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 クリスチアナ・ブランドのデビューは1941年の『ハイヒールの死』ですから、キャリアとしては、エドマンド・クリスピンあたりと近いことになります。第二次大戦中から戦後にかけて、パズルストーリイ(だけを書いたわけではありませんが)の有力な作家として存在感を示し、『ジェゼベルの死』『疑惑の霧』『はなれわざ』といった作品が代表作でしょう。1957年の『ゆがんだ光輪』を最後に、一時期、ミステリから離れていたようです。また、四〇~五〇年代の短編ミステリには、見るべきものはないようでした。イギリスのパズルストーリイ作家は、第二次大戦以後は停滞している例が多く、最後のコックリルものの長編『はなれわざ』が1955年ですから、のちのちまで活躍した方です。しかも、多くのイギリス作家が新聞に書いた、短かい謎解き作品が、ブランドにはあまりありません。
 十年以上第一線からは退いたと思われていたであろうブランドが、颯爽と姿を現わしたのが、EQMMによるCWAとの共催コンテストの第一回でした。「婚姻飛翔」が第一席を射止めたのです。続く第二回では「ジェミニー・クリケット事件」が第二席に入り、同年(68年)には、両作品を収めた短編集What Dread Handがイギリスで編まれます。第三回では「スケープゴート」「ミステリオーソ」)が特別賞です。
 この三編は、いずれも、かなりのヴォリュームをもっていて、凝った短編になっています。共通するのは、事件の関係者が事件をふり返りながら推理していくという構成になっていることです。ブランドの言う「蛇のような書き方」で、記述は三人称ながら、登場人物の内的独白が多用されていて、両者の受け渡しのところで生じる曖昧さを巧みに使っていたりするので、油断がなりません。「婚姻飛翔」は再婚を目前にした、暴君の富豪が、再婚相手の看護婦(先妻の看護婦として雇い、彼女の死後、自分の世話係から妻に昇格させようとしています)との披露宴の席で毒殺されるというもの。居合わせたコックリルが、有力容疑者四人を交えて、犯行が可能だったのは誰かという議論に持ち込みます。短かく描かれる生前の被害者の横暴ぶりが、その性格を示すという意味ではもちろん、解決の手がかりとしての伏線になっている(全般的に伏線の巧さの目立つ短編です)のが見事で、第一席も当然の出来栄えです。しかし、ブランドは、次の第二回コンテストで、それを上回る作品を書いてきました。それが「ジェミニー・クリケット事件」です。二十世紀に書かれた最高の短編ミステリだと、私は考えています。「スケープゴート」は、十二年前に起きた狙撃事件(足に障碍のある著名な奇術師が、挨拶の壇上で狙撃され、杖となっていた友人が殺されてしまう)が、未解決のまま、警備にあたった警官が責任をとらされて職を解かれ、失意のうちに死んでいる。その息子が父の名誉回復をはかっていて、関係者が一堂に会して、事件を再度論じることで、少年の長年の不満に決着をつけようというのです。犯行方法のリアリティや人間関係の解きほぐし方に難があって、前二作よりは落ちる出来でした。
 このCWAコンテスト三回連続入賞は、クリスチアナ・ブランドの存在感を示しました。もっとも、「婚姻飛翔」「スケープゴート」は、『招かれざる客たちのビュッフェ』が出るまでは、ミステリマガジンに訳されたきり(「スケープゴート」は訳されたのも遅かった)だったので、日本の読者の多くが記憶したのは「ジェミニー・クリケット事件」においてでしょう。『ビュッフェ』が出た際も、コンテストからは二十年経っていたうえに、今度は「ジェミニー・クリケット事件」のふたつのヴァージョン問題に耳目が集まり、やはり、この再登場の華々しさは、認識されなかったと思います。

