渡邊利道 Toshimichi WATANABE


創られた心 AIロボット傑作選

 本書は、名アンソロジストとして知られるジョナサン・ストラーンが二〇二〇年に編んだ、Made to Order: Robots and Revolutionの全訳である。カレル・チャペックが「ロボット」という言葉を自作の戯曲『R.U.R』に登場させてからちょうど百周年にあたる年に出たアンソロジーで、長く活躍しているベテランから今まさに波に乗っている人気作家、さらにバングラデシュや台湾、ニジェールなど英米以外に出自を持つ個性的な作家たちも参加した、昨今の人工知能ブームもあってすっかり新しい段階に到達した感のあるロボットSFの現在を堪能できる十六の短編(うち十五編は本邦初訳)で構成されている。
 ストラーンは序文で、人間が機械に知性や感情を持たせたいと考えるのは、宇宙に人類以外の知的生命体が存在する証拠が見つからないので、人類が宇宙で孤独な存在にならないようにしたいためではないかと述べている。いかにも快活でフロンティア精神に溢れた発想で、さすが名編集者かつ名アンソロジストとして知られる人物の意見だが、しかし物語の多くで、ロボットはいわば「新しい労働者階級」とでもいうべき鏡像的存在であるか、あるいは「新しい労働環境」とでもいうべき道具的存在であり、本書を通読して素朴に感じるのはもっとささやかで身近な、とても明るいとは言えないが、さりとて希望がまったくないではない、絶え間なくアップデートされていく現在の社会そのものを描いているという印象だ。

 収録作品はいくつかのグループに分けて紹介できる。
 まず原題のRevolution(革命)という言葉から連想される「階級闘争」のグループ。これは、人間に対して奴隷状態にあるロボットたちが、それぞれのやり方で抵抗する物語である。抵抗の礎となるのは、もちろんそれぞれのロボット固有の技術的特性や能力もあるが、物語的に重要なのが友愛の力だ。ヴィナ・ジエミン・プラサドのヒューゴー賞短編部門候補作「働く種族のための手引き」は、カフェで働く新米ロボットが相談相手である先輩ロボットと軽妙なやりとりを交わすうちに新米の置かれているブラックな職場環境が明らかになってくる物語で、サード・Z・フセインの「エンドレス」は、空港を管理しているAIが語り手で、契約を切られてお払い箱にされようとしているが、世界を牛耳っている株を持つ連中になんとか復讐しようと企む物語。この二編はユーモアたっぷりの筆致で、契約と法律に縛られた自由資本主義市場での闘い方を示唆していて、重要なのが知識とAI同士の友情と連帯であるのが面白い。逆に怒りに満ちたハードな文体でグイグイ押してくるのがピーター・F・ハミルトン「ソニーの結合体」とブルック・ボーランダー「過激化の用語集」で、前者は遺伝子工学技術によって動物と結合した闘技場の戦士がマフィアと対決する話であり、後者は工場生産された人造人間に普通の人間と同じように苦痛を感じる能力を与えることで奴隷化して支配している世界で、絶望と闘う若い人造人間の話。どちらもシンプルなストーリーで暗鬱な設定と爽快な読後感が共通している。

 次に、人間と親密な関係を結ぶ作品のグループがある。ジョン・チューの「死と踊る」は、倉庫で働きながらフィギュアスケートを愛する型落ちのロボットが、好意でメンテナンスを受け続けることに疑問を感じている物語で、落ち着いたロマンスの雰囲気もある作品。スザンヌ・パーマーの「赤字の明暗法」は、多くの労働がロボットに代替され、人間はロボットの所有者になってそこから利益を得る仕組みになっている世界で、リスクを分散するため共同所有するのが普通のロボットを、無知で貧乏な両親に一体丸ごと(しかもやはり型落ちなのである)買い与えられた主人公が、自分でメンテナンスしながら事態を乗り越えようとする物語で、朴訥なロボット、金持ちで主人公をパシリにしている連中やイケてる研究者の女友達などとの関わりがハートウォーミングな一編。ここでは、友愛はロボット同士だけではなくさまざまな立場の人間たちとの間にも成立する。

 また、人格を有するロボットであっても、人間と対立したり個人的に親密な関係を持ったりするわけではないグループもある。サラ・ピンスカー「もっと大事なこと」は、女探偵が大富豪の変死事件の謎を追う、ハードボイルド・ミステリのスタイルをあからさまに踏襲したパロディ色の強い作品だが、大富豪の邸宅を差配する家事ロボットたちが事件の鍵を握っている。アレステア・レナルズの「人形芝居」では、恒星間航行宇宙客船内で手違いから乗客が全員死亡してしまい、責任追及を恐れた乗組員のロボットたちがどうにか状況を糊塗しようとするスラップスティックな作品。イアン・R・マクラウド「罪喰い」は、人間がデータ化して仮想空間に転移していった未来、最後の一人となったカトリックの神父と、データ移行を施すロボットとの対話を描く。データ移行の技術的なディテールや人間のいないロボットだけの世界情景のSF性と、淡々とした宗教的対話の情感たっぷりの思弁性が印象的な作品。これらの作品では、ロボットはほとんど「もう一つの自然」として対話可能でありつつも人間を取り巻く環境としての側面が強い。伴侶種というダナ・ハラウェイの概念を思い出してもよいだろうが、むしろそもそも「人工」と対立すると思われている「自然」が、人間にとってはほとんどつねにすでに「資源」として考えられているわけで、その意味でやはりこれらの物語は人間中心主義的だと言える。

