻まれて』に収録されている)と思うのでお楽しみに。
 話を戻そう。父殺しの容疑で逮捕されたのはジェファーソン・タム。リディアとビルは、ジェファーソンの大叔父であるピートの家に滞在して調査を始める。はたして本当にジェファーソンは無実なのか……というのが物語の導入部である。
 本書のテーマであり、そして事件の背景にも大きく関与してくるのが、ミシシッピ州をはじめ南部に暮らす中国系アメリカ人の歴史だ。
 詳細は作品でお読みいただきたいが、中国系移民が白人労働者の仕事を奪うという理由で、1882年に可決された〈中国人排斥(はいせき)法〉からすべてが始まる。この法律は1943年まで続き、その間、中国人はアメリカに入国できなかった。ただ、すでにアメリカの市民権を得ていた場合は、外国生まれの実子を連れてくることが認められたのである。
 そのため、中国系アメリカ市民の実子であるという書類を偽造して入国する中国人が激増した。本書の原題にもなっている「ペーパーサン(書類上の息子)」だ。特に、1906年のサンフランシスコ大地震で公共機関の書類が焼失した際、自己申告で市民権を与えたこともペーパーサンの増化を後押しした。家系を大切に考える中国の人が、自らの苗字を捨ててまでアメリカに行くことを選んだのである。
 しかしその新天地には、有色人種に対する差別があった。この時代、中国人排斥法の他にも、ジム・クロウ法と呼ばれる非白人差別を認める法律が南部諸州で採択されていた。「黒人の血がわずかでも混じっているものは黒人とみなす(ワンドロップ・ルール)」という、ナチスのユダヤ人定義を思わせるような規定まであったのだ。
 黒人差別、アジア人差別はそれぞれ聞いたことはあっても、そこに「段階」があったことを私は本書で初めて知った。中国人だからと差別されることがある一方で、黒人ではないからと許されることもあったという。どちらがマシか、といった悲しい比較に胸が塞がる思いがした。
「同じ人種で固まるべき」と当たり前に考えている人がいる。「昔はよかった」と感じる人たちがいる。本書は、その対立と根底に横たわるものを、アメリカ北部のニューヨークという都会に暮らす中国系アメリカ人のリディアの目を通して、つぶさに描き出す。
 こんな現実があったのかと戦慄する思いだ。人種や民族で分断することの愚かしさが、波のように心に押し寄せる。そしてその現実が、事件に大きくかかわってくる。真相がつまびらかにされていく過程と、そこに渦巻く人間模様が圧巻だ。
 ここに書かれている差別構造と分断は、決してアメリカ南部だけの問題ではない。今一度、分断がどのような歴史を生んだかを本書で感じていただきたい。マイノリティへの差別や格差をミステリの軸に据える、このシリーズの真骨頂たる一冊だ。

 前作『ゴースト・ヒーロー』から本書まで、本国でも八年のブランクがあった。著者S・J・ローザンは別名義で歴史小説を書くなど執筆自体は続けていたが、その間も、ローザンの中にはずっとリディアとビルがいたという。シリーズの短編もいくつか書いていたため、周囲が考えるほどには、このシリーズから「離れていた」意識はなかったらしい。
 本書のアイディアが生まれたのは2014年。『ゴースト・ヒーロー』刊行の三年後に、ローザンは初めてミシシッピ州を訪れた。中国人墓地を見て、中国人コミュニティの話を聞き、「リディア・チンのために用意された状況だ」と感じたと語っている。だから、従来の順序を崩してまで、本書をリディアの物語にしたのだ。
 さらに二度の取材旅行を敢行し、町の景色や音、匂いまでも再現することにローザンは注力した。本書でリディアがミシシッピを見て感じたことは、そのままローザンが感じたことなのだそうだ。なるほど、南部の空気、言葉、音楽、そして美味しそうな料理の数々まで、ご当地ミステリとしての魅力も満載だ。
 第八作『冬そして夜』の後も、9・11の衝撃から消防士の小説を書くなどしていたため七年のブランクが空いて読者をやきもきさせたが(日本での訳出ペースは変わらなかった)、今回は取材に丹念な時間をかけての一冊だ。そして本書以降は年一冊のペースでシリーズ作品が刊行されている。次作The Art of Violenceはビルが主人公、ニューヨークに戻ってアートの世界が舞台になるらしい。さらに次々作Family Businessはリディアのターンで、女性を主人公とする優れたシリーズ作品を称えて贈られるスー・グラフトン記念賞にノミネートされた。
 かなり待たされたが、ようやくまたリディアとビルにコンスタントに会えるようになりそうだ。現在刊行中の翻訳ミステリのシリーズの中で、私のイチオシである。これを機にぜひ第一作から手に取ってほしいので、東京創元社には品切れ分の再刊を強く望む。


南の子供たち (創元推理文庫 Mロ 3-14)
S・J・ローザン
東京創元社
2022-05-18



■大矢博子(おおや・ひろこ)
書評家。ブックナビゲーターとしてラジオ出演や講演、イベント司会、読書会主宰などを中心に活躍中。著書に『脳天気にもホドがある。』(東洋経済新聞社)、『読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100』 (日経文芸文庫) 。東京創元社ではクリスティ『スタイルズ荘の怪事件【新訳版】』、グリフィス『見知らぬ人』、ホロヴィッツ『その裁きは死』(以上創元推理文庫)、古内一絵『キネマトグラフィカ』(創元文芸文庫)などの解説を担当。