『招かれざる客たちのビュッフェ』の巻頭作「事件のあとに」は、珍しい五〇年代の短編で、コックリルが老刑事の過去の手柄話を聞きつつ、同時に事件の真相を看破してしまうというものです。日本語版EQMMに「帽子から飛び出したうさぎ」(EQMM掲載時の原題の直訳です)の題で載ったことがあります。劇団内の事件で、「オセロ」上演後に主演女優が殺されます。警察を待ち受ける劇団員は、時間がたっぷりあったにも関わらず、衣装もメイクも本番のままの姿でした。大胆な仕掛けで、意外性は充分。それを成立させるために、老刑事に過去の事件を語らせるという形をとったものですが、落ちついて考えると、肝心要の殺人の動機を、捜査側が知る術はなかったのではないでしょうか?
「カップの中の毒」「ブラックコーヒー」)は、コックリルが登場する倒叙ものという解釈が一般的ですが、むしろ、クライムストーリイに近い。犯人が刻々変化する状況に、過剰に反応して、口から出まかせに近い対応を続けるのは、読者の微笑を誘うもので、私はにやにやしっぱなしでした。コックリルを描くのも最小限にとどめ、それも常に犯人から見てのコックリルで、そのことも、倒叙からクライムストーリイに近づけた原因でしょう。同じようなことは「血兄弟」「最後の短篇」といったコックリルものにも、あてはまります。ともに、犯人の一人称による小説で、倒叙というよりもクライムストーリイと呼びたい作品でした。
『招かれざる客たちのビュッフェ』は料理のコース仕立ての目次になっています。メインディッシュに相当するアントレは「ジェミニー・クリケット事件」「スケープゴート」と並んで、「もう山査子摘みはおしまい」でした。ブランドのクライムストーリイの代表作ということでしょう。また、森英俊が『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』のブランドの項で。短編クライムストーリイから名前をあげたのが「スコットランドの姪」です。かつて親類たちをペテンにかけて、財産を独り占めしたらしい婦人の真珠の首飾りを、スコットランドの姪が狙っているという、単純な設定ひとつを、スピーディかつユーモラスに次から次へとツイストしながら展開していく。ブランドが時おり見せる疾走感重視の一編ですが、その中ではピカイチです。ただし、一箇所だけ。入院しているのは弟の娘にしたいところです。
 後半の第四部第五部は、「目撃」を除いて、クライムストーリイが並びます。この中で出色の出来なのは「メリーゴーラウンド」でしょう。ふたつの家庭の間に隠された憎悪と策謀が、両家の子どもたちには筒抜けになっているのみならず、なわとび遊びの替え歌の歌詞になっている。乱歩の言う「奇妙な味」ど真ん中の作品です。幾度かのツイストの果てに、その策謀が子どもたちの代にも引き継がれているというところが、ブランドならではです。EQMM掲載時には、ダネイによって、題名が変えられ(ミステリマガジンには、その直訳「なわとび遊び」という題名で載りました)、子どもたちの詩を改悪されたと、ブランドが不満をもらした作品ですが、韻律の問題のようなので、邦訳では目立つことはありませんでした。
「目撃」「影」)はブランドには珍しく、自動車からの人物消失という不可能興味が前面に出ています。ブランドの場合、いろいろな趣向や仕掛けが複合するので、なにかひとつ(たとえば密室とか)が前面に出ることは、意外と少ないのです。もっとも、この解決は、うまく、そんなふうになるものだろうかと、思わせないでもありません。
「ジャケット」「ここに横たわるのは……」「ごくふつうの男」「偏執狂」「神の御業」は、巧みに書かれたクライムストーリイとサスペンスストーリイで、いずれも、男の造形に工夫がこらされていました。とくに「神の御業」は、オチや展開の意外性を排したところが、ブランドには珍しい一編となっていました。「バルコニーからの眺め」「囁き」「囁く声」)は、ともに、ヒロインの妄執を描いたものでしたが、冒頭で、その妄執をはっきり明示し、さかのぼって、アンファンテリブルのクライムストーリイを描いた後者の方が、深みもあれば読者を引っ張る力も上というものでした。同じ妄執でも「この家に祝福あれ」は、少し手がこんでいます。主人公の老女は、身重の妻とその夫が家の追い立てをくって、途方にくれているのを見かねて、陣痛がおきたことをきっかけに、その見知らぬふたりに納屋を貸して出産させます。マリリンとジョーというふたりの名前(マリアとヨゼフですね)や、その他の些細な符合から、キリストの生誕の再来ではないかと、彼女は考え始めるという話。

