本作の単行本版は本当にありがたいことに多くの方々に読んでいただいて、同じくうれしいことに多くのご高評を得て、こうして無事に文庫化されている。これまでとこれからのすべての読者のみなさんと関係者各位に深く感謝を。
楽しんでいただけている理由の多くは、本作のスピンオフ元であるハードSFアニメーションの傑作『ゼーガペイン』に存していることは疑いようもない。ここでは――花澤香菜さんによる愛あふれる解説に呼応しながら――『ゼーガペイン』の魅力について改めて考えていきたい。
まずは本作の根幹たる《量子》が一つめの視座となる。量子は、本作の主人公である守凪了子(カミナギ・リョーコ)の名前にも象徴的に入れ込まれている。
量子とは、物質やエネルギーなどの最小の単位/区切りを意味する、比較的新しい物理概念だ。1900年、物理学者マックス・プランクは、熱輻射の理論を統合するため〈量子仮説〉を提唱する。量子力学の根源たる基本定数hの名は〈プランクの定数〉だ。
とはいえ日常生活で量子を体感することはない。世界の切れ目とも言うべき量子は極めて小さく、人間では感知できないのだ。
さて、この量子には不確定性という著しい特徴がある。量子状態は複数の状態が重なり合ったもので、観測するたび、確率的に一つの状態に収束する。
さらに二つ以上の粒子の状態が重なり合うとき、『ゼーガペイン』の最重要キーワードである〈量子エンタングルメント状態〉が生まれる。エンタングルメントは時空を超えて二つの粒子を結びつける。
森羅万象すべては量子なのか――素粒子よりも遥かに大きいウイルスや細菌、さらにはクマムシにも量子性を見出そうという研究は今も続いている。場(ば)の量子論は、人類が手にしている理論のうちで最高精度を誇る。この理論が世界のどこまで適用できるかを確かめることは、知性の限界を知ることでもある。
『ゼーガペイン』は非常に巧みにこの量子性をストーリーに組み込んでいる。世界の不安定さ、確率的で制御不能な消失、未来の記憶、離れながら繋がり合う感情――いずれも量子的で、それでいて今の世界をあざやかに描いている。これは――『ゼーガ』的に言えば――人の意識が量子化されているということの証明なのかもしれない。
しかし、今――量子コンピュータがオンラインサービスとして商業的に始まり、世界が量子化されていくなかで、さらに新しい世界が生まれつつある。
新しい世界とはVRやARを統合する、メタバースと呼ばれるようになるかもしれない《XR》のことだ。
これが『ゼーガ』の本質を解き明かす二つめの鍵となる。
XR/メタバースでは、ニュートンの古典力学でもない、量子力学でもない、まったく新しい物理法則を自由に設定することができる。さまざまな物理を混ぜてもいい。
量子力学にはよく知られる〈多世界解釈〉がある。量子状態はさまざまな状態が重なり合っているわけだけれど、人間が確率的に観測できるのはひとつの状態だけだ。他の状態は消え去ったのか。そうではなく、観測によって多世界が生まれ、観測者はそのうちのひとつの世界に移動しただけというこの解釈は、メタバース的な発想と相性がいい。
VRがついに社会的に認知され始めた、いわゆるVR元年は2016年とされる。この年には――ぼくが初めてSF考証をつとめた――劇場作品『ゼーガペインADP』が公開となった。『ゼーガ』本編であるTVアニメーション『ゼーガペイン』はさらにその10年前、2006年に放映され、その作中には京(キョウ)や了子の日常風景としてVRゲームが登場する。
この圧倒的な先見性は、極めてSF的なものでありながら、他の作品にはほとんど見られないものだ。
そして『ゼーガ』の魅力の本質に至る三つめの論点も、同じ強度の先見性を持っている。
それはまさに了子や京が立ち向かうことになる、現実世界とXR世界――二つの世界の《環境問題》に他ならない。
世界をいかに拡張しても――〈世界の中の自分〉という構造を取り続けるかぎり――環境問題からは逃れられない。あるいは自らを世界と一体化するという選択もあるのかもしれないけれど、そのときは――定義上――自らも世界もどちらも消失してしまうに違いない。なんとなれば、自らと世界のあいだの区別こそが、二者を存在させているからだ。
それゆえ京たちは自らを守るために、世界を恢復させようとする。幻体の自分にとっては、量子サーバーは死守しなければならない環境上の必須条件だし、これから手に入れようとする肉体の自分にとっては、ガルズオルムの環境改変は決して受け入れられない。
さらに作中には震災やウイルスの猖獗(しょうけつ)あるいは環境破壊があり、量子サーバーの成立とも深くかかわっている。
以上、《量子》《XR》《環境問題》は互いにからまり合いながら、エンタングルしながら、『ゼーガ』世界を構成する。それは量子エンタングルメントそのものから時空が生まれるという近年の仮説のように。
世界は異常気象の中に閉じ込められるのか。それとも量子コンピュータやXR技術によって解放されるのか――それは今日これからの全人類の行為によって決まる。京の名前にはそのことが刻み込まれているのだ。
本作を書き上げたほとんど直後から書き始めた姉妹編は、《量子》《XR》《環境問題》のすべてを拡張しながら書き進めることになった。それも思い切り拡張しなければ、新しいゼーガペインにはなりえなかった。
このあとがきを書き終えようとする今日の段階で、完全新作の姉妹編は量子的不確定さを大いに発揮していて、未だ書き上がってはいない。
すべての不確定の夏のために――
2022年 あまたの入学式が――現実とVRで――
おこなわれている春の盛りの東京から
【編集部付記:本稿は『エンタングル:ガール』創元SF文庫版あとがきの転載です】
高島雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。18年の同題長編化作品は、第一作ながら『SFが読みたい!』国内篇第5位に、また星雲賞日本長編部門候補となった。19年の『21.5世紀 僕たちはどう生きるか?』は星雲賞ノンフィクション部門候補となる。他の作品に、『不可視都市』『青い砂漠のエチカ』『宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 アクエリアス・アルゴリズム』など。16年の劇場用アニメーション『ゼーガペインADP』に始まり、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』『ブルバスター』、VRゲーム『アルトデウスBC』『ディスクロニアCA』など多くの作品にSF考証として参加する。