2月10日に発売となる、岡本綺堂/末國善己編『半鐘の怪 半七捕物帳ミステリ傑作選』〈シャーロック・ホームズ〉シリーズの影響を受けて誕生した、捕物帳の傑作選の発売に先駆け、末國善己氏の編者解説を一部無料公開いたします。各短編についてふれる後半部分については、ぜひ現物の書籍にてお楽しみ下さい。

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 編者解説

末國善己  

 時代小説とミステリを融合した捕物帳の歴史は、岡本綺堂が雑誌「文藝俱楽部」の1917年1月号に発表した「お文(ふみ)の魂」から始まる。
 戊辰(ぼしん)戦争で戦った幕臣の父を持つ綺堂は、幼い頃から父に漢文を学び、江戸っ子らしく芝居好きの父に連れられ見物にも行っているので、明治初期の士族の男子としては普通の教育を受けたといえる。ただ綺堂が少し違っていたのは、イギリス公使館に勤めていた叔父や英国から来た留学生に英語を学んだことである。綺堂の養嗣子(ようしし)・岡本経一がまとめた『綺堂年代記』(同光社、1951年3月)によると、綺堂は「国王がお化けと問答をする話(エインスウオルスの小説ウヰンゾル・キャストル)」や「国王の息子が父の幽霊に出逢ふ話(ハムレット)」を好んだという。後に綺堂は、因果応報を軸にした日本の怪談とは一線を画すモダンな怪談集『三浦老人昔話』、西欧の怪談を翻訳した『世界怪談名作集』、中国の志怪小説を翻訳した『支那怪奇小説集』などを残しているので、怪談趣味は終生、変わらなかったといえる。
 15歳の時に演劇改良運動に刺激を受けた綺堂は、劇作家になる決意を固めた。しかし金銭トラブルに巻き込まれた父が破産寸前になり、綺堂は中学を卒業すると、自活のため東京日日新聞の見習い記者になる。綺堂は、幾つかの新聞社を経て1900年にやまと新聞に入社、そこで幕末から戯作者として活躍した山々亭有人(さんさんていありんど)(採菊散人(さいぎくさんじん))から、幕末の話を聞いている。
 江戸幕府を倒して御一新(ごいっしん)を成し遂げた薩摩(さつま)藩、長州(ちょうしゅう)藩などの武士は、江戸は因習に満ちた社会で、今後は欧米の最新文化を学ぶべきとの価値観を広めたため、江戸時代の研究はタブー視されていた。この風潮が変わるのは、幕末を知る古老を招き話を聞く史談会が盛んになる明治中期以降である。『半七捕物帳』が、新聞記者の「わたし」が、半七老人を訪ね往年の手柄話を聞く形式で進むのは、聞き書きが幕末の風俗を描く最も一般的な手法だったからである。
 綺堂は岡鬼太郎(おかおにたろう)との合作で『金鯱噂高浪(こがねのしゃちほこうわさのたかなみ)』(1902年)を発表、これが初めて上演された歌舞伎となるが評判はいま一つだった。しかし『維新前後』(1908年)や『修禅寺(しゅぜんじ)物語』(1911年)の成功で、綺堂は人気の狂言作者になっていく。これと並行して多くの翻案ミステリを発表(拙編著『岡本綺堂探偵小説全集』全2巻、作品社、2012年5月、8月を参照されたい)していた綺堂が、満を持して発表したのが『半七捕物帳』だったのである。
「わたし」が、半七を「江戸時代に於(お)ける隠れたシャアロック・ホームズ」と評したこともあり、『半七捕物帳』は、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズとの共通点が多いのだが、同時代の風俗を描いたコナン・ドイルに対し、綺堂は過去の江戸、つまり時代小説として『半七捕物帳』を書いた。実は、この違いから見えてくることもあるのだ。
