手紙について、私がかねがね思っていることがあって、それは、手紙というものは、差出人、つまり書いた人間のものなのか、それとも、受け取った人のものなのかということである。ことにラブレターであれば、それはむしろ一読して捨てられることを望むものではないか。愛だけを残して、まぼろしのように消え去っていく文字……。

 今回のイチオシ、カナダの女性作家アマル・エル゠モフタールとアメリカ人男性作家マックス・グラッドストーンの共作ノヴェラ『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』(山田和子訳 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 1900円+税)は、そんなほとんど形而上学的な手紙の夢を、エレガントな文章で絢爛たるロマンスに織り上げた時間SF。時間と空間を飛び越えて歴史を改変する闘争を続ける二大組織《エージェンシー》と《ガーデン》。前者の凄腕工作員レッドは、巨大帝国を壊滅させるミッションを完遂した後、戦いの間ずっと感じていた敵が残していった手紙を発見する。罠の可能性を認めながら、挑戦されれば受けないわけにはいかない。手紙の送り主はあつらえたようにブルーと署名しており、かくして好敵手同士の文通が始まる。

 章ごとに騎馬を駆るモンゴル帝国や沈みゆくアトランティスや遠未来の宇宙艦隊の戦場といった、時代と場所を変えたミッションの描写のパートがあり、それに空気感染するウィルスのコードやアザラシの胃の中のタラ、飛び立つ雁が残していった二枚の羽といったさまざまなものに刻まれた手紙の本文が添えられる。変則的な書簡体小説のスタイルで、時間SFとしては細かな歴史改変の痕跡や架空のガジェットも楽しいが、小説全体の構造に関わる大仕掛けも鮮やか。

 しかし本作の最大の読みどころは、文学、美術、ポップ・ミュージック、ゲーム、哲学、自然科学などの多彩な引用を鏤めた(巻末の註を参照し原典探索したくなる)、翻訳でも想像がつく韻を踏んだ美しくエッジの効いた文章だ。赤と青のイメージを鮮やかに変奏するレトリックをはじめ、読むことの快楽に溺れそうになる。

 英国発本格SF『時の子供たち』エイドリアン・チャイコフスキー著(内田昌之訳 上下巻 竹書房文庫 各900円+税)は、往年の巨匠の作品をいくつも連想させる、アーサー・C・クラーク賞にふさわしい長編。地球から20光年離れた緑の惑星をテラフォーミングし、ナノウイルスによって知的進化を促進された地球の生物を送り込む壮大な計画が、反対派の妨害工作によって失敗。計画の責任者だったカーンは、監視ポッドで脱出し地球に向けて救援信号を送りつつ人工冬眠に入り、惑星では全滅した猿の代わりに蜘蛛が超進化を果たし文明を築く。約2000年が経過し、地球で自滅した人類の生き残りが、救援信号に導かれ、新たな世界を求めてやってくる。

 蜘蛛が何世代にも渡ってみずからを組織化し惑星の頂点に立つ過程を描く生態学的で文明論的なパートと、人工冬眠で膨大な時間をかけて宇宙を漂流してきた宇宙船内部の人間たちの暗闘のパートが並行して描かれ、そこに蜘蛛たちに神と崇められるようになっていたカーンの狂気が絡み合って、文明の衝突(ファースト・コンタクト)へと雪崩れ込んでいく。超進化する蜘蛛たちと難民化した人類たちの異質な文明と時間の流れをカットバックで描くスタイルが、結末への期待をいや増しに増す、懐かしい言葉だがいわゆる〈センス・オブ・ワンダー〉が存分に味わえる。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。

紙魚の手帖Vol.01
櫻田 智也
東京創元社
2021-10-12