 さらには、ロボットの側から人間を見る、という鏡像的スタイルをより文学的に洗練させたグループもある。リッチ・ラーソンの「ゾウは決して忘れない」は、培養槽で目覚めたクローンか大量生産のバイオロイドを思わせる「あなた」を主人公にした二人称小説だが、きわめて錯綜した語りと場面転換で、謎に満ちた余白が逆説的に小説世界の生々しさを作り出す実験的な作品だし、ソフィア・サマター「ロボットのためのおとぎ話」は、古今東西の童話をロボットのための教訓話に解釈しなおすことで、ロボットという存在の意味を検討する思弁的な作品になっていて、どちらもロボットSFという形式についてのメタフィクションという趣がある。

 いっぽう、環境/自然としてのロボットをより一層徹底化して、むしろ人格を有しない人工知能(AI)との関わりを描くグループもある。ダリル・グレゴリイの「ブラザー・ライフル」は、SHEPという重機関銃を搭載した車輪付きロボットを操作するシステム・オペレーターの海兵隊員が、敵に急襲を受け錯綜する状況で下した判断に懊悩する物語。トチ・オニェブチ「痛みのパターン」は、フォーラムに投稿された画像や動画、メッセージなどの情報を整理して顧客(軍や法執行機関、捜索救難部隊、メディアウォッチャーなど)に提供する事業で働く黒人男性が、アルゴリズムを利用した取り締まりを行う甲殻類型の警察ロボットによる不当な死亡事件の訴訟にまつわる資金の流れに気付いて愕然とする。またケン・リュウの「アイドル」は、作者自身の弁護士としての経歴を想起させる作品で、ビッグ・データで作られた仮想人格が、個人との対話や裁判での想定問答、有名人によるサービスなどさまざまに利用されている未来社会の物語。これらの物語に登場するロボット、あるいはAIは現在でも可能、もしくはもうすぐ可能になるであろう現実的な技術に基づいて描かれており、そこで感じられる不安や恐怖、慰撫といった様相はきわめてアクチュアルだ。

 そして最後のグループは、人間とは完全に異質な機械の思考、意識とでもいったものについての物語である。ピーター・ワッツの「生存本能」は、土星の衛星エンケラドスの海底で、探査ロボットが「自我」に目覚めたのではないかとオペレーターたちが議論する小説。ロボットの思考をモニターとデータだけで推論していく、ぶっ飛んだ舞台装置とぶっとんだ思弁がいかにもこの作者らしい作品。アナリー・ニューイッツ「翻訳者」は、シンギュラリティを迎えたAIがすでに人間の理解の範疇を大幅に超えてしまった世界で、AIたちの言葉を人間の言葉に翻訳する学者たちの物語。ワッツの作品が存在論的不安に満ちた緊張した語り口だったのに対して、こちらはずっとユーモラスで爽やかな作品。

 現代SFの起源とも目される『フランケンシュタイン』の副題が「現代のプロメテウス」であったことからもわかるように、もともと西欧では人造人間の創造には、神のみに許された秘密の簒奪、といった不吉な意味合いがある。プロメテウスは天界の火を盗んで人々に与えたのだが、科学によって世界の秘密を「知る」ことはこのプロメテウスの「盗み」に等しい罪業なわけだ。したがって人間の叡智によって作り出された人造人間とは端から罪深い存在であり、神罰を呼び災厄をもたらす。ロボットの反乱という物語類型にはおそらくそのような神学的論理が働いている。神と人間のヒエラルキーをかき乱すものとして科学があるわけだが、そのヒエラルキーを強固に支えるのは心身二元論である。神に属する精神が上位にあり、それが下位に置かれた身体/物質を使役する。そこでは、身体/物質は精神が定めた目的を達成するための道具であり、道具それ自体が意志をもったとしても、それは精神にひたすら従うものでなくてはならない。だから実のところ、ロボットの「反乱」があるにしても、機械に宿る「精神」が、人間に理解可能なもの、人間と「目的」を共有しうるものと理解される限りにおいて、実は本当の意味ではこの精神と身体のヒエラルキーは脅かされず、ロボットは「新しい労働者階級」であったり、「新しい自然環境(資源)」にとどまる。ワッツとニューイッツの二つの物語は、ロボットに、その創造者である人間とはまったく異質な意志を想定し、根源的な「自由」を感じさせる点で、人を畏怖させ、かつ解放感を与えるのではないだろうか。

 最後に、編者のジョナサン・ストラーンについて。一九六四年北アイルランドのベルファストに生まれる。六八年に家族でオーストラリアのパースに移住。八六年に西オーストラリア大学で文学士号を取得。九〇年にEidolonというオーストラリアのSF/FT専門誌を創刊、九九年まで共同経営者および共同編集人を務め、Eidolon Booksで書籍出版も手掛けた。九七年にアメリカのカリフォルニア州オークランドに移り、雑誌Locusの編集者を務める傍ら書評も担当。九八年にオーストラリアに戻るが、その後もさまざまな媒体で書評を発表、フリーランスの編集者としてアンソロジーや単行本を編集・共同編集し、オーストラリアと英米で書籍出版に携わり、Tor.comのコンサルティング・エディターも務めている。二〇一〇年には編集者としての活動が評価され世界幻想文学大賞の特別賞を受賞した。同年からゲイリー・K・ウルフと共同でCoode Street Podcastを制作し、二〇二一年にはヒューゴー賞ファンキャスト部門を受賞するなど高い評価を受けている。プライベートではローカスの同僚だった女性と九九年に結婚し、二人の娘とともに現在もパースに住んでいる。ウェブサイトのURLはhttp://www.jonathanstrahan.com.au/wp/、ツイッターアカウントは@JonathanStrahan



【編集部付記:本稿は『創られた心 AIロボット傑作選』解説の転載です。】



■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。