大野万紀 Maki OHNO


銀河連邦SF傑作選 不死身の戦艦

 本書は近年アメリカで多数のアンソロジーを編集しているアンソロジスト、ジョン・ジョゼフ・アダムズの、『スタートボタンを押してください』『この地獄の片隅に』に続く、銀河連邦をテーマにしたアンソロジーFederations(2009)の邦訳である。原書には二十三編が収められているが、本書ではその中から十六編が厳選されている。

 銀河連邦! あるいは銀河帝国! 懐かしい響きのする言葉だ。広大な銀河にある無数の星々。そこでは人類の子孫や異星人たちによる幾多の文明が興亡を繰り返し、それらをまとめる強大な、あるいは衰退しつつある政体が、厳しく、あるいは緩やかに統治している。それは専制的で中央集権的な〈帝国〉であったり、複数の星間国家の〈連邦〉であったりする。なお、皇帝がいるとか、民主的な議会があるとか、そういうところをはっきり区別するSFも多いが、政体にこだわらず、比喩的に〈帝国〉という言葉を用いる作品もまた多い。ジャンルSFの用語としては連邦も帝国もあまり厳密な区別はなく、それぞれの作品の中で適当に設定されているといっていいだろう。いずれにせよ、異星人を含む多くの種族が何らかの形で共存し、交易し、支配し支配され、戦い、あるいは酒場で大騒ぎする、そんなグローバルな世界。それがSFにおける銀河連邦の典型的なイメージだ。
 本書の序文で、編者はまず〈スター・ウォーズ〉〈スター・トレック〉を引き合いに出しているが、アシモフの〈ファウンデーション〉やルグィンの〈ハイニッシュ・サイクル〉シリーズにも言及しているように、本書もまた連邦や帝国といった言葉にあまりとらわれず、「銀河の恒星間にまたがる社会国ではなく世界、あるいはいくつもの世界がまとまってできた政府の広大さ」がテーマになっている。
 しかし、これって恒星間を舞台としたスペースオペラではごく当たり前の設定だといえるろう。銀河文明の統治機構や、社会のありかたを深く掘り下げて考察するような作品は数少なく、むしろ何も説明しないで済ませられる、便利な舞台背景として使われることが多い。スペースオペラの舞台として、スター・トレックやスター・ウォーズみたいなといえば、それで大体のイメージはつかめる。作者はその片隅で繰り広げられる物語そのものに集中すればいいのである。

 これは別に非難すべきことではない。そもそもシリアスに考えるなら、銀河連邦そのものが相当にあり得ないものなのだから。
 まず超光速での移動(少なくとも通信)手段が必須である。ワープとかスターゲートとか、どこでもドアとか。超光速通信ならアンシブルとか。移動や通信が光速度に制限されるなら、隣の星へ行くにも膨大な時間がかかってしまう。そんな時間スケールで成立する統一された文明というのはあり得るだろうか(もちろんそんな世界をシリアスに考察したSFもある。例えばグレッグ・イーガンの描く宇宙は相対性理論に従い決して光速度を超えることはないが、ポストヒューマンたちは光の速さで自由に銀河を飛び回り、とんでもない時間スケールの世界を作り上げている)。
 いや超光速はSFのお約束ごとなのだから、OKだとしよう。ところが超光速はタイムトラベルと切っても切れない関係にあるので、それによって成立する銀河文明では等時性というものが問題になる(相対性理論では絶対時間・絶対座標は存在しないので、そもそも等時性などあり得ないといってしまっては身も蓋もない)。地球とベテルギウスがスターゲートでつながったとして、ゲートの向こうは「いつ」なのか。またそこから戻ってきたとき、その地球は「いつ」なのか。二点間ならまだしも、複数の星々を結ぶとなると、もはやわけがわからない。超光速が可能だったとしても、「いま」が定義できない宇宙では複数の星々からなる星間文明など現実的とはいえまい。
 いやいや、それも無視するとしよう。例えばゲート間を移動する人の持っている時計を「いま」とするのだ。相互に運ばれる情報こそが星間文明では重要なのであって、遠く離れた星が「いま」どうなっているかなど二の次だとする(それで銀河連邦が成立するかどうかは別の問題)。そんなややこしいことを考えず、超光速と同様に相対性理論を無視して絶対時間があるとしてもいい。科学的とはいえなくなるが、そこはあいまいにしておけばスルーできるだろう。何といってもSFなのだから。
 人類とその子孫たちだけによる銀河文明ならそれでいい。だが次には異星人たちの問題がある。銀河連邦というからには人類だけじゃ面白くない。やっぱり異星人は必要だ。
 フェルミのパラドックスというものがある。地球外文明があるとして、なぜそれが見つからないのかという問題である。それをテーマにしたSFもいくつも書かれているが、銀河連邦を考えるのだから、ここでは異星人はうじゃうじゃいるとしておこう。だが、彼らと人類は果たしてコミュニケートできるのだろうか。
 シリアスなSFではそれを不可能とするものがある。例えばスタニスワフ・レムの『ソラリス』(ハヤカワ文庫SF)だ。この考え方はとても説得力があるので、完全に否定するのは難しい。仮にコミュニケートできたとしても数学やインプットに対するアウトプットのレベルであって、互いに言葉で話し合い、果ては酒場で笑い合うような関係にはならないだろう。同じ地球上でそれなりの知性があるとされるイルカやチンパンジーとすら政治的な議題を議会で議論しあうというにはほど遠いのだから。
 とはいえ、イルカやチンパンジーを仲間として宇宙の諸種族と渡り合うSFだってある(デイヴィッド・ブリンの〈知性化戦争〉シリーズだ)。人類も異星人も実は同じ太古の宇宙種族の子孫であり、だから意思疎通は可能だとするSFも数多い。なので、この問題も解決したとしよう。
 そして話は振り出しに戻る。みんな広い銀河で人類も異星人もいっしょになってワチャワチャしているのが好きなのだ。それがかつての植民地帝国を宇宙に広げたようなイメージであっても、現代のアメリカやグローバル企業のありさまを宇宙に広げたようなイメージであっても、それが銀河帝国であり、銀河連邦なのだ。確かに少し古めかしいかも知れない。でもぼくはそんな大まかで適当な世界が大好きだ。
 さて、そういう前提にたったとき、連邦や帝国は単なる舞台背景となり、重要なのは物語そのものとなる。星間文明同士の何百年にもわたる宇宙戦争の一コマ、地方での小さな反乱と連邦による鎮圧、遠い星々を植民地とするために旅立つ人々、宇宙海賊や犯罪者との戦い民惑星での現地種族と外から来た者の対立、様々な星々やエキゾチックな異星人の世界を巡って行く旅……。本書に収録された作品の多くもそういった題材を描いている。現代の作品では、そこにAIやポストヒューマン的なデジタル知性をからめる作品も増えてきている。