 半七は、松吉、庄太など子分を抱えているが、佐々木味津三(ささきみつぞう)『右門(うもん)捕物帖』の伝六、野村胡堂『銭形平次捕物控』の八五郎、横溝正史『人形佐七捕物帳』の辰五郎と豆六のように、読者の印象に残るキャラクター化された子分、言い換えればワトスン的な相棒は存在していない。『シャーロック・ホームズ』のワトスンは、ホームズの相棒であり、事件を書き残す記述者という二つの役割があった。綺堂は、聞き書き形式の物語を採用したため、明治を生きる「わたし」を事件の記述者に選んだ。そうなると、江戸時代に半七と常に行動をともにし、少し間抜けな言動で探偵を引き立て、読者の理解をサポートする相棒を作ってしまうと、ワトスン的なキャラクターが分裂してしまう。それを避けるため、あえて半七の子分たちの影を薄くしたとするなら、子分の不在は英語力が卓越していた綺堂が、『シャーロック・ホームズ』シリーズの構造を深く理解した上で『半七捕物帳』の設定を作ったとの解釈も成り立つのである。
 有名な『半七捕物帳』だが、綺堂が執筆した動機ははっきりしていない(日記には書かれていたかもしれないが、当該部分は関東大震災で焼失した)。「雪達磨(ゆきだるま)」(初出紙誌不詳)には、『半七捕物帳』に「何等かの特色があるとすれば、それは普通の探偵的興味以外に、これらの物語の背景をなしている江戸のおもかげの幾分をうかがい得られるという点にあらねばならない」とあるので、長く綺堂は近代に入り失われていく江戸の面影を残すために捕物帳を書いたとの解釈が有力だった。ただ火事が頻発(ひんぱつ)し、焼け出されてもすぐに次の生活に移っていた江戸っ子は、“宵(よい)越しの金は持たない”に象徴される刹那(せつな)的で、新しもの好きの一面を持っていたことには留意しなければならない。半七老人も、海外から次々と新しい文物が輸入される明治の世を楽しんでおり、それは語り手の「わたし」が「ランプをとぼし」ていた明治の半ばに、既に半七宅には最新の「電燈」があったと書かれている「金の蝋燭(ろうそく)」(「講談俱楽部」1934年9月号)からもうががえる。こうしたメンタリティは綺堂も持っていたようで、綺堂の俳句・漢詩集『独吟』(私家版、1932年10月)には、「春風にシルクハットの飴(あめ)屋かな」「ネオンサイン湿(ぬ)れて銀座(ぎんざ)の春の雨」「ロボットよ君にも春の愁ありや」「豚カツを食う江戸子が鰹(かつお)とは」「デパートを出て京橋(きょうばし)や年の市」など、近代の風物を題材にした句も少なくないので、綺堂も変わり行く東京を嫌っていなかったかもしれないのだ。
 ここから見えてくるのは、明治に生まれ新時代の教育を受けた綺堂が、山々亭有人らから話を聞き、江戸の文化や風俗を近代人として“発見”した可能性である。『半七捕物帳』がいまも“捕物帳の原点にして最高傑作”と讃(たた)えられるのは、綺堂がモダンな場所として“発見”した江戸と、最新文化だったミステリを融合した結果、古びない物語になったからなのである。
 本書『半鐘の怪 半七捕物帳ミステリ傑作選』は、ミステリ史に輝く『半七捕物帳』の中から傑作を18編セレクトした。シリーズ全体の魅力に迫るため、あえて本格色を抑えた作品も選んでいるので、謎解き以外にも読みどころが多い『半七捕物帳』の世界を堪能して欲しい。

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◆末國善己(すえくに・よしみ)
文芸評論家。時代小説やミステリを中心に、文芸評論を数多く執筆している。主な著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『読み出したら止まらない!時代小説マストリード100』がある。また、『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』『国枝史郎歴史小説傑作選』『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』などの、アンソロジーや全集の編者としても活躍している。