デビュー作『刀と傘 明治京洛(きょうらく)推理帖』で第19回本格ミステリ大賞を受賞し、その前日譚『雨と短銃』も好評な伊吹亜門。『幻月と探偵』(KADOKAWA 1750円+税)は、1938年の満州を舞台にした長編歴史本格ミステリだ。

 私立探偵の月寒三四郎(つきさむさんしろう)は、官僚の岸信介(きしのぶすけ)から秘書を務めていた瀧山が毒物により急死したことを告げられる。彼は小柳津義稙(おやいづよしたね)元陸軍中将の孫娘である千代子の婚約者で、晩餐会の席で毒を盛られた疑いがあるという。真相究明を依頼された月寒が調査に乗り出すと、小柳津宛に『三つの太阳(たいよう)を覺(おぼ)へてゐるか』と記された脅迫状と拳銃の弾が届いていたことが判明。そして、さらなる事件が……。

 大戦前夜の満州というと、猥雑で荒涼としたイメージが浮かびがちだが、オールドスタイルの私立探偵小説を基調に、定規を当てて線を引き、丁寧につないでいくような過不足のない洗練された筆致が全体を引き締め、スマートな本格ミステリとして完成している。犯人の見当をつけることは難しくないかもしれないが、見事なまでに意表を突く、この時代、この舞台だからこその真相までも見抜くことはできないだろう。もしかしたら本作に漂う気品は、この驚きを際立たせるための周到な策のひとつなのではないか――と思うのは少々穿(うが)ち過ぎだろうか。

 白井智之『死体の汁を啜(すす)れ』(実業之日本社 1700円+税)は、前日譚と後日譚の間に八つのエピソードが並んだ連作集。

 ふたつのやくざ組織が南北に縄張りを持つ牟黒(むくろ)市は、南アフリカのケープタウンと同じくらい頻繁に殺人が起こる物騒な港町だ。ある日、白洲(しらす)組の組長が自宅のリビングで、頭の皮を剝がされ、豚の頭を被った状態で発見される。組員の秋葉は組長が心酔していた女性占い師が犯人ではないかと推理するが、逆に自らが容疑者として疑われてしまう。秋葉は、ひょんなことから出会った自殺志願のミステリ作家――青森に事の経緯を話す。すると、あっさり真相がわかったという……。

 この第1話「豚の顔をした死体」を皮切りに、今回も白井ワールドというしかないアンモラルな世界観、オフビートなユーモア、異形のロジックがタブー上等で多彩に描かれていく。

 第2話「何もない死体」の悪夢のピタゴラ装置とでもいうべき真相、第4話「膨れた死体と萎(しぼ)んだ死体」のちゃんこを10キロも食べて死んでいた理由など、仰け反り過ぎて椅子から転げ落ちるほど。白眉は、首を絞められて死んだ女の体内から10歳前後の子供の死体が見つかる第7話「死体の中の死体」、連作ならではの趣向が華開く第8話「生きている死体」。謎が解かれて顕わになる不運としかいいようのない真相には、思わず天を仰ぎたくなる。酷い。だからこそ我らが白井智之は期待を裏切らない。


■宇田川拓也(うだがわ・たくや)
書店員。1975年千葉県生まれ。ときわ書房本店勤務。文芸書、文庫、ノベルス担当。本の雑誌「ミステリー春夏冬中」ほか、書評や文庫解説を執筆。