というわけで『アニーはどこにいった』は丁寧(ていねい)な伏線を楽しめるのだが、今月はその点でこれを更に上回る作品が存在する。それが、名探偵ホーソーン・シリーズの第二弾『その裁きは死』(山田蘭訳 創元推理文庫 1100円+税)である。アンソニー・ホロヴィッツの緻密な伏線と徹底したフェアプレイは至芸の域に達しており、これに比べるとさすがに他の作家は分が悪い。

 今回の事件は、評判の良い離婚専門弁護士殺しである。裁判の相手方当事者だった著名作家が、直前に弁護士を脅しており、事件の解決は容易と思われた。しかし、現場に残された「182」という謎のメッセージ、被害者の直前の「もう遅いのに」という言葉が、事件に謎を投げかける。

 ワトソン役の語り手アンソニー・ホロヴィッツと、探偵役ホーソーンの非友好的な関係は今回も物語のスパイスとして作用する。アンソニーはホーソーンの人格を好意的に見ない一方、作家的興味があって彼の事情を掘り起こそうとする。また自力で推理して、ホーソーンの鼻を明かす気満々である。その本気度は、ミステリ史上におけるワトソン役の中でも高い方だ。こういった《反抗的な助手》を、ホーソーンは冷めた目で見ているようで、最終局面に至るまではほとんど放置する。ただし、稀(まれ)にアンソニーの勝手な捜査行動に怒ることがある。そのような箇所に、決まって重要な伏線があるので油断できない。……今、書評家にネタバレされたと思いましたか? 大丈夫です、これでも多分わからないから。

 さて『その裁きは死』は、前作『メインテーマは殺人』以上に、伏線配置が巧妙であり、フェアプレイ精神も強まっています。何せ、ヒントがあったチャプターの最後でヒントの個数をアンソニーがはっきり述べたりするのです。それでもわからない。とはいえ印象に残らないような書き方はされておらず、真相解明時には、そのページに戻るまでもなく、それが書かれていたことが思い出せます。何をどうやったらこういう離れ業が為(な)せるのか。素晴らしいミステリ作法としか言いようがありません。

 推理の質と伏線の妙だけではない。物語の筋運びも読者を飽きさせない。弁護士殺害を調べる過程で、他の人死にが判明して事件の様相が急に変わったり、被害者のみならず、関係者の性格が丁寧に描写されて身につまされたり、刑事がアンソニーにちょっかいをかけてきたりと、様々な要素が読者の気を引きます。それがまたちょうど良い煙幕になったりするんだよなあ。

 というわけで、序盤も中盤も面白く読めますが、作品の性質上、最も楽しめるのが終盤の真相解明局面であることは間違いないです。だがその魅力を詳しく語ることは、ここではもちろんしません。序盤も中盤もしっかり読み込んで、終盤に進んでください。ミステリ読書の理想郷の一つがそこにあることを、厳粛(げんしゅく)に保証します。

 続いて、伏線ではなくストーリー構成で驚愕(きょうがく)を生み出した、ギヨーム・ミュッソ『作家の秘められた人生』(吉田恒雄訳 集英社文庫 980円+税)を紹介したい。

 世界的人気作家だったフォウルズは、人気絶頂の二十年前に断筆を宣言し、地中海の閉鎖的な島ボーモンに隠棲(いんせい)した。彼に自分の原稿を見てもらおうと、文学青年のラファエルは島の屋敷を訪れるが、銃で脅されて追い返される。

 その二週間ほど後、新聞記者マティルドが、フォウルズの愛犬を見付けたことをきっかけに、フォウルズと接触するようになる。何かの目的があって彼女が近付いてきていると疑ったフォウルズは、ラファエルを呼び出し、マティルドのことを探るよう依頼する。そんな中、ボーモン島の浜辺で女性の惨殺死体が発見される。

 語り手は主にフォウルズとラファエルの二名である。若いラファエルがいかにも若者らしく描かれているのが印象的だ。実直そうな一方で、妙な全能感と高いプライドが垣間見え、無自覚で無根拠な自信に満ちている。作家志望の文学青年らしいかもしれない。他方、フォウルズは自分の過去を具体的にはなかなか述懐(じゅっかい)しないが、目線が明らかに過去を向いている。あるいは、沈滞している。現在と未来を活き活きと生きようとはしていない。しかし枯れてはおらず、それが終盤の展開に影響する。

 本書は、真相にかかわる事柄を語る順番を工夫し、舞台装置もよく吟味(ぎんみ)することで、真相を隠すのみならず、小説としての質感を大きく変えている。終盤を除き、本書に漂うアンニュイで詩的な雰囲気は、真相からは絶対に逆算できない。まさかそんな話だったとは、と驚かされること請け合いのミステリなのである。

 もう一つ。『作家の秘められた人生』の幕切れは、とても奇妙なものだ。直前のクライマックスと繋(つな)がっていない感すらあり、印象に残る。『アニーはどこにいった』の幕切れとは方向性がもちろん全く違うけれど、余韻が尾を引く点では共通する。幕切れがこうなる小説に、悪い小説はない。