周知のことだが、月はみずから光を発する天体ではなく、その輝きは太陽の反射に過ぎない。夜空にある星々の輝きの中で、ひときわ大きな月の光は、いわば偽物なのだ。船上でしたたかに酒に酔い、水面に映った月を捕らえようとして溺死した詩人の伝説があったが、それはいわば偽物の光に魅せられた死であり、いかにも虚構に淫(いん)する文学者にふさわしい。


 今月のイチオシ、小田雅久仁(おだ・まさくに)『残月記』(双葉社 1650円+税)は、そんな危険な月の魅惑をテーマにした連作短編集。第二長編『本にだって雄と雌があります』でSF・幻想文学読者を瞠目(どうもく)させた著者には、すでに「11階」「よぎりの船」など多くの傑作短編があるが、本書は二〇一六年から一九年にかけて雑誌に掲載された三編を収録する九年ぶりの単行本だ。

 巻頭の「そして月がふりかえる」は、ようやく成功を収めた中年男性の主人公が、ある満月の夜に突然、自分の居場所であるはずの家族のもとに違う男がおり、さっきまで一緒だったはずの妻も子供も自分を知らないと言う〈違う世界〉に放り込まれる。続く「月景石」は、ごく地味な主人公の女性が、若くして死んだ叔母が持っていた不思議な模様の石を枕の下に入れて眠ると、石に浮かび出た模様とそっくりの月の世界で強制収容所に連行されるトラックの中で目覚める。

 最後の、そして本全体の半分以上を占める長さの表題作は、大地震によって極端な独裁国家となった近未来の日本で、月昂(げっこう)症という恐ろしい病に犯された主人公の男性が、独裁者が主宰する地下闘技場の剣闘士となって戦い、死に瀕(ひん)した混沌の中から月の砂漠の世界に蘇(よみがえ)る。

 どの作も粘度の高い濃密な文体で咽(む)せるほど鮮やかに世界を描き出していて、裏返る月や、街よりも巨大な桂樹、砂の中を泳ぐ鯨(くじら)などの存在感は圧倒的だ。主人公はどんどん絶望的な状況に追い込まれていくが、読者は予想もつかない展開に心底驚かされ、結末には清々(すがすが)しい透明な解放感に満ちた場面に辿り着く。前述した通り、作者には単行本にまとめられていない短編が多数あり、本書に続いてどんどんまとめられることを熱烈に期待したい。

『円 劉慈欣(りゅう・じきん)短篇集』(大森望、泊功(とまり・こう)、齊藤正高訳 早川書房 1900円+税)は、ベストセラーになった『三体』三部作の作者が自身で選んだ十三編を収録する作品集。鯨の脳に電極を刺してコンピュータで制御する乗り物にしてしまうデビュー作の「鯨歌」をはじめ、直径五万キロメートルのリングワールドに住む〝吞食(どんしょく)帝国〟に地球が征服され、彼らに神の如く崇められている異星種族に漢詩の素晴らしさを説く、とこう書いても何がなんだかわからないかもしれないがとにかく壮大なお話「詩雲」、国際紛争をオリンピックで代行しようとするイラク戦争を思わせる風刺小説「栄光と夢」など、シンプルで豪快なアイディアをストレートに小説化した作品が多い。

 どれも明るくておおらかなユーモアに包まれていて、貧しい農村部を描いたシリアスな物語であってもどこかクスッと笑える部分がある。一九九九年から二〇一四年まで、時代順に作品が配置されており、社会状況の反映を盛り込んだ作品も多いので生々しい懐かしさとでもいうような複雑な感慨に襲われる。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。