東京在住の英国人作家デイヴィッド・ピースが、昭和24年に起きたあの下山(しもやま)事件に挑んだのが『TOKYO REDUX 下山迷宮』(黒原敏行訳 文藝春秋 2500円+税)である。それぞれ小平(こだいら)事件と帝銀事件を題材とした『TOKYO YEAR ZERO』『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』とあわせ、《東京三部作》を構成する。本書で著者は、戦後の昭和という長期的なスパンで事件に迫っている。事件当時、時効、そして昭和の終わりである。視点もそれぞれ変えている。GHQ公安課捜査官、元警視庁捜査一課刑事の私立探偵、そして対日工作で来日した翻訳家だ。何かしらの傷を負い、どこかしら壊れた面々の視点を通じて、昭和の大事件の正体が徐々に浮き彫りにされていく。

 カギ括弧を排除して繰り広げられる会話は地の文に溶け込み、呪文のように読み手の心に染みこんできて、ロジカルな説明だけでなく、それ以上の〝なにか〟で、下山国鉄総裁を死に追いやった重苦しい流れを読者に体感させる。是非この重量級の闇にダイブしてみて戴きたい。

 TVドラマ《刑事コロンボ》シリーズの原案やプロデュースで知られるリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクのコンビは、小説も書いていた。彼等が1954年から62年に発表した短編小説を10篇集めたのが『レヴィンソン&リンク劇場 皮肉な終幕』(浅倉久志 他訳 扶桑社ミステリー 850円+税)だ。うち5篇は本邦初訳である。


 収録作はといえば、親の考えもあったのだろうがとことん追い詰められてしまった少年を描く「子どもの戯れ」や、災い転じて福と成すはずが、という「強盗/強盗/強盗」など、人が犯罪に走る瞬間をくっきりと描きつつ、その後訪れる予想外のビターな結末を愉しめるタイプの短編もあれば、切れ味抜群の掌編「ジョーン・クラブ」や、完全犯罪計画の行方を描いた「愛しい死体」(解説の小山正は《刑事コロンボ》誕生の端緒と指摘している)などもある。満足度の高い作品が揃った貴重な短篇集だ。

 ニューヨークを舞台とする『わたしたちに手を出すな』ウィリアム・ボイル(鈴木美朋訳 文春文庫 1050円+税)は、欲情した80過ぎの男に襲われ、重い灰皿で撃退した還暦女性のリナを中心に、彼女の娘や孫娘、犯罪組織の顔役だった亡夫と繫がりのあるヤバい連中、元ポルノスターなどを巻き込みながら疾走する物語だ。灰皿事件を起点に話が拡がっていく様が愉快だし、リナをはじめとする女性陣が痛みを乗り越えたからこその強さは痛快、欲情80男に代表されるクズな男性陣のダメっぷりも、実に個性的で生々しく身勝手で、しっかりと敵役として機能していてよい。人物造形も先の読めない展開もスピード感も二重丸。この小説を読んでいる時間がとことん充実していたことを多くの人に喧伝したくなる一冊である。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.01
櫻田 智也
東京創元社
2021-10-12