 六〇年代の終わりに編まれたブランドの第一短編集What Dread Hand収録作のうち、『ビュッフェ』に入らなかったものを読んでおきましょう。
 六〇年代のブランド短編で、比較的早く翻訳されたのが「誰がための涙」「大空の王者」です。フランスの上流階級を舞台に、複数の愛人と手切れをしようとするドンファンが殺されて、手切れに渡されたダイヤをめぐって恐喝事件が起きる前者よりも、ミステリとは言えないであろう、自分の領地内に住むトビに対する老嬢の崇拝と自負の念を鮮やかに描いた後者の方が、圧倒的に読ませる出来栄えでした。
「薔薇」はロバート・E・ブライニーの書誌によると1939年の作品(のちEQMMで発掘されミステリマガジンにも邦訳が載りました)ということで、夫婦間の殺意を描いたクライムストーリイに、後年ロバート・トゥーイあたりが得意としたオチをつけたものでした。巧みに読ませますが、若書きの部類でしょう。同じくクライムストーリイの「さすが警察」も、過去の犯罪からヒントを得た完全犯罪狙いが、その作為ゆえに瓦解するという平凡なもので、「拝啓、編集長様」はブランド宛の短編依頼の手紙が他人のところへ届き、そのあげくに起きた殺人の手記という体裁で、精神病患者としても箍のはずれた女が、どうやら彼女を介護しているらしい女を殺そうとする話。初出はJ・D・マクドナルド編のアンソロジーで、そのときの題名はDear Mr. MacDonaldだったといいますから、アンソロジーに書下ろすこと自体を趣向に仕組んだ一編だったのでしょう。このころのブランドのクライムストーリイは、組み立ても単純で平凡なものです。
「愛に似て……」はさして魅力のないゴーストストーリイでした。同じ幽霊話でも、「幽霊伯爵」は、ユーモラスな筆致で、三人の老婆が語る幽霊伯爵にかこつけたクライムストーリイと見せかけてという話が、イギリスの貴族の質の悪さを裏から描いて、頬を緩ませます。
 ミステリの範疇かどうか怪しいながら、ブランドらしい凄みをたたえているのが「父の罪」です。冒頭の但し書きからは、つい百年ほど前までウェールズで実在した風習のようですが、まったくの空想かもしれません。死んだばかりの人間の身体の上に盛られた豪華な食べ物を食べることで、その死者の罪を自分のものとし(おかげで、死者は生前犯した罪を押しつけてしまえる)、金をもらって去ることで、他人の罪を背負って生きる、罪食い人という一種の被差別民の話です。貧困のあげく病気で弱り切った罪食い人のもとへ、葬儀を明日にひかえた家から男が使わされる。さんざん探した果てのことでした。罪食い人の妻は、病気で動けない夫のかわりに、息子を差し出します。息子には死体の上にあるものを食べなければ罪食いにはならない、だから、一人にしてもらって食べ物をこっそり隠して持ってくればいいと知恵をつけて。そう簡単にいくものかと読者は思うし、それでなくても少年は怯えています。サスペンスと残酷な空想力いっぱいに短かい物語は終始し、さらなる残酷さを持って小説は終わります。
 こうした作品に比べれば「ダブル・クロス」は、いかにもなブランド印です。トーマス・クロス卿の豪壮な屋敷に住む三人のいとこは、互いにあまり仲良くないうえに女をめぐってライヴァル関係だったりしますが、クロス卿が殺されてみると(当然、三人は有力容疑者です)、屋敷に住まないかぎりは屋敷(が遺産の大部分です)についての権利を失うという遺言が残っていました。三分の一の財産では他所に家を持ちながら屋敷を維持できないし、おとなしく屋敷の三分の一を区切って暮らすか、他のふたりの分け前を自分のものとしてしまうかという、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』をゲーム的にしたような設定です。いとこのひとりは大きな赤い顎鬚が目立つ画家ですが、この男、常日ごろから、自分によく似たドッペルゲンガーがいて、いもしないところで目撃されると、まことに怪しげな話(ヴィカーズの「二重像」ですね)をしています。容疑者同士が事件を議論しながら話がすすむという、晩年のブランドに特徴的な展開の、これは走りということになるのでしょう。謎の落とし所は、あっさりしたものでした。
 別の意味でブランドらしいのが、第二短編集に入った「回転はすばやく」です。売れない俳優とその妻、俳優の愛人のお手伝いの少女、俳優に横恋慕している隣人の女という人間関係のところに、ある時、夫婦喧嘩のあげく妻が転倒して頭を打って死んでしまいます。凶器の火掻き棒、目撃証言の偽証、一事不再理といったものは、すでにおなじみのミステリのクリシェとして無造作に用い、その上で、登場人物各人の思考のQuick and Clever(原題です)ぶりを描く。「スコットランドの姪」「メリーゴーラウンド」系列の、スピーディなツイストにあふれた一編でした。なお、この作品はブランドの短編集とEQMM掲載版に、テキストの相異が指摘され、邦訳はEQMMからのものしかありません。
 このほかに、クライムストーリイと見せかけて、ホラータッチのサゲが決まる「わが屍を踏み越えて」や、飼い犬を求める作家のハートウォーミングな話と、これまた見せかけた「人間の最良の友」。コックリルとホークスメア公爵夫人が推理を競う「屋根の上の男」などがあります。