 ここで本書の収録作についてコメントしておきたい。
 本書には有名なシリーズに属する短編作品がいくつか再録されている。
 ロイス・マクマスター・ビジョルド「戦いのあとで」は、〈ヴォルコシガン・サガ〉の一編『名誉のかけら』(創元SF文庫)の最終章に組み込まれたスピンオフ短編である。バラヤー軍に破壊された巡洋艦の死体回収にやって来たベータ星の若い操縦士とベテランの医療技術兵。戦争の悲惨さ、勇気と残された者の哀しみを描いたビジョルドらしい作品である。
 アン・マキャフリーの「還る船」は、〈歌う船〉シリーズに属する短編(邦訳はアンソロ『遙かなる地平 2』(ハヤカワ文庫SF)にも収録されている)。〈歌う船〉のヘルヴァと、すでに死んでいるのに元気いっぱいのナイアルとのイチャイチャ話も楽しいが、武器を持たない平和な惑星の住人たちが、襲撃してきた宇宙海賊を撃滅する方法が面白い。
 オースン・スコット・カードの「囚われのメイザー」『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫SF)の前日譚であり、あのバトルスクールがどうやって作られたのかを明らかにしている。『エンダーのゲーム』の容赦ない厳しさにはこんな背景があったのだ。

 シリーズに属さない単独の作品についても少し。
 メアリー・ローゼンブラムの「愛しきわが仔」は、コードウェイナー・スミスを思わせる傑作だ。星々を越えて会話する能力をもつ特別な子供たち。それを育てるのは召使いとして作られた知性ある犬たちだ。銀河に広がる文明間の通信の問題を扱っているが、これは愛情に満ちた犬SFでもある。
 アレン・スティールの「ジョーダンへの手紙」では、恋人と別れた主人公が星間連合の世界を旅していく。そこで目にする様々な異星の文明。何とも大らかで平和な宇宙旅行記となっており、さすがキャプテン・フューチャーを二十一世紀に蘇らせた作者だ。そしてこれは確かに銀河連邦SFだといえる。
 銀河連邦SFといえば、ジェイムズ・アラン・ガードナー「星間集団意識体の婚活」も楽しい。何しろ主人公が銀河連邦なのだ。千兆の生命体を抱える銀河連盟が、そろそろ身を固めようと結婚相手を探すことにする。彼はルームメイトの〈デジタル支援球〉に相談し、候補となる他の銀河連盟を探してもらう。オチは想像できるが、これぞ本書に相応しい正真正銘の銀河連邦SFだろう。

 銀河に広がる文明を描くSFの中には、また違った観点をもつ作品もある。先に述べた科学的な観点はやはり不問とするが、地上のイメージを単に宇宙に広げるのではなく、独自の治体制、社会を考える作品である。
 とりわけぼくの心に残っているのは、コードウェイナー・スミスの〈人類補完機構〉シリーズだ。数千年にわたり銀河を支配するこの統治機構ほど、冷たく謎めいていて、またユニークで物語性豊かなものは数少ないだろう。
 本書に短編が収録されているユーン・ハ・リーも奇怪で独創的な宇宙国家を描いている。『ナインフォックスの覚醒』(創元SF文庫)で描かれるのは、はるか遠未来の東洋的な宇宙文明であり、そこでは〈暦法〉という、まさに魔法的な超技術が駆使されている。専制的でディストピアといってもいい世界だが、ジェンダー描写など現代SF的な要素も大きい。
 もうひとつ、アン・レッキーの『叛逆航路』に始まる三部作(いずれも創元SF文庫)で描かれた星間国家ラドチも挙げておきたい。こちらはよくある専制的な銀河帝国なのだが、その皇帝は何千もの分身を持っており、また主人公の身体には宇宙戦艦のAI人格が上書きされている。こんな設定が物語の中で重要な役割を果たし、そこにきわめて現代的なスペースオペラが展開していくことになる。
 本書で銀河連邦というテーマに興味が持てたなら、ぜひこのような作品も読んでみてほしい。



【編集部付記:本稿は『銀河連邦SF傑作選 不死身の戦艦』解説の転載です。】



■ 大野万紀(おおの・まき)
1953年生まれ。SF評論家、翻訳家。訳書にジョン・ヴァーリイ『汝、コンピューターの夢』(創元SF文庫)、編訳書にデーモン・ナイト『ディオ』(青心社SFシリーズ)、共訳書にヴァーリイ『さようなら、ロビンソン・クルーソー』(創元SF文庫)『残像』『逆行の夏』(以上ハヤカワ文庫SF)など多数。