『招かれざる客たちのビュッフェ』一冊を読んでも分かることですが、ブランドの短編には、クライムストーリイが多く、コックリルが登場するものにしても(「婚姻飛翔」に顕かですが)、犯人側からの記述が含まれていたりする上に、謎解きの部分で三人称での描写が入るなど、パズルストーリイらしからぬ描き方が出てきます。「メリーゴーラウンド」は、クライムストーリイとはいえ、実際には犯行を行った人間ではなく、それに気がついた(つまり謎を見破った)子どもたちの描写だけから成っていました。「回転はすばやく」「スコットランドの姪」のようなツイストの連続や、「回転はすばやく」「ダブル・クロス」といった作品に見られる、従来のミステリにさんざん使われたクリシェを平然と使い、その上で、なお読者に意外性を与えようとすることもありました。
 ブランドにおいて明らかなのは、読者に意外性を与えることが第一義であり、名探偵による解明(つまりディテクションの小説であること)は、それほど重要ではないという態度です。従って、クライムストーリイになることを恐れませんし、ディテクションの小説であっても、クライムストーリイに接近した印象を与えます。しかも、読者への対決姿勢を持ちながら、日本流の犯人当てトリック小説とは一線を画している。
 そうしたクリスチアナ・ブランドのユニークな在りようが、最高の果実をもたらしたのが「ジェミニー・クリケット事件」であると、私は考えます。この二十世紀最高の短編ミステリを精読することで、『短編ミステリの二百年』は、その全六巻を閉じることにします。


※ EQMM年次コンテスト受賞作リスト(最終更新:2021年9月9日)



短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)
モーム、フォークナー他
東京創元社
2019-10-24


短編ミステリの二百年2 (創元推理文庫)
チャンドラー、アリンガム他
東京創元社
2020-03-19


短編ミステリの二百年3 (創元推理文庫)
マクロイ、エリン他
東京創元社
2020-08-24


短編ミステリの二百年4 (創元推理文庫)
リッチー、ブラッドベリ他
東京創元社
2020-12-21


短編ミステリの二百年5 (創元推理文庫)
グリーン、ヤッフェ他
東京創元社
2021-06-21